コクリコ坂からの舞台になった聖地はどこ?学校のモデルや横浜のロケ地を調査

東京オリンピック前年の横浜市を舞台にしたジブリ映画「コクリコ坂から」は、下宿を切り盛りする働き者の高校生・松崎海の学園生活や淡い恋模様を爽やかに描いた青春劇であり、日本を舞台にした作品となれば、聖地やロケ地はどこなのか、押さえておきたいでしょう。本文では、「コクリコ坂から」の舞台やコクリコ荘のモデルはどこにあるのか、海たちが通う学校のモデルやロケ地等を、ネタバレ紹介します。

コクリコ坂からの舞台になった聖地はどこ?学校のモデルや横浜のロケ地を調査のイメージ

目次

  1. コクリコ坂からとは?
  2. コクリコ坂からの舞台になった場所はどこ?時代も考察
  3. コクリコ坂からの舞台や学校のモデル・横浜のロケ地一覧
  4. コクリコ坂からの舞台の聖地巡礼に行くおすすめの方法
  5. コクリコ坂からのカルチェラタンの意味や由来
  6. コクリコ坂からは気持ち悪い?つまらないと言われる理由は?
  7. コクリコ坂からの舞台に関する感想や評価
  8. コクリコ坂からの舞台まとめ

コクリコ坂からとは?

「コクリコ坂から」の舞台やロケ地の紹介・イメージ画像

ジブリ映画「コクリコ坂から」は、港町・横浜に暮らす女子高生・松崎海の青春を描いた作品で、タイトルにもなったコクリコ坂のモデルはどこにあるのか、海が切り盛りする下宿のモデルなど、映画のロケ地やモデルがどこかも知っておきたいでしょう。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」から、映画の舞台やロケ地・モデルはどこにあるのか、劇中のあらすじネタバレを交えながら紹介します。

コクリコ坂からの概要

2011年公開のジブリ映画「コクリコ坂」は、宮崎吾郎監督・スタジオジブリ制作によるアニメーション作品で、宮崎吾郎監督作品としては、2007年公開の「ゲド戦記」に続き2作目となります。「コクリコ坂から」は、同名の少女漫画を原作とし、ジブリ映画版では、「上を向いて歩こう。」をキャッチフレーズとした、高校生たちの爽やかな青春を描いた作品に仕上がっています。

コクリコ坂からのあらすじ

海の見える丘にあるコクリコ荘を切り盛りする松崎海は、学業と家事に一生懸命な女子高生で、毎朝の日課である旗を上げる様子を書いた詩が学園新聞に取り上げられます。その頃、高校では、カルチェラタンの取り壊しの中止を求める運動が活発化し、女子高生も反対運動に加わる中、海は新聞部の風間俊に淡い恋を抱き、同時に2人に隠された知られざる秘密を知ることとなり、苦悩します。

コクリコ坂からの舞台になった場所はどこ?時代も考察

「コクリコ坂から」の舞台や時代背景を考察・イメージ画像

戦後の日本を舞台とするジブリ映画「コクリコ坂から」は、戦後からの復興を成し遂げ、人々が前向きに生きている姿が目を引き、古き良き時代を彷彿させるでしょう。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」の舞台になった場所はどこなのか、「コクリコ坂から」の時代背景はいつなのかを考察しました。

コクリコ坂からの舞台は神奈川県横浜市

コクリコ荘から見える海の景色が美しいジブリ映画「コクリコ坂から」は、神奈川県横浜市が舞台であり、劇中では港町を彷彿させるノスタルジックな雰囲気が漂っています。日本の大都市の1つである横浜市は、江戸時代末期に日本ではじめて開かれた港であり、赤レンガ倉庫や横浜中華街など、異国情緒あふれる建物・名所が各地に点在する観光スポットです。

ちなみに、「コクリコ坂から」に出てくる「櫻木町駅」は、京浜東北線「桜木町駅」がモデルと推測され、木造建築の駅舎が古き良き時代の横浜を演出しています。

コクリコ坂からの時代

ジブリ映画「コクリコ坂から」は、1963年(昭和38年)を舞台とし、高度経済成長真っ只中にあった日本では、東京オリンピックの開催に合わせて、国内で初となる高速道路・名神高速道路が開通したり、後に映画化された富山県の黒部ダムが完成し、終戦からの復興を成し遂げました。一方、主人公・松崎海たちは、現代でいわれる団塊世代にあたり、終戦後に生まれた未来ある若者たちでした。

また、彼らの親世代は戦争を経験しており、風間俊の両親もやはり戦争によって亡くなっています。その時、身寄りのなかった俊を引き取ったのが海の父親であり、俊を松崎家の籍に入れた上で、知り合いの養子にしたことが判明します。一時は実の兄妹と思われた俊・海の関係は、「コクリコ坂から」の考察ポイントであると同時に、まだ戦争の爪痕が残る時代であり、戦争の悲惨さを間接的に表現しているでしょう。

コクリコ坂からの舞台や学校のモデル・横浜のロケ地一覧

コクリコ坂からの舞台や学校のモデル・横浜のロケ地の紹介・イメージ画像

ファンタジー作品が多いジブリ作品にて、数少ない近現代の日本を舞台した映画「コクリコ坂から」は、ジブリの聖地巡礼の宝庫であり、海たちの学校のモデルはどこなのか、コクリコ荘やコクリコ坂のモデルやロケ地はどこにあるのか、知っておきたいでしょう。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」から、映画の舞台や学校のモデル・ロケ地はどこなのか、劇中のあらすじネタバレを交えながら紹介します。

舞台①根岸なつかし公園 旧柳下邸

「コクリコ坂から」に登場するコクリコ荘は、海が見える丘の上に建てられた洋風の建物で、毎朝、「ご安航を祈る」という意味の国際信号旗を海に向かって掲げています。コクリコ荘のモデルはどこで見られるのか、ジブリファンの間では、物語の舞台となった地域や海が見渡せる丘の上に立つ建物から、根岸なつかし公園の旧柳下邸ではないかと推測されています。

横浜市指定有形文化財である旧柳下邸は、明治~大正期にかけて金属の輸入業で財を成した商人・柳下氏によって建てられた邸宅で、玄関のある和館と二階建ての洋館で構成された、近代和風住宅の代表です。関東大震災や第二次世界大戦に見舞われながらも、柳下家によって代々受け継がれ、現在では「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として一般公開されています。

根岸なつかし公園へのアクセスは、JR京浜東北・根岸線「根岸駅」から徒歩8分で、開園時間は、根岸なつかし公園は9:00~17:00です。一方、旧柳下邸の開館時間はコロナウイルス感染防止のため、2022年7月時点で10:00~16:00となっています。また、休園・休館日は、毎月の第2・第4火曜日(祝日の場合は翌日が休館)、年末年始です。入場料は公園・旧柳下邸共に無料です。

舞台②港の見える丘公園

「コクリコ坂から」の舞台の1つ、海が切り盛りするコクリコ荘があった場所はどこなのか、劇中ではコクリコ坂から見た場合に山側に位置することから、「港の見える丘公園」ではと推測されます。横浜市の観光スポットの1つである港の見える丘公園は、横浜港や横浜ベイブリッジを望めるビューポイントであり、公園内の「イングリッシュローズの庭」は、バラの名所として知られています。

「イングリッシュローズの庭」では、四季を通じて様々な草花が咲き乱れ、特に5月中旬~6月中旬、10月中旬~11月中旬はバラの最盛期であり、庭園の見学にもおすすめの時期です。港の見える丘公園へのアクセスは、JR京浜東北・根岸線の石川町駅から徒歩20分、または、みなとみらい線の元町・中華街駅から徒歩5分の距離にあります。

舞台③山下公園

海と俊が夜道を歩くシーンのロケ地となった山下公園は、横浜市屈指の観光スポットで、横浜を訪れた方ならば一度は足を運んだことのあるでしょう。関東大震災のがれきを埋め立てて作られた山下公園は、1930年(昭和5年)に開園し、港を行き交う船の光景や、海外との交流の深さを感じさせる記念碑や歌碑の多さなど、港町ならではの名所に富んでいます。

山下公園へのアクセスは、JR京浜東北・根岸線または横浜市営地下鉄ブルーラインの関内駅より徒歩20分、みなとみらい線は元町・中華街駅より徒歩3分となっています。また、映画にも登場した氷川丸も見学可能で、開館時間は10:00~17:00(最終入館は16:30まで)、休館日は月曜日で、祝日の場合は翌日の平日が休館日となります。山下公園とセットで訪れることがおすすめなロケ地です。

舞台④横浜マリンタワー

「コクリコ坂から」の海と俊が夜道を歩くシーンの背景では、実在の建物がモデルと思われる箇所がいつくかあり、映画では横浜マリンタワーを彷彿させる建物が登場しています。恋人の聖地にも認定された横浜の観光スポット・横浜マリンタワーは、1961年(昭和36年)に、横浜開港100周年の記念事業として建てられた、日本最長の灯台であり、2008年までに灯台として活用されてきました。

2009年にリニューアルオープンし、灯台として利用されていた頃の資料の展示コーナーの他、レストランなどの多目的ホールが併設され、観光客でにぎわいました。横浜マリンタワーは、2019年から改修工事による一時休館となっており、2022年夏に再開予定です。

舞台⑤神奈川県庁と横浜税関

横浜市をロケ地とする「コクリコ坂から」ですが、時代背景が異なるため、映画とロケ地の光景が大きく異なるものの、石造りの建物が特徴の神奈川県庁と横浜税関だけは、映画とそっくりの外観を保っています。現代では、都市開発により高架下などに隠れてしまい、映画と同じ光景を取ることは難しいですが、山下公園からも近く、ロケ地巡りにおすすめなスポットです。

舞台⑥希望ヶ丘高等学校/横浜緑ヶ丘高等学校

「コクリコ坂から」のもう1つの舞台である港南高校のモデルもどこなのか気になるポイントであり、ジブリファンの間では、神奈川県で古くからある希望ヶ丘高等学校または横浜緑ヶ丘高等学校ではと言われています。ちなみに希望ヶ丘高等学校の設立は1897年、横浜緑ヶ丘高等学校は1923年であり、もっとも歴史が古い希望が丘高等学校が、港南高校のモデルの有力候補とされています。

また、港南高校のモデルは、上記の歴史ある2校の他、横浜雙葉中学高等学校・横浜共立学園中学高等学校・フェリス女学院高等学校などの私立学校も候補に上がっています。

舞台⑦代官坂と谷戸坂

映画のタイトルである「コクリコ坂」とは、海が切り盛りするコクリコ荘から海へ通じる坂道の通称であり、どこの坂がモデルになったのか、ロケ地巡りには外せないスポットでしょう。コクリコ坂のモデルは、みなとみらい線の元町・中華街駅の近くにある代官坂・谷戸坂ではと言われています。

山手~元町間にある代官坂と谷戸坂は、元町・中華街駅からもほど近く、代官坂は駅から徒歩7分、谷と戸坂は駅から徒歩5分の距離にあります。

舞台⑧元町丸英商店

「コクリコ坂から」にて、海と俊がコロッケを食べるシーンで描かれたお肉屋さんにもモデルあると言われ、元町・中華街駅から徒歩5分の場所にある「元町丸英商店」ではと推測されています。1951年創業の元町丸英商店では、コロッケの販売も行われており、海と俊が食べたコロッケを味わうことができます。お店の営業時間は9:00~18:00で、月曜定休です。

コクリコ坂からの舞台の聖地巡礼に行くおすすめの方法

コクリコ坂からの舞台の聖地巡礼に行くおすすめの方法を紹介・イメージ画像

好きな作品の聖地巡礼に行く際、劇中のモデルになった場所や建物がどこにあるのかと同時に、目的地に向かうまでの移動手段も調べておくことも、聖地巡礼に欠かせない準備段階となっています。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」の舞台の聖地巡礼に行くおすすめの方法について、各交通機関ごとのメリット・デメリットを合わせながら紹介します。

おすすめの方法①高速バス

高速バスの利用・イメージ画像

ジブリ映画「コクリコ坂から」の舞台やロケ地に行くうえで、遠方から聖地に向かうまでの交通費をなるべく抑えたいという方におすすめなのが、高速バスです。他の交通機関に比べて運賃が安く済むだけでなく、深夜バスを利用すればバスの中で眠りながら目的地に移動できるメリットや、シングルシートのチケットを購入すれば、隣の乗客を気にすることなく、快適に移動することができます。

交通費や時間効率の面を重視するなら、高速バスの利用が一番お得ですが、長距離移動の場合は目的地に着くまでの時間の長さや、車内の揺れやパーキングの明かりなどでよく眠れないなど、バスならではのデメリットもあります。また、夜行バスによっては、予約を取り消すとキャンセル料が発生したり、または料金の一部しか返金されないというケースもあるため、注意が必要でしょう。

おすすめの方法②電車

電車を利用して聖地巡礼をする・イメージ画像

「コクリコ坂から」の舞台やロケ地は横浜市内に集中しているため、都心からのアクセスが良いことから、電車の利用がおすすめです。コクリコ坂からの聖地はもちろん、他アニメ作品の聖地巡りにも最適な交通手段であり、新幹線などの他の交通機関と並行して利用しやすい点も、電車のメリットでしょう。

おすすめの方法③飛行機

飛行機を利用する・イメージ画像

神奈川県横浜市が舞台の「コクリコ坂から」のロケ地・聖地は、東京からのアクセスが良く、新幹線や電車、高速バスで移動ができるメリットがあるものの、遠方に住んでいる場合は、目的地につくまでの移動手段がとても長くなってしまい、移動だけで一日が終わってしまうこともあるでしょう。そんな時におすすめなのが、飛行機の利用です。

飛行機内部の様子・イメージ画像

飛行機と言えば、航空チケットの高さがデメリットですが、搭乗日の28日以上前のように、早い時期に席を予約すれば割引が適用され、通常の代金より大幅に抑えることも可能です。また、搭乗時間を待つ間、ターミナル内での飲食やショッピングを楽しめるなど、待ち時間を飽きずに過ごせるコーナーの多さも、飛行機の魅力でしょう。

一方、飛行機は他の交通機関に比べて天候に左右されやすく、ターミナルでの足止めを余儀なくされることもあります。また、GWや年末年始のように、利用者が多くなる時期は、新幹線や高速バスと同様に運賃が通常より高く設定されていることや、ターミナルから別の交通機関に乗り換える必要があるため、交通費が高くついてしまうデメリットがあります。

おすすめの方法④新幹線

新幹線を利用する・イメージ画像

「コクリコ坂から」の舞台やロケ地に向かう方法で、電車と一緒に活用したい新幹線は、地方から都心部に向かう際に便利な交通手段であり、移動手段の短縮だけでなく、移動中に飲食をしても良い点が、最大のメリットでしょう。また、新幹線の停車駅には、電車やタクシーなどの交通機関も充実しており、遠方から聖地巡礼に行く際に便利な方法でしょう。

新幹線は、シートごとに値段が変動するものの、自由席であれば運賃を抑えるだけでなく、快適に移動時間を過ごすことができ、移動中の光景を楽しめるのも、新幹線ならではの楽しみ方でしょう。一方、GWなどのシーズンでは混雑が発生し、早めにチケットを手配しないと取れないケースもあるため、混雑時期をずらしての利用がおすすめでしょう。

おすすめの方法⑤自動車

自動車で聖地を巡る・イメージ画像

コロナ渦により、利用者が急増した自動車は、プライベート空間を保ちながら移動できることや、荷物をトランクに積んで移動できる身軽さがメリットであり、交通機関の乏しい地域での聖地巡礼には欠かせない移動手段です。自動車のメリットは、電車や新幹線などに比べて移動の幅が広がることや、小さいお子さん連れでも、周囲を気にせずに済むこと、お土産をたくさん買っても荷物にならない点が挙げられます。

渋滞に巻き込まれる・イメージ画像

近年はサービスエリアの充実により、自動車移動ならではの楽しみが増えましたが、長距離によってガソリン代がかかることや、シーズンによっては交通渋滞が発生し、到着予定時間が遅れることや、ドライバーの疲れなどのデメリットがあります。また、自動車移動となれば、駐車場の確保も必須であり、特に都市部の観光地では駐車場が少ないことや、駐車料金が発生するケースも想定されます。

「コクリコ坂から」の舞台やロケ地は、神奈川県横浜市の中心部がほとんどであり、自動車を利用する場合には、コインパーキングを探す手間もかかります。そのため、「コクリコ坂から」の聖地巡礼には、自動車での移動よりも、交通機関が充実している新幹線や電車などの利用が一番おすすめでしょう。

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コクリコ坂からのカルチェラタンの意味や由来

コクリコ坂からのカルチェラタンの意味や由来を考察・イメージ画像

「コクリコ坂から」の主題の1つであるカルチェラタンとは、海たちの港南高校の文化部棟・クラブハウスの愛称であり、劇中では建物の老朽化によって取り壊しが検討されるも、俊たち文化部の抗議運動や海たち女子生徒たちの協力により、建物の存続が認められました。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」のカルチェラタンの意味や名前の由来について、あらすじネタバレを交えながら紹介します。

カルチェラタンとは?

「コクリコ坂から」の要素の1つ・カルチェラタンとは、港南高校・文化部の部室棟として活用されているクラブハウスであり、元は明治時代に寄宿舎として建てられたもので、「清涼荘」と命名されていました。カルチェラタン内部は、中央が吹き抜けになった洋風の建物で、学園新聞の発行を担う週刊カルチェラタン編集部をはじめ、哲学や化学、海外文学研究会、アマチュア無線同好会などの部室として活用されています。

映画では、建物の老朽化を理由とするカルチェラタンの取り壊し計画が浮上し、自分たちの居場所を守るべく、俊たち新聞部を中心にカルチェラタンの取り壊し中止を訴える運動が繰り広げられ、学校全体を巻き込む論争となりました。当初は、文化部の男子生徒が中心だったカルチェラタンの存続運動は、やがて海たち女子生徒にも波及し、彼女たちの協力の元、建物存続を勝ち取るべく、一同は建物の大掃除に取り掛かります。

これまで男子の巣窟と化していたカルチェラタン内部は、ハイカラな外見とは裏腹に、物が散乱したお世辞にも「すてき」とは言い難い状況でしたが、女子生徒たちの協力が功を奏し、カルチェラタンは見違えるように綺麗になりました。そして、綺麗になったカルチェラタンを高校の理事長に見学してもらい、建物の存続を認めさせることができました。

カルチェラタンの名前の意味や由来

港南高校のクラブハウスの名称である「カルチェラタン」とは、フランス・パリにある学生街・カルチェ・ラタン(Quartier latin)に由来します。パリのカルチェ・ラタンには、学校がいくつも点在しており、本屋や文具屋・カフェも多く、学生たちで賑わっています。

カルチェラタンの建物の由来

異国情緒あふれるネーミングが目を引く「カルチェラタン」は、宮崎吾郎監督の父親であり、映画の企画者として参加した宮崎駿監督によってデザインされ、明治時代に建てられた寄宿舎という、ストーリー上の設定も施されました。一方、カルチェラタンの建物にもモデルがあると言われ、日本人によってはじめて創設された私立女子校・跡見学園ではと言われています。

1975年(明治8年)に開校した跡見学園は、良妻賢母を目指す女子教育の先駆けであり、国語・数学・英語などの基礎的な学問の他、裁縫・点茶・琴曲などいわゆる花嫁修業のような科目もありました。また、「コクリコ坂から」では、カルチェラタンの掃除は主に女子生徒が率先して行っており、良妻賢母を絵に描いたようなしっかりした女子生徒たちの活躍も、この学校の風潮をモデルにしたとも感じられるでしょう。

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コクリコ坂からは気持ち悪い?つまらないと言われる理由は?

「コクリコ坂から」がつまらないと言われる理由を考察・イメージ画像

ジブリ映画では珍しいファンタジー要素のない作風や、古き良き昭和時代を舞台にしたノスタルジックな雰囲気が人気を集める「コクリコ坂から」ですが、他のジブリ作品に比べて盛り上がりに欠けるなど、日常系ならではの表現から、つまらないとの声も浮上しています。以下では、ジブリ映画「コクリコ坂から」が、気持ち悪い・つまらないと言われる理由について考察しました。

理由①ストーリー全体が盛り上がりに欠ける

ジブリ映画と言えば、ファンタジー要素を含めた作風が魅力であり、かわいいキャラクターの登場や胸が躍り出す見ごたえのあるストーリー展開が、幅広い世代に支持されています。数あるジブリ作品の中で、いわゆるファンタジー要素がない、主人公の日常を描いた作品は以外と少なく、「コクリコ坂から」も、高校生・松崎海の青春を描いたストーリーとなっています。

高校のシンボルでもあるカルチェラタンの取り壊しに反対し、知恵を絞り出して建物の存続を目指す生徒たちの奮闘や、学園新聞に寄稿された詩をきっかけに惹かれあう海と俊の知られざる関係など、若者たちの爽やかな青春は、大人世代を懐かしい気分にさせてくれます。一方で、日常を舞台にした作風ゆえに、観る者に驚きを与えるような要素も少なく、全体的に盛り上がりに欠けるとの指摘も見られます。

「コクリコ坂から」では、カルチェラタンの取り壊しを巡る生徒たちの熱い戦いや、恋仲になりかけていた俊・海が実の兄妹ではないかという興味を引き立てる要素こそあったものの、全体的に淡々と進められるストーリー展開が、映画の厳しい評価につながったでしょう。

理由②良い人ばかりで気持ち悪い

映画のキャッチコピー「上を向いて歩こう」のように、コクリコ坂からの登場人物は、それぞれが前向きに生きており、反対に悪い人がいないとも言われています。また、ジブリ映画らしく、海をはじめとする高校生キャラもみな優等生であり、不良じみた生徒がいないことや、引きこもりと思われる生徒もいないと思われることから、港南高校の学園生活は、理想を絵に描いたような世界が広がっているでしょう。

一方で、登場人物が良い人ばかりでは、ストーリーとしては盛り上がりに欠け、やや現実から離れたような世界観が「つまらない」などの厳しい意見に繋がったでしょう。

理由③説明不足が気持ち悪い

ジブリ映画の中で評価が分れた「コクリコ坂から」は、戦後まもなく生まれた高校生たちの爽やかな青春が人気を集める一方で、主人公・松崎海が「メル」と呼ばれる理由や、俊が海を好きになった理由など、不明な点も多さも、厳しい評価に繋がっています。ちなみに、「メル」の愛称は、フランス語の「ラ・メール (la mer) 」に由来し、メールが詰まってメルとなったことが、原作漫画版で明かされています。

一方、海が切り盛りする下宿の名前「コクリコ」は、フランス語の「ひなげし」に由来し、漫画原作者である佐山哲郎先生が、女流歌人・与謝野晶子の短歌から引用したものと言われています。また、「コクリコ坂から」は、漫画を原作としながら、実際は原作とはかけ離れたストーリーとなっており、原作漫画を読んでも劇中のモヤモヤを解消できない点も、映画がつまらないと評価された理由の1つでしょう。

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コクリコ坂からの舞台に関する感想や評価

コクリコ坂からの舞台に関する感想や評価・イメージ画像

以下では、海の通う学校のモデルなど、映画の舞台やロケ地がどこなのか気になる、ジブリ映画「コクリコ坂から」の舞台に関する感想や評価を紹介します。

感想1:横浜で聖地巡礼をしたい

昭和38年の横浜市を舞台にした「コクリコ坂から」は、都心からのアクセスの良さから、聖地巡礼がしやすい作品としても注目されており、「コクリコ坂から」の聖地巡礼に行きたいとの声も寄せられています。「コクリコ坂から」の聖地やロケ地の多くは、観光スポットとしても知られており、ジブリ映画の聖地として訪れると、また違った印象を感じられるでしょう。

感想2:コクリコ荘のモデルになった建物に住んでみたい

コクリコ荘のモデルは、ジブリ公式から公表されていませんが、ファンの間では根岸なつかし公園内の旧柳下邸がモデルだと推測され、映画の公開をきっかけに旧柳下邸の見学に訪れる方が急増しました。大正期に建てられた旧柳下邸では、当時の建築様式で建てられた和洋折衷の造りとなっており、現代建築でもあまりみられない独特の造りが人々を魅了し、こんな家に住んでみたいとの感想も寄せられています。

感想3:海と俊が食べたコロッケ屋に行きたい

海と俊が揚げたてのコロッケを食べるシーンは、「コクリコ坂から」の名シーンの1つで、観ている方も思わずお腹が空きそうな、美味しそうな雰囲気を醸しています。海たちが食べたコロッケとお肉屋さんは、横浜市・元町にあるお肉屋さんがモデルであり、「コクリコ坂から」の聖地巡礼スポットだけでなく、コロッケの美味しいお店としても知られ、コロッケ目当てにお店に行きたいとの声も見られます。

感想4:裏設定を読んだらますます行きたくなった

「コクリコ坂から」のロケ地やモデルはどこなのか、公式では発表されていないものの、熱烈なジブリファンによってモデルとなった場所などが特定され、ジブリ映画の聖地として知られるようになりました。ファンの中には、「コクリコ坂から」の裏設定を読んだことをきっかけに、コクリコ荘のある港の見える丘公園に行ってみたいとの感想を寄せています。

感想5:コクリコ坂からの世界が身近すぎる

誰もが知る大都市が舞台であることや、女子高生の日常を描いた「コクリコ坂から」は、ファンタジー要素がないことから、ジブリ作品の中で一番、身近に感じる世界観とも評されています。ジブリファンの中には、「コクリコ坂から」の聖地から近い場所に住んでいる方もおり、「コクリコ坂から」のロケ地巡りをやりたいとの声も寄せられています。

感想6:自分の母校が港南高校のモデルになった?

海たちが通う港南高校のモデルは、神奈川県でもっとも古い県立高校がモデルと考えられる一方、有名私立学校も、港南高校のモデルではと言われています。一方、ファンの中には、自身の母校が港南高校のモデルの1つになっているのではという投稿も寄せられ、「コクリコ坂から」で起きた学園紛争こそなかったものの、立地が似ている点から母校がモデルだと推察されています。

感想7:映画の面影がなくなってしまった

日本有数の大都市・横浜を舞台にした「コクリコ坂から」は、地方からのアクセスの良さから聖地巡礼がしやすい作品としても知られ、横浜観光のついでに聖地巡礼を行ったとの投稿も多く見られます。「コクリコ坂から」では、古き良き横浜の風景が描かれるも、現代では高層ビルが立ち並ぶ近代都市へ発展し、聖地巡りを通じて、かつての横浜の面影がほとんどなくなったとの指摘も寄せられています。

感想8:映画の作画や雰囲気が好き

ジブリ映画「コクリコ坂から」は、盛り上がりに欠ける等の理由から好みが分かれやすい作品の1つですが、ファンからは、ノスタルジックな世界観が好きとの声も寄せられ、好きな人はとことんハマることができる作品として知られています。今回紹介した「コクリコ坂から」のロケ地などは、映画の面影こそほぼ残っていないものの、それでも作品の雰囲気を味わいたいと聖地巡りを行うファンが後を絶ちません。

コクリコ坂からの舞台まとめ

コクリコ坂からの舞台まとめ・イメージ画像

ジブリ映画「コクリコ坂から」の舞台はどこなのか、映画のロケ地やコクリコ荘のモデルと推測される建物、海たちの高校のモデルはどこなのか、映画のあらすじネタバレを交えながら紹介しました。「コクリコ坂から」のモデルとなった建物などは、ジブリ公式では発表されていませんが、特徴が似ている点からジブリの聖地ではと推測される場所もあり、映画をきっかけにジブリファンの注目を集めました。

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