2018年08月23日公開
2018年08月23日更新
火垂るの墓のあらすじネタバレ!結末の感想や名シーンをまとめて紹介
1988年にスタジオジブリから監督高畑功によって手掛けられ、上映公開されたアニメ映画「火垂るの墓」のあらすじとはどんなものだったでしょうか? 「火垂るの墓」のあらすじや結末、ネタバレに触れながら、「火垂るの墓」の原作の紹介や、名場面と呼べるシーン、アニメ「火垂るの墓」への感想などをtweetなどを引用しながら紹介します。スタジオジブリ制作アニメ映画「火垂るの墓」、上映されてから実に20年以上を経ても尚、人々の心を惹き付け、あまりにも悲しいと言わしめるこの映画の魅力について紹介します。
目次
火垂るの墓のあらすじをネタバレ! 感想や名シーンも紹介!
1988年にアニメーション映画として公開上映され、今も尚人々の心を惹き付ける「火垂るの墓」は、作家、野坂昭如の同名短編小説を原作として、スタジオジブリから高畑功による監督で手掛けられました。あまりにも切ないあらすじと結末に描かれた作品は、野坂昭如による戦争体験から生まれたものでした。幼い兄弟に起こった哀しい現実と過酷な境遇、「火垂るの墓」のあらすじはそんな物語を描いた作品です。
スタジオジブリ、高畑功によって手掛けられた「火垂るの墓」ですが、正に悲劇と言うべきあらすじとストーリーは、今も尚人々の心を掴んで離さない不朽の名作と言えるのではないでしょうか? 「火垂るの墓」のあらすじと結末、ネタバレ、感想などに触れながら、「火垂るの墓」の名シーンと謳われた場面や台詞など、アニメ映画、「火垂るの墓」について、あらすじ、ネタバレ含めて感想も交え、紹介していきます。
火垂るの墓のあらすじをネタバレ!
物語のあらすじを紹介しながら、結末に幼く散った命と兄の哀しみ、惨劇と過酷な時代を背景に、兄妹を襲った悲劇などについてもあらすじの中で触れながら、感想やネタバレを含めて紹介します。1988年公開という映画でありながら、「火垂るの墓」が何故、今も尚人々の心を惹き付けるのか、まずはあらすじから検証していきましょう。舞台のあらすじは1945年の日本、「火垂るの墓」は始まります。
火垂るの墓とは?あらすじと幼い兄弟
「火垂るの墓」のあらすじに描かれるのは、第二次世界大戦下の幼い兄妹の悲劇と哀しみでしょう。冒頭、現代で言う中学二年の年齢、当時の旧制中学三年、14歳の少年の衰弱死から物語は始まります。「ぼくは死んだ」というナレーションで始まる、「火垂るの墓」の結末とあらすじそのものを匂わせる哀しい描写から、「火垂るの墓」は始まります。衰弱死した14歳の幼い少年にはさらに幼い10歳離れた妹がいました。
「火垂るの墓」の舞台とあらすじは1945年、太平洋戦争末期の日本に、清大という少年と10歳離れた妹、節子という名前のあまりにも幼い兄妹が居ました。物語は兵庫の家庭から振り返られます。神戸大空襲に家を守っていた母と自宅を亡くした幼い二人の主人公とヒロインの兄妹は、従兄弟の家に身を寄せることになったという経緯のあらすじから始まります。冒頭で描かれた少年の衰弱死は、兄妹の兄、清大によるものでした。
火垂るの墓のあらすじ
あらすじとネタバレに触れるにあたって「火垂るの墓」冒頭の「ぼくは死んだ」という少年の台詞は、正しくは、「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ」となります。この台詞が持つ意味合いは実はネタバレとしても物語のあらすじや結末としてもとても大きく「火垂るの墓」全体に関わってきます。この台詞そのものがあらすじを語っているとも言えるのです。
あらすじで神戸大空襲から難を逃れたはずの清大と節子に何が起こり、物語の結末から入る冒頭の描写が描かれることになったのでしょうか? ネタバレとしては、神戸大空襲に母と自宅を亡くした清大と節子が身を寄せた従兄弟の家の伯母にあらすじの中で描かれています。清大と節子の家庭は当時からすると裕福でした。兄妹の亡き母が子ども達のためにと残していたものを思いがけぬ形で手に入れた伯母は当初こそ機嫌よくしていました。
当時には手に入らなかった米やその他の貯え全て、自らのものと錯覚した伯母は、徐々に本性を現し始め、清大と節子に辛く当たり、兄妹の存在を疎むのを隠さなくなっていくとあらすじは続きます。14歳の少年だけならば、生きるためだと言い聞かせられたかもしれません。ですが、4歳の幼子に当たる叔母の節子への仕打ちと妹の涙に、清大は決心して伯母の家を離れると続くあらすじになっていきます。
恩知らずがと罵って兄妹を送った伯母は、自分達が持つものが本来、二人のためにと蓄えられたものであったことを理解していたのでしょうか? あらすじの結末を知っていたでしょうか? ガラス瓶ひとつに米を分け与えてやると言わんばかりですが、その米は誰のために誰が蓄えていたものだったのか。伯母の自宅を離れて近くの貯水池付近にある防空壕で暮らしを営み始めた兄妹、清大と節子が「火垂るの墓」のあらすじに描かれます。
その後のあらすじは、戦時下の配給も途絶えがちになり、幼い兄妹に近所付き合いなどからもたらされる情報はなく、食料はあっという間に底をついてしまいます。あらすじの中、飢えに弱り始めた幼子節子が栄養失調に倒れ、畑から野菜を盗み、火事場泥棒の真似さえ厭わず、殴られてはを耐え忍んで、幼い妹、節子のために何とか食料を確保しようとする哀しい兄、清大の姿が結末を漂わせながらあらすじに描かれていきます。
あらすじに語られる最期
あらすじに描かれるのは耐え忍びながら飢えをしのいできたとはいえ、14歳の少年と4歳の幼子ではやはり身体が違います。虚ろな瞳におはじきを舐めながら衰弱した身体に発疹や重い症状を出した節子は、優しい兄がお母さんは入院しているだけだよと誤魔化したのを、残酷で冷酷な伯母から邪魔者憎さに告げられ、母が死んでいることも知っていたただ哀しい女の子でした。兄ちゃんと呼びかけながら、もはや呂律もままならない有様です。
おはじきを大好きなドロップに、石に被り付いてご飯だと思い込んでしまうほどに衰弱しきって、思考回路も呂律も何もままならなくなった節子に、何が食べたいと訊けば、ドロップが食べたいと答えます。ですが、兄の清大の望みも節子の望みも叶うことはなく結末がそこに控えていました。栄養失調と衰弱した身体に、スイカを少しかじった節子でしたが、そのまま息を引き取ることになりました。これがあらすじになります。
火垂るの墓の結末をネタバレ!
「火垂るの墓」のあらすじと共に結末のネタバレにも迫っていきましょう。防空壕で身を寄せ合って暮らしていた幼い二人の兄妹に、外からもたらされる情報はなく、それが悲劇の結末を呼ぶというのがあらすじの結末とネタバレとしては相応しいと言えるのではないでしょうか? ある日、清大は覚悟を決めて節子を残して外に出ます。防空壕から遠く離れた外の世界に出ることで、真実を知るのです。
ドロップを食べたいという妹の望みをかなえてやりたい、衰弱しきった節子を何とか助けたい一心に、清大が向かったのは銀行で、ここで初めて清大は防空壕から離れた外を見ることになります。1945年、太平洋戦争末期から描かれた物語でした。結末はここにも哀しみを表して描かれます。清大も節子も戦争が終わっていることを知らなかったのです。あらすじの中で外に出て初めて真実を知った清大の前に描かれるのは残酷な現実でした。
下した貯金に沢山の食べ物を抱えて戻った清大に、節子はドロップの缶を持ちながらもう身動きが出来ません。なんとか節子の命を繋ぎ止めようと山と購入してきた野菜や果物、おからにご飯、何もかもが手遅れでした。なんとスイカがあるんだぞと嬉しそうに節子に食べさせたその一口が、節子が最期に口にした本物の食べ物で、そのまま節子は息を引き取ります。たった一口のスイカが飢えに耐え抜いた4歳の女の子の最期の食べ物でした。
ものがたりのあらすじを表すように、美しく飛び交うさまが描かれる蛍は、一節によると死者の魂がこの世に現れたものともされます。1945年の9月の夜のことでした。節子を失った悲しみそのままに、清大もまた三宮の駅構内で命を終えます。衰弱死の原因は幼い妹節子と同じく栄養失調でした。悲劇を辿るあらすじの結末はこうして描かれます。これが物語のあらすじの結末とネタバレです。
清大が哀しみの中に荼毘に伏した幼い妹の遺骨を詰めたドロップの缶が、衰弱死した清大の身体から駅員によって無常に放り出される様が描かれた結末というあらすじのネタバレに、物語は冒頭の清大によるモノローグ、「ぼくは死んだ」という始まりの場面へと繋がります。アニメ映画、「火垂るの墓」冒頭に描かれる「ぼくは死んだ」の一言が、ネタバレもあらすじも結末をも全て表していたと描かれるのです。
火垂るの墓の名シーンを紹介!
野坂昭如著書を原作としたスタジオジブリ高畑功が監督を手掛けたアニメーション映画、「火垂るの墓」のあらすじや結末について触れてきました。ここから少し、「火垂るの墓」のあらすじから幾つかの場面を取り出して紹介していきます。作品そのものが名作と謳われますが、そんな「火垂るの墓」の中でも「名シーン」と呼ばれる場面や台詞について見ていきます。
冒頭モノローグ「ぼくは死んだ」
「火垂るの墓」の全ての結末と哀しみを表すかのような冒頭のモノローグ、「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ」という14歳の少年の台詞の場面は、「火垂るの墓」を観終わった後に再びこの映画の意味を考えされられる名場面と言ってよいのではないでしょうか? 「ぼくは死んだ」と告げる言葉が表すものは、物語が進むにつれて深く意味を成して胸に刺さってゆく名場面と言えるのではないでしょうか?
この台詞が示すところは、「昭和20年の9月半ば」に清大の命が失われたことと、「火垂るの墓」作中の描写から、節子の命が失われたのもまた、「終戦後の日本」であったことが描かれている哀しみではないでしょうか? 「昭和20年」つまり、「1945年8月15日」以降にこの悲劇は形を成したと告げる台詞であれば、これほどに重みのある台詞はないのではとの声も見かけます。
「滋養って何ですか」
「滋養って何ですか」、この台詞は、「火垂るの墓」劇中で、衰弱してゆく節子を救おうと清大が一大決心で診せた医者の言葉に対するものです。節子を救う手段はと縋った清大に対して、「滋養を付けることですな」と突き放したような医師の言葉に、清大の叫び、悲鳴、哀しみ、怒り、何もかもを込めた一言だったと言えるのではないでしょうか? 耳に残っている。名場面と呼ぶに相応しいとの声は多いです。
節子
アニメ映画「火垂るの墓」を語る上では避けられないのが幼子であるヒロイン、節子の台詞と描写だとも言えるのではないでしょうか? 節子の台詞をいくつか紹介します。飛び交う蛍を指して「ほたるってなんですぐにしんでしまうん」と尋ねた節子は自分の命も散らせてしまう運命にある、母の死を知っている小さな女の子でした。この台詞が表していたのは何だったでしょうか?
もう一度ドロップが食べたいと願った幼いヒロイン。節子の命を繋ぎ止めようとした清大に節子が口にしたのは、「兄ちゃん、お腹空いた。喉乾いた」です。一見すればなんでもない台詞に聞こえるこの台詞が、実はとても哀しみに満ちているのでないでしょうか? 「お腹空いた」の裏の言葉が「お腹が空いたけれど食べるもの無いね」であり、「喉乾いた」の裏にあるのが、同じく「喉が渇いたけれど飲めるものはない」だからです。
社会現象を起こしたまでに有名な節子の台詞があります。ままならなくなった呂律と言葉に、節子が口にした言葉、「兄ちゃん、ロロップ」という台詞ですが、「兄ちゃん、ドロップ」と告げたかったであろう節子を思わせます。この台詞と場面ももちろん外せない名場面と言えるのではないでしょうか?
火垂るの墓を見た人の感想を紹介!
ここまで「火垂るの墓」のあらすじや結末、ネタバレを含めて、名場面なども交えて「火垂るの墓」を追ってきましたが、今度は実際に「火垂るの墓」を見た人々の感想を見ていきましょう。幾つかの感想をtweetなどから抜粋して紹介します。
戦争と終戦の混乱の中、生き延びることができず亡くなった2人が無数の蛍とともに、繁栄した現在の神戸を見つめる印象的なラストシーン。数百万人の犠牲を伴った厳しい戦争を経て、神戸をはじめとした日本の繁栄が築かれたことを暗喩するかのようです。#kinro #火垂るの墓 #高畑勲監督追悼 #節子 pic.twitter.com/4c7A40XuUe
— ミアちゃん@金曜ロードSHOW! 公式 (@kinro_ntv) April 13, 2018
アニメ映画「火垂るの墓」のラストシーンから、戦争と終戦の混乱の渦に巻き込まれて亡くなっていた幼い兄妹というあらすじと現代日本に想いを馳せたtweetです。このtweetの他にも哀しみや涙が止まらないと訴える感想tweetが目立ちます。
僕達・私達は生きている限り
— SY ZONE (@sy_zone) August 15, 2018
この日を忘れていけない。
広島・長崎に原爆が落ち、そして戦争で大勢の方が亡くなりました。
【火垂るの墓】【はだしのゲン】を見て、原爆・戦争の恐ろしさを感じました。#終戦の日#平成最後の夏#はだしのゲン #火垂るの墓 pic.twitter.com/CalUS5Ey9r
戦争について改めて考えさせられる作品と「火垂るの墓」の感想を語る人もいます。「火垂るの墓」の持つメッセージなどからすれば、このような意見が多いのは納得出来るのではないでしょうか?
祖母が戦後少し経って、旅先の上野駅からすぐの上野公園に上がる階段でお茶を飲もうと弁当を横に置いた瞬間、突然走り寄ってきた乞食(子供)に弁当を捕られた話を聞いた事がある
— 風来坊 (@kazenimakasete) August 12, 2018
それが駅の子だったんだろうね
駅構内のシーン、火垂るの墓のオープニングと一緒だ#NHKスペシャル駅の子#火垂るの墓
「火垂るの墓」が描かれた世代をリアルタイムで知る人の話を交えて「火垂るの墓」の感想を語る人もいます。全体的に、平和や戦争についての考察や意見を交えた感想が占めています。そして、「火垂るの墓」のあらすじについて、この作品はあまりに悲し過ぎるという感想が多いです。
火垂るの墓のあらすじネタバレまとめ!
スタジオジブリ制作、監督高畑功による、アニメーション映画、「火垂るの墓」について、あらすじや結末、感想の紹介などに触れながら、見てきましたが、いかがでしたでしょうか? 1945年の日本を生きた原作者、野坂昭如の同名小説を原作として、高畑功により1988年に公開され、今も尚ネット上でも人々の心を惹き付ける「火垂るの墓」です。あなたはこの映画をどう捉えてどう感じられるでしょうか?
tweet上やネット上では、アニメ映画「火垂るの墓」、この作品は観た年齢によってまた感想が違ってくるから何度も見ようとしてしまうという意見や、あまりにも辛すぎるのだけれど、それでも繰り返し見ずにはいられないと称する声も大きい、「火垂るの墓」の評判。幼い頃に観たことがあるという方も、数年前に観たという方も、あらすじや結末を再び胸の中に取り入れて、違う見方を探してみられるのもいいのではないでしょうか?