【キングダム】李園は春申君を暗殺した人物!史実での記録や最後について考察

キングダムに登場する楚の李園は、楚の宰相・春申君を暗殺した人物として知られています。ここではキングダムに登場する李園の史実に注目し、李園が妹・李環を使ってどのように出世していったか?また、史実の李園が春申君を暗殺した件について見ていきます。そして、李園が楚で実権を握るまでと握ってからのエピソードを史実で残されているエピソードから紹介していきます。さらに、史実での李園の最後についても考察していきます。

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目次

  1. キングダムの李園は春申君を暗殺した人物
  2. キングダムの李園の史実~実権を握るまで~
  3. キングダムの李園の史実~実権を握った後~
  4. キングダムの李園の史実での最後
  5. キングダムの李園に関する感想や評価
  6. キングダムの李園まとめ

キングダムの李園は春申君を暗殺した人物

キングダムの作品情報

キングダムは、作者・原泰久が週刊ヤングジャンプで連載中の中国・歴史アクション漫画です。2006年から始まったキングダムは2020年9月時点でコミック第59巻まで発売中です。アニメ放送の第1シリーズが始まったのは2012年で、第3シリーズが2020年4月からNHK総合で放送中です。2019年には佐藤信介監督によるキングダムの実写版映画が公開されました。

キングダムの概要

2013年に「手塚治虫文化賞」のマンガ大賞を獲得したキングダムは、コミック累計発行部数が電子版も含めて6800万部を超える大ヒット漫画です。キングダムの舞台は紀元前3世紀ごろの春秋戦国時代と呼ばれている中国です。いくつもの国が覇権を争う戦乱の時代に大将軍となった主人公・信と後に中華統一を成し遂げた「秦の始皇帝」となる秦王・政の物語です。

キングダムのあらすじ

集落の里典の下で下僕として仕えている信と漂は、いつか秦国の大将軍となる志を抱き、働きながら武術の訓練に励んでいたところ、漂が秦の将軍の目に留まり王宮へ行ってしまいました。ところがある晩、深手を負った漂が戻り、最期に夢を叶えて欲しいと言い、死亡しました。二人の夢を実現することを誓う信は漂によく似た秦王・政と出会います。信と政は手を取り合い、乱世を生き抜いていきます。

李園のプロフィール

キングダムの李園は、楚の宰相・春申君の食客(居候)の一人でした。李環という美しい妹がいます。妹・李環を利用して春申君から楚の孝烈王の元へ送り込むなど画策しました。孝烈王の崩御後は春申君を殺害し、楚の実力者となりました。そして、宰相になるにあたり、大将軍・媧燐を誘い、共に楚の宰相の地位を得ました。

TVアニメ「キングダム」公式サイト

キングダムの李園の史実~実権を握るまで~

キングダムに登場する李園はプロフィールでも紹介した通り、楚の宰相・春申君を殺害し、媧燐と共に宰相となりました。実在の人物が多数登場するキングダムですが、史実での李園はどのような人物で、どのような実績を残したのでしょうか?ここでは、史実での李園について見ていきます。

李園は史実で実在する?

李園の誕生年や没年については不明ですが、紀元前3世紀ごろの中国で、戦国時代と呼ばれる時代に実在した人物です。趙の出身だということですが、後に楚の宰相・春申君の食客(居候)の一人になりました。李園には李環という妹がいます。

史実①妹を春申君に嫁がせる

楚の王・孝烈王の悩みは子どもがいないことで、王として世継ぎのいないことは深刻な悩み事でした。事態を憂いた宰相の春申君は、女性を何人も側室として孝烈王の元に送り込みますが、子どもが産まれることはなく、孝烈王の悩みは深まっていきました。その頃の李園は春申君の食客として世話になっている身の上でした。

春申君とは合従軍の戦いの時、楚の総大将として軍を率いた人物で、楚の宰相として権力の座にいました。李園はそんな春申君に美貌の妹・李環を嫁がせました。

史実②妹を使い春申君に口添えするように指示

春申君に嫁いだ妹の李環が懐妊したと知った李園はある策を考えつきました。その策とは、懐妊した妹の李環を孝烈王の元へ妃として送り込むというものでした。李園は妹に、孝烈王への仲介役を春申君に依頼するよう命じました。李環は春申君が楚の宰相として長年勤められるのは孝烈王のおかげで、もし孝烈王が崩御した場合、宰相でいられるのか?と言いました。

李環は、自分が身ごもったまま孝烈王の元へ行き、そこで出産すれば王の子と認められると言い、自分を送り込んだ春申君の地位は盤石なものになると言いました。李環の言葉に春申君も、自分の子どもが将来楚の王になれば都合がいいと考えました。こうして李環は身ごもったまま孝烈王の元へ行き、男の子を出産しました。この李環と春申君との間に産まれた男の子が後に楚の王となった幽王です。

史実③春申君を暗殺

楚の孝烈王に自分の妹・李環を送り込み、李環が世継ぎとなる男の子を産んだことで李園は孝烈王の外戚となり、宰相の春申君と共に楚の政治の中枢で手腕を振るうことになりました。やがて孝烈王が崩御したことで妹・李環が産んだ子がいよいよ王位を継ぐことになるのですが、本当の父親である春申君がいつ真実を暴露してしまうかと恐れた李園は春申君の暗殺を企てます。

ところが、朱英という春申君の食客が暗殺計画に気づき、春申君の護衛をしたいと申し出ました。しかし、李園を甘く見ていた春申君は朱英からの申し出を断ってしまい、李園が放った刺客によって春申君は殺害されてしまいました。春申君は李園によって自身だけでなく一族までもすべて殺害されてしまったのでした。そして、李園の妹・李環が産んだ子が王位を継ぎ、楚の幽王となりました。

キングダムでの春申君殺害の経緯は、春申君が孝烈王の弟に王位を継がせようと画策したことで、李園は妹が殺害されるかもしれないと恐れ、李園は春申君と対立することになりました。李園と春申君は互いに刺客を遣わした結果、李園が勝利するという展開でした。

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キングダムの李園の史実~実権を握った後~

ここまで、キングダムで登場する李園の史実について、楚の宰相・春申君の食客からどのような手を使って成り上がっていったかについてと、春申君を暗殺した件について見てきました。ここからは、史実での李園が楚の実権を握ってからのエピソードを見ていきます。

史実①李園が楚の実権を握った

史実の李園は、妹・李環の子が楚の王となったことで国の実権を握ったと思われましたが、史実では王の外戚となったはずの李園の記録がほとんど見られなかったことから、幽王即位の後、李園は殺害されたのではないかと考えられていました。しかし「戦国従横家書(せんごくじゅうおうかしょ)」という歴史書に李園の活躍を示す記録が残っていることが分かりました。ここでは、史実での李園のエピソードを紹介します。

李園は妹・李環が王の子として世継ぎを産んだ時から楚の政治に深く関わることになったのですが、妹が産んだ子が幽王として楚の王となった時、幽王はまだ幼く、5歳だったとも言われています。このように幼い王の代わりに、李園が政治の実権を握ったのだとされています。そんな李園がその能力を生かしたエピソードが残っています。紀元前235年、秦が魏と連合軍を結成し、楚に侵攻しようとする動きがありました。

史実②辛梧を欺き楚への侵攻を遅らせた?

秦は、魏と結ぶ連衡(れんこう)策を取るため、魏に辛梧(しんご)将軍を遣わせました。魏はその策に乗り、秦と連合軍を結成。楚への侵攻を開始するのですが、そのことを知った李園が楚を守るため辛梧将軍の説得に向かいました。その説得の内容を見ていくと、かつて秦の将軍だった井忌という人物が趙との連衡に成功し、秦・趙の連合軍が燕に侵攻しました。

秦・趙連合軍は燕にある二つの城を攻略したのですが、その際、燕の蔡鳥(さいちょう)が秦の宰相・呂不韋に燕にある10の城を贈呈しました。10の城を賄賂として贈った蔡鳥は、その見返りに趙との同盟破棄を願い出たのでした。城を受け取った呂不韋は変節し、連衡を結んでいたはずの趙に対して攻撃を始めました。結果、秦の井忌将軍が燕を攻めたことに対して責任を負わされ、処刑されました。

このエピソードを辛梧将軍に語った李園は次の様に辛梧将軍に話しました。「もし秦が我が国・楚に侵攻すれば、燕の蔡鳥がしたように私(李園)も秦にワイロを渡すかもしれません、そうなれば、あなた(辛梧将軍)が井忌将軍と同じ目に遭うと思いませんか?」と言うような内容の忠告をしました。この話を聴いて怖くなった辛梧将軍は、どうすればいい?と李園に相談します。

すると李園は「魏に行って何もしなければ、あなたは重用されるでしょう」と答えました。そうして辛梧将軍は魏に入っても何もしないで過ごし、半年ほどたった後、楚に侵攻しますが、たいした攻撃もせずに秦に帰っていったそうです。このような策を弄して秦・魏連合軍の侵攻から楚を守った李園は、美しい妹のおかげで出世しただけの人物ではなく、優れた策士だったのではないかと考えられています。

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キングダムの李園の史実での最後

ここまで、キングダムに登場する李園は実在の人物で、楚の国で実権を握る前と実権を握った後のエピソードを紹介してきましたが、史実で李園はどのような最後を迎えたのでしょうか?ここからは、史実での李園の最後について見ていきます。

李園の史実での最後は不明

史実で李園がどのような最後を迎えたかについては、どの歴史書にも記載されておらず不明となっています。李園の動きとして分かっているのは、これまでに紹介した通り、宰相・春申君を殺害したこと、幽王の伯父という立場の李園が政治の場で実権を握り、秦・魏連合軍の侵攻をほとんど無いに等しいものにしたことなどが挙げられます。李園の最後についての考察の前に、幽王が崩御した後の王位について見ていきます。

妹・李環が産んだ幽王の時代は長くは続かず、紀元前228年、即位後10年ほどで死亡したということです。幽王の後を継いで王となったのは、李環が産んだ2番目の男子で、哀王です。李園にとっては幽王と同じ甥ということで、変わらず実権を握っていたと思われます。しかし、哀王が王位を継いで2ヶ月ほどが経った時、哀王の異母兄・負芻(ふすう)と彼を推す者たちが王宮に押し寄せました。

李園は負芻が乱を起こした時に殺された?

異母兄・負芻が哀王に対して起こした乱によって哀王は殺害されました。幽王の血筋について、本当の父親は春申君だという噂があったかもしれず、幽王の同母弟である哀王の血筋も疑われていたかもしれないと言われており、負芻が王位の血筋を正そうとして起こした乱で、李園はその乱で殺害されたのではないかという説があります。

しかし、幽王は春申君の子ですが、孝烈王の妃になってから哀王は産まれており、哀王は孝烈王の子だと考えられています。また、宰相・春申君の食客の一人だった李園が王宮で重んじられるのを妬んだ者たちに目を付けた負芻が、彼らを集めて李園を殺したのかもしれないという説もあります。

史実での李園の最後は、負芻が起こした乱で殺害されたという説があるということでした。この乱によって王位についた負芻ですが、王にふさわしい器量ではなかったようで、強大国と言われていた楚の国は徐々に衰退していったのでした。負芻が王となって4年後、楚の項燕将軍が秦との戦いで敗北します。その後、秦の王翦と蒙武による攻撃で負芻は捕虜となってしまい、かつて強大国と言われた楚の国は滅んだということです。

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キングダムの李園に関する感想や評価

史実での李園は秦・魏が同盟を結び、楚に侵攻しようとする時、優れた策士としての一面を見せました。結果、楚を守ることに成功したのですが、キングダムで秦・魏の同盟のエピソードが登場したので、李園の活躍が描かれるかもしれないと期待しているということです。

楚の宰相・春申君を殺害したことで知られる李園ですが、キングダムでは春申君よりも大人物に見えるなどとも言われています。李園をこれほど大きく描くキングダムはすごいという感想です。

キングダムは歴史上実在した人物がたくさん登場しますが、楚の李園をはじめ、秦の始皇帝となる政など、どの人物も良いイメージに描かれており、これからもさらに期待していきたいという感想です。

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キングダムの李園まとめ

いかがでしたか?キングダムに登場する李園の史実について紹介してきました。史実の李園は楚の宰相・春申君を殺害し、楚の実権を握り、宰相にまで上り詰めました。春申君は李園を甘く見ていたようですが秦・魏の連合軍が楚に攻め込もうとする際、優れた策士としての一面を見せ、楚を守ったということです。そして、史実での李園の最後についても見てきました。

史実での李園の最後は、王位を正しい血筋に戻そうとする負芻によって起こされた乱で殺害されたという説や、李園の出世を妬んだ者たちを集めて李園殺害を目論んだ負芻に殺害されたなどの説があり、史実で李園がどのような最後を迎えたのかよく分かっていないということでした。キングダムでの李園が今後、どのように描かれるのか?などに注目してキングダムをお楽しみください。

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