2018年08月20日公開
2018年08月20日更新
火垂るの墓の清太の死因は?最後は自殺だった?働かない理由について考察
今でも話題になる程に人気のあるジブリの名作、火垂るの墓。主人公である清太の死亡、つまり最後から始める衝撃の展開は何度見ても悲しい気持ちになります。清太の死因はどのような理由だったのでしょうか?作中で明確な死因が示されていない事もあり、現在でも火垂るの墓のファンの間では度々話題になる議題の1つになっています。今回は火垂るの墓のあらすじや高畑監督のインタビューも交えながら清太の死因についてまとめていきます。
目次
火垂るの墓の清太の死因とは?働かない理由についても考察!
火垂るの墓は元々小説家の野坂昭如さんによって書かれた短編小説で、野坂さん自身の戦争体験を題材にした作品です。これまで、最も有名なアニメ映画に加えて実写化やテレビドラマ化、合唱組曲なども製作されるなど1967年の発行半世紀以上に渡って高い人気を集めて入れいる作品になっています。中でも人気の高い1988年公開のアニメ映画版はスタジオジブリにより製作され、一時は毎年夏にテレビ放映される程でした。
アニメ映画版は序盤から中盤にかけては原作通りの構成ですが、後半、特に節子が死ぬ描写とラストの神戸の景色などはアニメ映画オリジナルの演出になっています。このアニメ映画があまりにも有名である為、現在ではこのアニメ映画版の火垂るの墓での展開が一般的な物として認識されています。
火垂るの墓の主人公となるのが清太と節子の兄妹です。物語は基本的に清太の視点で描かれ、なんとか兄妹2人で生き残ろうと奮闘する姿が描かれています。特に清太はまだ幼い妹である節子をなんとか助けようと節子に尽くしますが、先に節子が死んでしまいます。最後には清太もその1カ月後に死んでしまうのです。
アニメ映画の中で清太と節子2人の死は明確に描かれていますが、特に清太の死因について明確な表現はされておらず、今でもファンの間で度々議論が行われています。今回は主人公の清太の死因についてネット上での議論や高畑監督のインタビューを交えながら紹介していきます。
火垂るの墓とは?
初めに火垂るの墓のあらすじを簡単に紹介していきます。火垂るの墓は清太の最後から描かれるという衝撃の展開から始まり、そこから時間が戻って何故清太が死んだのかを描く物語になっています。時間は、清太と節子は母と共に疎開するべく準備を進めている時に戻ります。元々心臓を悪くしていた母と共に非難しようとした時に神戸大空襲が始まってしまいます。その空襲により、母は死んでしまい家も焼かれてしまいました。
清太と節子の兄妹は2人で事前に取りきめられていた約束通り、父の従兄弟の嫁である西宮のおばちゃんの家に身を寄せる事になります。2人の父は海軍の大尉を務めており清太がその貯金から当時かなり貴重品であった米などを持ってきた事により最初こそ歓迎を受けますが、邪険にされるようになります。邪険にされる理由は清太が働かない事でしたが、清太は決して働こうとはしませんでした。
徐々に制裁が強くなり居心地の悪い清太は節子の「あの家に帰りたくない」という発言を受けて家を出る事を決意、2人で小さな防空壕での生活を始めます。しかし終戦間近の当時は既に思うような配給を得る事もできず、周囲に助けを求める事も出来なかった清太は、それでも働かないで火事場泥棒をしたり畑から野菜を盗むなどをしてなんとか飢えを凌いでいく事になります。
そんな生活を続けるうちに幼い節子は栄養失調に陥り、倒れてしまいます。なんとか医者に節子を見てもらい「栄養をつけるしかない」と言われた清太は母が残していた貯金を使いなんとか食料を確保しようと奔走しますが、ついには節子は息を引き取ってしまいます。さらに食料を確保する過程で日本が戦争に敗北した事、父の所属する連合艦隊が壊滅した事などを知り、そのショックは計り知れないものでした。
節子の火葬を済ませた清太はその後そのまま防空壕を出て、戦争孤児の1人として最後には冒頭で描かれた三ノ宮の駅で死んでしまう事になるのです。清太の死体は同じく三ノ宮駅で死んだ戦争孤児らの死体と共に火葬されました。原作ではそのシーンが最後でしたが、アニメ映画ではその後、最後のシーンとして現代の神戸を見下ろす赤い幽霊の清太と節子が描かれました。
火垂るの墓の「火垂る」とは?
ちなみにタイトルである火垂るの墓の火垂るは現在は蛍と書かれるあの虫のホタルを表しています。火垂るは江戸時代頃まで使われた蛍に当てられた漢字だったのです。もちろん作者の野坂さんがこの物語を書いた時には一般的には「蛍」の字が使われていましたが、同年代の作品に「蛍」という漢字を使った物が複数あった事、それでもタイトルの変更はしたくなかった事から古い漢字である「火垂る」を使ったそうです。
出典: https://ciatr.jp
作中では防空壕で暮らす時に蛍を捕まえてくる様などが描かれている他、元々の「火が垂れ落ちる」という漢字を使う火垂るは空襲、今作では特に神戸大空襲を指して使われています。蛍の命も僅かであり光を発するのは命の最後でもある事から、そのようなタイトルが付けられたそうです。
これらのタイトルに対しての思いは作中で特に節子のセリフなどを通して描かれています。これから敵に特攻するべく飛行機を見た際に放った「蛍みたいだね」というセリフがその代表的なセリフの1つです。同時に、火垂るの墓の物語自体が短い人生を終えた清太と節子の最後の光だったのです。
火垂るの墓の清太はどんなキャラクター?
火垂るの墓の全体的なあらすじを紹介した所で、さらに清太にスポットを絞って清太というキャラクターに対する一般的なイメージを紹介していきます。
妹を守るため必死に生きる少年
清太のイメージとして強いのはやはり頼る者もいない状況でなんとかして妹の節子を守ろうと四苦八苦する姿が印象的です。節子を守る為であれば、盗みを働いて派出所に突き出されてでも耐えてなんとか兄妹2人で戦争終了前後の怒涛の時代を生き残ろうとします。全体主義が当たり前の戦争前後において清太の行動は反時代的であり、残念ながらその行動は思いとは逆の運命を引き寄せる結果になってしまいます。
年の離れた妹である節子にとっては、兄であると同時に親のような役割も果たしています。父が家にはいない事、母が病気がちだった事、おんぶ紐などを使って節子を背負う姿も様になっていた事を考えても普段から節子の世話をしていたのは清太でしょう。防空壕にて短い期間とは言え生活も出来ているのである程度料理などの家事などを行う事も出来るはずです。
周囲から見ればまだまだ子供ですが、同時に節子に見せる表情などはどこか大人びた雰囲気も持ち合わせていました。ただそれも少年がなんとか大人になろうと背伸びをしているような状態です。そのような今の言い方でいう思春期の子供と大人が入り混じったようなキャラクターが清太です。
疎開先で苛めに遭う
神戸大空襲で母と家を失った清太と節子は西宮市に住む親戚に身を寄せるわけです。家からなんとか持ちだせた当時は貴重であった米を持ってきた事で最初こそ歓迎を受けます。しかし、それも徐々に態度が変わっていき邪魔者扱いされるようになります。最初は言葉でだけでしたが、母の形見である着物を売って米に変えさせられたり、自分達だけ食事を冷遇されるなど、いじめにも近い扱いを受ける事になるのです。
その時の扱いは非常に冷酷であり、清太に同情するような声、そのいじめを行っていた西宮のおばちゃんに対しての「もう少しやり方があるんじゃないか?」などという意見が多数を占めてる程です。
居場所がない事を感じた清太。それは節子も同じでした。「あの家には帰りたくない」という節子の発言もあって節子を連れて家を出て2人で生活する事を決意して家を出てしまいます。結果として自由な生活を手に入れた清太と節子でしたが、その生活は徐々に苦しい物になっていきます。
火垂るの墓の清太を演じる声優を紹介!
火垂るの墓は現在まで続くスタジオジブリの方針である「声優を使わない」方針を取りだした頃の作品であり、清太の声優も当時関西の劇団で活躍していた子役でその後俳優としても活躍した辰巳努が担当しています。清太の声優を務めたのは辰巳努さんが16歳の時でした。火垂るの墓への出演後、しばらくは俳優活動を続けていましたが、現在は芸能界から完全に身を引き一般人として生活しているようです。
ちなみに同様の方法は妹の節子でも使われており、同じく関西の舞台に出ていた白石綾乃さんが担当しました。白石綾乃さんも既に芸能界を引退しており、どちらも既に映画業界内の人でも連絡先が分からないと言う状態になっているようです。
火垂るの墓の清太の年齢とは?
そんな16歳の辰巳努さんが声を当てた清太の年齢は14歳です。旧制の為中学3年生でしたが、作中のセリフとして神戸大空襲で学校もまた焼け落ちてしまったようです。清太の行動も思春期特有の反抗期的なものだったと考えると妙に納得できてしまう部分もあります。
清太の声優を選ぶ際、大人が作った子供っぽい声を使うのではなく、清太と同年代の子に演じてほしいという想いから、当時16歳だった辰巳努さんが選ばれました。ちなみに妹の節子は4歳なので10歳も歳が離れた兄妹という事になります。
火垂るの墓の清太の死因とは?
あらすじや清太と言うキャラクターについて紹介した所でいよいよ本題です。公開当時、冒頭から最後の死を描かれた清太、その死因は一体なんだったのでしょうか。諸説ある死因を考察を交えつつ紹介していきます。
一般的には衰弱死や餓死といわれている
映画公開当時から現在に至るまで、その描写などから基本的にはやはり衰弱死や餓死であるとする声が一般的です。確かに身よりも無ければ家もなく、食料の配給なども満足に得られなかった事を考えれば、14歳の清太には成す術が無かったと考えるのは自然の流れであると言えます。
特に死ぬ間際の清太は目も虚ろになっており、腕や身体もかなり細くなっており、明らかに何も食べていないような状態に観えます。このような状態もあって衰弱していたと考えるのが一般的になっているのです。
実は最後は自殺だった?
しかしネット上などの議論で頻繁に挙がるのが自殺説です。家も母も失い、父の生死も分からず、唯一生きる希望であった妹の節子にも先立たれてしまい全てに絶望して死んだのではないかというのが自殺説を唱える人の主な理由になっています。確かに作中で描かれる清太の行動原理の根幹には妹節子への思いがあります。節子の願いは自身にできる範囲で叶えてやろうとする所などにもそれらの思いは現れています。
加えて、清太には節子が死んだ時点でまだ母が残してくれた貯金がありました。それも当時の価値で考えれば相当な金額です。書き方は悪いですが、節子が死んで1人になった分、そのお金の減り方も緩やかになるはずです。しかしそれらのお金を使いきったような描写もなかった事から、もう使う意志もなく、自ら死を望んだ、つまり自殺だったというのが、自殺説のもう1つの理由になっています。
さらに重ねれば、冒頭の清太の最後が描かれるシーンにて三ノ宮駅で柱にもたれかかって頭を下げている(ように見える)清太におにぎりが置かれる場面もあります。仮に清太に生きる気力があるにも関わらずお金が底をついただけで衰弱しているのであればそれに飛びついてでも助かろうとしたでしょう。それをしなかったのは衰弱して気付かなかったからとも言われますが、やはり自殺説を裏付ける1つの理由にもなっています。
どちらの要因もあるというのが最近の通説に
それらの議論の行きつく先は、結局どっちもあるのではないか?という事が多いです。節子の死が清太に大きなショックを与えたのは間違いありませんし、加えて父の死、日本の敗戦なども重なっているので生きる希望を失っていたと言われても説得力はあります。一方で、戦争終了直後の当時の時代背景を考えると、お金を持っていても食料を得る事が叶わなかったという考え方もできます。
ただ節子が生きている時には盗みなどの悪事を働いてでも生き残ろうとした清太ですから、少なからず節子の死がその後の清太に影響を与えたのは間違いありません。上記の画像のシーンでも腕などを見ると痩せ細っている事から自殺しようとしてその手段としての衰弱死だったのではないかという考えもあるのです。
清太の死因が自殺なら何故衰弱死なのか?
仮に清太が自殺を選んで冒頭に描かれた最後の場面に辿り着いた場合、何故その方法として衰弱死を選んだのでしょうか。節子が死んだ事で希望を失ったのであれば、それこそ後追い自殺として飛び降り自殺や首つり自殺などすぐに死ねる方法を選ぶ事も出来たはずです。ですが、節子が死んだのが1945年8月22日であるのに対し、清太は翌月の9月21日までのおよそ1ヶ月間、状態はどうあれ生きています。
あれだけ節子の為に2人でなんとか生き残ろうとした清太です。或いは節子が死んで初めて自身の行動を「後悔」をしたのかもしれません。節子の死因にも諸説があったりしますが、少なくとも清太からみればそれらの原因となるのは清太の決断であり清太は自責の念に駆られた事でしょう。それらの後悔の時間こそが最後の1カ月という期間を生んだのかもしれません。
もちろんこれは清太が自殺であるという今となっては証明しようがない前提があるので、実際がどうなのか判断のしようがありません。ですが節子の死から、清太の死までのおよそ1カ月の間、その時間は清太にとって非常に辛いものであったと同時に最後の懺悔の時間であったと言えます。
火垂るの墓の清太はクズ?働かない理由とは?
上記でも少し触れた清太のイメージの変化は主に清太のマイナス面に触れています。それは清太が周囲にどれだけ指摘を受けても学校に行く事もなければ働かないままでいながら、要求だけはするようなシーンがあるからです。
清太は仕事や学校にも行っていない
火垂るの墓の物語序盤、疎開先となる西宮のおばちゃんの所を訪ねる時にこそ、清太は学生服のような服装をしています。しかし清太の通っていた学校は簡易病院のようになっていた上に、神戸大空襲で焼け落ちてしまっており、既に学校は無くなってしまっていました。
兄妹はそこから西宮のおばちゃんの家に上がりこむわけですが、清太は「学校には行っても意味ない」と言い学校に行く事もなければ、働かないで家でゴロゴロとしていました。家事の手伝いをするでもなく、お礼1つ言わない清太に西宮のおばちゃんはどんどん態度をキツくしていくのです。公開当時には名前で呼ばれるシーンも無い事から「意地悪おばちゃん」などと呼ばれていました。
しかし冷静に清太の行動を見ているとそのような態度になってしまうのも致し方ないのではないかと言う意見も近年増えてきています。いくら子供とは言え14歳、やれる事はいくらでもあるのにそれをしようともせず働かない清太だからこそ、西宮のおばちゃんは清太だけを特別扱いするわけにもいかず周囲の目も考えてキツくせざるをえなかったのではないかとする声が大きくなっているのです。
清太の生まれ育った家が裕福すぎたのが原因?
清太が働かないなどの行動に走ってしまった主な理由として考えられるのが、育った環境です。海軍大尉の父を持つ清太、作中のセリフなどからも相当裕福な生活を送っていた事が見受けられます。父は節子が生まれる前には既に海軍に居た描写もある事からそれなりに長い期間に渡って海軍にいるのでしょう。清太の母が残した貯金などを考えてもその育ちは当時を考えればかなりのお坊ちゃんと言えます。
裕福な家庭だった事は以降に描かれる節子の食べたい物などからも分かります。そうなれば当然、相当なプライドを持っていた事でしょう。そのプライドが邪魔して戦時の一般的なレベルまで生活レベルを落とす事ができず、また西宮のおばちゃんに頭を下げたり、人に頼る事が出来なかったのではないかと言われています。下手にお金を持っている分、お金があればなんとかなるという考えになってしまっても不思議ではありません。
加えるなら当時の日本の教育では軍人になる事こそが宿命であり、それは海軍大尉の父を持つ清太にとってより身近な物だったはずです。日本が負けるはずないと教育されて育ってきた清太に取っては自身はまだ学校に行くべきであり、いずれは海軍に入るんだと考えていたのかもしれません。しかし実際には清太よりも小さい子でも働いていたので相対的に清太が働かないように写るのではないでしょうか。
西宮のおばちゃんは未亡人という事もあり、基本的には裕福な育ちというわけでは無さそうです。だからこそ清太の年齢なら働かないという事はあり得ないと考えていたのでしょう。現実を教える為に上記でも紹介したいじめとも言えるような言動や行動をしたのかもしれません。清太の年齢で働かないのが当たり前の清太と、働かないのがあり得ないおばちゃん。この意識の差も格差が生んだ物と考える事ができます。
全ては節子といる為?
清太が働かないもう1つ大きな要素と言えるのがやはり節子の存在です。清太から見れば目の前で母に死なれ、遠い海にいていつ戻ってくるかも分からない父を除き、節子は残されたただ1人の家族です。西宮のおばちゃんの家を出る最終的な決断をしたのも節子が「あの家に帰りたくない」と言ったからであったりと、清太の行動の根底には節子の存在が大きく関わり、ある種節子の存在に依存しているとさえいえる状態でした。
仮に働きにでるとなった場合、その間節子とは確実に離れ離れにならなければなりません。清太にとっては唯一残された肉親であり、まだ幼い節子を誰かに託すというような決断は清太には出来なかったのではないでしょうか。現にまだ関係が悪化する前の西宮のおばちゃんに対してもあまり愛想が良いわけではない清太は誰か頼る事も出来ず、節子の側を離れたくなかったのではないでしょうか。
それが許されるとは考えにくいですが西宮のおばちゃんに働かない事を糾弾されたり、実際に食事を制限されるなどの制裁を受けている時にも清太は「そんな事したら節子と離れ離れになるじゃないか」と考えていたのかもしれません。まだ1人では生きていけない節子ですが、そのような節子の存在があるからこそ清太に生きる意味を与えていたのかもしれません。
「働かない」のではなく「働けない」のでは?という擁護の声も
こういった清太が悪いとする意見が出ればもちろん清太を擁護するような声もあります。その代表的な物がそもそも清太は働かないのではなく働けないのではないかという物です。海軍大尉の父を持つとはいえ、消息は不明で母も死んでいる清太には親からの紹介などのツテもないのでそもそも働き口が見つからないのではないか、という意見です。
確かにまだ働いた経験もなければ学校も中途半端になっている状態である上に身元の保証もできない清太が誰かの紹介も無しに働くというのはなかなか難しいようにも見えます。そもそも終戦前後に清太のような戦争孤児を雇う程の余裕のある会社がどれだけあったのかも疑問符ではあります。清太が死んだ三ノ宮駅には清太と同じように死んだ人の死体が集められて燃やされるシーンもあり働ける土壌がなかったと言われれば納得もできます。
或いは海軍大尉の父を持つ清太はそういう事情に詳しくて働かないのではないかというのです。しかしやはり作中で清太が働かないでダラダラしているシーンが目立つ事、何かしら働こうとする動きを見せない事、外に出て働かないまでも家事を手伝うなどの動きもない上にお礼も言わない事からこの擁護意見は自身の意志で働かないとする意見に対してどうしても押されてしまいがちです。
火垂るの墓のラストシーンの意味とは?
アニメ映画版火垂るの墓には原作の短編小説にはなかったシーンが多数加えられていますがその代表的な物が最後のシーンです。アニメ映画版火垂るの墓の最後のシーンは現代の神戸を赤く染まった幽霊である清太と節子がただただ眺めるだけというシーンです。この最後のシーンには一体どんな意味があるのでしょうか。
火垂るの墓のこの最後のシーンは、冒頭で死を描かれ、死ぬ事が分かっている清太、そして節子が決して辿り着く事ができないシーンです。清太の視点から見れば冒頭の死から始まるこの映画の中で清太の時間は永遠にループしています。それは実際の世界がどれだけ時間を進め、戦争終了直後、焼け野原だった神戸の街が高層ビルが立ち並ぶ現代の街並みになるまで進んでも変わりません。
そんなループの中にいる清太と節子を敢えてそのループの先にある神戸の街を眺める最後のシーンを描く事で、死んだらそこでおしまい、その先は見られないというような事を示しているのではないでしょうか。
火垂るの墓の高畑監督のインタビューを紹介!
火垂るの墓はスタジオジブリの高畑監督が製作した映画です。火垂るの墓以外ではスタジオジブリ設立きっかけとなった「風の谷のナウシカ」でプロデューサーを務めたほか、スタジオジブリ設立後「平成狸合戦ぽんぽこ」を公開しているなど、同じスタジオジブリに所属する宮崎駿監督と一緒に同スタジオを代表する監督です。
高畑監督は2018年4月に亡くなってしまいましたが、映画公開からこれまでの間にテレビや雑誌の多数のインタビューや対談などで火垂るの墓について答え、自身の考えを述べています。ここからは映画の中では感じ取りづらい高畑監督の思いをインタビューなどから探っていきます。
火垂るの墓は決して反戦映画ではない
火垂るの墓はどうしてもその見た目上、戦争に反対を訴える「反戦映画」として見られる事が多いです。戦争の悲劇がこのような結果を生むから戦争はやめましょう。確かに火垂るの墓を見てそういう風に感じ取るのも間違いではないでしょう。しかし、高畑監督は数々のインタビューで公式の見解としてそこをテーマにしたつまりは全くないと否定し続けていました。
特に高畑監督は映画公開当時から戦争を知らない現代(映画公開時)の若者にこそこの映画を見てほしいと訴えていました。清太が行った、社会的な煩わしさを断ち、節子と共に小さな家族を作ろうとした行動はネットが発達し、ある程度社会から離れても生活が出来てしまう現代の若者にこそ共感できるのではという風に答えています。
国民総動員法を代表として当時の日本は全体主義が当たり前になっているという状況下において、小さくても独立した家族という集団を持とうとした清太の行動こそが悲劇であるのではないか、とも答えています。裏を返せば、清太と節子の悲劇は清太によってもたらされた物であり、決して戦争のせいではないと言いたいわけです。
西宮のおばちゃんが擁護されるようになったら怖い
現在のネット上でも度々議論が行われる西宮のおばちゃんと清太の口論の数々。映画公開当時、高畑監督は上記のように「西宮のおばちゃんが擁護されるようになったら怖い」という事も答えていました。というのも、この西宮のおばちゃんが言っている意見は一見正論ではありますが、その実、国民総動員法、全体主義をそのまま反映しているからです。
上記でも紹介した清太が働かない事、そしてその態度を見れば西宮のおばちゃんのように清太を糾弾する声が上がるのは不思議ではありません。それ自体は高畑監督も理解しているようです。しかしそれが、西宮のおばちゃんのような全体主義的な側面を持てば、それはつまり価値観が戦争前後に戻ってしまう事でもあるのです。高畑監督はそういった意味で怖いと発言しています。
高畑監督自身も1935年生まれで、自身も清太と同じ子供の頃に第二次世界大戦を経験しています。そんな高畑監督だからこそ全体主義を「最低最悪」と全否定しています。全体主義は基本的に資源の少ない日本が列強と戦う為に取る非常事態体制です。その頃の価値観に戻る時はつまり、新たな戦争に置かれているという事にもなります。
清太と節子の生活は成功だった?
西宮のおばちゃんの家を出て2人で防空壕で生活を始めた清太と節子、節子が死んでしまい最後には清太も死んでしまう事から、多くの人はそれを失敗だったと考えますが、高畑監督はどうやら違うようです。確かに「清太が節子と共に家庭を築こうとした」という観点でみれば一時とはいえ、成功しています。家庭の基本を衣食住と考えるなら防空壕という家があり、貯金でなんとか食べていけました。
もちろん、最後の瞬間まで成功だったとは言えませんが、少なくとも清太と節子にとって、生き生きとした生活が瞬間的には存在しました。それは西宮のおばちゃんの家に居候になったままでは決して得る事のできなかった日々です。そういう意味を持って高畑監督はは2人の防空壕での生活全てが失敗だったとは考えていないようです。
火垂るの墓の清太の死因についてまとめ!
火垂るの墓は半世紀以上に渡って何度も放映される程に人気を集める作品です。戦争の悲惨さなどを描いた映画とはまた一線を画しますが、非常に考えさせられる作品でもあります。映画の中で清太の行動には一貫性があります。その一貫した行動のどこか1つでも変えられたら清太と節子の運命は変わっていた事でしょう。
火垂るの墓を語る上で清太と節子は切っても切り離せません。放送されていたらついつい見てしまうという人も多いです。清太が節子を思って行動すれば行動する程、その行動は裏目に出てしまい、その結果節子を死なせ、最後には自身も死んでしまいます。その悲しい結末から名作である事は認めながら何度も見たい映画ではないという人も多いです。しかし、観る度に発見のある映画である事も事実です。
特に子供の頃に観るのと大人になってから観るのでは特に清太と西宮のおばちゃんに対して抱く印象に大きな違いがある映画でもある事は間違いありません。清太の死因は衰弱死とも餓死とも自殺だとも言われています。ぜひ1度これらを頭に入れた上で火垂るの墓を見て自身の観点で判断してみてはいかがでしょうか。