2018年08月30日公開
2018年08月30日更新
ハウルの動く城の原作と映画を徹底比較!あらすじや結末の違いは?
「ハウルの動く城」はスタジオジブリが手掛けた、長編アニメーション作品の一つです。2004年に公開された「ハウルの動く城」はイギリス人作家のファンタジー小説「魔法使いハウルと火の悪魔」を原作として作られました。ここでは原作とはまた一味違った魔法使いハウルとその世界について、様々な角度から宮崎駿ワールドを比較していきます。両作品のあらすじや結末の違い、キャラクターの違いについて詳しく見ていきましょう。
目次
ハウルの動く城の原作と映画を徹底比較!
映画「ハウルの動く城」と言えば、物語の主軸となる魔法使いハウルの声を木村拓哉が演じるという事、また主題歌をヒロインが歌うのは「紅の豚」以来だという事で話題となった作品です。宮崎駿監督が手掛けるスタジオジブリの長編映画としては、「魔女の宅急便」以来15年振りとなる他者原作の作品になります。
キャッチコピーとしては「愛する歓び。」「生きる楽しさ。」と言った作品を印象付ける前向きなメッセージの他、あらすじが強烈に残る様な「ヒロインは、90歳の少女。」「恋人は、弱虫の魔法使い。」と一際目を引くものがあるのもまた、結末がどうなるのだろうかという心理が働く「ハウルの動く城」の魅力の一つです。
ファンタジー要素盛り沢山な題名やあらすじとは裏腹に、「戦火の恋」という非常に社会的なテーマを柱とした宮崎駿監督の「ハウルの動く城」ここでは原作と映画版を比較して、あらすじやストーリー展開、キャラクター達の違いや各々の結末について見ていきましょう。
ハウルの動く城の原作とは?
原作は「魔法使いハウルと火の悪魔」
「ハウルの動く城」の原作は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズというイギリスの女性ファンタジー作家の作品です。原作である「魔法使いハウルと火の悪魔」(原題Howl's Moving Castle)は1986年に出版されており、2006年にはフェニックス賞を受賞しています。
「ハウルの動く城」の原作者であるダイアナ・ウィン・ジョーンズは、大学卒業と同時に結婚し、三児の母となってからファンタジーを書き始めたそうです。ハウルの動く城シリーズの他にも、数々の独創的な作品を世に残しています。また、本人はかなりのジブリファンであったそうです。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズが手掛けた作品としては「大魔法使いクレストマンシー」シリーズも有名です。同一の主人公が登場するものではなく、舞台となる世界も主人公も異なる、平行世界の魔法に関する事件を解決していくストーリーで、連作の趣が強く出ています。そんな作者のハウルの動く城シリーズも、「魔法使いハウルと火の悪魔」の他に「アブダラと空飛ぶ絨毯」「チャーメインと魔法の家」の計3冊で出版されています。
映画「ハウルの動く城」の公開当時、ダイアナ・ウィン・ジョーンズはこんな言葉を残しています。「宮崎監督は私が執筆した時と同じ精神で映画を製作した」と。映画化に当たり、ダイアナ・ウィン・ジョーンズが提示した条件は一つだけ。「ハウルの性格を変えないように」あらすじや結末には言及せず、この条件の元に作られた映画「ハウルの動く城」を彼女は素晴らしいと褒め称えたのでした。
インガリーという国が舞台
映画の「ハウルの動く城」と原作の違いの1つとして、まずあらすじの段階で言うと世界設定があります。映画では世界設定が曖昧に描かれていますが、原作にはインガリーという国が出て来ます。このインガリー国は、七リーグ靴(一歩で七リーグ進む魔法の靴)や姿隠しのマントが出てくる魔法の国のことです。
古くからおとぎ話などでは長男長女は上手くいかない、というような描写も多くありますが、このインガリー国でもそう言った事は信じられてきました。長女であるソフィーが自分を卑下し、どこか自信が持てないのもそういう文化が魔法と共に根強く残っていたからでしょう。この辺りは現実の世界と違いが無いように見えます。
またインガリー国は魔法の国という事もあり、原作でのハウルの動く城は宙に浮いたお城として描写されています。一方、映画版の「ハウルの動く城」では国の設定が曖昧な為、お城自体も原作と違い、機械的に動くガチャガチャとした印象の建物となっています。まるで大きな動く機織り機のように複雑に動いているのがとても印象的です。
この動く城には色を変えてドアノブを回すと、それぞれ違う場所に繋がっている扉があります。その中でも異色を放っているのは黒の扉でしょう。ハウルしか知らない場所、となっていますが、こちら原作ではなんとハウルの実家に繋がっている描写があります。映画では一切出てこないハウルの家族。甥っ子が居たり、姉が居たりとハウルもまた家族がいる一人の青年なのだと分かるシーンです。
ハウルの動く城の原作のあらすじを紹介!
インガリー国で帽子店でお針子をしているソフィー・ハッターは主人公であり、三姉妹の長女です。原作では、亡くなった父親の借金を知った三姉妹が学校を辞めた後、次女のレティーはパン屋「チェザーリ」に奉公し、三女のマーサは母親の知り合いの魔女の元で修業しています。
街中では「荒れ地の魔女」や動く城に住む「魔法使いハウル」の話で持ちきりでした。一方その頃、自分に自信のないソフィーはあまり人と接することも無く、帽子店で帽子を作り続けていました。そんな生活を続けている内にソフィーは段々心を閉ざしていきます。
ソフィーの作る帽子は人気があり、ある日荒れ地の魔女がソフィーのいる帽子店を訪ねてきます。その際、魔女はとあることが切っ掛けで、ソフィーに90歳の老婆になる呪いを掛けて去ってしまうのでした。老婆の姿になってしまったソフィーは帽子店には居られないと悟り、一人居場所を求めて彷徨います。この辺りは死に場所を求めていたのではないかと考察される事も多いです。
その道中、倒れていたかかしを助けたり、ロープに絡まっていた犬を助けたりしながら彷徨っていたソフィーは、とうとうハウルの動く城を見付けます。何とかお城の中へ入ることに成功したソフィーは、そこでハウルと契約を交わした火の悪魔「カルシファー」とある取引をします。カルシファーを自由の身にする為に、ソフィーは強引に家政婦として住み込みで働くことにするのでした。
美しい女性の心臓を食べると噂されていた魔法使いの正体は、実は臆病で繊細な心の持ち主でした。プレイボーイ気質の為女性関係のトラブルもあり、それから逃げる為に動く城で居住ごとあちこちを転々としています。面倒事から逃げ回る為に「ペンドラゴン」「ジェンキンス」などと言った偽名も複数持っているようです。
若さや美貌を追求し、映画と違いインガリー国の女王に君臨する事に重きを置く荒れ地の魔女。ソフィーが呪いを掛けられる切っ掛けとなったのは、実はソフィー自身が持つ物に命を吹き込むという魔法のせいでした。無意識に売り物の帽子へ魔法を掛けていたソフィー。帽子を買いに来た荒れ地の魔女がそれを宣戦布告だと受け取ってしまったが故の呪いでした。
カルシファーがソフィーを一目見て言います。「二重の呪いに掛かっている」これは荒れ地の魔女の呪いだけでなく、自分自身に劣等感から来る言霊という呪いを掛けているという事でした。老婆の姿になったからこそ、自分以外の者になれたような気がしたソフィーは娘だった時よりも生き生きと、正直に自分の気持ちを相手に伝えることが出来るようになっています。
この物に命を吹き込む魔法については、映画では曖昧に表現されています。ソフィー自身の持つ愛の力によって事無きを得る結末へと向かいます。しかし、原作はこのれっきとしたソフィー自身の魔法の力によってカルシファーを、そしてハウルの命をも助けることが出来るのでした。
ハウルの動く城の原作と映画のあらすじの違いは?
原作のハウルは女好き!
映画版「ハウルの動く城」ではハウルが女の子を口説いている描写はありません。初めてソフィーに会った時は言い寄る兵隊から助け、一緒に空中散歩をすると言う紳士ぶりを発揮しています。しかし、原作版ではソフィーに言い寄るのがまさにハウルその人であり、彼の外出理由の殆どは女の子をナンパする為だと描かれています。
映画「ハウルの動く城」でもハウルは荒れ地の魔女にも興味本位で近付いています。その為逆に追い掛け回されるようになり、怖くなって逃げ回る事になるのですが。美しさを追求する面では双方共通点があるのですが、原作の荒れ地の魔女は権力を握ろうと画策し、一方何事にも興味が無いハウルとは根本的に違っているようです。
映画でのハウルの弟子はマルクルという少年ですが、原作での弟子はマイケル・フィッシャーという15歳の青年になっています。両親を亡くし、孤児となった彼は成り行きで城へと辿り着き、その後正式にハウルの弟子として働くようになります。マイケルはソフィーの妹、マーサの恋人でもあるのですが、ふらふらと女遊びをするハウルの浪費家ぶりに難色を示す場面も度々見られます。
また原作の中では、ハウルがソフィーの妹、レティーを口説いているシーンも見られます。街一番の美人と言われるレティーはパン屋で働いていましたが、魔法の勉強がしたかった為に、三女のマーサと入れ替わって修業をしていました。そこへハウルが通っていると聞きつけたソフィーは、七リーグ靴を履いてハウルの様子を見に行きます。因みに映画版のハウルの動く城では次女のレティーしか出て来ません。
部屋の中はごちゃごちゃしていて、物事にあまり頓着しないハウルですが、身嗜みにはとても気を遣っています。これは女性をナンパする上で重要な部分だと捉えているからでしょう。それが分かるのは浴室からタオル一枚で飛び出てくるシーンです。ソフィーが浴室を整理してしまったせいで、髪の色が変わってしまった事にショックを受け、緑の粘ついた液体を撒き散らすハウルの姿がとても印象的です。
原作のサリマンは男!
映画では敵として描かれる、王室付き魔法使いのサリマン。外の世界の戦争を簡単に終わらせられる程の実力を持つサリマンは、映画では女性として描かれ、魔法使いハウルの師となっています。ハウルの幼少時にそっくりな小姓に囲まれ、上品な衣服に身を包み広い部屋に威厳たっぷりに腰かけている姿は、まるで国王の様にも見えるでしょう。
しかし原作のサリマンはというと、男性であり且つハウルと同期の魔法使いになっています。原作では映画のように暮らしを共にする事はなく、最後までハウルの敵として対立していた荒れ地の魔女。その荒れ地の魔女を討伐する為、サリマンは彼女の元へ向かったのですが、その後消息を絶っていました。
映画の結末では此方のカブ頭の案山子が、実は呪いにかけられていた隣国の王子だったとなっています。しかし原作では、荒れ地の魔女が自分好みの人間を作り出す為に、サリマンや他の人間の体をバラバラにして繋ぎ合わす表現が出てきますが、案山子はその時バラバラにされた、サリマンの一部(心)だったのです。
映画「ハウルの動く城」でサリマンが女性になった経緯は分かりませんが、原作にはその違いに位置付くようなキャラクターも登場しています。次女レティーの魔法の先生をしているフェアファックス夫人や、ハウルと原作サリマンの恩師であるペンステモン夫人。彼女達の存在が映画「ハウルの動く城」でのサリマンと言うキャラクターのルーツになったのかもしれません。
ハウルの動く城の原作の結末でソフィーとハウルは死ぬのか?
「ハウルの動く城の原作の結末ではソフィーもハウルも二人とも死んでしまう」という噂が流れていますが、此方は全くのデマ情報です。原作も映画版と同じく、ソフィーの力で助けた皆と一緒に大団円な結末を迎えています。一番の違いと言えば、ソフィーの持ってる魔法の力について明らかになるところでしょうか。
ハウルの心臓を巡る展開や、荒れ地の魔女や黒幕との戦いもある為にそう言った推測が出て来たのかもしれませんが、その発端は不明です。しかし、原作には姉妹本も出ており、二作目の「アブダラと空飛ぶ絨毯」には、最初こそハウルが行方不明であるという描写があるものの、ソフィー達のその後も描かれているので、二人が共に幸せな人生を歩んでいる事が分かります。
ハウルの動く城の原作と映画の比較まとめ
「ハウルの動く城」の原作について比較してみると、あらすじや結末が少し違っていたり、原作をベースに性別や立場が変わっている個性豊かなキャラクター達がいることが分かります。原作ではナンパをしていたハウルが、映画では初対面のソフィーをロマンティックに助けたりといったジブリらしさも沢山見られます。
また、物語の後半になると戦争という重いテーマも出てきます。此方のテーマは映画「ハウルの動く城」にしか出て来ませんが、大人から子供まで楽しめる原作のファンタジー感を保ちつつ、宮崎駿監督らしいメッセージも込められています。
ここまで原作ならではの、また映画「ハウルの動く城」ならではのあらすじや設定、結末を紹介してきました。それを踏まえてもう一度あらすじや作品を見てみると、お互いの違いやそれぞれのキャラクター達の別の角度からの楽しみ方が見つかるかもしれません。