2018年09月10日公開
2018年09月10日更新
崖の上のポニョの考察まとめ!トンネルの謎や死後の世界説の都市伝説を分析
みなさんは大人気のジブリ映画である崖の上のポニョにちょっと怖い都市伝説があるのを知っているでしょうか?考察された都市伝説の中にはポニョが死神であったり、死後の世界がどうのという話があり、ちょっとしたフォークロアのようなものです。今回はその崖の上のポニョの都市伝説を考察していきます。ぜひとも考察を読んで、信じるか信じないかは考察を読んで自分で決定してください。
目次
崖の上のポニョのトンネルの謎や死後の世界説は本当?都市伝説を徹底考察!
スタジオジブリの人気映画である崖の上のポニョ。この作品はポニョと一人の少年が仲良くなっていく様子を描きつつも自然の恐ろしさを鮮明に表現したアニメ映画です。このアニメは表面的にはハッピーエンドに描かれていますが、考察してストーリーを詠み解くとどうにも怖い事実が浮き上がって、話をまとめると描かれているのは死後の世界である…という少し怖い都市伝説を持っています。今回はその都市伝説を考察してまとめました。
宮崎駿の世界には境界のはざまを行ったり来たりする話が多く描かれています。例えばもののけ姫はありえべかざる森の向こうの神たちとそれに向かう人々、千と千尋の神隠しでは千尋はトンネルの向こうの世界で一時的でもあちらの住人として過ごすことになってしまいます。この崖の上のポニョの世界観も同じく、あちららがわとこちら側の境界の話であると都市伝説では言われているのです。
考察をまとめる前に知っておいて欲しい事は、これはあくまでも、考察のまとめであり、真実かどうかは解らない、ということです。ただ、いろいろな人の考えや事実を踏まえてまとめるとこういった考察もできる、という点を頭の片隅においておいてから読むようにしてください。もしかすると、考察のまとめは宮崎駿監督にとっては何の意味もない、ただの深読みだった、ということもあるかもしれません。
崖の上のポニョとは?
崖の上のポニョはスタジオジブリのアニメ映画で2008年の7月19日に公開されました。海からやってきたポニョという生物と、宗介という一人の少年との触れ合いとジブリらしい自然の大きさや恐怖と人の暖かさを表現した映画です。魚の子であるポニョが人に馴染みつつも相容れない存在である事を理解し、それでもポニョを受け入れた宗介の心情などは映画を見てこそ知れるものですから考察を知った後に改めて見てみてくださいね。
崖の上のポニョの都市伝説を考察1!トンネルの謎
崖の上のポニョの都市伝説の考察では作中に出てくるトンネルを別の世界(死後の世界)への通路であると捉えています。いろいろな考察をまとめると、トンネルを通ってしまうと死後の世界に行ってしまう…という事です。死後の世界、別世界であるという事で、死者に会えたりする可能性も含む、というのが一つの意見でした。この他にもトンネルにはいろいろな考え方がありますが、まとめて読み解くとそういった意味合いになりました。
別の世界へと行ってしまいやすい(状況が大きく変わったり、人生が変貌してしまう)人の特徴は女性や子供などがあげられ、片足に何かが起こった場合に今まで生きてきた世界とはかけ離れた別の世界に足を踏み込んでしまう場合がある、という言い伝えや伝説もあります。映画では子供である宗介が別の世界の住人であるポニョに出会い、今、自分がいる世界とは別の世界へと足を踏み込んでいるのではないかと考察、まとめられています。
崖の上のポニョで描かれたトンネルですが映画では別の世界(死後の世界?)の入り口として描かれている決定的な瞬間がありました。それはポニョがトンネルを通る時「ここ、きらい」と言うシーンです。結局、宗介とポニョはトンネルをくぐる事になるのですが、トンネルを進めば進むほどポニョは人間の姿から半魚人、最後は魚の姿へと戻りました。これは人の世界から死後の世界に行き本来の姿を取り戻したのではと考察できます。
死後の世界での姿といいましたが、本来は死後の世界での人間は腐り忌み嫌われるものでした。日本神話では死後の世界である黄泉平坂へと行ってしまったイザナミの腐ってしまった姿をみてイザナミはそれを忌避し現世へと逃げ帰ります。トンネルの先でポニョの父親のフジモトから「ポニョの正体を知っても好きでいてくれますか」という言葉には、死後の世界の姿を見てもなお好きでいることができるかを問いかけていると考察します。
トンネルの考察をまとめると、これはもはや死後の世界への入り口ではないのではと思わざるを得ない情報がどんどんと出てきます。崖の上のポニョを初めて見た人がなんとなく怖い映画だと思ったという人が何人もいるようで、知らずのうちに死の気配を感じているのかもしれません。千と千尋の神隠しでもトンネルをくぐると神の国へ行ってしまいます。あちらは神の国ですが人から見れば死後の世界とあまり変わらない面を持っています。
崖の上のポニョでは死後の世界や境界の描かれ方は曖昧で、見ているこちらもどちら側にいるのかを見失ってしまいそうなほどです。見れば見るほどいろいろなモチーフがこの作品には詰め込まれていて、都市伝説になってしまうのも仕方ない、という様相です。そんな都市伝説にもなってしまう崖の上のポニョを詳しく考察するとどんどん恐ろしいものになっていってしまうのですが、それもまた魅力の一つでしょう。
崖の上のポニョの都市伝説を考察2!死後の世界
では崖の上のポニョが表す死後の世界とは一体どんなものでしょうか。それは、実際に死んだ後の世界だけを表すものではありません。例えばもっと曖昧で自分のいる世界から一歩踏み越えた向こう側、もっと恐ろしいものであるとも言えるでしょう。たったの一歩踏み間違えただけで境界を超えて現実が非現実になり、生活が一変してしまう事はどれだけ怖いことでしょう。死後の世界とは今慣れ親しんでいる現在の変貌を表しているのです。
それ故にこのポニョでの死後の世界の描かれ方は津波で飲み込まれ今まで慣れ親しんだ街がなくなってしまい水に沈んでしまっているのです。もしかすると映画のどこかの時点で本当に皆は死後の世界へと行ってしまっているのかもしれません。そして何よりもポニョが存在している事こそあちらの世界に足を踏み入れ続けていることの証明に他なりません。後ほどポニョの正体についても触れていきますからそちらも合わせて考えてください。
死後の世界の考察「食べ物」
他にもポニョの世界がいつの間にか死後の世界へと変貌してしまう、というモチーフがいくつも出てきます。それをまとめて考察すると、例えば食べ物についてです。日本神話ではイザナミが死後の世界へと行って戻ってこれない理由は黄泉戸喫(よもつへぐい)を行ってしまったからです。あの世のものを食べてあの世の住人に変貌してしまうと、もう戻れなくなるというのが定説です。
この世界では食べ物についての描写がいくつか出てきます。チキンラーメンはこの世(現世)の火を通した食べ物で、この世の食べ物として描かれていました。ポニョを交えた食事シーンで、ポニョは火を通した食べ物を一切口にしていません。それはあの世から見て別世界であるこちらの世界の食べ物を食べないように、と考察できるのです。
死後の世界の考察「数字の3」
それと神話の世界で現世とこの世の境界に関わる数字に3という数字が色濃く描かれています。神話での3は神性な数字であり、昔から神話民話に3という数字は密接です。境界から戻るためイザナギが使う道具は3つ、民話では3枚のお札、海外の物語である3匹の子豚にも3の数字が出てきます。神話では何かに3回挑戦して全て成功すれば境界から戻れて失敗すると戻れません。故に3匹の子豚の狼は3回目に失敗して死んでしまいます。
この物語で出てきたのはポニョの母親であるグランマーレの問いかけが3回であり、リサが現実世界で行った家の復旧作業が3回であり、ポニョの姿が変貌する回数が3回です。成功すると自身の望みが叶えられる、あるいは境界を超えてしまう、失敗すると悪いことが起こるのはあらゆる神話のセオリーをなぞらえています。いろいろな場面で境界のこちら側と向こう側を描いては行き来するのがこの映画の恐ろしいところと言えるでしょう。
3という数字ですが、グランマーレの問いかけに3度答えた宗介は境界の向こう側を受け入れました。リサはポニョと宗介を家に連れて帰った時に「電気はつくかな」「水はでるかな」「電気はつくかな」と言いながらこちら側の世界の道具を3つ使おうとして失敗してしまいました。そしてポニョは人間になりたくて瓶から生まれ、泡から生まれ、ラストに再び姿を変えました。結果的に宗介は境界の向こう側を完全に受け入れてしまいます。
出典: https://prcm.jp
神話では3という数字はどこか神性なものとして扱われているとは話しましたが、これだけ神話の要素を盛り込んだ作品の中で3という数字は見逃せません。必ず意味があると考えていいはずと言えるでしょう。しかしその3のミッションはクリアすれば必ず良いことが起こる、という事でもないようで、宗介の行ったグランマーレとの3度の会話は、宗介にとって良い結果になったのか悪い結果になっているのか人それぞれ捉え方によります。
崖の上のポニョの都市伝説を考察3!ポニョは死神?
さて、ここでポニョの存在に触れていきます。ポニョとは一体どんなものなのか?という事です。ポニョの本名は公式でブリュンヒルデという名前がつけられています。ブリュンヒルデは北欧神話で死者を天上へと連れて行く存在であるワルキューレ、その一番上の姉とされてしまいます。つまるところ、ポニョには人を境界の向こう側、すなわち死後の世界へと連れ去ることができるのです。そして宗介はそのポニョに魅入られてしまいます。
映画のシーンでとても微笑ましいワンシーンがありますね。それはポニョがトキさんと水没してしまった街に浮かぶボートの上の赤ちゃんにキスしようとするシーンです。宗介もキスされています。つまるところポニョにキスされるというのは、境界を超えていく事ができる資格を与えられる、あるいはそのまま死後の世界へ連れて行かれてしまう、ということだと考察できるのです。さて、ここで民俗学の話をはさみます。
民俗学の中には「贈与」という概念が存在しています。それは昔の人々が考えたコミュニケーション方法であり、他人に挨拶をしたり、物をあげたり、あるいは視線なども贈与(あげる)ことになります。そしてそれは相手にとって良いものばかりではありません。ここで先程の食べ物についての話を交えて一つの考察を行います。ポニョは赤ちゃんに「現世の火の通ったスープ」と「現世の食べ物のサンドイッチ」をあげようとしました。
しかし赤ちゃんはスープを飲むこともサンドイッチを食べることもできませんでした。考えると、赤ちゃんはこの時点では境界を超える資格を持たず、元の世界へと帰れる可能性を秘めていたのではないでしょうか。現世の食べ物を口にする事で返してあげようとしたが、それができなかった。故に仕方なく、ポニョは生まれて間もない赤ちゃんと触れ合うことで、境界を越えることができるようにしたのではないか、ということです。
人間になりたいと古い魔法を使ってしまったポニョですが、その古い魔法とは、古代からこの世界に受け継がれている3の法則を用いたものであり、3度の生まれ直しをして人になろうと願います。ですが、宗介はそれを打ち消すようにグランマーレとの3度の会話の中で人ではないポニョを心の底から好きだと言ってしまい、境界の向こう側を受け入れてしまいました。宗介はこちら側には戻らずあちら側に持っていかれてしまいます。
この物語は宮崎駿監督の最後の作品として作られたものです。宮崎駿は基本的にこういった、境界線を描いた作品が多く見られるのですが、今までの作品では全てきちんとこちら側に戻ってこれているのです。もののけ姫では人であるアシタカがサンは森で、私はタタラ場でと明確に境界線を引きました。千と千尋の神隠しでは千も千尋に戻りこちら側に戻ってきました。崖の上のポニョだけは、あちら側に皆が取り残されたままになりました。
あくまでも死神説は都市伝説として楽もう
この話は都市伝説として語り継がれているものではありますが、他にも三途の川のモチーフや天国を示唆するような描かれ方をする場面など、いろいろと考察するには材料が多すぎるほどです。今回紹介した考察はほんの一部で、都市伝説として興味を持った後はぜひとも自分でも調べつつ崖の上のポニョの映画を見てください。この作品をきっと違った見方で楽しめるはずです。
崖の上のポニョの都市伝説を信じるか信じないかはあなた次第!
いかがでしたか?今回は崖の上のポニョの都市伝説を考察し、解説しました。いろいろな考えをふまえてまとめると、怖い面もたくさん見えてしまうのですが、海のしぶきの描かれ方、美しい海中のシーンなど見どころは沢山あります。この考察のまとめを信じるかは読んだ方に委ねますが、いろいろと深い物を感じ取りつつ、映画を楽しんでいただければと思います。