【キングダム】劇辛(げきしん)は本当は強い?龐煖に敗れた理由は?史実や最後を考察

キングダムでもその強さが分からないと言われるのが劇辛(げきしん)です。キングダムでは初登場後にすぐ龐煖によって討たれてしまうというあっさりとした最後を迎えてしまい李牧・龐煖の実績作りに利用される結果となっただけにその強さが見えないとされています。今回はキングダムの劇辛(げきしん)について、キングダム作中で描かれた事実、さらには史実で実在した劇辛についてもまとめて紹介していきます。

【キングダム】劇辛(げきしん)は本当は強い?龐煖に敗れた理由は?史実や最後を考察のイメージ

目次

  1. キングダムの劇辛(げきしん)とは?
  2. キングダムの劇辛は本当は強い?強さを考察
  3. キングダムの劇辛が龐煖に敗れた理由は?最後を考察
  4. キングダムの劇辛は史実で実在する?
  5. キングダムの劇辛の活躍や名シーン
  6. キングダムの劇辛に関する感想や評価
  7. キングダムの劇辛まとめ

キングダムの劇辛(げきしん)とは?

キングダムで燕の第一将軍として登場したのが劇辛(げきしん)です。今回はそんな劇辛についてまとめて紹介していきます。

キングダムの作品情報

キングダムの概要

キングダムは原泰久先生が手掛ける中国時代劇漫画で、2006年から週刊ヤングジャンプにて連載されています。古代中国の春秋戦国時代を舞台とした漫画で、後に中華を統一する秦がどのように秦を統一したのかを描く漫画になっています。連載開始当初こそ人気は低迷していたものの、その壮大なストーリーと個性豊かなキャラクター性が話題を集め2020年10月現在59巻発売時点で6800万部を発行するほどの人気作になっています。

また時代背景をしっかりと反映したキングダムは漫画業界での評価も高う、第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した経歴ももっています。メディアミックス展開も積極的に行われている作品で2008年に行われたVOMIC化、2012年と2013年に行われたアニメ化、2019年に行われた実写映画化などの実績があります。2020年に入ってからも3度目となるアニメ化展開されている他実写映画の続編の製作決定も発表されています。

キングダムのあらすじ

下僕から平民となり初陣での活躍により異例とも言える兵卒から一気に百人将にまで昇進した信は趙の秦への侵攻に対して防衛に出陣する王騎軍に組み込まれて馬陽の地に向かいます。信や中華がそこでその名を知る事になるのが李牧と龐煖です。王騎軍は総大将王騎を失いながらも趙の侵攻を退ける事に成功、1度趙に戻った李牧と龐煖が再びタッグを組んで挑む事になった燕との戦いに出撃してきたのが今回紹介する劇辛です。

劇辛のプロフィール

劇辛(げきしん)はキングダムで描かれている年代において燕の筆頭大将軍を務めている人物です。キングダムの時代には既に亡くなっている楽毅と共に滅亡寸前にあった燕を立て直した「救国の英雄」と言われる人物で楽毅亡き後に筆頭大将軍へと就任しました。野心家な性格をしており、自身が成功するべく、若い頃から「軍神」として知られた楽毅の戦を見て盗む事でその実力を高めてきました。

ちなみに劇辛(げきしん)はキングダム作中では最初から燕の将軍として登場しますが元々は趙人であったというエピソードも持っています。配下には音無き暗殺部隊と言われる「毒猫」、最速の騎馬民族犬戎族で構成された「毒犬」などの優秀な配下も従えています。しかしキングダム作中では登場してすぐに龐煖に斬られて死亡するという最後を迎えています。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

キングダムの劇辛は本当は強い?強さを考察

強さ①武器は矛

優れた配下を抱える劇辛(げきしん)ですが自身の矛を用いた武力にも相当の自信を持っています。元々は趙の馬陽に住んでいた劇辛は若い頃には龐煖と同じく「武神」を名乗る男達を何人も倒してきたという実績も持っています。

強さ②趙三大天になってもおかしくない?

元々趙人である劇辛(げきしん)はもちろんそのまま趙の将軍となる道もありました。しかし劇辛は燕に移って活躍、その実力は他国を見て回っている秦の外交官である蔡沢をして趙に残っていたら三大天になっていても不思議ではないと言われるだけに高いです。趙で三大天といえば秦の六大将軍と凌ぎを削った者達であり、つまり相応の実力者である事を蔡沢は示していたのです。

秦で劇辛が知られていない理由

他国に頻繁に渡っている蔡沢のような立場の人物を除き、秦では劇辛の事はあまり知られていませんでした。秦では燕といえば「軍神」と言われた楽毅であったのです。その理由は単純で、中国の中に置いて西に位置する秦に対し、燕は北東に位置します。その間には春秋時代には普が、戦国時代には趙が存在しています。つまり同じ戦国七雄であっても国境を接していない秦と燕では戦争をする事がなかったのです。

人の往来はあるとはいえやはり目下戦争する相手の情報を集める事が優先されるので燕と国境を接しない秦側には劇辛の知名度はそこまで高くはなかったのです。反対に燕と国境を接している趙や斉にはその存在感は大きな存在であり、王騎と並んで劇辛を打ち破った李牧の功績として数えられ李牧の名を一気に中華に広める事に利用されています。それが結果的に李牧が合従軍を起こすきっかけにもなりました。

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キングダムの劇辛が龐煖に敗れた理由は?最後を考察

考察①龐煖を甘くみていた?

上記でも紹介したように劇辛(げきしん)は過去に武神と名乗る者達を斬ってきたという過去があります。それ故に同じように武神を名乗る龐煖の事を甘く見ていたのは間違いありません。加えて龐煖は常時戦場に出るようなタイプではなく大きく名が知られていなかった事も劇辛(げきしん)が龐煖を甘く見る要因になっていたと言えます。

考察②「偽者め」という言葉

対峙した龐煖にも劇辛は「偽者め」と言われてしまい、実際にその実力は圧倒的に違いました。この劇辛と龐煖の戦いは馬陽攻防戦の後の出来事であり、龐煖にとっては王騎との戦いの後の出来事です。王騎との戦いで自身1人では勝ちきれなかった事で龐煖は再び山籠りをして自身の武力に磨きを掛けていました。それだけに劇辛は龐煖に全く歯が立たずに斬られてしまうという最後を迎える事になりました。

或いは思いの強さで自身を圧倒する程の力を見せた王騎と比較し、お金の為に燕に移り背負っている物などを感じない劇辛だからこそ「偽者」という表現をしたのかもしれないと考察されています。

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キングダムの劇辛は史実で実在する?

史実①趙から燕に移って来た

キングダムで描かれている劇辛(げきしん)のエピソードは多くが史実に実在した劇辛(げきしん)のエピソードを元にしています。流石に武神を斬っていたという過去こそないものの、趙から燕に移ったというのも紛れ間もない事実です。一方で趙時代のエピソードはあまり残っておらず、既に武将として活躍していたという考察もされていますが詳細は不明になっています。

史実②隗より始めよ

そもそも劇辛が出身国である趙から燕に移ったのは後の世で「隗より始めよ」という言葉を残す事になった当時の燕王と郭隗という人物のやりとりがきっかけです。この頃の燕は斉との戦争で壊滅的な打撃を受け滅亡寸前に追い込まれた後の復興を進める真っ最中でした。燕王は郭隗に対してより良い人材を集める為にはどうすれば良いか?と問いかけます。

それに対し郭隗は自身を世の中では平々凡々であるとしつつ、そんな自分を優遇すれば自身よりも優れた才を持ったものがこぞって燕に集まるだろうと答えました。この言葉に燕王は従い郭隗に豪邸を建てて優遇します。そして郭隗の言葉通り他国から人が集まるようになります。この時にやってきた人物として名前が史実に残っているのが魏から来た楽毅、斉から来た鄒衍、そして趙から劇辛です。

キングダムでも劇辛(げきしん)はお金目当てで燕に移ったとされており劇辛自身も秦の外交官である蔡沢に「燕より金を積めば秦に移っても良い」と冗談交じりに言っています。実在した劇辛がお金目当てだったかは不明ですがこのエピソードからキングダムではお金目当てという形になったのだと考察されています。

史実③劇辛が燕に移った理由は胡服騎射?

また確たる証拠があるわけではありませんが可能性の1つとして考えられているのが史実に実在した劇辛(げきしん)が燕に移ったのは胡服騎射が関係しているのではないかと考察する人もいます。劇辛が燕に移った当時の趙は武霊王が収めており、目下の敵は中山国という国でした。この頃の中国では馬に車を引かせその上で戦う兵車戦が主流の戦い方でしたが、平地以外では力を発揮しにくい兵車戦を捨てようとしたのが武霊王です。

代わりに武霊王が取り入れようとしたのが馬に直接乗り弓を射る戦術でしたがこれには多くの重臣、身内である叔父からも反対されていました。武霊王は戦術の変更と共に、より馬に乗るのにてきした異民族の服である胡服を採用しようとしたのです。胡服騎射と名付けられたこの戦術は結局武霊王が周囲を説得して取り入れられる事になり結果的にこの戦術によって趙は中山国を併合する事に成功します。

一方で伝統的な服を脱ぎ野蛮とされる異民族の衣装である胡服を着て行う戦術には屈辱感を覚える人が多かったという記述も残っています。ちょうど時期が重なっている事もあり劇辛(げきしん)も或いは胡服騎射が嫌だと思っている時に燕の話を聞いて移ったのではないかとも考察されています。

史実④戦いで出陣した記録がほとんどない?

劇辛(げきしん)は燕に渡った後もあまり出陣した記録が残っていません。そもそも移った当時には燕王からは楽毅の方が明らかに優遇されており、楽毅も燕を滅亡の危機まで追い込んだ斉を逆に合従軍で追い詰めるなど活躍しています。劇辛もこの合従軍に燕軍の将軍としておそらく従軍していたと思われますがはっきりした事は分かっていません。

一方で分かっているのが非常に長寿であった事です。劇辛(げきしん)が趙から燕に移ったのが紀元前312年でこの頃の燕王は昭王という人物でした。以降昭王→恵王→武成王→孝王→燕王喜と燕王五代に渡って仕えているのです。劇辛(げきしん)が何歳の時に燕に移ったかは不明ながらかなり長い間燕に仕えていたのは間違いありません。

史実⑤最後はどうなった?

そんな劇辛(げきしん)ですが、実は史実で実は実在した劇辛(げきしん)もキングダムと同じく龐煖に敗れる形で最後を迎えています。紀元前242年、李牧が燕の武遂と方城を奪取します。これに対し当時の燕王であった燕王喜は劇辛(げきしん)に対し反撃する方が良いか問います。それに劇辛(げきしん)が応じた事で燕は趙に侵攻する事になるのです。

しかしこの戦いで燕軍は2万人が捕虜となり軍を率いていた劇辛(げきしん)も戦死する事になりました。この時趙の軍を率いていたのが龐煖なのです。ただしキングダムと史実での大きな違いはキングダムでは自称武神を何度も倒していた経験から龐煖を舐めていたのに対し、史実では実は趙に居た頃に龐煖と面識のあった劇辛は龐煖なんかに負けるわけがないと舐めていたという点です。

史実で実在した龐煖はキングダムでの龐煖とは大きく異なり、どちらかと言えば文官タイプであり国政にも長く関わっていませんでした。しかし趙では廉頗が出奔した事もありその大役として龐煖が総大将を務めていたのです。旧知の仲であった故に龐煖が戦場で力を発揮するタイプではないと思い込んだ事が劇辛(げきしん)が最後を迎えるきっかけになったと言えます。

実在の劇辛もキングダムでも劇辛も最後を迎えた理由が「龐煖を甘くみていた」という点では共通しており同じように「龐煖に討たれて戦死」していますが龐煖のイメージが大きく変えられた事で旧知の仲という設定はなくなり同じような武神を倒していた経験があるという形に変更される事になりました。

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キングダムの劇辛の活躍や名シーン

活躍や名シーン①若い頃

史実での実在した劇辛(げきしん)のエピソードからくるイメージも相まってかキングダムでもお金に汚いイメージが着いている劇辛(げきしん)が同時に持っているのが若い頃から自身の武力に自信のあるキャラクターでした。武神龐煖の話を聞いても若い頃に武神と名乗る男を何人も斬った事があるとして龐煖の事を全く恐れていませんでした。

活躍や名シーン②楽毅の戦場を追い全てを記録にとった

上記でも紹介したように史実で実在した劇辛は移籍後長らく名前が表に出るような活躍をしていませんでした。とはいえ長く燕王に仕えてきたのも事実であり、キングダムでは名前が表に出なかった理由として「楽毅と戦場を共にしてその記録を全て取っていた」という形になっています。楽毅は前世代、秦の六大将軍、趙の三大天と並びうる「軍神」であり得る物も非常に多かったのではないかと考察されています。

劇辛(げきしん)の周囲を顧みないなりふり構わない姿勢は楽毅からも「面白い男」と認識されるに至っています。結果的に楽毅が亡くなった後も燕が勢力を保っていられたのは劇辛(げきしん)が楽毅の戦い方に似た戦い方を出来るようになっていた為とも言えるのです。

活躍や名シーン③李牧の作戦を読むシーン

実際劇辛(げきしん)は武力だけの人ではないという一面をキングダムでも発揮しています。最終的に龐煖に斬られて最後を迎えてしまう劇辛ですが、そもそもそういう状況になったのは劇辛が李牧の策を読み切った為です。元々劣勢に追い込まれていた燕軍、それは劇辛が使用する策を李牧に全て読まれてしまった為に陥った状況でした。しかも暗殺部隊「毒猫」でも李牧の本陣を見つける事が出来ずにいたのです。

ここで劇辛はそれまでの戦いを思い返し、李牧が自身と近い場所で戦場を見ている可能性に気づくとそれが可能な場所をズバリ探し当てました。さらに中華最速を誇る騎馬部隊「毒犬」を率い自ら李牧の本陣を強襲する事に成功します。

李牧が布陣していたのは燕軍の懐の中であり明らかに奇策といえる策です。そこに気づく事が出来た上に中華でも騎馬兵に優れる趙軍の中でも特に早いと言われる李牧の騎馬隊を追い詰める事が出来る優秀な配下を持っているという点はいかに劇辛が優れた将軍であったかを示すシーンと言えます。

このシーンの結果劇辛は龐煖に討たれるという最後に繋がってしまうわけですが、裏を返せば龐煖が居なければ劇辛が李牧を討った可能性もあり、通常ではありえない布陣を取る李牧に気づける劇辛の凄さを証明するシーンです。

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キングダムの劇辛に関する感想や評価

ここからは既にキングダムを視聴した人の劇辛に関しての感想を紹介していきます。劇辛はキングダム作中でもかなり持ち上げられた存在だっただけに龐煖にあっさり討たれて最後を迎えるという結末には驚いたとするファンも多くなっています。王騎を討った後の龐煖の強さを証明する為の戦いだったとも言える戦いですし史実を再現する為の戦いとも言えますがあっけなさすぎたという声も多いです。

キングダムは史実をベースにしており、この趙と燕の戦争、及び龐煖と劇辛の戦い自体は史実にもあった出来事です。史実でもお互い動員した兵力に対してあっという間に決着がつき劇辛が最後を迎えたのは変わっていないとはいえ普段1つの戦いをじっくり長く描くのが特徴になっているキングダムだけに「それなら描かなくても良かったのでは?」という声も見られる結果になっています。

実在の劇辛は燕に移動した後の記述が極端に少なくなっている事もありキングダムでは作者の原泰久先生が独自の解釈で劇辛の逸話を作り出しそれに相応しく李牧の策を読み切る一面を見せています。李牧の奇想天外とも言える策を読み切るだけの頭脳を持ち、ともすれば李牧を討っていた可能性もある強さを示す事は確かに出来ていたという声が多いです。

ちなみにこの戦いで劇辛は文字通りやられ役となったわけですが、どちらかと言えばファンの中で株を落としたのは劇辛ではなく李牧でした。李牧の戦術は龐煖ありきである事、既に描かれていた王騎との戦いでもこの劇辛でも李牧の策は看破された上でその尻拭いを龐煖がしている形にも見えなくない為です。李牧が敢えてそうしているというわけでもない為、李牧が株を落とす結果になっています。

劇辛にとってマイナスだったといえるのは自身が既に老人の域に達している事をしっかりと認識出来ていなかった事であるとする声も多いです。キングダムでは比較的若々しく描かれていますがエピソード的に史実に実在したように非常に長い期間燕に属していたのは明らかであり、キングダムでの他の老人キャラのように指揮に徹していればもっと違う形になったのではないかとも考察されています。

史実で実在した劇辛もそうであったように劇辛は秦との戦に出陣する事はありませんでした。キングダムでは史実をベースにしているので仕方ないとはいえキャラクターとしては短い出番で終わらせるには勿体ないキャラクターであったとして秦と戦ってほしかったとする声も多くなっています。

特にこの劇辛の戦いの後、王騎に続いて劇辛を討った事でまた知名度を上げた合従軍を起こした事、合従軍で燕軍を率いたオルドがそこまで活躍出来ていない事などもあり、合従軍編に劇辛が居たらどうなっていたのか見てみたいという声も見られるようになっています。

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キングダムの劇辛まとめ

キングダムの劇辛は史実に実在した劇辛をベースに同時な解釈が加えられる形でキャラクター化された人物です。秦とは直接戦争をしていない燕の将軍だけにキングダムでの出番はそこまで多いわけではありませんが東側の国には名を知られた将軍である事、三大天になれた可能性もある程の強さを誇るキャラクターとして登場しました。

キャラクター性が異なるとはいえ実在した劇辛と同じく龐煖に討たれて最後を迎えるという最後がキングダムでも描かれているというのも意外と珍しいキャラクターでもあります。ファンからも「いいキャラしてる」という声も多いキャラクターなのでまだキングダムを視聴していない人は劇辛にも注目しながら視聴してみてはいかがでしょうか?

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