コウノドリのモデルは実在する?ジャズピアニストで産科医の荻田和秀先生とは

講談社から出版されている雑誌「モーニング」で連載中の、周産期医療の現場を描いた漫画「コウノドリ」は綾野剛さんの主演でドラマ化もされた人気の漫画ですが、なんと、この作品の主人公「鴻鳥サクラ」(こうのとりさくら)には実在するモデルの方がいらしゃいます。その方は産科医でありながらジャズピアニストでもある産科医の荻田和秀先生です。なぜ周産期医療に携わるようになったのか?ジャズピアニストになった理由は?漫画「コウノドリ」のモデルとなったきっかけは?荻田和秀先生について気になる事を調べてみました。

コウノドリのモデルは実在する?ジャズピアニストで産科医の荻田和秀先生とはのイメージ

目次

  1. 実在するコウノドリのモデル荻田和秀先生
  2. コウノドリの現場とは?実在する鴻鳥サクラのモデルの誕生
  3. 正常なお産に産科医は必要ない
  4. コウノドリのモデルが父親達に伝えたいこと
  5. 漫画「コウノドリ」のモデルとなったきっかけ
  6. ジャズピアニスト「荻田和秀」になるまで
  7. 医師かジャズピアニストか「コウノドリ」の苦悩
  8. コウノドリの謎のジャズピアニスト「baby」のモデルとしての荻田和秀氏
  9. 漫画「コウノドリ」の実在するモデルの漫画のような日々
  10. ドラマ「コウノドリ」
  11. NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも
  12. 「コウノドリ」のモデルは生命賛歌を奏でる方だった!

実在するコウノドリのモデル荻田和秀先生

萩田和秀先生は、講談社の雑誌「モーニング」に連載中の漫画「コウノドリ」の主人公「鴻鳥サクラ」のモデルです。実在する「鴻鳥サクラ」はどんな人なのでしょうか。荻田和秀先生の経歴について簡単に紹介します。

実在するコウノドリのモデル荻田和秀先生の経歴は?

コウノドリの主人公「鴻鳥サクラ」のモデルである荻田和秀(おぎたかずひで)先生は1966年生まれで、大阪教育大学付属高校から香川医科大学(現在は香川大学医学部)へと進学しました。その後、大阪警察病院、大阪府立母子保健総合医療センターなどに勤務した後、大阪大学大学院博士課程へと進学し研究者を目指します。

臨床実習で出会った周産期医療

荻田和秀先生は、脳外科を専門とする救急科を志望していました。ところが臨床実習で周産期に行き、そこで周産期医療とは救急である、と思った事がきっかけで、産婦人科へと方向転換をしました。ちなみに周産期とは妊娠22週から始まり出生7日未満までを指します。

現在の勤務先は

荻田和秀先生は、りんくう総合医療センターの産婦人科部長と泉州広域母子医療センターのセンター長を兼任されています。泉州広域母子医療センターでは夜間・休日でも産婦人科医が2名勤務する体制で緊急の処置や他科との連携を図ったり、ドクターヘリなどでの搬送を行ったりしています。最新の科学的裏付けに基づく医学的方法で高度な周産期医療を提供し、地域の周産期医療に貢献しています。

コウノドリの現場とは?実在する鴻鳥サクラのモデルの誕生

毎日のように危険な状態の母子が搬送されてくる

萩田先生は周産期医療でのキャリアを確立するまでに、どのような人生を歩まれてきたのでしょうか。これまで勤務されてきた病院や大阪大学大学院時代で様々な経験をします。何をしたらいいのかわからなかった学生時代から大きく成長し、周産期医療に対する確固たる信念を持つに至った経緯を見てみましょう。

大学を卒業後、荻田和秀先生は大阪警察病院や大阪府立母子保健総合医療センターなどに勤務しました。どちらも比較的制約を受けずに仕事ができましたが、母子保健総合医療センターでは毎日のように緊急搬送されてくる母子が絶えなかったそうです。その症例は難しいものが多く、大変でもありましたが、やりがいもあったそうです。

正常なお産に産科医は必要ない

各所での経験から、専門の枠を超えた周産期医療のチームの必要性を萩田先生は考えるようになりました。同じ症例に必ず同じ治療法が有効とは限らない。少数の症例での成功例を一般的な治療方針とするには危うい。そんな考えに至った経緯について調べてみました。

鴻鳥サクラのモデル「荻田和秀先生」は当初は研究者を目指していた

少数の症例に対するこういった疑問はどのようにして生まれたのでしょうか。荻田和弘先生は大学院で研究の道を志しますが、道半ばにして挫折します。しかし研究者時代で培った科学的なものの見方が、その後、周産期医療で症例の治療法を検討する際に大いに役立つこととなりました。当たり前だと思っていた事を、実験をしたり文献を読んだりすることで、違った側面から見るという習慣が身に着いたのです。

人と人とのつながりが母子を救う

患者の状況は様々です。専門が周産期医療の医師だけではなく、精神科が専門だったり、合併症に対応できたりする救急医など多様な専門の医師がいるのが理想だそうです。また、若いうちに診療科などの枠を超えた人と人とのつながりを作る事も大事だと荻田先生はおっしゃっています。それはなぜでしょうか。

受け入れ拒否ゼロが理想

若いうちに診療科などの枠を超えた人と人とのつながりを作る事も大事だと荻田先生は言います。患者搬送の連携がスムースになるからだそうです。荻田和秀先生は患者の受け入れ拒否が一番悔しいと言っています。荻田先生は若いうちに多くの専門以外の分野の人々とのつながりを持っておいたので、どこの病院にどの専門の医師がいるのか把握しています。受け入れ先の候補を決めやすいので適切な対応が取れるのだそうです。

コウノドリのモデルが父親達に伝えたいこと

妊娠は病気じゃない

周産期の母子を取り巻く状況は様々です。妊婦にとって最も身近な存在である、赤ちゃんの父親が周産期の一番のパートナーであり、両親が共に協力しあう事が妊娠中や出産前後の安全性を高める事になります。萩田先生が父親や家族に伝えたい事を一冊の本にしました。

「妊娠は病気ではない」という言葉があります。しかし、病気ではないから妊婦をケアしなくても大丈夫、ではありません。病気ではないからこそ、周囲からのフォローが必要となります。荻田先生は妊産婦に最も近い存在である「ダンナ」に向けて「妊娠出産ホンマの話 嫁ハンの体とダンナの心得 (講談社+α文庫)」を書かれました。

モデルとなった荻田先生が本音で語る実在する「コウノドリ」の現場からの声

この本には荻田先生だからこそ語れる本音が詰まっています。妊娠・出産でよくある誤解、ダンナさんの心得、昔からの迷信、等々、「嫁はん」も「ダンナ」も一緒に読める内容になっています。正常なお産には医師は必要ないのですが、もし医師が必要になった時にも分娩方法などに関する迷信に惑わされず、赤ちゃんとお母さんの命を一番に考えられるのは「ダンナ」なのだと、荻田先生はこの本で問いかけています。

漫画「コウノドリ」のモデルとなったきっかけ

担当患者の旦那さんが「コウノドリ」の作者だった

二つの顔を持つ萩田先生が漫画「コウノドリ」のモデルとなったきっかけと、漫画の作者である鈴ノ木ユウさんについて調べました。荻田和秀先生だけではなく、鈴ノ木ユウさんもまた、幾つもの顔を持つマルチな才能の持ち主です。そして、もう一度漫画家として復活するきっかけは家族でした。

「コウノドリ」の作者である鈴ノ木ユウ氏は荻田和秀先生の担当患者の旦那さんでした。奥様の出産に立ち会った事で荻田和秀先生を知る事になります。出産後、家族を養う為に一時的に漫画の世界から離れたものの、その後、定職につかないままアルバイトのままでいました。

息子に自分の仕事をちゃんと説明できるようになりたいと、漫画家としての活動を再開しました。そして、2012年に短期で連載した「コウノドリ」が大好評で週刊連載となりました。

不思議な縁

荻田先生は医師でもありジャズピアニストでもありますが、鈴ノ木ユウさんは漫画家になる前にロックバンドを組んでいました。二人とも音楽を演奏する、という共通点があります。ご自身が漫画のモデルとなったことを荻田先生は「不思議な縁」と言っています。

鈴ノ木ユウさんがいたバンドは?

鈴ノ木ユウさんは、かつてPOWDERというロックバンドでギターとボーカルを担当していました。このPVはPOWDERの2005年の作品です。その後、Spring Bellというバンドも結成しています。詳しくは鈴ノ木ユウさんのオフィシャルウェブサイトでご確認ください。

ジャズピアニスト「荻田和秀」になるまで

幼い頃から

ピアニストとしても活躍する萩田先生は幼い頃からピアノのレッスンを受け、クラシックのピアノ曲を演奏していましたが、その後、ロックやポップスへ、そしてジャズへと転換するきっかけとなったのは、ある有名なジャズピアニストでした。荻田先生のピアノの歴史の流れを見てみましょう。

荻田和秀先生は、4歳から11歳までクラシックピアノのレッスンを受けていました。幼い頃からピアノに触れる生活を送っていたのです。その後の一時期はピアノから離れていましたが、高校生になると再びピアノを演奏するようになりました。しかし青年となった荻田和秀先生はクラシックではなく、ロックやポップスを演奏するようになったのでした。では、ジャズに興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょうか。

ジャズとの出会い

高校時代はポップスなどを演奏していた荻田和秀先生がジャズに傾倒するきっかけは、ジャズピアニストの山下洋輔氏との出会いでした。山下洋輔氏は、クラシックの素養を持ちながら、肘で鍵盤を弾くなどの破天荒な一面もある、日本のフリージャズの第一人者です。山下洋輔氏に心酔した荻田秀和先生はジャズピアニストの道を歩み始めました。

山下洋輔氏とは?

山下洋輔氏は、独特な肘打ち奏法などで知られるジャズピアニスト、作曲家、エッセイストです。ジャズピアニスト八木正生による依頼で、燃えるグランドピアノを灰になるまで演奏し続けた「ピアノ炎上」(1973年)など破天荒な作品でも知られていますが、デビュー前のタモリを福岡で発掘したことでも有名です。

医師かジャズピアニストか「コウノドリ」の苦悩

学生時代にはジャズバーのハウスバンドで演奏に明け暮れていた荻田先生は、当たり前のように出席率は悪く、ある授業に出席した時に教授から「初めまして」と言われたので、ついうっかり「ああ、初めまして」と返してしまい物凄く怒られたとか。しかし、そのことがきっかけで「医者になったら真面目にやろう」と決意したそうです。ただし、その頃にはまだ具体的に何を専門とするかは決まっていなかったようです。

ジャズピアニストとしてオーディションを受けていた

医師とジャズピアニスト、どちらにも真剣に取り組むようになった荻田先生は、そろそろ進路を決めなければいけない時期に、医師になるかジャズピアニストになるか決めあぐねていました。迷った末にオーディションも受けていたそうです。結局、どちらも選べないまま、医師とジャズピアニストの二つの顔を持つことになるのです。

コウノドリの謎のジャズピアニスト「baby」のモデルとしての荻田和秀氏

「コウノドリ」の謎のピアニスト「baby」は、主人公の鴻鳥サクラのもう一つの姿です。これも萩田先生のジャズピアニストとしての姿がモデルになっています。萩田先生の演奏に対する姿勢や、両者の違いについて簡単に見ていきましょう。荻田先生の演奏する曲もお楽しみください。

謎のジャズピアニスト「baby」は「鴻鳥サクラ」のモデル

「コウノドリ」では産婦人科医の「鴻鳥サクラ」は、年齢経歴など一切不明のジャズピアニスト「baby」としても活躍しています。多くのファンを魅了する謎のジャズピアニストが実は産婦人科という漫画の設定主人公の設定は、実在している産婦人科医、萩田和秀先生そのままです。なお、漫画のbabyはカツラを被って変装をしていますが、荻田先生が演奏するときは変装することはなく、そのままの姿です。

練習はほとんどしない

荻田先生は、実は練習はほとんどしていないと言っています。なぜ練習をしないのかと言うと「ジャズのセッションというのは会話みたいなもの」なので、会話を練習する人はいないのと同じだからだそうです。なお、「コウノドリ」のbabyは演奏中はカツラをかぶって変装をしていますが、実在するモデルである荻田先生は演奏中にカツラを被る事は無いようです。

漫画「コウノドリ」の実在するモデルの漫画のような日々

ライブでの演奏は?

まるで漫画のような現実を送っている萩田先生の、ライブ情報や、講演活動などについて調べました。荻田和秀先生は産婦人科医としても精力的に働いており、それだけでも大変なのに、現在でも三か月に一度位のペースで、ライブハウスでセッションを行っています。ライブ情報は荻田先生のツイッターでも告知されています。主に宝塚市でライブを行っているようですが、広島のライブハウスで演奏することもあるようです。

荻田先生は母子医療センターでの仕事、ライブハウスでのジャズピアニストの他にも、講演会で全国各地を飛び回っています。ある月は、月初めに徳島へ日帰りで行き、その数日後の三日間の連休では大阪と東京を二往復しています。そしてその三週間後にはジャズライブも行っています。

ドラマ「コウノドリ」

ドラマ版の「コウノドリ」は、綾野剛さん主演で、2015年に第一弾が放映されました。第一弾が好評だったため、2017年には第二弾が放映されました。このドラマ版「コウノドリ」とも荻田和秀先生は大きく関わっています。ドラマ版との関わりについて見ていきましょう。

ドラマにも出演

コウノドリ第一弾の最終回では荻田先生も出演されました。実在のモデルと、サクラを演じた綾野剛さんが同じ作品にでたことになります。最終回の第十話では、心肺停止状態の妊婦に対して蘇生をはかりながら帝王切開を行う「死戦期帝王切開」にサクラ達が挑戦します。これはこのドラマが放映された一年程前に、実際に荻田先生が行った非常に難しく稀な手術です。

宮沢氷魚さんとトークショーに

荻田先生はコウノドリの出演者である宮沢氷魚さん、同番組の企画プロデューサー鈴木早苗さんと共に、日本財団が企画したトークショーにも出演されました。周産期医療のリアルやドラマ化の心境についてお話されたようです。

コウノドリのドラマのサイトには、主役のモデルである荻田先生が悩み相談を受け付ける「ペルソナ総合医療センター産科外来」というページが作られました。実在する「鴻鳥サクラ」のモデルであるだけあって、荻田先生は、ここでも相談者の悩みに真摯に答えていらっしゃいます。ドラマ第一弾・第二弾それぞれにHPがあり、どちらでも”開院”されています。

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第296回(2016年5月30日放送)では「命の医療チーム、母子の伴走者」というタイトルで、萩田和秀先生が紹介されました。ドラマ第一弾の最終回でも扱った「死戦期帝王切開」について、最悪のケースを想定して準備し、訓練を積んだ成果が発揮されたこと、そしてそれには救命センターとの合同訓練が不可欠であったと話されています。

「コウノドリ」のモデルは生命賛歌を奏でる方だった!

新しい命が無事に誕生するために荻田先生は見守っている

正常なお産には医師はいりません。けれども、異常事態はいつ何時起きるのか予測もつきません。荻田先生は、その日が来ない事を祈りつつも、いざという時の為に症例や手法を研究したり、他科や救命センターとの合同訓練を行い、最悪の事態に備えていました。その生命に対する真摯な姿は、漫画の「コウノドリ」の鴻鳥サクラそのものでした。最後に、その姿をまとめてみました。

荻田和秀先生のツイッターでのつぶやきには、時々、赤ちゃんがたくさん生まれた事が書かれています。なお、近年の日本の周産期死亡率(死産と新生児の死亡数の割合)は世界で最も低いのだそうです。荻田先生は、産科は基本的に医者がいらない科だが必要な時に医師の値打ちが出る科だ、とおっしゃっています。医療センターでは、正常なお産にはなるべく手は出さず、異常事態に備えて見守る方針だそうです。

実在する「コウノドリ」のモデル荻田和秀先生

ある時は周産期医療という「普通は医師が必要のないお産」でおきる異常事態に果敢に挑み母子の体を守るスーパードクターであり、またある時は音で会話をするジャズピアニストとして人々の心に語り掛けています。そして、命の大切さを何よりも肌で感じ、命を守るために前もって準備をする事を欠かさず、日々研究を続けていました。そんなコウノドリを是非読んでみてはいかがでしょうか?

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