火垂るの墓節子の死因の真相とは?栄養失調ではなく背中の湿疹の病気が原因?

ジブリの名作火垂るの墓、主人公清太の死から描かれる物語は見た者の多くに衝撃を与えました。主人公清太の妹で、清太の最後の生きる希望だった節子。清太より先に死んでしまう節子ですが、その死因について様々な意見が飛び交っています。火垂るの墓の物語を表面的に見れば、栄養失調のように見えますが、節子が死ぬまでの間に死因となる伏線が描かれています。今回は火垂るの墓のヒロイン、節子の死因について紹介していきます。

火垂るの墓節子の死因の真相とは?栄養失調ではなく背中の湿疹の病気が原因?のイメージ

目次

  1. 火垂るの墓の節子の死因の真相を徹底調査!
  2. 火垂るの墓とは?
  3. 火垂るの墓のあらすじを紹介!
  4. 火垂るの墓の節子とは?
  5. 火垂るの墓の節子の死因の真相は栄養失調ではなく背中の湿疹の病気だった?
  6. 火垂るの墓の節子の声優を紹介!
  7. 火垂るの墓の節子がかわいいや嫌いという声!
  8. 火垂るの墓の節子の死因まとめ!

火垂るの墓の節子の死因の真相を徹底調査!

スタジオジブリによって製作された名作映画、それが火垂るの墓です。清太と節子の兄妹が終戦間際の日本を舞台になんとか生き残ろうとする姿が描かれる映画で、そのリアルな描写が高い評価を集め、日本はもちろん海外でも高い人気を集めるハンカチ無しでは見れない映画です。

一時期は終戦前後の時期に日テレ「金曜ロードショー」にて毎年のように放送されていた火垂るの墓ですが、2011年以降あまり放送されていませんでした。しかし火垂るの墓の監督である高畑監督がガンで亡くなってしまった事を受けてその追悼から2018年4月久しぶりに放送される事になり再び注目を集めました。

火垂るの墓のヒロインである節子。主人公清太の妹であり、清太に先んじて死んでしまいます。その死因は表向き栄養失調に見える事から、節子が栄養失調になる決断をしたと清太は己を責める事になります。しかし、節子が死ぬまでの火垂るの墓の物語を追っていくと節子の死因が栄養失調だけではない事が分かります。今回は、火垂るの墓について振り返りながら、ヒロイン節子の本当の死因の真相を紹介していきます。

スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

火垂るの墓とは?

スタジオジブリが製作し、1988年に公開されたアニメ映画が有名な火垂るの墓ですが、元々は小説家の野坂昭如さんが書いた短編小説を原作としています。野坂さん自身の戦争体験を題材としており、フィクションとノンフィクションを織り交ぜた作品です。物語の舞台となるのは太平洋戦争終戦前後の兵庫県神戸市、及び西宮市です。アニメ映画以外にも漫画、テレビドラマ、合唱組曲が作られるなど高い人気を誇る作品です。

原作となる火垂るの墓の短編小説は1967年に発行されると、同時期に発表した清太が生き残る火垂るの墓のパラレルワールド作品「アメリカひじき」と共に、第58回直木賞を一切の反対を受ける事無く選考され受賞しました。作者の野坂さんが実体験している出来事も多い事からその体験談を元にした無駄が無い文章と独特の世界観が評価されていました。単行本は文藝春秋により、文庫本は新潮文庫により刊行されています。

その原作を元にスタジオジブリの高畑監督により製作され1988年に公開された映画が、アニメ映画版の火垂るの墓です。公開以降、毎年夏の終戦時期前後には放送されるなど、高い人気とそのリアルさ、悲惨さから「名作で人気もありながらもう一度は見たくない」映画の代表格と言われています。基本的には原作を踏襲しながら、オリジナル要素も組み込まれ、より野坂さんの独特の世界観を表現しています。

「4歳と14歳で、生きようと思った」という単独キャッチコピー、宮崎駿監督の「となりのトトロ」と共に「忘れものを、届けにきました」という共通キャッチコピーを使って1968年に同時公開されたアニメ映画版は、日本はもちろん海外でも高く評価され、公開直後はもちろん、公開からかなりたった後にもいくつかのランキングなどで上位に入賞するなど高い評価を受けている映画です。

火垂るはなぜ蛍ではないのか

タイトルにある火垂るは作中にも登場し火垂るの墓の作品イメージそのものでもある蛍の旧漢字です。江戸時代頃には「火垂る」という漢字が使われていましたが、火垂るの墓が描かれた終戦後には確実に現在も使われる「蛍」の漢字が使われています。何故原作者の野坂さんは「蛍」ではなく旧漢字である「火垂る」を利用したのでしょうか。

大きな理由の1つとしては当時出版されている作品に「蛍」という字を使った物が多かったという出版事情的な理由です。タイトルを変更する事も検討されたようですが、火垂るの墓の物語の重要なイメージである「蛍」を外す事はしたくないという思いがありました。さらにそれらの作品にはない神戸大空襲などの様子などの描写もあり、敢えて旧漢字である「火垂る」に変更する事でよりイメージが伝わりやすいと考えました。

火垂るの墓は文字通り、一生の中で光る時間が非常に少ない蛍を現すと同時に、清太と節子という寿命を全うする事を思えば明らかに短い一生を終える2人を蛍に例えているともいます。そう考えると「火垂るの墓」以外に適切なタイトルが浮かばない程作品のイメージにぴったりくるタイトルです。

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火垂るの墓のあらすじを紹介!

火垂るの墓の冒頭は、主人公清太が三ノ宮駅で死ぬ場面から描かれます。作中最初のセリフも清太の声によるナレーションで「僕は死んだ」というセリフからでした。そこから時間が巻き戻る形で、清太が死に至るまでの経緯を追い掛ける形で映画が展開されるのです。この衝撃的な始まり方がトラウマであるという人もいる強烈なインパクトを与える始まり方になっています。

太平洋戦争終戦前後、清太と節子は海軍大尉の父を持ち、比較的裕福な家庭で育ちました。母が病気で心臓を悪くしていた事から、清太は普段から節子の世話をしていました。いよいよ大空襲が来る事になり、母を連れて西宮に疎開する事になりますが、疎開が間に合わず神戸大空襲が始まってしまいます。神戸大空襲により家を失い、また母も死んでしまいます。そこで清太と節子は2人で西宮のおばちゃんの家に行く事になるのです。

清太が元の家から白米を持ってきた事もあって当初は西宮のおばちゃんからも歓迎を受けます。しかし清太は背中に湿疹ができてしまった節子につきっきりで学校に行く事も働きにでる事もなかった為、どんどん関係が悪化していきます。露骨に邪険に扱うようになり説教を繰り返す西宮のおばちゃんに節子も帰る事を嫌がり、清太は節子と2人で家を出る事を決意します。

小さな防空壕で2人での生活を始める清太と節子でしたが、生活はさらに苦しくなっていきます。清太は生きる為に、盗みを行うようになってしまいます。時には見つかって派出所に連れていかれ顔の形が変わるなどしますがそれでも節子が悲しまないように精一杯生きようとしました。しかし、節子は徐々に衰弱していきます。「滋養をつけるしかない」と医者に言われた清太はなんとか食料を得ようと駆け回ります。

しかし、その最中に、日本が戦争に負けた事、父の所属する連合艦隊が壊滅した事を知ります。清太は絶望を覚え先の見えない中、それでもなんとか節子を救おうと食料を集めますが、清太の献身もむなしく節子は死んでしまいます。最後の希望さえも失ってしまった清太は、節子の死から1カ月後、自身も息を引き取る事になります。

原作では上記のシーンがラストシーンですが、アニメ映画版ではさらなるシーンが追加されています。アニメ映画版のラストには幽霊となってしまった節子と清太が自身が歩む事が出来なかった神戸の発展を現代の高層ビルが並ぶまでを触れられる事も触れる事も出来ずにただただ眺めるというシーンでアニメ映画版火垂るの墓は終了します。

火垂るの墓の節子とは?

火垂るの墓の全体のあらすじを紹介した所で、節子に視点を絞って紹介していきます。節子は作中4歳で、まだ自力では生きていけない事から節子を支える事こそが兄である清太が生きる唯一の希望のようになっていました。火垂るの墓では最終的に兄である清太も死んでしまうわけですが、作中で衰弱していく様子を明確に描かれているのはヒロインである節子の方です。

その衰弱の過程では背中に湿疹が出来たり、おはじきを大好きだったドロップと思って食べようとしたり、石をご飯だと勘違いする程に思考力が落ちており、目の焦点も合わず虚ろになっていきました。その節子の衰弱の過程の細かな描写には、「火垂るの墓は名作だけどもう一度は見れない」という感想を持たれる大きな要因になる程です。

また同時にまだ幼い子供ながらに清太からなに食べたい?と聞かれた時に「てんぷら、お造り、ところてん、アイスクリーム、それからドロップ」などと答えている事からも分かる通り、作中以前の生活は戦時中の日本でありながら比較的裕福だったものという事が分かります。特に実際の商品としても展開されていたサクマドロップは作中でも何度も登場しました。

節子の死後、防空壕にて大事にしていた人形や財布などと共に荼毘(火葬)され節子の遺骨は節子が空になっても大切に持っていたサクマドロップの缶に入れられました。そのドロップの缶こそ、火垂るの墓の作品冒頭、清太が死んだ際に駅員によって投げ捨てられたあのドロップ缶です。

火垂るの墓の節子の死因の真相は栄養失調ではなく背中の湿疹の病気だった?

一般的には兄清太との生活で貧しくなり、栄養失調による衰弱死だと言われる節子の死因、しかし、火垂るの墓の作中をよくよく見ていくと栄養失調になっているのはもちろんですが、それ以外にも節子が死ぬ要因が描かれている事が見て取れます。ここからは節子の死因について考察しつつ紹介していきます。

栄養失調

上記でも紹介したように火垂るの墓の作中では節子が衰弱していく様子がかなり細かな描写で描かれています。西宮のおばちゃんの家にいる頃から食事を分けられ満足に食べられず、兄清太と2人で暮らすようになっても清太が盗みを働かなければいけないような状態である事から満足な食事は得られませんでした。その事から、節子の死因は栄養失調であるという見方が一般的です。

節子の衰弱は本当に細かく描かれ、目は虚ろになり、おはじきとドロップの区別がつかなくなり、石をご飯といって清太に差しだす程です。ぐったりとした様子1つとっても満足に食べる事ができていないのは分かります。実際に野坂さんによって描かれた原作の文章には「兄と同じ栄養失調症による衰弱死」と明確に描かれています。

栄養失調になってもおかしくない状況であったのは確かで、清太が死んだのもそれに責任を感じてではないかと言われる程です。栄養失調が節子が衰弱する大きな要素になったのは否定できませんが、そこまでに描かれてる描写を見るに、単に栄養失調だけで衰弱したとは言えない描写があるのです。

背中の湿疹

栄養失調以外の節子の死因を探るポイントとなるのが節子の背中にできた湿疹です。栄養失調になった副次的作用で湿疹ができたようにも思えますがこの湿疹は満足できるものではなかったとはいえ、ある程度食事をしていた西宮のおばちゃんの家に住んでいる頃からありました。お風呂に入った際にその湿疹を見た清太が滋養として節子を海に連れていき海水、つまり塩水に身体を付けさせるという場面があった事からも間違いありません。

節子の栄養失調が如実に表れるのはどう考えても清太と防空壕で生活を始めてからです。つまり節子の背中の湿疹は栄養失調よりも先に症状として現れており、栄養失調とは別の所に要因がある病気だったのです。また元からそのような病気であるなら冒頭のシーンなどで描く事も出来るのに普段から世話をしていただろう清太が知らなかった事を考えると、やはり火垂るの墓の作中の中で病気にかかり発症したと考えるのが妥当です。

もちろん、防空壕での環境的にはけっして衛生上問題ないとは言えない生活に、さらに栄養失調も合わさった事がより節子の病気の進行を早めたという見方をする事もできます。ですが症状自体は西宮のおばちゃんの家で既に見られた事を考えても仮に2人で防空壕にて暮らさずに西宮のおばちゃんの家にずっと住んでいたとしても節子はいずれは湿疹を起こす病気が原因で倒れてしまった可能性が高いです。

上記の画像でも分かるように節子の背中の湿疹は背中全体に広がっています。比較的短期間でこれほどまでに症状が進んでいる事を考えると生活環境だけが原因とはいえず、この湿疹を不衛生な環境によるあせもなどとはとても言えないでしょう。そういう観点から見てもやはり節子は湿疹を引き起こすようななんらかの病気にかかっていた可能性が高いです。

目に入った雨

ではその背中に湿疹ができる病気とはなんだったのでしょうか。まさか作中で描かれる前から実は病気だったという事はありません。それなら清太と節子の母のようにしっかりと描かれているはずです。節子の背中の湿疹を引き起こす病気の原因になったと思われるシーンもしっかりと描かれています。それが火垂るの墓の冒頭、神戸大空襲の後に降った雨が目に入ったシーンです。

野坂さんが書いた原作の短編小説は、その時点で直木賞受賞の際に「一切の無駄がない」と評価されました。つまりこのシーン、前後のシーンにも意味があるのです。しかも劇中何度か節子が目を痛がるシーンも描かれています。その日常的ではないシーンを何度も描く事を考えると、この時に目に入ってしまった雨によって節子は何らかの病気になってしまったと考える事が出来ます。

節子は背中の湿疹に関してはあまり痛がるようなシーンが無い事を考えても度々痛がるシーンがある目はよほど痛かったのでしょう。原作には目を洗う為に新鮮な水を求めて列に並ぶようなシーンすらある程です。背中の湿疹に合わせて下痢になってしまったのも栄養失調だけが原因ではなく、或いはこの時の雨によって病気になってしまったからかもしれません。

目に入った雨の正体は?

空襲の影響、そして終戦間近という舞台設定を考えるとどうしても「原爆による放射能」を疑ってしまいますが、知っての通り、原爆が使用されたのは広島と長崎だけでそれらの2つよりも早い時期に行われた神戸大空襲では原爆はまだ使用されていません。もちろん、作中の時間軸の中で終戦を迎えているので原爆が落とされてはいますが、作品の舞台は神戸です。なのでこの雨は原爆の影響を受けた「黒い雨」ではありません。

火垂るの墓の冒頭で行われた神戸大空襲はその標的こそ「神戸市街地」とされていましたが、清太が西宮のおばちゃんの伝えているように「動員行っとった神戸製鋼は爆撃でメチャメチャ」となっています。神戸製鋼とは軍需工場で、当時はその付近にその他の工場もあるなどした地域でした。神戸製鋼を含む工業地域が爆撃でメチャメチャになったという事は、そこで利用されている化学製品は当然燃焼してしまった事でしょう。

化学製品には燃やすとダイオキシン類などの人間にとって有害な物質が発生する物があります。それらの有害物質が黒煙となって雲を作り、雨を降らせれば当然その雨には有害物質が含まれる事になります。微量であれば害は少ないと言われるダイオキシン類を身体に直接受けるだけならまだ良かったかもしれませんが節子はその雨を目に受けてしまった可能性が高いです。

目に直接受ければ当然その中毒性は高くなり、病気になる可能性はさらに高くなります。原作者の野坂さんの特徴である無駄の無さを考えても火垂るの墓の中の背景1つ1つにも意味があり、清太のセリフ以外にも工場地帯の焼け跡のような場所が描かれるような事も多いです。そう考えると節子の死因は湿疹ができるような病気によるものと言う事ができます。

清太が何もしなくても節子は死んでいた!

つまり、火垂るの墓の冒頭、あの雨を目で受けてしまった時点で、節子は病気にかかり、その結果が背中の湿疹であり、最終的な死因に繋がっているのです。こうしてみると冒頭からの伏線であるとも言えます。節子に先立たれ自分が殺したように思い絶望してしまった清太ですが、清太が正しい選択をしてどれだけ尽くしていても節子は死んでしまった可能性が高いです。

もちろん上記でも書いたように防空壕での生活により病気の進行が早まってしまったという可能性は十分にあり得ます。何の病気かまでは不明なので、或いは栄養失調にならなければ助かったのかもしれません。しかし、衰弱した節子を医者に見せても「滋養をつけるしかない」と言われている事から、仮に西宮のおばちゃんの家に住んだまま病気が発覚していてもこの病気は防げなかった可能性が高いです。

少なくとも言えるのは湿疹という目に見える症状が出ているという事、その湿疹を引き起こす何らかの病気が節子の死因に大きく関係しているという事です。仮に栄養失調だけなら育ち盛りで動きまわっている清太が先に倒れる可能性が高いという事を考えても、節子の死因には栄養失調以外の湿疹ができてしまう病気要素もあるというのは間違いないでしょう。

清太は節子に殺された?

よく「節子は清太のわがままのせいで殺された」というような感想を目にしますが、これらの考察を鑑みるとむしろ「節子のわがままで清太も死んだ」と言えるかもしれません。確かに西宮のおばちゃんの家の家を出るという事を最終的に決めたのは清太ですが、その決断には節子の「あの家に帰りたくない」というわがままな発言が大きく影響しています。

もちろん、その節子の言葉は、清太が働かない事で西宮のおばちゃんが態度を悪化させ、実際に食事を分けるなどの制裁を行ったからである事から、元をただせば清太の行動があったからと言う事は出来ます。ですがそれらの行動も全て節子を思えばこそであるとも考えられるのです。

上記で紹介した食べたいものの話でもそうですが、節子には清太と同じく、裕福で育った故にわがままな一面もあります。そして清太はそのわがままを出来るだけ叶えてやろうと行動するので、清太の行動の根幹には常に節子の存在がありました。そう考えると、防空壕で暮らすきっかけを作ったのも節子であり、先立つ事で清太から希望を奪ってしまったという見方も出来ます。

もちろんこれは全て仮説、妄想に過ぎませんが、節子の死因が病気によるものだとすれば節子に助かる道が無かったとはいえ、清太にはまだ助かる道はあったはずです。清太の死因が故意かは不明ですが栄養失調による衰弱死だった事を考えても、節子が死んでしまった事、それを自分のせいだと思った清太です。或いは節子の存在こそが清太を追いこみ、最終的に死ぬ事になってしまったのではないでしょうか。

火垂るの墓の節子の声優を紹介!

節子の声優は白石綾乃さん

スタジオジブリの1つのこだわりが「声優を使わない事」であるのは現在まで続き、火垂るの墓が製作された時点でも同様です。さらに節子の声優には大人が子供っぽく演じた声ではダメだ、節子と同年代で関西弁の子役が良いという思いから当時関西の劇団に出入りしていた子役の白石綾乃さんが選ばれました。選ばれた当時まだ5歳11カ月の白石綾乃さんを強い要望で選んだのは監督の高畑監督です。

火垂るの墓以降も活動を続けていた白石綾乃さんですが現在は白石綾乃さんは既に芸能界を引退しており、一般人として生活しているようです。映画業界の人でも連絡が取れないようで、消息不明になっています。いくつかの情報などはでていますが、どれも確かな情報はなく、風の噂レベルの状態です。清太役を演じた辰巳努さんも同様に連絡が取れないでいる事から一種の都市伝説が生まれているようです。

節子役の白石綾乃さんだけに取られた手法

通常、声優がキャラクターに声を当てる際は、出来上がった映像にタイミングを合わせ喋る事で声が収録されます。火垂るの墓でも当然この方法が取られていますが、節子役の白石綾乃さんだけは別でした。まだ5歳の白石綾乃さんに映像に合わせさせるのは難しいという判断で、台本が出来た段階で、節子の声を別取りで録音し、その上でその声に合うように映像を作ったのです。

その演技はスタッフからも非常に好評で清太役を演じた辰巳努さんも「あの子の声やから、最後の節子が死にそうになるところで、思わず素直にセリフがでてしまったのかもしれない」とインタビューで答えています。白石綾乃さんの演技が節子のリアルさをさらに高くし、感情移入しやすいキャラクターになったのは間違いありません。

火垂るの墓の節子がかわいいや嫌いという声!

火垂るの墓のヒロインである節子、その様子からかわいいという声が多い一方で嫌いだという人も多いです。ここからはネット上の声などを元に節子に対しての印象などを紹介していきます。

かわいいという声

節子の行動は4歳という年齢をしっかりと再現しており、非常にリアルな物になっています。また上記で紹介した白石綾乃さんの声がその行動にさらにリアルさを高めています。その事から、特に既にお子さんがいる世代の人などからは「自身の子供を見ているよう」とかわいいという声が非常に多くなっています。

また同様の感想は、清太と節子のように歳の離れた兄弟を持っている人、新しく親戚に子供が生まれた人など、4歳児のリアルを知っている人に非常に多くなっています。節子の言動や行動がリアルなだけにそれだけに節子の境遇を不憫に思い、火垂るの墓を見るのが辛いという声の大きな要因にもなっています。

節子は冒頭から時折1人遊びをするようなシーンも描かれています。父は海軍大尉で家にいない事、母が心臓の病気だった事、近くにいる清太も学徒動員で側にいない時間もあった事からこのような遊びを覚えたのでしょう。それらの境遇に自身を重ねる人も多く、それでも健気でいる節子をかわいいとする声も多いです。

嫌いという声

一方で節子が嫌いだという声もあります。これは特に火垂るの墓を見たのが幼少期、学生時代である人の感想に多いです。戦時中、それも終戦間近で日本に資源が枯渇しているという状況の中において、清太にあれこれ求める姿は同じくわがままだと言われる清太よりもわがままに見えて嫌いだというのが主な理由です。

確かに4歳である節子がそれらの大人の事情による日本の状況などを理解しているとはとても思えません。それは上記でも紹介した食べたいもののエピソードなどにも現れています。だとしても、明らかに無理をしている清太などを観て、少しは自重しようと思わなかったのかという思いが込められているようです。

そしてそのわがままをなんとか叶えようとするのが清太です。もちろん全てを叶えられたわけではありません。むしろ叶えられなかった事の方が多いのではないでしょうか。しかし節子がわがままを言わなければ清太ももう少し違った選択が出来たのではないかという声が多くなっています。

また白石綾乃さんが演じた節子の声があまりにも子供っぽくてリアル過ぎる故に嫌いだという声も見受けられます。これは高畑監督が大人を使わずに子役で当時まだ5歳の白石綾乃さんを起用するなど節子の声にこだわったからこそ生まれた声でもありますが、あまりにリアル過ぎて聞くだけで辛くなるという意味で嫌いと言われる要素にもなってしまっています。

嫌いという声は西宮のおばちゃんや清太の方が圧倒的に多い

ただ、節子が嫌いだという声に比べると圧倒的に西宮のおばちゃんと清太を嫌う声の方が多く、節子が嫌いだという意見は2人に比べれば少数派です。節子が嫌いな理由はどちらかと言えば感情移入しやすすぎてその境遇が辛いという物が多いのに対し、清太や西宮のおばちゃんに対してはもう少し違った対応が出来たんじゃないの?という声が圧倒的です。

また幼少期には西宮のおばちゃんが嫌いだったけど大人になってから火垂るの墓を見返すと清太が嫌いという声も多いです。西宮のおばちゃんの仕打ちや言動は確かに酷いですが、それらの理由が清太にある事もあり、言い方はあるにしても正論であるとする声は多いです。同時に、節子は西宮のおばちゃんと清太、2人の被害者であるような声も多くなっています。

高畑監督も、西宮のおばちゃんに関してはある程度嫌われる前提で描いていたような事を公開後に度々行われたインタビューなどで答えています。反時代的な行動をする清太をより際立たせる為には、当時の日本の主流である「全体主義」を根底から根付いている西宮のおばちゃんのような存在が必要だったのです。同時にこのような極限状態が当たり前に扱われる事にも危機感を示していました。

火垂るの墓の節子の死因まとめ!

何度見ても泣けてしまう名作映画火垂るの墓。火垂るの墓はヒロインである節子が死にゆく過程を追い掛ける映画でもあり、細かくリアルな描写が感情移入しやすく、その死にゆく姿は名作でありながら「もう1度は見たくない」と言わせるだけの非常に印象の強さになっています。日本に限らず海外でも同様に言われる事、日本でも何度も放送されている事からその人気振りは、公開から半世紀たった今でも健在です。

節子の死因は表向きは栄養失調です。原作でも明確に文章化されている事から、栄養失調ではなかったとは言えるはずもありません。しかし栄養失調の陰には工場地帯が爆撃された事によって降らせた雨を目で受けてしまった事で背中に湿疹ができるような病気がある事が考察できます。

節子や清太がどのように行動してもいずれは節子が背中に湿疹が出来てしまう病気によって死んでしまったと思うと、皆が辛い思いをする事、全体主義が当たり前の終戦前後当時の日本で、非常に短い間とはいえ、兄妹の2人という小さな家庭で生き生きと生活できた事は不幸中の幸いと言えるかもしれません。

火垂るの墓は子供の頃に観るのと大人になってから観るのでは大きく印象が変わると言われる映画でもあります。過去に1度観た事があるという人もぜひもう1度、節子の死因などより細かく観るつもりで視聴してみてはいかがでしょうか。

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