2018年10月11日公開
2018年10月11日更新
紅の豚の舞台はアドリア海・ドゥブロヴニク!モデルとなった場所や綺麗な海はどこ?
紅の豚の舞台モデルとなった場所をご存知でしょうか?1992年に公開された紅の豚は飛行機乗りの男たちを描いたロマンあふれる作品として有名ですが、彼らが乗り回す飛行機。あれらはすべて水上機という水面上に浮いて滑走する飛行機で、飛行機が海の上を優雅に飛ぶ姿はとても美しいと評判です。作中に登場する海や街並みはどこもかしこも美しく、紅の豚を見ながらこんな場所を訪れてみたいと憧れた人もいるのではないでしょうか。今回はその紅の豚の舞台となった美しい海についてご紹介していきます。
目次
紅の豚の舞台モデルとなった場所について徹底調査!
スタジオジブリの名作、紅の豚には青い海に点在する島々など美しい景色が多数登場します。これらの景色は実際にある場所をモデルとして描かれており、有名なのはイタリアとバルカン半島の間にあるアドリア海と、クロアチアの都市ドゥブロヴニクです。
それ以外にも主人公、ポルコのアジトとなっている海岸も別のモデルとなっている場所が存在するほか、日本にもポルコのアジトに似ている、とファンの間で噂になっている場所があります。どこも神秘的で美しいところばかり。紅の豚の舞台モデルと場所について1つずつご紹介していきます。
紅の豚とは?
「飛ばねぇ豚はただの豚だ」の台詞が有名な紅の豚は、1992年7月に公開されたスタジオジブリの長編アニメーション作品です。紅の豚の舞台は世界恐慌時代のイタリア。物語では飛行機乗りの男たちを描かれており、主人公はなんとブタの姿をした男ポルコ・ロッソ。彼はかつてイタリア軍のエースで、軍人を退いた後は空賊たちを追う賞金稼ぎとして活躍していました。
賞金稼ぎとして空で自由を謳歌していたポルコ。しかし、空賊連合の奴らにとってポルコは面白くない存在。ある晩、昔馴染みの女性ジーナが営むホテルを訪れたポルコはそこでアメリカ製の飛行機乗り、カーチスという男と出会うのですが、実はこの男、空賊連合が雇った用心棒だったのです。
その後、飛行機の整備のためミラノに向かっていたポルコはカーチスと遭遇し撃墜されてしまいます。大破してしまった飛行機を修理するため、ミラノにある工房ピッコロ社を訪れたポルコはそこで整備士のフィオという少女と出会います。最初は若き整備士に驚いたポルコでしたが、フィオの情熱に絆され修理を任せることに。
その後、フィオと工房のスタッフたちの力により飛行機は見事に復帰するも、しつこい空賊たちはポルコを追うことをやめません。そこでフィオの提案でポルコとカーチスが1対1で決闘することになったのですが、両者の勝負はつかず、殴り合いに。最後はかろうじてポルコが勝利を納めました。
ジーナは彼に思いを寄せ、彼を待ち続けていたのですがフィオもまたポルコと触れ合う内に彼に恋をします。物語の最後では、フィオがピッコロ社を継いでジーナと親交を深めたエピソードなどが紹介されましたが、ポルコの恋の行方は分からぬまま、紅の豚の物語は幕を閉じました。
紅の豚の舞台モデルとなったイタリアのアドリア海とクロアチアのドゥブロヴニクを紹介!
美しさに魅了されるアドリア海
紅の豚の舞台の主なモデルとなっているのは青い海が美しいアドリア海です。地中海の一部であるアドリア海はイタリア半島とバルカン半島に挟まれた温暖な地域で、岸側にあるヴェネチア湾から湾頭部のオトラント海峡まで800kmもあります。沿岸にはヴェネチアやバリ、リエカなど多くの港があり、沿岸の都市にとっては海外へ通じる重要な海路となっています。
リゾート地として知られているのはヴェネチア側で、水の都としても有名なヴェネチアはアドリア海の女王と称されています。こちらも水路が入り組み古い街並みの並ぶ美しい場所。海の綺麗さならばクロアチア側がおすすめで、紅の豚に登場する海も青くて美しいですが、実際の海もヨーロッパで最も美しい海と言われています。
そのため、観光客でにぎわう夏にはマリンリゾートを楽しむために訪れる人も数多くいるようです。また、海の透明度が高く美しいため、ダイビングスポットとしても有名な場所でもあります。観光地にマリンスポーツといろいろな楽しみ方ができるようです。
紅の豚の舞台となった街!アドリア海の真珠と呼ばれるドゥブロヴニク
もう1つ紅の豚の舞台として有名なドゥブロヴニクは、アドリア海沿岸にあるクロアチアの都市です。紅の豚もそうですが、同じくジブリ作品の魔女の宅急便の舞台モデルともなっている街としても知られています。キキが箒で気持ちよさそうに飛び回っている街並みがそうです。白い建物にオレンジ色の屋根の街並みが非常に美しく、1979年に世界遺産として登録されたこの都市はアドリア海の真珠と謳われています。
長年、外部からの侵略の危機に晒されたこともありドゥブロヴニクは城塞都市としての一面も持ち合わせています。街を囲うようにして造られた城壁は長さが役2kmもあり、城壁に囲まれた街の姿を見ているとまるでおとぎの国を訪れたような気分になると評判です。紅の豚は勿論、ファンタジーの舞台としても持ってこいの場所だと評判です。
ドゥブロヴニクはアドリア海沿岸の中でも非常に有名な観光地で、多くの観光スポットがあります。先程もご紹介しました城壁は、旧市街を一望できるスポットとしても有名です。
ほかにもメインストリートのプラツァ通りや城壁にあるミンチェタ要塞、ロブリイェナッツ要塞、グレンドゥリチェフ広場の奥にある美しい教会など、どこを見ても趣のある場所ばかりです。
ドゥブロヴニクの豊かな文化や催し物
ドゥブロヴニクは古き良き街並みを残す情緒ある街としての顔もありますが、歴史的遺産としてだけではなくフェスティバルや美術的なイベントも開かれており、著名な芸術家が暮らすなど積極的にイベントに取り組む文化の街という顔も持っています。
ドゥブロヴニクで開催されるイベントには、59年続くサマーフェスティバルに映画の上映会などもありますが、伝統的な催し物としては守護聖人聖ヴラホの祭典や仮装祭りなどもあり、観光客を楽しませてくれます。歴史的な街並みで行われる祭典やイベント、とても風情がありそうだと評判です。
ドゥブロヴニクは2度も崩壊の危機にあっていた
実はこの街、過去に2度崩壊の危機にあったことがあります。1度は1667年の大地震で、ドゥヴロブニク地震と呼ばれています。この地震はクロアチア領内に残る記録によれば最も壊滅的な被害を受けたうちの1つで、建物の4分の3もが破壊され、5000人以上が亡くなったと言われています。こうして多くの犠牲を出しましたが、市民の懸命な努力により、ドゥヴロブニクは復興を遂げ再び活気を取り戻しました。
2度目の危機は1991年のユーゴスラビアとの内戦。クロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言したことで、ドゥブロヴニクの街は戦場となりました。砲撃により街の多くが破壊され、1979年に世界遺産として登録された旧市街は、危機遺産のリストに登録されてしまったのです。しかし、この時も内戦が終了して平和が訪れると、市民が協力し街の再建に尽力。1998年には危機遺産のリストから無事、除外されたのでした。
2度もの壊滅的な危機に陥りながらも、それを乗り越え美しい街並みを残すドゥブロヴニク。後の記事でこの国の長い歴史についても詳しく触れていきますが、ドゥブロヴニクは地震や戦争以外にも多くの危機に晒された歴史を持つ街。長い危機を超えて今も存在している貴重な都市です。
ドゥブロヴニクへ行くには?
とても魅力的なドゥブロヴニですがクロアチアの南端に近い場所にあるので、残念ながら日本からの直行便はありません。そのため、ウィーンやパリ、イタリアなどを経由して行くのですが旅行経験者によるとイタリアルートが人気です。他の観光地も見ながら行けるのがお得なようです。格安ツアーに申し込むと、2018年現在では7日間で18万~25万くらいの価格で行く事が出来るようです。
沿岸にある街というだけあり、食事はシーフードがおすすめ。レストランもお洒落なお店ばかりで目移りしてしまいそうです。街並みを見ているだけでも物語の中に入ったような雰囲気が味わえますし、治安のいい都市ですので女性だけの旅にもおすすめしたい場所です。
紅の豚の舞台モデルとなった場所の歴史を紹介!
ドゥブロヴニクの歴史は古く、起源については諸説あるのですが7世紀頃が起源だというのが有力なようです。7世紀はヨーロッパの歴史では中世期という時代で、ダルマチア人の避難民がスラヴ人の侵略から逃れるため、ラグーザと呼ばれる城郭都市を作り上げたのがドゥヴロブニクの始まりだとされています。
都市はその後、ビザンティン帝国の保護国となり、十字軍の後はヴェネチア主催の下に入るなど、列強諸国の下を転々としました。そして1358年、奴隷関係にあったハンガリー王国からの独立を果たしたラグーサ。12世紀からは海が埋め立てられ1つの街として統合され、スラブ語でドゥヴロブニと呼ばれるようになりました。
13世紀からのドゥブロヴニクは海洋都市として大きく発展していきました。当時、海洋貿易が盛んだったアドリア海はヴェネチア王国が交易の中心の独占状態となっていました。その中で、ドゥブロヴニクはちょうどヴェネチアからイスラム海域を目指す航路の途上に位置していたのです。
こうして海洋貿易の拠点として重宝されたドゥブロヴニクには多くの船乗りが訪れ、街は多くの民族が行き交う異文化の交流地点としての顔も持つように。しかし、重要な拠点となったとはいえ周囲はヴェネチア王国やオスマントルコなどの列強諸国が名を連ねており、ドゥヴロヴニクがこの頃に都市を守るため強固な城壁が、現在の形の元になったと言われています。
こうして列挙諸国の干渉にされされながらも堅牢な城壁を築き、巧みな外交とこの城壁を武器に、1000年にも及ぶ長い間、都市国家としての自治を守り続けてきました。しかし、1806年、周辺部をナポレオンの軍隊に包囲され、3000発の砲撃に晒されたドゥヴロヴニクは遂に降伏。1000年という長い自治はとうとう終わりを迎えました。
ナポレオンの失脚後はオーストリア=ハンガリー帝国の二重帝国に組み込まれることとなり、この時に、名称を公式にラグーサからドゥブロヴニクへと変えられています。こうして正式に名称がドゥブロヴニクとなり、観光客で賑わうようになったのですが、そんな都市を悲劇が襲います。
それが先ほどドゥブロヴニクの紹介でも触れた、ユーゴスラビアとの戦いです。この戦いでドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間も続き、多くの死者を出しました。その後、見事な復興を遂げて今に至るドゥブロヴニク。大きな被害を受けた個所も復旧し、美しい街並みを見せています。
紅の豚の舞台モデルとなった場所は他にもあるのか?
紅の豚の主人公・ポルコのアジトの舞台モデルはここ!ギリシャのザキントス島
紅の豚の中でポルコが水上機を停めて優雅にくつろいでいるシーンはご存じでしょうか。とても気持ちよさそうで、思わず羨ましくなってしまうワンシーンです。彼がくつろいでいる場所は、断崖絶壁に囲まれたとても美しいビーチなのですが、実はこの場所にも舞台のモデルとなっている場所があるのです。それはギリシャの西側、イオニア海に浮かぶザキントス島という島です。
そんなザキントス島の中でも一番有名なのがナヴァイオビーチ。断崖絶壁に囲まれた入江であるこの場所こそ、まさにポルコのアジトと言われている場所なのです。実際に写真で見てみると、ポルコのアジトとそっくりで、紅の豚の世界の世界に入り込んだかのようです。
出典: http://saway.jp
ナヴァイオビーチには1983年に難破したパナギオティス号がそのまま放置されています。この船はトルコから煙草を密輸しようとした際にイギリス軍に追われ、このビーチに逃げ込んだのだそうです。ビーチに佇む錆びついた船の姿はまるで物語のワンシーンのようだと評判です。
ナヴァイオビーチに行くには陸路と海路があり、陸路は1時間ほど、海路では1時間半から2時間ほどかかります。陸路でも行くことは可能ですが、ビーチに降りることができないので、もしここを訪れるのであれば海路をお勧めします。
ナヴァイオビーチに行く途中にはいくつか洞窟があるのですが、その途中に青の洞窟と言われる場所があります。小さな洞窟ですが、とても美しい場所なのでビーチと一緒に訪れたいと評判です。そのほかにもウミガメに会えるダイビングスポットがあるマラソニシ島や、美しいアギオス・ディオニシオス教会など、ザキントス島も非常に魅力的な場所となっています。
紅の豚ファンにも人気!?日本にもポルコのアジトと似ている場所がある?
出典: http://miteco.jp
紅の豚の舞台はアドリア海、と言われていますが実は日本にもそっくりな場所があるのをご存じでしょうか。それは、伊豆半島にある竜宮窟という場所です。伊豆半島の南、下田は砂浜が美しく海を眺めているだけでも癒される場所なのですが、この竜宮窟もとても素敵な場所として知られています。
市街地から来るまで15分程という近場にあるこの場所。断崖絶壁が長い年月をかけて削られて出来た海蝕洞で、先ほどご紹介したポルコのアジトにそっくりだと思いませんか?実はここ、上から見下ろすと2つ並んで丸く抉れたような形になっており、まるでハートのような形をしていることから、昨今は愛のパワースポットとも呼ばれています。
下から見上げるとぽっかりと穴が開いており、断崖絶壁に囲まれた姿はとても神秘的。近年ジオパークとして注目を浴びている伊豆。下田は下の方にあるので少々遠いですが、伊豆自体は都心から気軽に来られる距離にありますので、機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか?
紅の豚の舞台モデルとなった場所は素敵な場所だった!
紅の豚の舞台となったアドリア海から伊豆の竜宮窟までのご紹介、いかがだったでしょうか。ジブリの世界はどの作品も自然の姿が美しく描かれています。紅の豚の舞台となった場所もどこも美しく、1度は訪れてみたいところだと評判です。もし、今後観光などをご予定の方、紅の豚をじっくりと見てから訪れてみてはいかがでしょうか?