2018年03月16日公開
2018年08月29日更新
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲はどんな選手?名言・名シーン紹介
「スラムダンク」累計単行本発行部数1億2000万部の超大作バスケットボール漫画。スラムダンクには様々な個性豊かな登場人物が揃う中、その中でも湘北のキャプテンゴリこと「赤木剛憲」の紹介、名言、名シーンについてゴリにスポットを当てて紹介したいと思います。
目次
スラムダンクの湘北の大黒柱ゴリこと赤木剛憲
スラムダンクの中でも、一際インパクトと圧倒的な存在感を放っているゴリこと赤木剛憲。今回は湘北の大黒柱、赤木剛憲についてのプロフィールや、名言、名シーン、豆知識などを紹介していきたいと思います。あなたの知らないスラムダンクのゴリこと赤木剛憲はまだまだあるかもしれません。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:プロフィール
赤木剛憲(あかぎたけのり)197㎝、97㎏、5月10日生まれ、背番号4、湘北高等学校3年生、ポジションはセンター。湘北高等学校バスケットボール部のキャプテン。ゴリラのような風貌から、スラムダンクの主人公である桜木からは「ゴリ」と呼ばれています。過去にはチームメイトに恵まれず埋もれてきた逸材。小学生の頃から全国制覇を夢見ています。
赤木が捻挫を抱えて試合に出るシーンでの画像
普段は冷静新着で礼儀正しい性格ですが、バスケの事になると、「ゲンコツのキャプテン」と呼ばれるほど指導は厳格です。熱血漢があり、激高すると感情をあらわにしてしまいます。緊張や自意識過剰により精神的に不安定になることがたびたびあるため、試合で本来の自分の力を発揮できなくなる一面もあります。
プレイスタイル
ゴール下での圧倒的な体格とパワーを活かしたプレイから「ゴール下のキングコング」の異名を持ちます。攻撃パターンが少ないのが欠点ですが、リングが揺れるほどの「ゴリラダンク」、強烈なシュートブロック「ハエタタキ」を最大の武器にチームに貢献しました。オフェンスよりもディフェンス面で非常に定評があり、仙道には「湘北は彼の存在だけでベスト8くらいの力はあると思う」と評されました。
赤木のバスケ部入部時の画像
入部当時はドリブルやフリースローが非常に苦手としていて、チームメイトからは「デカいだけで下手だから海難にも翔陽にも入れなかった」と言われていました。練習に対してストイック過ぎる性格から赤木に付いていけないとの声が多く、数々の部員がバスケ部を辞めていった経歴があります。同級生で副キャプテンの小暮公延は赤木の良き理解者であり、いつも赤木を精神的に支えていました。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:主なチームメイト
スラムダンクの主人公「リバウンド王」桜木花道
桜木のリハビリ中でのシーンの画像です。桜木花道(さくらぎはなみち)189㎝、83㎏、4月10日生まれ、背番号10、湘北高等学校1年生。ポジションはパワーフォワード。スラムダンクの主人公。赤髪が特徴で、初心者ながらパワー、スピード、スタミナどれをとっても天下一品です。桜木最大の武器は、垂直飛び1m以上からなるNBA顔負けのリバウンドです。気性が荒く周囲とはよく揉め事起こすトラブルメーカーでもあります。
「スーパールーキー」流川楓
流川楓(るかわかえで)187㎝、75㎏、1月1日生まれ、背番号11、湘北高等学校1年生、ポジションはスモールフォワード。中学の時からスタープレイヤーで、無口で負けず嫌いな性格です。
流川が自主練習に向かうシーンでの画像です。インサイド、アウトサイドからも得点の取れるスコアラーで自己中心的なプレーが目立ってはいましたが、徐々にパス能力をも発揮し磨きがかりました。女子にモテることもあり、「流川楓親衛隊」というファンクラブが存在します。
「湘北一のスピードスター」宮城リョータ
宮城がドリブルで相手を抜き去るシーンでの画像です。宮城リョータ(みやぎりょーた)168㎝、59㎏、7月31日生まれ、背番号7、湘北高等学校2年生、ポジションはポイントカード。ピアスがトレードマークで、神奈川でポイントカードで5本指に数えられるほどの実力者です。身長は168㎝と小柄ではありますが、速攻を中心としたスピードを活かしたプレーが持ち味です。同じ学年のバスケ部マネージャー、彩子に恋をしています。
「天才シューター」三井寿
三井寿(みついひさし)184㎝、70㎏、5月22日生まれ、背番号14、湘北高等学校3年生、ポジションはシューティングガード。中学時代では神奈川の大会でMVPを獲得したほどの天才シューターでした。安西の影響もあり湘北に入学しますが、怪我や赤木の活躍を目の当たりにし挫折しました。2年間不良仲間とつるむような生活を送っていましたが、3年生になって見事バスケ部に復活を果たしました。
「湘北に欠かせないシックスマン」小暮公延
小暮が3ポイントシュートを決めたシーンでの画像です。小暮公延(こぐれきみのぶ)178㎝、62㎏、7月12日生まれ、背番号5、湘北高等学校3年生、ポジションはスモールフォワード。とても温厚で優しく、問題児の桜木に対しても対等な立場で向き合える性格です。赤木とは中学からの親友で、赤木のバスケに対する情熱や強い想いを深く知る男です。スラムダンクの登場人物の中でも有名なあだ名「メガネ君」とは彼のことです。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:主なライバル達
「日本一のセンター」河田雅史
河田雅史(かわたまさし)194㎝、背番号7、山王工業高校3年生。ポジションはセンター。赤木のにとって最大のライバルであり最強の敵にして、高校界NO.1センターに君臨しています。入学当時は165㎝と小柄だったため、ポイントガードからセンターまでどのポジションもこなす事ができます。桜木には「丸ゴリ」と呼ばれていて、弟にはバスケ部で1年生のスラムダンク登場人物一高身長の210㎝の美紀男がいます。
「帝王」牧紳一
牧紳一(まきしんいち)184㎝、79㎏、背番号4、海南大高校附属高校3年生、ポジションはポイントカード。海南バスケ部主将であり、神奈川NO.1プレイヤーです。ポイントカードでありながら、センターの赤木とも互角に渡り合えるほどのパワーをも持ちます。ファールを受けながらもシュートを決める3点プレイを得意とし、全国的にも有名な選手です。
「ビックジュン」魚住純
魚住純(うおずみじゅん)202㎝、90㎏、背番号4、陵南高校3年生、ポジションはセンター。身長2mを越える巨漢で、「ビックジュン」の異名を持ちます。入部当時は部員達に「デカいだけ」と言われ、基礎練習にすらついていけなった過去を持っています。監督の田岡に励まされ着々と練習し、赤木と対等に渡り合えるほどの実力者となりました。
「柔らのセンター」花形透
花形透(はながたとおる)197㎝、83㎏、背番号5、翔陽高校3年生、ポジションはセンター。翔陽の主将兼監督の藤真に次ぐスター選手です。センターとは思えないほどの頭脳プレイやフェイダウェイシュートを得意とし、「柔のセンター」の異名を持つゴール下の要です。赤木率いる湘北に敗北したために、インターハイ出場を逃しました。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:必殺技集
ゴリラダンク
数ある試合の中でも幾度も勝利への士気を上げ、ガラリと試合と会場の流れをかえてしまう「ゴリラダンク」。その威力は凄まじく、実際にゴリラダンクの後はリングがゆらゆらと揺れるほどでした。NBAでもよく見られる両手のダンクですが、赤木がすることによりゴリラダンクになったのかは詳細は不明です。
ハエたたき
ハエタタキからの速攻のシーンでの画像です。守りの面で湘北のピンチを救ってきた、バレーボールのスパイク顔負けのシュートブロック「ハエタタキ」。オフェンスよりもディフェンス面の方で評価される赤木にとって、このハエタタキが評価の理由なのかもしれません。ハエタタキからの宮城を中心とするラン&ガン戦法は、湘北の見物で代名詞でした。
ゲンコツ
試合外でも赤木の必殺技がありました。その名もスラムダンク名物の「ゲンコツ」です。特にふざけた態度や、余計な一言を発してしまったスラムダンクの主人公桜木に対して披露していたのが記憶に多く残っていると思います。桜木はこのゲンコツでバスケットが上手くなっていったと言っても過言ではないでしょうか。
リバウンド
赤木が捻挫を抱えるもリバウンドにで競り勝つシーンでの画像です。センターの赤木にとって欠かせなかったのは、この「リバウンド」です。スラムダンクの中でリバウンドに関してはどうしてもスラムダンクの主人公桜木にイメージが行きがちですが、赤木もこのリバウンドを非常に得意としていました。197㎝からなる高さと、他を圧倒するこの体格が生んだ必殺技だと思います。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:名言
リバウンドを制する者は試合を制す
赤木が桜木にリバウンドを伝授するシーンでの画像です。赤木の数ある名言の中でも一番有名な名言だったと言っていいと思います。「リバウンドを制する者は試合を制す!」。桜木の最大の代名詞リバウンドが生まれるきっかけになった言葉です。最初は、リバウンドに関して全く興味を示さなかった桜木でしたが、赤木のこの言葉によって桜木はリバウンドを猛特訓するきっかけとなりました。
お前のリバウンドには少し期待してる
翔陽戦での生まれた名言です。この日桜木が2得点、流川が14得点で大きく差が出ていました。どうしても流川に勝ちたい桜木でしたが目標は遠かった。赤木にもお前のシュートなんて期待していないと言われてしまった桜木でしたが、その後「お前のリバウンドには少し期待している」と赤木に言われました。この瞬間桜木のモチベーションがガラリと変わった瞬間でした。
骨が折れてもいい…歩けなくなってもいい…やっとつかんだチャンスなんだ
海南戦で生まれた名言です。牧とリバウンドを競った後の着地で赤木は捻挫をしてしまいました。全国制覇は赤木にとって小学生の頃からの夢でした。足首は大きく腫れ上がっていましたが、マネージャーの彩子に試合に出ると言いテーピングを巻けと声を上げました。
赤木が彩子に声を上げるシーンでの画像です。「骨が折れてもいい…歩けなくなってもいい…やっとつかんだチャンスなんだ!」怪我をしてでも試合に出たいという気持ちに誰もが心を打たれました。
ベスト8を狙うわけにはいきません。全国制覇が私の夢です
赤木の自宅で、日本一の大学深体大の唐沢監督とセンターの杉山が赤木をスカウトしに出向いてきました。しかし、それには条件がありました。湘北が全国ベスト8になることでした。それを聞いた赤木が口を開き、「ベスト8を狙うわけにはいきません、全国制覇が私の夢です」と答えました。湘北はもうワンマンチームではないという思いが強く感じられた名言です。
チャンスのときこそ平常心だ
翔陽戦で生まれた名言です。フリーの状態だった桜木がレイアップシュートを外してしまった時の赤木の言葉です。「チャンスのときこそ平常心だ。」緊張していた桜木に対して緊張をほぐし、冷静さを保たせようとする想いから生まれたキャプテンらしい名言だったと思います。スラムダンクの世界を飛び出して、現実の世界でも活かされる名言です。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:名シーン
まだ何かを成し遂げたわけじゃない。なぜこんなことを思い出している。バカめ
赤木が昔を振り返るシーンでの画像です。山王工業との試合での名シーンです。20点差以上あった試合流れでしたが、チーム全員の活躍もありなんと山王相手に5点差にまで縮めました。その瞬間赤木は昔の事を思い出します。憧れだった山王相手と試合をしている。自分は一人じゃないんだという想いが込み上げ、皆の前で涙を流します。その様子を共に3年間頑張ってきた小暮が見守る姿にも心打たれた名シーンでした。
春子が見つけてきた変な男は
山王工業戦での試合の名シーンです。桜木は山王相手にことごとくオフェンスリバウンドを制し、桜木によって様々な流れを作り出し期待以上の働きをしました。宮城がフリースローを打つ瞬間での出来事です。赤木は桜木を見守ります。
桜木が怪我を顧みず身体を張ったシーンでの画像です。元々桜木を赤木に紹介したのは妹の春子でした。「春子…お前の見つけてきた変な男は、湘北に欠かせない存在になったぞ。」赤木が初めて桜木を称えた瞬間の名シーンでした。
俺は間違っていなかった
海南戦で赤木が捻挫をしてしまった後の名シーンです。捻挫した足をテーピングで固めた状態で試合に出場し、赤木がリバウンドで牧に競り勝ちました。自分は神奈川NO.1プレイヤーに通用しているんだと実感し、今までやってきたことに対し「俺は間違ってはいなかった。」と自分で自分を認めた名シーンでした。
さあ 整列だ
インターハイ出場を決め赤木が涙を流すシーンです。湘北が陵南戦に勝利しインターハイ出場を決めた瞬間の出来事です。赤木はチームメイトに対して背を向けて立ち尽くします。涙を拭う赤木の姿を確認し桜木は近づきます。以前の海南戦の敗北は自分のせいだったと悩んでいた桜木でした。その時に赤木にかけられた同じ言葉を桜木は返します。「さぁ、整列だ」。深い師弟愛を感じさせる名シーンでした。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:豆知識
スラムダンクの赤木剛憲にはモデルがいた
赤木にはモデルとなったNBAプレイヤーがいました。その名は「パトリックユーイング」というジャマイカ出身の選手です。1984年と1992年のオリンピックに出場し、2つの金メダルを獲得したレジェンドプレイヤーです。彼の背番号33は、ニューヨークニックスで永久欠番となっています。赤木同様ゴール下のプレーを得意とし、なんと言っても顔がそっくりです。
やはりゴリラだけに「ウホ!」と叫んでいるシーンがある
スラムダンクの主人公桜木に関しては赤木に対して容赦なくゴリと呼んでますが、実際には赤木自身周囲からゴリラと呼ばれることには抵抗があり反発していました。しかし、試合中にしかもゴリラダンク時に自分の口から「ウホ!」と叫んでいるシーンがあります。本能なのか、それともボケ狙いなのかは詳細は不明です。
風貌のわりには頭脳明晰
湘北高等学校には赤点が4つ以上ある生徒はインターハイに出場できないという校則がありました。桜木、流川、宮城、三井スタメン全員を自宅を招いて勉強合宿を開き、赤木式問題集(物理)という問題集を作りました。学校の英語の授業では英文をスラスラ読み上げるシーンがあり、クラスメイトに称賛させられたシーンがありました。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:その後
優勝候補の山王工業に勝利した赤木率いる湘北でしたが、続く3回戦で愛知代表の愛和学院に負けてしまいました。その後、赤木は志望校目指して勉強に励みます。推薦の話があった赤木でしたが、推薦が無くなったか赤木本人が断ったのか不明です。バスケがしたくて勉強に集中できない様子がありました。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲:まとめ
スラムダンクの中でも数々の名言、名シーンを生んだ赤木でしたが、どれもチームメイトに関することや自分の苦悩を経験したことから生まれたものであり、赤木の人の良さが一段と感じたのではないでしょうか。スラムダンクのゴリこと赤木剛憲に関して皆さんは知らなかったことはありましたか?もう一度、スラムダンクを読み直してみるのもいいかもしれません。