【キングダム】蕞の戦いを最初から最後までネタバレ!秦の勝因や史実上の攻防戦も解説

キングダムの中でも屈指の戦いと言われ人気の高い戦いが蕞の戦いです。合従軍編から立て続けに展開されたこの戦いに敗れれば秦国が滅んでしまうと言われる程の戦いであり、そんな状況だからこそのアツい展開が繰り広げられた戦いになっています。今回はキングダムの蕞の戦いについてキングダム作中でのあらすじから山の民が駆けつけるまでの実際の蕞での攻防戦、秦が蕞の戦いに勝利出来た要因や史実での蕞の戦いについてなどをネタバレありでまとめて紹介していきます。

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目次

  1. キングダムとは?
  2. キングダムの蕞の戦いを最初から最後までネタバレ
  3. キングダムの蕞の戦いで勝利した秦軍の勝因
  4. キングダムの蕞の戦いにおける李牧の敗因
  5. キングダムの蕞の戦いの史実の攻防戦を考察
  6. キングダムの蕞の戦いは何巻何話?
  7. キングダムの蕞の戦いに関する感想や評価
  8. キングダムの蕞の戦いまとめ

キングダムとは?

キングダムの概要

キングダムは原泰久先生が2006年から2021年11月現在もヤングジャンプで連載している、古代中国の春秋戦国時代末期を舞台にした歴史漫画です。連載開始当初こそ馴染みのない時代背景などから人気が低迷していたものの、少しずつ変化していった躍動感のあるイラストなどから徐々に人気を高めていった作品で、2021年11月には累計発行部数8400万部を突破する程の人気作品になっています。

キングダムはアニメ化やゲーム化、実写劇場版映画化、ゲーム化なども行われるなどメディアミックス展開も積極的に行われた作品で、また歴史を題材とした作品である事もあり展覧会なども行われているなど個性豊かなキャラクターなどは高い人気を集める作品となっています。人気と共に評価も高い作品で、第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなどといった実績も残しています。

キングダムのあらすじ

春秋戦国時代末期、500年もの間続く戦乱の中、下僕の立場だった信と漂という2人の少年がいました。2人は現状を打破するべく、「天下の大将軍」を目指し日々剣術修行に明け暮れていました。そんな2人の転機となったのが昌文君との出会いです。昌文君に見いだされた漂は仕官する事となり2人は離れ離れとなります。しばらくした後、瀕死の重傷を負って戻ってきた漂に見いだされる形で信が出会う事になるのが後の始皇帝となる嬴政でした。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

キングダムの蕞の戦いを最初から最後までネタバレ

蕞の戦いネタバレ①30巻

秦が秦以外の国が合同で攻め上る合従軍との函谷関での戦いをなんとか退ける中、秦の王都である咸陽に函谷関のある北道とは別にもう1つある通称南道と呼ばれるルートにある4つの城が陥落したという急報が入ります。実は合従軍は函谷関での戦いの最中、別働隊となる部隊を少しずつ南道ルートに移動させていたのです。李牧率いるこの別働隊の足は早くこのままでは王都である咸陽が戦場になる恐れまである危機的状態でした。

そんな状況を少し改善する出来事が起こります。なんと函谷関で戦っていた麃公将軍と信がこの別働隊の移動に気づき後ろから追いかけていたのです。これにより別働隊の足は一時的に止まる事になります。本能型将軍の麃公は李牧の罠をかいくぐり李牧の元まで辿り着きますがそこで龐煖が現れ一騎打ちになります。一進一退の戦いをする麃公と龐煖ですがどちらかといえば龐煖が優勢に戦いを進めていきます。

李牧の策もあり追い詰められる麃公軍と飛信隊、そしてついには麃公将軍も信に自身の盾を託して討ち取られてしまうのでした。飛信隊と残った麃公軍は死に際の麃公の言葉に従い、李牧達の追撃を受けながらも咸陽を目指します。一方、その咸陽では嬴政が咸陽のすぐ南にある最後の城、蕞にて別働隊を迎え撃つ決意を固め、嬴政自身も出陣する事を決めるのでした。

蕞の戦いネタバレ②31巻

李牧の追撃を振り切りやっとの思いで蕞に辿り着いた信、咸陽を弟成蟜に任せ蕞に出陣してきた嬴政はこの地にて再会を果たす事になります。麃公を目の前で討たれ意気消沈していた信や飛信隊にとっても嬴政の出陣はまさに希望とも言えるものでした。しかし状況は決して油断出来るものではありません。信達や麃公軍、そして嬴政が連れてきた軍を合わせても秦側の兵力は僅か5千にも届かず、対する李牧の別働隊は3万を超える軍がいたのです。

嬴政は少しでもこの戦力差を埋めるべく蕞の民に協力を促します。ネタバレすると既に降伏するつもりでさえいた民に対し嬴政の演説に心打たれた蕞の民はこれに応えまた昌平君の側近介億が手勢は僅か100と少ないながらも援軍に駆けつけるなどして戦力を集めていく中、ついに李牧率いる別働隊が蕞まで到達、ここにキングダム作中でも屈指の戦いと言われる蕞の戦いが始まる事になります。

蕞での攻防戦初日は壁が守っていた東壁が敵兵に登られてしまったりもしましたが麃公軍の活躍と民の死物狂いの奮戦もあってなんとかこれを持ちこたえる事に成功します。しかし李牧は民が戦いに参加する弱点を容赦なく付いていきます。どれだけの兵力がいるのか悟られないようにしながら不定期的に夜襲をかけ続けたのです。結果蕞側は夜通し警戒をする必要を強いられ、慣れない民は一気に疲弊する事になります。

寝られないまま迎えた2日目の戦いでは通常の攻撃に加えて李牧の側近である傅抵やカイネなども攻撃に参加しより苛烈な攻撃が仕掛けられる事になります。信は傅抵と一騎打ちを繰り広げ、河了貂もカイネとのこれまでの関係に葛藤を抱きながらの戦いを強いられる事になるのでした。

蕞の戦いネタバレ③32巻

2日目もなんとか守りきった信達。しかし2日目の夜も李牧は容赦なく夜襲を仕掛け民の疲労を狙っていきます。そんな中嬴政が直接民を鼓舞して回る事で蕞の民は奮戦。李牧の予想を上回り3日、4日と別働隊の攻撃を耐え忍んでいきます。しかし民の奮戦はあくまでも精神的なものであり、攻防戦が始まって5日目には肉体が限界を迎え次々と倒れていく自体に陥る事になります。

なんとか民を鼓舞しようとした嬴政は自ら前線に出ますが、結果的に敵兵に狙われる事となり重傷を負う事になってしまいました。ネタバレするとこの行動により李牧側にも蕞に嬴政が来ている事がバレてしまいます。李牧は総攻撃を敢行し、あわよくば嬴政を捕らえようとまで考えます。6日目こそなんとか持ちこたえたものの、民達はもちろん、信や飛信隊のメンバーさえも力を出し尽くしている状態でした。

そして7日目、ついには李牧軍が西壁を超える事に成功、内部からそれ以外の壁の門も開けられてしまいます。精根尽き果てた蕞の民はその様子をただただ見守る事しか出来ませんでした。ついに蕞陥落かと思われたその時、誰もが予期しなかった謎の援軍が蕞に救援に駆けつけます。それはかつて嬴政と信が旅をして同盟関係を構築していた楊端和率いる山の民達でした。

ネタバレすると嬴政はただ闇雲に蕞に籠城していたのではなくちゃんと策略を持っていたのです。蕞に入る前、山の民に救援を要請していたのでした。当然山の民が駆けつけるまで時間はかかりますが、山の民は嬴政達が8日はかかるだろうと予想していた救援に7日目で駆けつけてくれたのです。不意を突かれた山の民の攻撃に李牧が撤退も視野に入れ始める中、龐煖が前に出ます。楊端和と龐煖が対峙しようとしたその時、間に割って入ったのが信でした。

蕞の戦いネタバレ④33巻

先にネタバレしておくとこの時の信の実力はまだ龐煖には遠く及ばないものです。しかしなんとか一矢報い龐煖の攻撃を弾き飛ばして一刀を入れる事に成功します。信と龐煖の一騎打ちが続く中、李牧は現状から情報のない山の民を相手にする事は出来ないと全軍退却を指示、これにて蕞の戦いは秦側の勝利が決定します。同時に合従軍としても勝ち筋がなくなり、完全に撤退、秦国は滅亡の危機を脱する事に成功するのでした。

嬴政は蕞の民に感謝し、また山の民に感謝をして回ります。これにてキングダム作中における合従軍編から続いた蕞での攻防戦は幕を閉じるのでした。

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キングダムの蕞の戦いで勝利した秦軍の勝因

秦軍の勝因①嬴政の賢さ

蕞の戦いは数々の要因が積み重なった結果、奇跡とも言える勝利を掴んだ戦いでしたが、そのきっかけの1つとなったのが嬴政の存在です。あらすじの中でもネタバレしたようにこの蕞の戦いは信を始めとした兵にとっては勝つ為の戦略が一切ない戦いでした。そもそも信達は函谷関での戦いから李牧を追走、そして命からがら蕞に辿り着いておりまさに戦い詰めの中での戦いだったのです。

蕞の民からしても、既に函谷関の戦いに男手全員が出ておりまともな兵は一切いない状態でした。実際、嬴政の演説で涙した民の中には「降伏を考えていた」とはっきり口にしている者さえいました。つまり蕞の戦いにおいて誰も勝つ為の準備をしていない状態だったのです。そんな中唯一「山の民の援軍が駆けつける」という勝ち筋を考えてこの蕞の戦いに望んだのが嬴政でした。

加えて嬴政は自らの出陣も決定します。信達はともかく民達が山の民が駆けつけるまでの間奮戦する事が出来たのは全て王である嬴政が駆けつけ民の士気を高めたからこそ成せた事でした。加えて嬴政はその勝ち筋を敢えて昌文君以外には一切話しませんでした。情報の漏洩を防ぐ為だったとはいえ信にさえも話していなかったのです。そういった嬴政の賢さが秦国最初の勝因でした。

秦軍の勝因②嬴政を選んだ昌平君

嬴政自身の賢さはもちろんですが、嬴政の出陣に関しては嬴政の後押しをした人物がいます。それが昌平君です。この時の昌平君はまだ呂不韋の配下にありましたが、秦軍の総司令として嬴政に蕞への出陣を助言したのです。もちろんこの行動は呂不韋の配下としては許されない行為ですが、詰問されると亡国が迫る中、昌平君は呂不韋に対し「秦軍の総司令であり、今それ以外の事は取るに足らぬ小事です」と答えました。

この時の呂不韋は函谷関の戦いや蕞の戦いにおいて秦の軍が負ける最悪の場合には嬴政の首を差し出す事で降伏をしようと考えており、嬴政を咸陽から出してしまうこの昌平君の助言は呂不韋にとってはまさに背信行為とも言える行動でした。しかしそれを理解しながらも行動した昌平君の行動が秦の勝因に繋がっています。

秦軍の勝因③介億の強さ

もう1つ、昌平君の呂不韋に対しての裏切り行為とも言えるのが側近介億の蕞への派遣です。この介億は昌平君が個人的に開く軍師学校の講師も務めており河了貂とも面識のある人物です。この介億は蕞の戦いにおいてかなり重要な役割を担いました。そもそも介億が援軍に来るまでの蕞には単純な兵力以外に欠けているものがありました。それは現場で実際に兵を指揮する指揮官です。

この時、蕞には現場での士気経験があるものは、信、昌文君、壁、河了貂の4人しかいませんでした。誰かが戦場全体の指揮を取らねば連携が取れない事を考えるとどこかの壁が手薄になります。仮に4人がそれぞれの壁の指揮を取ったとしてもより細かな指示を出せる者は不在という事になります。しかし介億は自身が優れた指揮官という事ももちろんながら、連れてきた100人の兵のうち50人が指揮を取る事が出来る人物だったのです。

これにより蕞は不足しているとはいえ本当に最低限戦えるだけの兵力、そしてそれを指揮し戦わせる指揮官が揃う事になりました。さらに実際の戦いでは介億は自ら守る壁をしっかりと防衛しつつ、他の壁の様子を見て援軍を送るといった的確な動きも見せています。こういった介億の強さが蕞での攻防戦に大きく影響したのは間違いありません。

秦軍の勝因④駆けつけた壁の存在

結果的に蕞で李牧と最後の戦いをする信率いる飛信隊と藨公軍でしたが、この両軍が蕞での戦いに参加出来たのは壁の存在がかなり大きくなっています。元々合従軍において壁は蒙武軍に配属されていました。蒙武軍は楚軍総大将である汗明を打ち取り合従軍との函谷関との戦いの戦局を有利にする事に成功します。ただこの時壁が率いた部隊はかなり損耗しており、戦場を追い出されるように隣の戦場に移動しました。

その隣の戦場で戦っていたのが藨公軍と飛信隊でした。壁軍はそのまま藨公軍と飛信隊に合流し戦う事になり、藨公が李牧の別働隊を本能的に見破るとこの追走に同行する事になります。その後李牧によって藨公が討たれ藨公軍や飛信隊の戦意が喪失する中、この撤退戦を指揮したのが壁だったのです。信にとっての兄貴分であり、藨公に強い思い入れはない壁がいたからこそ、戦意を喪失する事なく信達は蕞に辿り着く事が出来たのでした。

秦軍の勝因⑤麃公が龐煖を追い詰める

キングダム作中最強の武将である龐煖。その龐煖も李牧が率いる別働隊に参加していました。李牧にとってはまさに切り札とも言える存在であり、事実、藨公が別働隊を追いかけた際には龐煖が立ちはだかる事になります。この戦いにて最終的には藨公が龐煖が討たれる事になるわけですが、藨公もただでやられたわけではありませんでした。

藨公は龐煖の腕を片腕をへし折りまた死ぬ最後まで時間を稼ぎ、飛信隊や藨公軍が蕞に逃げ出す為の猶予を作る事に成功しています。この藨公の活躍が無ければ信達が蕞に辿り着く事も、信が蕞の攻防戦の最終盤で龐煖に一刀を入れる事も出来なかったのではないかと言われています。

秦軍の勝因⑥嬴政の一言で蕞の民が立ち上がった

ここまで紹介した様々な要因に合わさって蕞での攻防戦をギリギリまで支えた存在が蕞の民です。嬴政の鼓舞を受け最後まで戦う覚悟を決めたのです。もちろんこれには嬴政が最後まで蕞にとどまり戦う覚悟を見せた事なども大きな要因ですが、この嬴政の鼓舞による民の覚醒が無ければ蕞はもっと早い段階で陥落していたと考えられています。

秦軍の勝因⑦楊端和の登場

もちろん最終的に秦国がこの李牧の別働隊を退ける事に成功した決め手となったのは山の民、楊端和の登場です。実はこの時楊端和率いる山の民は山の民同士の戦争を行っており、楊端和は山界の中でもさらに北方の奥地に遠征に出ていました。戦争自体は順調で大戦果を上げていましたがここで楊端和の元に、嬴政からの救援要請が届きます。

ここで楊端和はそれまでの戦果を全て投げ出し、秦への救援を敢行。到達まで8日はかかると言われた道程を7日で走破して蕞の元に辿り着きました。楊端和のこの素早い決断と行動力が無ければ蕞の攻防戦を守り切る事は出来なかったとされています。

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キングダムの蕞の戦いにおける李牧の敗因

李牧の敗因①山の民との同盟を知られないようにする情報統制

李牧側の視点から見てみるとやはり山の民の援軍について全く思考の範疇外であった事が1番の敗因です。李牧も山の民の存在を懸念していれば多少無理をしてでももっと苛烈な攻めをする事が出来たでしょう。しかし嬴政は成蟜から王座を奪還する際に結んだ楊端和率いる山の民との同盟を徹底した情報統制で秘匿していた為、李牧は嬴政と楊端和率いる山の民の関係性を一切知らなかったのです。

嬴政はこの為に、王座簒奪を図った成蟜を許し成蟜の反乱について隠蔽して「なかったこと」にしました。そこまで徹底した情報統制により、李牧側にはこの成蟜の反乱に山の民が協力したことも知られていなかったのです。李牧も山の民が援軍に駆けつけると分かっていれば対策が取れるだけの時間は十分にあったので、まさに情報の差で李牧は敗北したといえます。

李牧の敗因②政が呂不韋に注意が向くよう仕向けた

李牧が合従軍の中から別働隊を作る際、その数は「その数がいれば咸陽まで落とせる兵力」として定めています。それは前提として秦の主要な大将軍は全て函谷関に集まっており、南道を攻めた際に対応出来る将軍がいない事が条件でした。まさか李牧は嬴政が民を鼓舞する程の王の器を持っているとは思わなかったのです。ネタバレすると実はこれには嬴政自身の芝居がありました。

合従軍の前、呂不韋によって咸陽に来ることになった李牧はそこで嬴政と対面しています。しかしその時のやりとりは全て呂不韋が行っており、李牧側からすると秦の権力を掌握しているのは呂不韋であると認識させていたのです。事実この時点では呂不韋の権力は絶大なものではありましたが、嬴政は敢えて呂不韋の権力に隠れ存在感を消す事で「嬴政は愚王である」と認識させる事に成功したのです。

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キングダムの蕞の戦いの史実の攻防戦を考察

考察①史記の趙家の記録

合従軍による函谷関の戦い、そして蕞の戦いに関しては当時の史実書である趙家が記した「史記」という記録に見つかっています。ただ記録自体は決して多くなく、そもそもキングダムでは連動していた合従軍による函谷関の戦いと連動していたかどうかも不明になっています。一応合従軍による函谷関の戦いと蕞の戦いは同年に行われた記録があるので基本的には連動していたと考えられています。

考察②蕞の位置

キングダム作中では南道の要地に位置づけられた蕞ですが、史実においてこの蕞の場所は完全に確定していません。一応現代の始皇帝陵の位置ではないかとされており、その場合は咸陽までおよそ40~50キロの位置まで攻め込まれた事になります。ちなみにこの蕞の位置に関しては様々な記録で異なる表現がされており、「寿陵」などという表現が使われている場合もありますが基本的には同じ場所を示しています。

ただ仮に現在の咸陽市に咸陽の都があったとするとその始皇帝陵は東にあり、キングダム作中での「南道の要地」という表現とは釣り合わなくなります。元々この頃の史実の記録は多くなく、残っている記録も主に戦いの記録で場所などの記録は少ないだけにキングダム作中ではこの立地については史実を参考にするよりも分かりやすさを重視したのではないかともされています。

考察③合従軍が蕞の戦いで敗れた理由

今回ネタバレありで紹介したようにキングダム作中では壮絶な戦いが描かれた合従軍による函谷関の戦いと蕞の戦いですが、史実においては勝敗こそ分かっているものの、その戦いの過程については記録がなく何故合従軍側が敗れる事になったのかは不明になっています。ただ合従軍や蕞の戦い前後の記録を見る限り、蕞の戦いは敗れたというよりは戦略的撤退だった可能性が高いと言われています。

仮に同時期に合従軍による函谷関の戦いと蕞の戦いが行われていた場合、どちらかの戦いで敗れればもう一方の軍は秦の国内奥地で孤立する事になります。この時、函谷関の戦いを指揮していた楚の春申君が敗れており、蕞を攻めた軍が孤立する可能性がありました。函谷関の戦いに敗れた事で合従軍としても引かざるを得なくなったのではないかとされています。

考察④昌平君・李牧・楊端和・李信が参戦した記録がない?

ちなみにこの頃の史実の記録には戦いの記録こそある程度ありますが、そこに参戦した将軍などについては基本的に記述がない場合が多いです。その軍の総大将だけが描かれている場合が多く、上記でも紹介した函谷関の戦い側の総大将は春申君、そして蕞の戦いの総大将として記録に残っているのが龐煖です。キングダムの龐煖は武神ですが、史実での龐煖はどちらかといえば知略で戦うタイプの将軍でした。

反対にキングダム作中では活躍したものの、史実ではこれらの戦いに参戦した記録がない者として、主人公である信や救世主となった楊端和、昌平君、合従軍側では李牧も史実には参戦の記録がないキャラクターになっています。彼らについては史実の別の戦いにて参戦した記録はあるものの少なくとも合従軍までにそれぞれの国で将軍などになっていたかも不明なキャラクターになっています。

ただ信や楊端和などは登場時期などからこの合従軍との戦い、蕞の攻防戦での功績で後に将軍として活躍したのではないか考察される事もあります。また今回ネタバレしたようにキングダム作中にの蕞の攻防戦における精神的支柱であった秦王嬴政ですが、史実の蕞の戦いに参戦した記録はありません。そもそも嬴政は蕞の戦いだけに限らず、残っている記録の全てで自ら先陣に加わる「親征」を行った記録が1度もないのです。

考察⑤諸侯の弱体化

ちなみに史実においては蕞の戦いは春秋戦国時代において最後に行われた合従軍であるとされています。ただこの時には既にかなり弱体化していたと考えられています。そもそも史実では蕞の戦いの方には韓は軍を派遣出来ていなかったという記録もあるのです。またこの合従軍の失敗の責任を大きく取らされたのが楚の春申君でした。対して趙の龐煖はこの後も将軍として転戦した記録もあります。

この事とそれ以外の史実の記録などからもキングダム作中で描かれた合従軍とは違い、史実での合従軍は追い詰められたそれぞれの諸侯が、最後の抵抗として行った作戦であるとも言えるのです。それほどまでに戦国諸侯の弱体化が進んでいたのが春秋戦国時代末期の情勢であったとされています。逆にいえば蕞の戦いで勝てなかった事が秦がその後に中華を統一する最大の要因になったのではないかとも考えられています。

考察⑥もしも史実で蕞が陥落したら秦は滅亡した?

キングダム作中では蕞の戦いはまさに滅亡寸前だったといえますが、史実での蕞の戦いに関しては少し事情が違います。確かに秦側からすれば咸陽のすぐ喉元まで迫られているのは事実ですが、既に国力としては秦が残り全ての国を圧倒出来る程の状態になっていたのです。もちろん咸陽は奪取された可能性も高いですが、国都を移して国として存続出来るだけの力は十分にあったと考えられています。

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キングダムの蕞の戦いは何巻何話?

蕞の戦いは原作の何巻何話?

キングダムにおける蕞の戦いは完全に合従軍と連動した戦いになっているので明確な区切りは難しいですが、咸陽に南道の強襲が知らされたのがキングダム30巻収録の320話の事です。320話以降、しばらくは咸陽にいる嬴政の動きと李牧を追いかける信達の視点をそれぞれに描き329話で嬴政と信が合流、そこからは完全に蕞戦いのみに焦点を当てた描き方がされています。

そしてキングダム32巻で楊端和が駆けつけ勝敗が決定的なものになり、最終的に蕞の戦いが完結したといえるのはキングダム33巻収録の354話の事です。355話からはこれら合従軍と蕞の戦いの裏で行われていた羌瘣のエピソードが始まっていきます。余談ですが、合従軍編の論功行賞だけは羌瘣のエピソードの後に後追いで知らされる形になっていました。

蕞の戦いはアニメ3期の内容?

キングダムでも屈指の戦いと言われる合従軍編からの蕞の戦いはアニメ化待望論もありました。アニメ2期の時点で合従軍編の直前まで描かれていた事もあり、アニメ化が待ち遠しいという声も多かったのですが2020年~2021年にかけてアニメ3期が放送、その内容は合従軍編から始まり蕞の戦い、そして羌瘣の仇討ちエピソードまでの内容となっています。

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キングダムの蕞の戦いに関する感想や評価

ここからは既にキングダムを視聴している人の蕞の戦いについての感想をネタバレありで紹介していきます。キングダムの原作漫画の中でも人気の高いエピソードであった蕞の攻防戦ですが、アニメでもその描き方はかなり人気が高いものになっています。キングダム作中でもあまりない本格的な防衛戦だけに他では見られない演出が多かったのも良かったとされています。

蕞の攻防戦はキングダム作中でも特に感動シーンや名シーンが多すぎるという声も多いです。嬴政の演説や楊端和の登場、信の覚醒など戦闘シーンはもちろん、介億の地味ながら優秀な活躍など細かな描写も多いという声も多くなっています。

蕞の攻防戦の中にも多くのエピソードがある事、キングダム作中で描かれてきたこれまでの伏線の回収、キャラクター同士のやりとりなどこれまでのキングダムの集大成とも言える戦いだったと言われる声も多いです。元々直前までの合従軍編が秦側も合従軍側も豪華な面々での戦いだった事もあり、対比としても良かったという声も多くなっています。

これ程までに名シーンが多いのは状況はもちろんながら山の民や成蟜のサポートなどキングダム初期を支えたメンバーが一堂に会して攻防戦を行っている事も関係しているという声も多くなっています。文官でどうしても活躍が少ない昌文君の活躍や久しぶりの嬴政と信、河了貂の協力体制など物語が進む中で見れなくなっていた要素も見られるようになったのが良かったという声も多くなっています。

キングダムのアニメは2013年にアニメ2期が合従軍編の直前で終わっていた事もあり、待望論があった蕞の攻防戦のアニメ化待望論ですが、無事にアニメ化された事もあり、今度は実写映画でやって欲しいという声も増えてきています。特に既に実写映画でも配役が決まっているキャラクターも多いのが蕞の戦いの特徴だけに、敢えて蕞の攻防戦だけを切り取って実写映画化でも良いから見たいという声も多くなっています。

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キングダムの蕞の戦いまとめ

今回ネタバレありで紹介したようにキングダムにおける蕞の戦いは秦の存亡をかけた攻防戦であり、ここが落ちれば咸陽は目と鼻の先という状況で、兵力も将軍の質も劣る中での熾烈な攻防戦が描かれる戦いです。信の活躍はもちろんながら嬴政が親征を行った事も特徴的で、それらの様々な要因があってこそ勝利出来た奇跡の戦いです。

キングダム作中でも意外と珍しい1つの城での戦いをしっかりと描いた戦いでもあり、あらすじをネタバレありで知っていても面白く感動する、泣けると言われるエピソードなのでまだキングダムを視聴していない人は蕞の戦いの各所に注目しつつ視聴してみてはいかがでしょうか?

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