2018年08月28日公開
2018年08月28日更新
火垂るの墓の都市伝説が怖い!もうテレビ放送されないという噂は本当?
戦争を描いたアニメとして有名な「火垂るの墓」。戦争によって、人がどのように変化するのかを、子供の目線で描いた傑作です。高畑勲監督作品で、公開されたのは、1988年。節子と清太が貧しくも生き抜こうとする様を描いた作品です。ファンの関心を引きつける話題に事欠かない「火垂るの墓」。そんな「火垂るの墓」には、少し怖い都市伝説が沢山あります。今回はそんな都市伝説を集めてみました。
目次
火垂るの墓の都市伝説が怖い!テレビで放送されない噂も紹介!
毎年終戦記念日が近づくと各テレビ局が戦時中のドラマや映画、ドキュメンタリー番組を放送します。スタジオジブリ作品、高畑勲監督の火垂るの墓もよく放送されていたアニメ映画です。今回は名作、火垂るの墓にまつわる、少し怖い都市伝説と、テレビ放送がされないという噂をご紹介します。
火垂るの墓とは?
火垂るの墓の原作は、野坂昭如(のさかあきゆき)さんの作品です。スタジオジブリ映画だけではなく、実写ドラマ化や合唱曲など幅広く作品化されています。テレビ放送でよく見るスタジオジブリ作品は高畑勲監督。公開されたのは1988年4月16日でした。火垂るの墓は、日本だけではなく海外にまで影響を与えた名作です。
野坂昭如さんとは?
野坂昭如(のさかあきゆき)さんとは、1930年10月10日神奈川県鎌倉市生まれの作家、作詞家、歌手、政治家。代表作にはアメリカひじき、火垂るの墓。2015年12月9日、享年85歳で亡くなっております。そのほかにも童謡「おもちゃのチャチャチャ」など、作詞家としても有名です。
火垂るの墓の怖い都市伝説を紹介!
さて、そんなスタジオジブリ高畑勲監督の名作、火垂るの墓ですが、実は少し怖い都市伝説があることを皆さんご存じでしょうか?どんな都市伝説があるのか、みていきましょう。
節子の死因は栄養失調ではなかった?
主人公の兄妹、清太と節子。作中では二人が痩せ細って亡くなってしまうまでが描かれています。先に節子が亡くなってしまいますが、節子の死因は、実は栄養失調では無かったのでは?という都市伝説があります。確かに戦時中の食事事情はどこの家庭でも酷く、とても栄養面で足りているとはいえない状況でした。ではなぜそんな都市伝説が生まれたのでしょうか。
それにはこんな理由があります。清太と節子が住んでいる地区には軍の工場がありました。そこの工場では有害物質を取り扱っており、その工場が物語り冒頭で空襲に遭い、有害物質が大気中にまき散らされたのではないか、というものです。その証拠に、空襲を受け、街が焼け野原になった後に「目が痛い」と節子が訴えているシーンがあります。その後、目の異常を医師に診てもらっているシーンがあります。
その後、疎開先のおばさんのところににいる時点で節子の「お腹びちびち」が始まっています。しかし、叔母さんのところの食事は、厳しい食糧事情ながらきちんと食べていた様子が描かれているので、体にダメージを与えるほどの栄養状態ではない、ということがわかります。
しきりに左目を気にしている様子がしっかりと描かれています。おそらく左目に有害物質の混じった雨がはいってしまったのでしょう。このほかにも診療所となった学校で医師に目を診てもらうシーンがあります。
そもそもただの栄養失調であれば、エネルギー消費量から言っても清太の方が先に症状が出るはずです。小さな子供はお年寄りと同じで、成長中の中学生よりも生体を維持するのに大きなカロリーやビタミンを必要としません。
一方で子供は、免疫力が低く、疾病にかかりやすい傾向にありますが、節子の場合は化学物質によって免疫機能が失われ、栄養素の欠乏を引き起こしていたものと言われています。死の運命は、清太がどんなに手を尽くそうとも回避する方法が無かったでしょう。
確かに成長期であるはずの清太の方がエネルギーは必要ですし、有害物質によって免疫機能が失われてしまったら、いくら清太が野菜泥棒などしても当時の状況下では助からなかったのも頷けます。
作中にミイラが出ている?節子と清太との関係は?
作中冒頭に包帯で全身をぐるぐる巻きにされた、まるでミイラのような人物が描かれています。じつはこの人物が、清太と節子の母親だというのです。確かに見た目は包帯で顔までぐるぐる巻きにされているのでミイラのようにみえます。
なぜこんな姿になったかというと、節子と清太は、空襲から逃れるために防空壕へ母親と逃げ込むのですが、残念ながら母親は間に合わずに全身にやけどを負ってしまったのです。このシーンの前までは元気に話すシーンなどがあり、空襲による悲劇を十分に語っている怖いシーンでもあります。小さなお子さんがテレビで観るには刺激が強くトラウマになるシーンともいえます。
結局全身やけどによって2人の母親は亡くなってしまいます。酷い全身やけどで、顔すら判別できない様もしっかりと描かれています。母親だとわかってはいますが、やはりテレビなどでみると怖い、という意見が多くあります。
清太は怠け者?
そもそもなぜまだ幼い節子と清太が西宮のおばさんのところを出て2人だけで生活しようとしたのか。清太と節子が西宮のおばさんから意地悪をうけ、節子が「あの家に帰りたくない」と清太に訴えたからです。しかしおばさんも最初から意地の悪い人だったわけではありません。節子と清太が疎開してきたときは、食料を提供した清太たちを快く歓迎しています。
しかし清太は学生であるのに学校に行でもなく、日々ゴロゴロして家事も手伝おうとはしません。当時は学徒勤労動員(がくときんろうどういん)といって、学生も働くことが義務づけられていました。もちろん、おばさんのところの娘は頑張って労働に出ていますが、清太は防火活動にも参加せずにいます。そこを考えると清太は怠け者のように見えてしまいます。
千と千尋の神隠しで節子が出てる?
皆さんご存じ、同じジブリ作品の『千と千尋の神隠し』。この作品に節子が出てくるという都市伝説があります。それは物語の終盤、千が電車で移動している時に一瞬だけみえます。水上の駅で、節子によく似た背格好の人物がこちらを向くように立っているのです。
都市伝説では、節子の兄・清太は人が行き交う駅で亡くなっており、節子は違う世界の駅で兄が来るのを待っているというのです。本当だとしたら、少し怖いですが悲しい都市伝説です。
しかしここにはもう一つ都市伝説があります。じつはこの影の少女は、節子ではなく、『大人になることが出来ずに死んでしまった少女の霊』だというのです。千と千尋の神隠しの主人公、千が、電車に乗り自分の意思で大人への道を歩むのを見送っている、と言う説です。
たしかに千はハクのために自ら銭婆に会いに行きました。これを自立のための旅だと位置づければ納得できます。確かに節子よりお姉さんの体型にみえますし、よく見ると節子の服装とはだいぶ違います。しかし、節子でないにしても、悲しい存在には変わりません。
劇中の赤いシーンの都市伝説とは?
まず、赤いシーンが何かと言うことですが、作中で、節子と清太、背景などが全体的に赤くなるシーンがあります。そのシーンは節子も清太も元気だったり、場面が急に切り替わるなど不自然な感じになります。実はこれは、節子と清太の幽霊の姿ではないかと噂がされています。最初は回想シーン何かかとも思った方もいらっしゃるようです。
これが幽霊だとしたら、少し怖いシーンでしょう。高畑勲監督も節子と清太の幽霊については言及しています。また、物語のラストシーンでは幽霊の姿の節子と清太が現代の町並みを眺めているシーンがあります。さまよいながら、変わっていく時代を二人でみていたのかもしれません。
作品上映ポスターに隠された都市伝説とは?
皆さん、火垂るの墓のポスターをみたことはありますか?実は火垂るの墓の映画のポスターには怖いモノも隠されていると言う都市伝説があります。一見、原っぱで兄妹が仲睦まじく蛍に囲まれているようにも見えます。
火垂るの墓のポスターのホタルが全て蛍じゃないという説をいま読んで、画像を解析してみたら本当だった。
— コミナミ・コミ (@comicloverhouse) April 13, 2018
知らなかったです…#火垂るの墓 pic.twitter.com/ZY9QVVhySb
しかし、微笑ましい2人の上空には焼夷弾(しょういだん)を振りまく戦闘機の機影がみえます。おそらくアメリカ軍の爆撃機でしょう。2人が見つめる蛍は、ばらまかれる焼夷弾や戦火でもあったのです。
作品が上映されていたときに観客が鬱になった?
今現在の映画館というと、座席指定制となっているところがほとんどですが、火垂るの墓が上映された当時は指定席など無いのが当たり前でした。また同時上映ものや、二本立てで観るのもよくあることでしたので、一度座った座席をキープし、次の作品も鑑賞するスタイルがありました。
そして火垂るの墓の同時上映作品は「となりのトトロ」幼い姉妹が田舎を舞台に少しの不思議を体験しつつ、姉妹の絆を深めていく、どちらかというとほっこりとする作品です。「となりのトトロ」で気分がよくなった観客が続けて「火垂るの墓」を観てしまい、鬱になってしまった、という都市伝説です。たしかに「となりのトトロ」の後に「火垂るの墓」では、気分が沈み込んでしまうのも頷けます。
火垂るの墓は実話だった?
火垂るの墓は、時代背景から戦時中の生活まで事細かく、リアリティにあふれています。
ちまたには全部実話だったという怖い都市伝説までありますが、その真相はどうだったのでしょうか。
原作者の体験を元に作られた?どこまでが都市伝説?
原作は野坂昭如さんの同タイトル「火垂るの墓」。この物語は原作者、野坂さんの戦時中の体験を元に書かれています。実際、野坂さんは幼い妹を二人亡くしています。火垂るの墓は戦時中に1歳4ヶ月で亡くなった、下の妹さんへの贖罪(しょくざい)として書き上げたとも言っています。
下の妹への対しての贖罪とは?
二人の妹のうち、上の妹は戦争前に亡くなっており、そのときは兄としての愛情を注ぐ事が出来たと言います。しかし空襲に遭い、父母も家も失い、着の身着のままの状態で残された幼い妹と疎開します。疎開先では食糧難はあるにしても、いじめなどはなく生活できていたと言います。しかし「火垂るの墓」は、僕の手の中で餓死した妹について書いた、僕自身の体験がもとになってはいる、とコメントしています。
「作中では4歳の妹がしゃべる。、主人公の兄は、飢えた妹に最後まで優しい。ぼくはあんなに優しい兄ではなかった。わずかな米を粥にして妹にやる。スプーンでお粥をすくうとき、どうしても角度が浅くなる。自分で食べる分は底からすくう。実のあるところを食べ、妹には重湯の部分を与える。これを繰り返し、だが罪の意識はない。」
今で言うと重湯なので、一歳の赤ちゃんには少ない量だったと想像できます。衰弱していく妹を尻目に自分だけ食べ、最後には妹の太ももにさえ食欲を感じたと「わが桎梏(しっこく)の碑」で告白しています。
半分は実体験だった?
原作者の野坂昭如さんは幼い妹に食事を与えなかったり、泣き止まないときに脳しんとうを起こしてしまったり、消して良い兄ではありませんでした。
しかし、妹を喜ばせようと蚊帳の中に蛍を放ったり、亡くなった妹を荼毘にふして、ドロップの空き缶に遺骨を納めたのは事実です。つまり、火垂るの墓はけして良い兄ではなかった野坂昭如さんが自分の腕の中で餓死させてしまった妹さんに対して贖罪をこめた、実体験を元にした物語と言うことになります。
火垂るの墓がもうテレビ放送されないって本当?
実はあの商品が問題に?
毎年夏の終戦記念日前にはテレビ番組で、ドラマや番組が組まれますが、火垂るの墓はテレビ放送されないという噂があります。その裏には一体どんな事情があるのでしょうか?
劇中に登場するサクマ式ドロップ。実はこのサクマ式ドロップを製造しているサクマ製菓株式会社が問題になっていると噂になっていたのです。サクマ式ドロップを製造していたサクマ製菓株式会社は明治41年創業で、サクマ式ドロップは大正2年に缶入りで発売しています。火垂るの墓は昭和20年を舞台にしているのでサクマ式ドロップは存在しています。商標問題になっていてテレビ放映が出来なかったのではないかと言われています。
テレビの視聴率問題が原因?
テレビ放送が始まってからの視聴率を調べてみました。1989年8月11日→20.9%。1990年8月17日→10.7%。1993年8月13日→14.5%。1997年8月8日→19.1%。1999年8月6日→18.8%。2001年8月10日→21.5%。2003年8月22日→15.1%。2005年8月5日→13.2%。2007年9月21日→7.7%。2009年8月14日→9.4%。2013年11月22日→9.5%。2015年8月14日→9.4%。2018年4月13日→6.7%。
初回のテレビ放映から視聴率を調べてみると、2000年代から視聴率が低下しています。数字を観てみてみると2007年から視聴率が下がっていることがわかります。たしかにテレビ放送に視聴率はつきもの。視聴率がとれないからと放送されなかった可能性は高いです。
火垂るの墓の都市伝説まとめ!
いかがでしたでしょうか。火垂るの墓は主人公兄弟が死んでしまうことから全体的に暗い話ではありますが、幼いながらも戦時中を生き抜いたヒューマンドラマでもあります。原作者の野坂昭如さんが実際に体験したことを元として書き上げられているので、より当時の生活などがわかりやすく、心に訴えかけてくるのでしょう。
今回ご紹介した都市伝説を踏まえて見直すと、また違った感想が持てるかもしれません。次回放送がいつになるかはわかりませんが、是非、次の機会には都市伝説を踏まえて鑑賞したいものです。