2018年09月03日公開
2018年09月03日更新
かぐや姫の物語の帝の顎が長くてしゃくれている理由は?抱きつくのがキモイ?
「かぐや姫の物語」は日本の昔話である「竹取物語」のストーリーを変えずに印象が違う作品にしたいと8年ほど掛かった作品です。この「かぐや姫の物語」に出てきた帝はキモイと噂されていますが、しゃくれてる顔も原因のようです。2018年に高畑勲監督が亡くなっているので「かぐや姫の物語」は遺作になっています。その遺作である「かぐや姫の物語」のキモイと言われてる帝の顎や行動を検証していきます。
目次
かぐや姫の物語の帝について徹底調査!
高畑勲監督と言えばジブリ作品の「火垂るの墓」や「おもいでぽろぽろ」などで有名ですが遺作となった「かぐや姫の物語」は構想期間8年の大作です。今回は、その中でも物語のキーパーソンとなり顎が出ていることで行動すべてがキモイと「かぐや姫の物語」を観た観客から言われ色々噂がある帝について紹介します。あまりにも格好よく出来上がった帝を「竹取物語」との違いを求めるうちに顎が出てきたと噂されています。
「竹取物語」を知っている方には「かぐや姫の物語」は「竹取物語」を再現したジブリ作品だと言われても終わり方も違うので別物かもしれません。その証拠に「かぐや姫の物語」では帝が出てきて抱きつく行為をしなければ、かぐや姫は月に戻らなくて地球で幸せに暮らせたのかもしれません。また翁が求めるかぐや姫にとっての幸せと、かぐや姫が求める幸せが違った結果も大きかったのではないでしょうか。
人にとって幸せとは何か、男女とは何か「竹取物語」をそのまま再現したのではなく、現在を織り交ぜたような「かぐや姫の物語」は実は「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーがあります。高畑勲監督が「竹取物語」から描こうとした「かぐや姫の物語」の世界観と「かぐや姫の物語」で拒絶された人物である帝について紐解いていきます。
かぐや姫の物語の帝とは?
「かぐや姫の物語」は、原作である「竹取物語」を再現した作品となっています。その中でも帝は「かぐや姫の物語」のキーパーソンとされています。しかし「かぐや姫の物語」の帝は原作「竹取物語」の帝を少しだけしか表現していない為、どうしても「かぐや姫の物語」を見ただけでは帝のキモイと言われる部分ばかりが強調されてしまいます。「かぐや姫の物語」に登場する帝と原作でしか表現されてない帝について迫っていきます。
かぐや姫の幸せを考えて翁は一家で都に移り住み、かぐや姫は成長していきます。年ごろになったかぐや姫に5人の公達は揃って求婚に訪れます。かぐや姫は結婚したくないため5人の公達に無理難題を押し付け拒みます。その噂を訊きつけ登場してきたのが帝です。帝は、姫が5人の公達を拒んだのは自分のところに来たがっているのだと勘違いをしてかぐや姫に出仕、翁には官位の授与を命じます。しかし、かぐや姫は拒みます。
すると帝は益々かぐや姫に興味を持ち、かぐや姫を見るため自ら翁の屋敷に訪れます。帝は、かぐや姫の居る部屋を見つけた途端に自信満々後ろから抱きつくのです。自分が抱きつくことが拒否られるとは帝は気付きません。むしろ、かぐや姫の行動は照れての行動だと帝は勘違いします。実際は帝が来て抱きつくことにより、かぐや姫は恐怖を覚えてしまいます。
人は恐怖を覚えると無意識に思うものですが、かぐや姫も「月に帰りたい」と願ってしまった為に「かぐや姫の物語」は終盤を迎えます。ですが、原作である「竹取物語」では最初から月に帰る日程が決まっていたため、帝とかぐや姫は出会ってから、かぐや姫が帰るまでの約3年間に渡り、文のやりとりをして愛を育みます。「かぐや姫の物語」では考えられない帝との関係です。
「かぐや姫の物語」では亡くなった1人を除いて4人の公達と帝が月見をしながら、かぐや姫が月に帰るのを見送ります。「竹取物語」では、かぐや姫が月に帰ることを知ると帝はかぐや姫を守ろうと翁の屋敷に警備を付けて戦いました。しかし、かぐや姫は帝に手紙と不老不死を残して月に帰ってしまいます。ひとり残された帝は、かぐや姫が居ない人生で長生きする意味がないと嘆きます。
かぐや姫が残した不老不死の薬を富士山で燃やすように部下に命令し薬は燃やされ「竹取物語」は終わりを迎えます。それとは違い「かぐや姫の物語」では自分が抱きつくと女性は誰でも喜ぶと女性に抱きつくことは帝にとって自然なことでした。帝は、今までと同じように自分が抱きつくだけで喜んでくれると自信満々で、かぐや姫に抱きつくのです。
しかし、かぐや姫にとっては帝が後ろから、いきなり抱きつくことは恐怖でしかなかったのです。ここで「竹取物語」では描かれていない恐怖を描くのです。高畑勲監督は「かぐや姫の物語」では現在の男女関係を描いたのではないでしょうか。帝が絶対で、帝に好かれることが女の幸せだった「竹取物語」の時代と今では違います。
帝に好かれなくても幸せを求めることが出来る現代を高畑勲監督は「かぐや姫の物語」で描き、かぐや姫が帝から逃げれず無意識のなかで月に助けを求めるのも今の時代だからではでしょうか。「竹取物語」と「かぐや姫の物語」の終わり方では違い、かぐや姫が月に助けを求めたため月の住人が、かぐや姫を迎えにくることになります。
出典: https://note.mu
つまり帝が、かぐや姫に抱きつくことさえしなければ、かぐや姫は月に帰らず地球に住み続けられて翁も一緒に居れたかもしれないということです。帝は、世の中の姫達は帝である自分が抱きつくことで喜ぶという自信をかぐや姫で初めて喜ばない人がいると知るきっかけになったのかもしれません。ただ「かぐや姫の物語」では、帝から好かれて喜ばない女性はいないという自信と結婚こそが幸せだと考える翁は似ているように感じます。
作品では翁が媼に最後叱られていますが、かぐや姫の考えを尊重していたら、かぐや姫が月に戻ることもなかったはずです。帝の行動がダメで帝が原因のようにされていますが、実は男女平等と言いながら未だに残っている男社会を高畑勲監督は描いてるのではないでしょうか。
女性は結婚して子どもを産むのが最大の幸せだと何処かで残っている考えを「かぐや姫の物語」では結婚だけが幸せではないと言ってるのではないでしょうか。
かぐや姫の物語の帝の顎が長くてしゃくれている理由は帝の声優にある?
食生活が関係してる?
「かぐや姫の物語」がベースになっている時代は、奈良時代や平安時代ではないかと言われています。その時代の食生活が顎に影響していると言われています。主食は水が少ない固いごはんで根ものを中心とした野菜料理でした。貝や肉や魚を生で食べることもあり、とにかく帝でも噛むしかなかったようです。そのため顎が発達されてたと言われています。平安時代後期になると貴族は柔らかい食べ物を食べるようになっています。
そのことによって顎が徐々に退化して細く長い顎の帝が居たと考えられています。なので食生活が影響だとしても帝のような顎の人が存在するのは平安時代の後期ではないかと言われています。しかし影響するといっても、この帝だけが長くてしゃくれているのは、少しおかしく帝だけ時代背景を「かぐや姫の物語」で描いてあるのは不思議だといわれています。
遺伝の可能性や他にも理由があった説も捨てきれません。ただ高畑勲監督のことです。どこかで現代人の小さい顔を表現した可能性もあるのかもしれません。食生活が変わったことで顎が少しずつ尖ってきている現代人の顎に対して皮肉を入れた可能性も考えられます。そう考えると時代背景からの食生活の違いも有り得るのではないでしょうか。
声優が理由?
帝役の声優は歌舞伎役者の中村七之助さんで、女形を得意とする顔立ちが綺麗な方です。声優に似せたというのは帝がイケメンなので納得ですが、ご本人は顎は出てないです。高畑勲監督は、声を先に撮って声に基づいて絵を付ける方法のプレスコを採用してるそうなので、顎が出てない中村七之助さんに似せたのであれば顔がシャープだからでしょうか。妖艶な女形の中村七之助さんだと顎が細くなって見えます。
ですが帝は男ですし、いくら歌舞伎役者を声優として起用したとしても女形をモチーフにしたとは言えなさそうです。声優が影響していたら顎がしゃくれてる帝ですし声優の方も複雑な心境なのではないでしょうか。しかし、声優と言えば「かぐや姫の物語」には残念ながら出演していないのですが宮野真守さんという声優が帝に似ているとネット上で噂されています。
宮野真守さんは「DEATH NOTE」夜神月役、「君に届け」三浦健人役、「ちはやふる」真島太一役、「バケモノの子」一郎彦役など誰もが知っているアニメのキャラクターを演じている声優です。顏も声もイケメンな上に高身長でスタイルがいいため声優としても大人気な声優です。また歌手としても大人気で、一度は立ってみたいと憧れる日本武道館に男性声優ソロとしては初でコンサートをしています。
最近では劇団新感線で主演されたり幅広く活躍されていたり声優としてだけではなく表情豊かな顔芸に定評がありイケメンなのに顎を際立た面白い方です。そのため顎を際立たせる芸風からか、顎が特徴的でイケメンな帝に似ていると噂されている要因です。
宮野真守さんの場合は自分から顎を際立たせるので似ていると言われても複雑な心境にはならず、むしろ喜ぶかもしれません。
かぐや姫の物語の帝が抱きつくのが最低やキモイという声!
いやーキモイー何コイツ キモイ帝きもいぃぃぃぃ!!!!#かぐや姫の物語
— まひろ (@happy_millefeu) March 13, 2015
マジありえん。見てて鳥肌立った!!
「かぐや姫の物語」が地上波で放送された時に帝がキモイというのは、Twitterで沢山ツイートされています。帝の女性から断れないという自信は、帝という立場だから拒否れないということを理解されてない気がします。逆らって自分の立場が危うくなることを一般の人がするわけないのです。なので普通の女性は帝のことを断るとは有り得ないです。
RT @mzirmk: 帝に抱きつかれて「ひいっ!」と悲鳴を上げ鳥肌が立てる様子、たぶん全ての女性が肌でわかる感情。これをアニメでこれだけはっきりと描いてくれた高幡不動監督、ありがとう。#かぐや姫の物語
— マンガネタ集まれ! (@ki4061mktw2_1) May 19, 2018
そこをかぐや姫は拒否るのですがTwitterでは、この部分を表現した高畑勲監督を称賛しています。やはり高畑勲監督は「竹取物語」とは違って「かぐや姫の物語」は現代社会の深い心理を重ねて創り上げた作品のように感じます。女性が強くなってきて断れる時代が今で「かぐや姫の物語」のように感じます。
かぐや姫の物語の帝のモデルとなった天皇は?
帝のモデルとして考えられている天皇は「竹取物語」の時代設定から女性の持統天皇(じとうてんのう)を抜いた天武天皇(てんむてんのう)か文武天皇(もんむてんのう)の2人と考えられています。天武天皇は天智天皇(てんじてんのう)が亡くなった後、天智天皇の子である大友皇子(おおとものおおじ)との戦いに勝利し天皇に即位した人物で、文武天皇は、14歳の若さで即位した天皇であり天武天皇から数えて2人目の天皇です。
天武天皇の在位は飛鳥時代の後期と考えられており、文武天皇の在位は奈良時代の前期と考えられています。どちらの人物もはっきりとした記述が作中にはないため、どちらが帝のモデルなのかははっきりとはしていません。帝の長くてしゃくれている顎が食生活に関係してできていたとすると、飛鳥時代の後期に在位していた天武天皇よりも奈良時代の前期に在位していた文武天皇の方が帝のモデルに近いと考えられます。
ただ、残っている天武天皇と文武天皇の肖像画を見ると天武天皇の方が帝に近い気もします。「かぐや姫の物語」の帝は天武天皇ではないかという説も残っていたりします。この天武天皇か文武天皇かは、最後まで、どちらか分からない状態です。
分からない状態が高畑勲監督にとっては思い描いた通りなのかもしれません。「かぐや姫の物語」の帝は「竹取物語」の帝と違って奥が深い人物になっています。
かぐや姫の物語の帝は個性的な人物だった!
原作と言われている「竹取物語」と違って「かぐや姫の物語」では、帝は個性的な人物です。イケメンなのに顎が出ていたり、自信たっぷりで抱きつくのがTwitterやネットではキモイと言われる帝です。そんな帝ですが、実は高畑勲監督の色々な思いを描かれたんではないだろうかと思わせるような行動をします。「竹取物語」では、かぐや姫とは両想いになり不老不死の薬を手に入れます。
しかし帝にとって、かぐや姫が月に戻ってしまっては意味がないと不老不死の薬なのに焼いてしまうという愛に生きた人のように描かれています。「かぐや姫の物語」では愛に生きた人ではなく、かぐや姫に嫌われる立場です。むしろ帝が居なかったら月に戻ってなかったかもしれないというくらいイヤな立場です。そんなイヤな立場をイケメンだったら許してしまうかもしれません。
そこをイケメンの帝ではなく顎で個性的に表現している帝だったからこそ「かぐや姫の物語」が際立ってきます。時代背景を考えると顎だけがハッキリしている顔より厳つい顔が似合っているはずですが、顎だけをハッキリさせるイケメンは個性的に見えますし現代を尊重しているようです。個性的だからこそ「かぐや姫の物語」が「竹取物語」と違った作品として際立って見えるのではないでしょうか。
むしろ現代の疑問を詰め込んだ個性的な作品に仕上げた高畑勲監督は「かぐや姫の物語」には現代社会の深い心理を重ねて創り上げたように感じます。「竹取物語」を今風にしたのが「かぐや姫の物語」なのかもしれません。それぐらい個性が際立っています。「竹取物語」と「かぐや姫の物語」を見比べてみると楽しいかもしれません。描かれた時代の感覚の違いが見えてくるかもしれません。