【風の谷のナウシカ】クシャナ殿下の名言集!義手や原作漫画での活躍も考察

ジブリ作品の最初の作品としても有名な「風の谷のナウシカ」の中で、主人公ナウシカと並ぶ人気の女性クシャナ殿下についてまとめます。「風の谷のナウシカ」の映画版の中では、時間の規制もあり、クシャナ殿下の良さを十分に描き切れていないという意見もあります。その点を原作からみえるかクシャナ殿下の「風の谷のナウシカ」の立ち位置や、原作にはない義手と言う設定の事についても触れながら、なぜ義手と言う設定が必要だったかも深堀してまとめます。

【風の谷のナウシカ】クシャナ殿下の名言集!義手や原作漫画での活躍も考察のイメージ

目次

  1. クシャナ殿下はどんなキャラ?
  2. クシャナ殿下の名言集
  3. クシャナ殿下の義手の秘密
  4. クシャナ殿下の原作漫画での活躍
  5. クシャナ殿下の声優
  6. クシャナ殿下のトリビア
  7. クシャナ殿下に関する感想や評価は?
  8. クシャナ殿下・風の谷のナウシカまとめ

クシャナ殿下はどんなキャラ?

クシャナ殿下はトルメキア王国皇女

クシャナ殿下は、「風の谷のナウシカ」の中で、風の谷を侵略しようとしてやってきたナウシカたちの敵として登場しました。けれどその根底にあるのは、巨神兵を使って、人々が腐海の森の木々、そして巨大化した虫たちにおびえることのない世界を作りたいと思っての行動でした。

原作では、トルメキア国のヴ王の娘で、王位継承順位が高いこともあり、別の王位継承者から狙われることも多かったと言います。実際、クシャナの母親はクシャナに向けられた毒を身代わりになって受けてしまった事から、狂人になってしまっています。兄も3人いるのですが、長男・次男は自分に害が及ばないように無能のふりをしています。3男だけは野心があるようです。

「風の谷のナウシカ」の映画の中では、「過去に蟲に襲われ左腕を失った」というセリフがあり、25歳ににして、義手の殿下なのですが、原作においては、この義手であるという設定はみられません。焼き払って蟲を滅ぼそうとする強い怒りをあらわすのに義手にしたのではないかという説もあります。原作の方が長い分、クシャナ殿下の性格を深堀できるので、時間が限られた映画ならではの展開ではないかという説もあります。

また別の推察では、義手であるだけでなく、他もいろいろ無くしているのではないかという推測をする人もいます。近年では、パラリンピックも多く取り上げられることもあるので、義手の人が頑張って、義手の人のための大会にでていたりする水泳競技などはCMにも取り上げられているので、それだけでおぞましいとは思わないので、ケロイド状になった傷などがあるのかもという説もあります。

クシャナ殿下の性格

幼い頃から王位継承権を狙われて、危険な目にあったり、腐海の虫たちに襲われたりしたこともあって、常に冷静に対処する正確に育ちました。誰にでも博愛の精神で当たることはありません。原作を読むと、「風の谷のナウシカ」の映画版では語られていない指揮能力などもあり、部下からの信頼も厚い人です。上に立つ者の素質は「風の谷のナウシカ」の原作の方がより深く描かれています。

高貴な性格ではありますが、物事を受け止める度量は大きく、自分とは異なった考え方であっても、ナウシカの考え方を取り入れたりする柔軟さも持ち合わせています。映画版では平和な世界を目指し、巨神兵士を使って辺りを薙ぎ払ってしまいましたが、失敗に終わり、ナウシカの起こした奇跡に素直に和解に応じています。原作版に比べ映画版は、時間の関係もあり、悪役的な位置づけですが、性格は魅力的な女性です。

クシャナが殿下と呼ばれる理由

原作版では、兄が3人もいても、クシャナの持つ部下への指揮能力・戦略・剣の腕が優れているのは元より、美貌・カリスマ性を供え、トルメキア王国のヴ王の娘であり、直径の子孫であるという点で兄たちよりも優遇されていました。その為、命を幼き日より狙われることも多かったのです。

母親は、クシャナの代わりに毒を受けます。幸い命はとりとめましたが、人形をクシャナと思い込み、目の前にいるクシャナ本人でさえ、クシャナを突け狙う悪人としてみる様な精神状態になってしまいました。そんな生い立ちもあるため、博愛ではないけれど、多くの部下に愛され、尊敬されて殿下と呼ばれています。

クシャナ殿下の名言集

クシャナ殿下の名言:私を殺しても

「風の谷のナウシカ」の物語の中では、映画版ではナウシカの敵としての立場がつよいですが、原作漫画では好敵手の位置づけで描かれています。「風の谷のナウシカ」の原作ではさらにその性格や生き様が細かく描かれているので、ファンも多いキャラクターがクシャナ殿下です。

ここからは、クシャナ殿下の名言について見ていきます。映画には出てこない、原作版ならではの物もたくさんあり、特に部下に寄せる思いに感動する声も多いです。

私を殺しても部下達は最後のひとりまで戦うだろう 勝利などどちらの側にもない 

ここを血の海にして永劫の憎悪のくり返しに終止符をうつうだけだ 

わたしの憎しみにも……

宮崎駿という作家であり、監督でもあるこの人の作品には、戦争に対する憎悪を感じるという説もあります。戦って、そこを血の海に染めても、残された人たちによって、復讐の憎悪が生まれ、本当の勝利など、どちらの側にもないという思いをクシャナ殿下に言わせているとみる人もいます。

もちろん、この言葉には、信頼されているクシャナ殿下だから、残された部下たちがクシャナ殿下の思いを引き継ぎ、戦いを続けるだろうという意味もあります。ただ地球時計という、地球の寿命を現わす時計に地球の悲鳴が、聞こえると言います。地球の寿命をを進める最も愚かな行動が、戦争だという説もあります。

クシャナ殿下の名言:我らが目的は殺戮ではない

「風の谷のナウシカ」全体での名言としても取り上げられる言葉です。「我らが目的は殺戮ではない。話がしたい。剣をおさめられよ」最近の世界情勢を見てもトランプでさえ まず話し合いをと言って敵対していた国と話し合いの機会を持っています。この言葉は、クシャナ殿下が、腐海で一番の剣士、ユパ・ミラルダに対して、言ったのですが、クシャナ殿下に、「自分が相手を納得させる自信がある」と感じさせる言葉だと言われています。

クシャナ殿下の名言:小気味よい生き方だ

この名言は、「風の谷のナウシカ」原作本の3巻に登場します。ナウシカ映画を見ただけの、多くの人が感じているクシャナ殿下は敵と言う図式は、実は正しくなく、戦いの中にあっても友であるという戦友という立場だと原作者の宮崎駿監督も言っています。

他人の生き方を尊重し、理解できるクシャナ殿下であるから、「ナウシカ お前はお前の道をいくがいい それも小気味よい生き方だ」というナウシカの進む道を肯定します。クシャナ殿下が、ナウシカと共に手を取って同じ道をすすめないのは、この後に続く言葉「私は私の血みどろの道をいく 親兄弟と殺し合う呪われた道をな…」があるからだと推測されています。

クシャナ殿下は、兄が3人いますが、この兄たちとは、一人だけ母親が違います。それなのに、クシャナ殿下が、後継ぎとしてあつかわれているのは、母親の地位が他の兄弟よりも高いことが考えられるという説があります。だからこそ、幼い頃から、兄たちの側近からの醜い権力争いの中に育ったからこそ、そこにナウシカを巻き込みたくないという思いからだという説もあります。

クシャナ殿下の名言:しょせん血塗られた道だ

「風の谷のナウシカ」の原作を読むとクシャナ殿下の幼い頃からの生き様がわかります。「しょせん血塗られた道だ」は、ひとつ前にあげた名言の後半部分「私は私の血みどろの道をいく 親兄弟と殺し合う呪われた道をな…」に繋がるところもあります。生まれた時から王位継承権を巡り血なまぐさい世界でいきてきたクシャナ殿下の悲しみとそれを受け入れた強さからだろうという推察もあります。

クシャナ殿下の名言:そなたたちの最後見届けた

「風の谷のナウシカ」の原作の中には、クシャナ殿下が手を出す事が叶わず、部下を見殺しにしてしまうような戦いもありました。その時のクシャナ殿下は、自分の髪を切って、見殺しにするしかできなかった部下たちに手向けたという話がありました

クシャナ殿下の元、心からの忠心で、クシャナ殿下を守りながら死んでいく臣下たちを名誉の戦死とし、犬死にはさせたくないという、クシャナ殿下の一人一人の臣下に対する大きな信頼と、愛を感じるという意見も多く、クシャナ殿下の部下になりたいという意見も多いです。

クシャナ殿下の名言:我が夫となる者は

「わが夫となる者は、さらにおぞましきものを見るだろう」このセリフは、「風の谷のナウシカ」の映画でのみで、見られるセリフです。原作ではクシャナ殿下は、義手と言う設定はありません。母親の違う兄たちとの関係もあり、幼い頃から、血塗られたような陰謀の中で生きてきたイメージの方が多い女性です。

推察の中には、映画版は戦う女としてのクシャナ殿下を印象付けるために、手は義手、その体にはいくつもの傷があると思わせたいのだろうという説があります。原作版では、十分に描くことが出来たクシャナ殿下の兄たちとの関係、原作のクシャナ殿下は、血の及ぼすおぞましいほどの確執の中で培ったクシャナの強さが見れます。

原作のクシャナ殿下が「おぞましい」と感じた権力争いを、蟲たちとの戦いの中で、抵抗し、つかみ取ったしかし、男から見たら、「女の肌にある数々の戦いのあとは、おぞましい」と見えるだろうという、逆に「男を寄せ付けないための一人で生きていくという哀しい決意がある言葉なのではないか」という説もあります。

クシャナ殿下の名言:どうした化け物

まずこの場で言っている化け物と言うのは、「風の谷のナウシカ」の映画版のクライマックス、巨神兵の変態した姿の事です。実は「風の谷のナウシカ」の原作の漫画版は、完全な形で目覚め、二足歩行で歩けるまさに巨神兵です。しかし映画版においては、不完全な形で目覚め、神と言う名にふさわしい神々しい形であらわれますが。映画版は不完全な上半身だけのドロドロに溶けたような腐った形で現れます。

そして「風の谷のナウシカ」の映画の中でも有名なこのセリフ「なぎ払え、どうした化け物、さっさと撃たんか」と言うクシャナ殿下の命令の元、この化け物と呼ばれるようになってしまった巨神兵は、その意志を失い単なる殺戮兵器として、高貴な地位から滑り落ちてしまったものとして描かれます。そして化け物と言われただけでなく「それでも世界で最も邪悪な一族の末裔か」とクシャナ殿下に呼ばれてしまいます。

「風の谷のナウシカ」の原作である漫画版では、高貴なままに置かれる巨神兵が、化け物と呼ばれる背景の裏には、映画での勧善懲悪と言った、悪と善のコントラストを際立たせるためであるという考察もありました。だからこそ、「風の谷のナウシカ」のスタッフであった庵野秀明は、義手でもなく、悲しい生い立ちをもち、神聖なる巨神兵を使うクシャナ殿下を主人公の作品を作りたいと、宮崎駿に直談判したと言われています。

クシャナ殿下の名言:今使わずしていつ使うのだ

映画版での巨神兵だった化け物は、不完全であったがゆえに、風の谷に襲い掛かろうとした王蟲(おーむ)に襲い掛かりクシャナ殿下の言葉通り、王蟲に対して閃光を放ち、勝利をおさめます。しかし成長段階で呼び起こされた巨神兵は、この戦いのあとドロドロに溶けて死んでしまいます。

まだ巨神兵として使うには未成熟だったことは、クシャナ殿下にもわかりきっていました。クシャナ殿下の参謀であるクロトワに「殿下、まさかあれを……。まだ早すぎます」と止められても、王蟲は、風の谷に迫っています。苦渋の決断で発した言葉が「いま使わずに、いつ使うのだ!」でした。義手であることだけでなく、クシャナ殿下自身が自分を「おぞましい」と言ってのける姿と化け物化した巨神兵がリンクしているという説もあります。

クシャナ殿下の名言:そなたたちの無念忘れぬぞ

「風の谷のナウシカ」の中でクシャナ殿下が部下から愛されているという理由としても上げた「そなたたちの最後見届けた」に続く名言がこの「そなたたちの無念忘れぬぞ」です。クシャナ殿下が長かった髪(三つ編みにしていました)をバッサリと切り落とし、死んでいった部下たちに向けた言葉です。

クシャナ殿下の名言:おまえが私の死か

これも蟲たちの大群に襲われた時に、クシャナ殿下を守ってくrた部下の兵士に向けた言葉です。この言葉に続く最後の方の言葉には、クシャナ殿下は、部下の命を自分の命のように思っていた事がわかります。「あいつ」が単数形ですが、これは、たくさんの兵士がクシャナ殿下を守ったのではなく、クシャナを守る一人の兵士の戦死がたくさんあったということです。

あいつたちを殺せるなら、この生命など惜しくもないと、思いつづけて生きていたものを」他人の命も自分の命と同じように思えるクシャナ殿下だから、女性であろうが、25歳という若さであろうが、人が付いてくるのです。

戦争や戦いは、たくさんの命を失います。数百万人の命が消えた空襲ひとつとっても、数百万の一つ一つに人生があって、思いがあって、家族があって、恋人もいたかもしれないという、所に思いをはせてほしいという宮崎駿のメッセージではないか?と言う、推察もありました。

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クシャナ殿下の義手の秘密

クシャナ殿下の左手が義手である理由

「風の谷のナウシカ」の映画版では、クシャナ殿下の左手が義手であることが明かされます。これは、風の谷に捕らえられたとき、ユパたちに、自分の鎧を外し、自分の左手が蟲たちの攻撃により既に失われ、自分の体の一部は作り物であると、示したのです。かなり深堀する人の意見では、ネタバレになりますが、「ナウシカが人造人間であるように、自分も作り物の部分があるといいたいのだ」という意見もありました。

生まれたままの姿ではなく、体の一部が欠けても、カリスマ的な存在でいられるクシャナ殿下ですが、心のどこかでは、完全な人間ではないと自分をどこか、卑下してしまっているのではないかという意見もあります。別の意見では、体の改造(巨神兵)を生まれ変わらせようとした時のように)を意味するなど、クシャナ殿下の義手問題については様々な推察があります。

映画の中では、ユパの問に蟲に襲われたのかと言われ否定しなかったことから蟲説が強いです。けれど、否定しなかっただけで、戦いなのか、血塗られた継承問題なのか明確にされていません。さらにそれがいくつの時なのか、蟲だとしても、クシャナ殿下になぜ襲い掛かってきたのかは、詳しく説明はされていません。

原作漫画ではクシャナ殿下は義手ではない

「風の谷のナウシカ」には、宮崎駿が書いた原作漫画があります。その漫画の中では、クシャナ殿下が義手であるという表現は、ありません。漫画の中の腕が出るシーンでもしっかりと、義手ではないイラストがでてきます。別のカラーイラストでは、おへそ部分しか出ていませんが、体もこれだけの戦いをしていても美しいままで、描かれています。

わが夫はさらにおぞましきものを見るだろうの意味

「わが夫はさらにおぞましきものを見るだろう」というこの発言は、「風の谷のナウシカ」の映画の中だけで発せられる言葉です。現代のドラマでも、病気で何度も体に手術の傷が残る少女が、生体肝移植を受ける時に相手が自分の姉と知って拒否するものがありました(グッドドクター・2018・フジテレビ系列)若い女性にとって、病気と闘ったあかしの傷であってもコンプレックスと推察する人もいます。

仮に蟲に襲われた時の物だとしたら、左腕掛けでなく、その近辺の腹や背中と言った部分にも見せられないような傷があると仮定する意見もあります。蟲とは全く関係ない血塗られた継承権争いの果てについたものであれば、なおさらそんな中で育ってきた自分の中に流れる血のおぞましさを言っているのかもしれないという意見もあります。

クシャナ殿下の原作漫画での活躍

原作漫画のクシャナ殿下はかっこいい!

「風の谷のナウシカ」の映画版では、「クシャナ殿下は、蟲に両手・両足をやられて、左手は義手、脚も義足ではないか?」と言われています。その為蟲が繁殖している腐海を憎んでいて、その場所を焼き払おうとします。実は蟲は、腐海の浄化の役割を持っていて、悪いものではないため、それを薙ぎ払うような行動をするクシャナ殿下の行動は非難されるものでした。

巨神兵に関しても、まだ未完成なのをむりやり、引きずり出して性急に戦わせたというように見せたところもあり、映画に関しては、ちょっと残念な性格に描かれています。映画という短い時間で、善悪をはっきりと見せてナウシカに感情移入させるためであろうという意見もありました。

これに対して、風の谷のナウシカの原作のクシャナ殿下は、庵野秀明が、クシャナ殿下を主人公に映画を作りたいと宮崎駿監督に何度も懇願したほどの、カッコ良さです。まずクシャナ殿下の左腕が義手という設定がありません。そして腐海辺境で一番の剣士であるユパとっは、甲乙つけがたい剣術の腕前となっています。

「風の谷のナウシカ」の世界では、王蟲の体を包んでいる硬い殻は、何にも負けない強度があるとされています。しかし、クシャナ殿下はセラミック製の剣なのに、相手の王蟲の殻で作った剣を真っ二つにしてしまったという実力の一端を見せています。

映画では少し暴走気味のクシャナ殿下として描かれていましたが、原作漫画では、思慮深く、クールで策士で知的な女性として描かれています。そして何よりも「今の私には、2,000の部下の命以外、捕虜も奴隷もどうでもいいのだ」と言うセリフに見られるように、何よりも部下を大事にする尊敬される武将として、描かれています。

土鬼の捕虜になった時のシーン

「風の谷のナウシカ」の5巻でクシャナ殿下は、土鬼の捕虜になります。その時に捕虜になった自分を嘆くのではなく、大きく世界に必要な王の事について考えるのです。「トルメキア王も土鬼皇帝も、無慈悲で小心者」と切り捨てて考えたうえで、この先彼らに任せていては「状況が困難になればなるほど、愚行もひどくなるだろう」とどちらが勝利したとしても両方に絶望感を感じています。

だからこそ、ここで、クシャナ殿下は、新しい王の必要性をつぶやきます。そしてクシャナ殿下は、一つの結論に達します。「真の王道を歩む者が出現せねば、人間は滅びる」

トルメキアの皇女であるクシャナ殿下に対して、土鬼側のケチャがいいます。「お前たちが戦争を仕掛けてこなければ、こんなことにはならなかった」と言われ、クシャナは自分のしてしまったことを反省して「ゆるしてくれ、捕虜のたわごとだ」と言ってケチャに謝りますが、真の王が必要という思いはクシャナ殿下の胸にはしっかりと残っているのです。

クシャナ殿下が部下の死を悲しむシーン

クシャナの部下が死んだとき、こんなセリフを言いました。「蟲の群が去ってはじめて気がついた。私はずっと歌っていたのだ。それもなんと子守歌を…!」これまで、クシャナ殿下は、亡くなった部下たちを称えたりしましたが、悲しむということは、してきませんでした。悲しみに沈む姿を人に見せようとはしてきませんでした。その自分の悲しみに自分自身が気づいた時の自分と戦う姿がここで見られます。

ユパがクシャナ殿下に声をかけるシーン

クシャナ殿下は、腐海辺境一の剣士「ユパ」に何年にもわたってユパに降伏を求めてきます。ネタバレになりますが、終盤にユパもその生涯を閉じる時が来ます。その時にユパはクシャナに言います。「クシャナ。血は…血は…むしろそなたを清めた…王道こそそなたにふさわしい

クシャナ殿下は、子供の頃から、命を狙われ、ある意味血筋という血、そして、戦いの中で部下の血、時には自分自身が流す血もありました。もちろん相手に流させた血もあります。「自分が流した血の痛み、相手に与えてしまった血の痛み、そういうものを知る人は、王としてふさわしい」と言っているという説があります。

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クシャナ殿下の声優

クシャナ殿下の声優は榊原良子

榊原良子さんは、1956年5月31日の千葉県生まれ、クシャナを演じた時はクシャナと近い28歳でした。声優として他にもセーラームーン・機動戦士ガンダムをはじめ多くの作品に出演しているほかに、ニュースステーションのナレーションなどの仕事もしています。

クシャナ殿下の英語吹き替え声優はユア・サーマン

英語版のクシャナ殿下のふきかえは、ユア・サーマンだったそうです。そのほかにも「風の谷のナウシカ」の吹き替えは、ハリウッドの有名な方が多く、吹き替えていて話題になっています。2003年の映画「キルビル」の主役を演じた女優で、日本にもなじみの深い女優です。

キル・ビルと言えば、今回「風の谷のナウシカ」の王蟲の声に対応する、ギターの音は、キル・ビルの音楽を担当した布袋寅泰さんが担当しています。

クシャナ殿下のトリビア

クシャナ殿下のトリビア①焼き払えと薙ぎ払え

遊び要素のトリビアとしては、テレビ放送の時に、天空の城ラピュタで「バルス」というセリフで、ツイッターの負荷が重くなりシステム障害を引き起こすことがありますが、ナウシカでも、クシャナ殿下の「なぎはらえ」でもファンが、ツイッターに一緒につぶやくという現象があります。ラピュタの「バルス」ほどではないですが、ファンの方には楽しい団同士の一体感を感じられる現象です。

このセリフは、映画版の「風の谷のナウシカ」でクシャナ殿下が言い放つ言葉なのですが、未完成の巨人兵に向かい、迫ってくる王蟲に最初の一言は「焼き払え」と言い、2回目のビームを出す時に「なぎはらえ」と叫びます。焼き払うのは炎で焼き払うのですが、「薙ぎ払う」となると、刃物のような鋭さが加わってさらに強い印象になります。

クシャナ殿下のトリビア②名前の由来

「クシャナ」の名前の由来には、2つの大きな説があります。一つは、実在の北インドのクシャーナ王朝、現在のアフガニスタンから北インドのあたりに紀元1世紀から3世紀ごろまでの王朝の事をさします。元は紀元前の時代に、遊牧民だった大月の支配下のクシャーナKusana族の族長カドフィセース1世によって起こされ、その息子2世によって基礎が作られた王朝です。

2世紀中葉にカニシカ王によって最盛期を迎え、ガンダーラ美術などの文化を産み、大乗仏教などが基礎ができるような、自由な空気がある文化です。この王朝のようにクシャナ殿下も広い心で、良いものはどんどん受け入れていくところがあり、そこから来ているという説があります。

もう一つは「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカと並び立つ魅力的な女性として、描くにあたって、「NAUSICAA」のつづりを「CUSIANAA」と入れ替えたアナグラムであるという説があります。この表記の仕方を英語表記ではなく、ローマ字表記にすると「NAUSHIKA」と「KUSHANA」になり文字の構成が変わってくるのですが。

その文字の表記の違いの「I」を愛と読み、名前に愛があるのがナウシカ、「愛」がないのがクシャナであるという説もあります。言葉遊びのはんちゅうではあるのですが、これに賛同する意見も多いです。反対意見の中には、クシャナ殿下にも愛はあるという意見が多いです。

クシャナ殿下のトリビア③巨神兵

巨神兵のトリビアを上げると、実は大学生活に限界を感じていた庵野秀明さんが、雑誌アニメージュの中にあったスタッフ募集の記事を見て、大学を放り出して、上京し面接し、すぐにスタッフとして採用されたそうです。作画のスタッフとして最初から重陽された庵野秀明さん、「巨神兵」のデザインを担当したのは、庵野秀明さんだったそうです。

のちに「風立ちぬ」というジブリ作品では、(宮崎駿監督が最後の作品と言っていた)声優・俳優を押しのけてズブの素人の庵野秀明さんが選ばれたのも、この頃から、親子のように尊敬や信頼の関係で、「風の谷のナウシカ」のクシャナ殿下を主人公にしたアニメを作ってくれるのでは、と期待が持てます。

クシャナ殿下のトリビア④悪行

映画版では、クシャナ殿下の悪行を色濃く描くことで、ナウシカの正当性をきわだたせています。これは、第2次世界大戦で、日本が言論に圧力をかけて「鬼畜米英」など自分たちに向かってくるアメリカやイギリスを悪と書かれた的のようなものにした手法と似ています。宮崎駿監督には、こうした戦争への心をあおる為政者嫌う傾向があります。

映画版は、子供にもわかりやすくするために、クシャナ殿下がナウシカの父ジルを殺害したり、風の谷に兵を進めて来て侵略して、ナウシカを人質にしたりと悪行の数々をさせます。でも原作では、どちらも平和を願う心が根底にあり、カッコイイクシャナ殿下を描くことで、同じ目的のために戦争をする人の愚かさを描いているという意見もあります。

クシャナ殿下のトリビア⑤庵野秀明のエピソード

『新世紀エヴァンゲリオン』などの作品で有名な庵野秀明は、大阪の大学時代自主制作のアニメ映画に熱中していて、当時通っていた大学の出席すればそのまま卒業できるぬるい生活を続けることに違和感をもっていた頃で、アニメージュにあった「風の谷のナウシカ」のスタッフ募集の記事をみて、上京し採用されました。授業料未納・学校へも行かない状態だったので大阪の大学は除籍となりました。

原画担当として採用されます。その際にもちろん原作も熟読し、クシャナ殿下を主人公にした作品を作りたいと、宮崎駿監督に申し出たと言います。かなりしつこく言われたようで、宮崎駿監督から「原作通りにやるのはやめろ!でも好きなようにやればいい」と言って「自分も亡くなった方の作品を好きなようやっているから」と笑って言っていました。

クシャナ殿下に関する感想や評価は?

「風の谷のナウシカ」の中では、ナウシカもクシャナ殿下も自分の守りたいものを守り、闘っています。二人の関係は、ライバルでありながら、どこか心がつながっているという意見も多く、アナグラムでの検証なども見られています。

子供の頃に初めて見た人には、クシャナ殿下は、敵キャラとしてそこに存在していましたが、原作を読み、クシャナ殿下の生い立ちを知り、部下に対する思いを知るにつけ、クシャナ殿下の魅力に魅了される人も多くなり、ナウシカよりも好きという意見も見られます。

風の谷に蔓延する蟲たちを退治しようとして発する「なぎはらえ」というセリフは、クシャナ殿下の名セリフとして筆頭に挙げられることも多いです。宮崎駿もなんだかんだ言いながら、庵野秀明のクシャナ殿下を中心とした「風の谷のナウシカ」の制作を黙認しそうな雰囲気です。「なぎはらえ」がどんなふうにアレンジされるのかにも期待がかかります。

眠るクシャナ殿下を守る部下たちです。常に気を張り弱みを見せないクシャナ殿下のほんのわずかな無防備な姿は、自分以上に強くても守りたいと周りの男が思ってしまう姿です。

ジブリ作品に出てくる主人公たちは、それぞれに痛みを知っています。だからこそ他人に対する愛や思いやりが自然にできるのです。そしてその心を多くの人に盛ってもらいたいというのが、今の時代に向けた作品に携わった人たちの願いでもあるという説があります。

アニメ作品に、ハリウッドのこれだけの俳優がそろうことに、驚きを感じるキャストです。海外は声優は声優、映画俳優は映画、ドラマ俳優はドラマと言った分業がおおいので、このキャストには驚かされる人も多かったです。

クシャナ殿下・風の谷のナウシカまとめ

風の谷のナウシカ」のトリビアの一つに、昭和の漫画の巨匠であり、漫画アニメの先駆けとも言われた手塚治虫がいます。手塚治虫がこっそり、「風の谷のナウシカ」を映画館に見にいったことがあったそうです。その時、手塚治虫さんは、「風の谷のナウシカ」の感想を一言も話さなかったそうです。手塚治虫さんの近しい人に言わせると、悔しいほどの良い作品には何も語らないという癖があったそうです。

手塚治虫先生も嫉妬した「風の谷のナウシカ」、時を超えて庵野秀明さんもまた魅了された一人です。大学を中退し、アニメージュの募集広告をみてスタッフとなり、宮崎駿さんに何度も断られても、クシャナ殿下の映画を撮らせてほしいと言い続けていたというトリビアは上にかきました。

日本のアニメ界に大きな足跡を残す人たちが、関心を寄せる「風の谷のナウシカ」は、登場人物の一人クシャナ殿下を取り上げるだけでも、奥深く、アニメと原作の違いなども、心を惹かれる部分がたくさんあります。アニメはテレビ放送されるたびに高視聴率を産むのもそれだけ見欲があり、人々を引き付けるのでしょう。アニメだけでなく、原作も「風の谷のナウシカ」のクシャナ殿下を語るのには大切なアイテムです!

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