【キャプテン翼】三杉淳は心臓病の最強天才フィールド貴公子!青葉弥生との関係は?

「キャプテン翼」の三杉淳は最強の天才プレーヤーと言われていますが、心臓病を抱えていることから「ガラスのエース」と呼ばれています。ここでは三杉淳の病気についてと三杉淳の試合での活躍を見ていきます。またマネージャーの青葉弥生との関係についても迫っていきます。「キャプテン翼」のキャラクターを最強ランキングにして紹介し、アニメ「キャプテン翼」で三杉淳の声優斉藤壮馬さんについても紹介します。

【キャプテン翼】三杉淳は心臓病の最強天才フィールド貴公子!青葉弥生との関係は?のイメージ

目次

  1. 三杉淳とは?
  2. 三杉淳は心臓病の天才フィールドの貴公子!
  3. 三杉淳と青葉弥生の関係について
  4. 三杉淳に関する4つのこと
  5. 三杉淳の順位は?最強ランキングTOP10
  6. 三杉淳に対する感想や評価は?
  7. 三杉淳の最強天才キャプテン翼まとめ!

三杉淳とは?

三杉淳とは「キャプテン翼」に登場するキャラクターで、最強の天才プレイヤーと言われています。小学生の頃からハイレベルなテクニックを見せる三杉淳。しかし三杉淳は心臓病を抱えています。そのためフル出場することが難しく、周りからは「ガラスのエース」と呼ばれています。ここでは「キャプテン翼」の主人公・大空翼よりも強い?と言われる最強の天才プレーヤー・三杉淳の病気のことや彼の試合での活躍を見ていきます。

また「ガラスのエース」三杉淳とマネージャーの青葉弥生の関係についても見ていきます。さらに「キャプテン翼」のキャラクターの最強ランキングTOPを紹介します。そしてアニメ「キャプテン翼」で三杉淳の声を担当している声優の斉藤壮馬さんについても紹介します。

キャプテン翼の作品情報

「キャプテン翼」は、高橋陽一が描くサッカー漫画です。1981年から1988年まで「週刊少年ジャンプ」で連載されました。主人公の大空翼が、サッカーを通して成長していく姿を描いた漫画で、日本中にサッカーブームを巻き起こしたと言われている作品です。「キャプテン翼」は、1983年にアニメ化され、1986年までテレビ東京系で放送されました。2018年4月からは第4作が放送されています。

ガラスのエースこと三杉淳

「キャプテン翼」の三杉淳は、小学生の頃から最強の天才と呼ばれるプレーヤーです。ポジションはミッドフィルダーで、技術や戦術眼はハイレベルで、すべてにおいて主人公の大空翼よりも優れていると言われていました。しかし三杉淳は、心臓病を抱えているため、長い時間プレーすることができません。そのため三杉淳は「ガラスのエース」と呼ばれています。

「ガラスのエース」・三杉淳は、大空翼との対戦を何より大事にしていたので、他の試合の出場を控え、大空翼と少しでも長く戦えるように調節していました。また三杉淳は指導力も高いということで、病気でプレーできないときは、コーチをすることもあります。「キャプテン翼」のジュニアユース編では、代表コーチをしました。三杉淳は、病気さえなければ日本を代表する最強のプレイヤーになっただろうと言われています。

ファンクラブができるほどのルックス

「ガラスのエース」こと三杉淳はサッカーの最強天才プレーヤーですが、ルックスも「キャプテン翼」でトップクラスのイケメンです。その上、スタイルも良く勉強もできるという完璧なキャラクターです。そんな三杉淳は、小学生ですでにファンクラブができました。試合ではファンクラブの女の子たちが熱い声援を贈ります。

キャプテン翼 テレビ東京アニメ公式

三杉淳は心臓病の天才フィールドの貴公子!

「キャプテン翼」で「ガラスのエース」と呼ばれる三杉淳は、最強の天才プレーヤーです。その実力は「キャプテン翼」の主人公大空翼より上なのでは?と言われています。ここでは最強の天才プレーヤー三杉淳の小学生時代から中学、高校時代から全日本代表でのプレイなどを紹介していきます。

翼と対戦した小学生編

小学生の三杉淳は武蔵FCでキャプテンでした。全国大会で、三杉淳は大空翼との対決のために、体を休めていました。大空翼との対決が実現したのは、準決勝で、三杉淳は前半後半をフルで出ようと意気込みました。三杉淳は鮮やかなドリブルや翼をしのぐオーバーヘッドキックなど、その高いテクニックとリーダーシップを翼に見せつけます。

また「オフサイドトラップ」というハイレベルな戦術を駆使する三杉淳とそのチームに、大空翼は戦う意欲を失くしました。しかし、後半になると、心臓病のため具合が悪くなり、プレーができなくなりました。その機に乗じて大空翼が立ち直り、結局負けてしまいました。

心臓病の治療に専念した中学生編

「ガラスのエース」と呼ばれる三杉淳は、中学生になると心臓病の治療に2年間を費やしました。病気治療に専念した後、3年生になった時には30分間だけという約束で、プレイができるようになりました。中学生最後の全国大会では、再び大空翼との対戦を熱望し、東京都大会に挑みます。

三杉淳は、病気で2年もの間サッカーから離れていたとは思えない最強プレイを見せますが、またしても発作を起こしてしまいます。三杉淳は途中で退場となり、チームは敗退しました。三杉淳は、全国大会での大空翼の試合をすべて観戦しました。

三杉淳が患った心臓病とは?

「ガラスのエース」と呼ばれる三杉淳が患っている心臓病は、子どもの頃から抱えているということで、先天性の心臓病なのでは?と言われています。心臓疾患という病気を抱えたまま、サッカーができるの?という声もあるそうですが、病気の状態によってはあまり運動制限が掛からない場合もあるそうです。

病気がなければ大空翼より強かった?

大空翼にとって三杉淳は、どのような思いを抱く選手なのでしょうか?大空翼にとって三杉淳は、絶対勝てないと思わせられる選手だということです。心臓病を抱え、思うようにプレイできない状態でも、高いテクニックとリーダーシップで相手を追い詰める姿は、大空翼にとって脅威でした。

「ガラスのエース」と言われる三杉淳は、病気のためフル出場をすることがあまりないので、彼のチームは大空翼のチームに負けてしまったりします。しかし大空翼は、チームは勝っても最強の天才プレーヤー・三杉淳には勝てないと思っています。

全日本に参加するジュニアユース編

「キャプテン翼」の「ジュニアユース編」では、三杉淳は全日本の特例コーチとなり、ヨーロッパ遠征に参加しました。三杉淳は、大空翼の全日本代表に推薦しました。大会では、アルゼンチン戦に選手として出場し、持ち前の鮮やかなドリブルとオーバーヘッドキックによって決勝となるゴールを挙げました。

また、準決勝のフランス戦では途中から出場し、延長戦を戦い勝利しました。三杉淳は、コーチとして対戦チームのデータ収集に務め、選手ではそのデータを元にした攻撃をし、相手を圧倒しました。

心臓病が完治したワールドユース編

高校生になった三杉淳は心臓病の治療に努め、完治しました。「ガラスのエース」と言われた三杉淳は、病気を克服し、思いっきりサッカーをできるようになりました。全日本ユースに戻った三杉淳に、チームメイトたちは歓迎しました。三杉淳はミッドフィルダーからディフェンダー(リベロ)にポジションを変えました。

心臓病の治療中にはドライブシュートを習得しており、三杉淳はアジア予選に挑みます。タイ戦ではそのドライブシュートで同点となるゴールを決めるなど、決勝までの全試合をフルで出場しました。試合では三杉淳の体を気遣うチームメイトに、優勝するためなら体はどうなってもいいと言うなど、強い気持ちを見せています。

FC東京でプレイするROAD TO 2002

プロサッカー選手としてFC東京に入団した三杉淳。ポジションを右のミッドフィルダーとした三杉淳は、コンサドーレ札幌との試合で、共に「黄金世代」と言われている松山光と壮絶な戦いを繰り広げました。三杉淳は、華麗なフライングドライブシュートを決め、これが先制のゴールとなりました。

FC東京とは?

三杉淳が入団したFC東京はJ1クラブで、本拠地が東京都調布市の「味の素スタジアム」となっています。FC東京は、東京ガスのサッカー部として1935年に生まれ、改名してFC東京となったのは1999年です。J1に昇格したのは2000年で、その後2004年、2009年にナビスコカップ(現在はルヴァンカップと言う)優勝を果たし、強豪チームとしてJリーグで名を馳せています。

「キャプテン翼」でFC東京に入団した三杉淳のレプリカユニフォームを作ったり、また2001年当時、試合が始まる前のビジョンに三杉淳の映像を流すなどのコラボレーションが行われました。

岬や松山と3Mを形成したGOLDEN-23

マドリッド・オリンピックのアジア予選に招集された三杉淳は、アジア予選の前に行われたデンマーク戦とナイジェリア戦で、松山と岬の3人で3Mを形成しました。3Mとは、ミッドフィルダーが岬で、ボランチ松山、そしてリベロが三杉という縦のパターンと、この3人をミッドフィルダーとした横パターンの2つの種類となります。デンマーク戦で3Mは相手を圧倒。

しかしナイジェリア戦では強敵オチャドには通じないという場面もありました。三杉淳はドライブシュートで得点を狙いますが、阻まれます。それはオーストラリア戦においても同じで、三杉淳の能力が弱まっていると感じさせる場面となっています。

天才らしい活躍を見せるライジングサン

マドリッド・オリンピックでの三杉淳は、初戦のオランダ戦において、オーバーヘッドで先制となるゴールを決めました。また、相手のオーバーヘッドを、まるでアクロバットの様にブロックしたり、相手の動きを封じるプレイで天才ぶりを披露しました。

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三杉淳と青葉弥生の関係について

ここまで「ガラスのエース」と呼ばれる最強の天才プレーヤー・三杉淳の、小学生時代から全日本代表までのプレイなどを見てきました。また、三杉淳が抱える心臓病についてやライバル大空翼との対戦について見てきました。ここからはマネージャー・青葉弥生と三杉淳の関係について見ていきます。

青葉弥生との出会い

青葉弥生は元は同じ小学校に通っていた大空翼に憧れていましたが、翼が転校したあと弥生自身も転校し、三杉淳と出会いました。弥生は一目で三杉淳を好きになりました。そして弥生は、武蔵FCのマネージャーとなりました。

三杉淳と青葉弥生の関係

三杉淳を好きになった青葉弥生は、いつも傍にいて世話をします。ある時弥生は、三杉淳が心臓病だと知りました。全国大会で大空翼率いる南葛SCと対戦することになりました。青葉弥生は翼に会い、三杉淳が心臓病だと告げます。その上で、わざと試合に負けて欲しいと翼に依頼しました。いよいよ武蔵と南葛の試合が始まりました。大空翼は三杉淳の病気のことが気になっています。三杉淳はいつもの翼と様子が違うことに気づきます。

三杉淳は翼に、病気のことを聞いたのか?と聞きました。動揺を隠せない翼。そんな翼の様子を見て、三杉淳はいつもと違う翼のプレイの意味を理解しました。三杉淳が病気を抱えながらもいつも通りの見事なプレイをするので、翼は圧倒され戦う意欲を失くしました。ハーフタイムとなり、三杉淳は青葉弥生に「男同士の勝負に女が口を出してほしくない」と言いました。青葉弥生は、泣きながら「すみません、キャプテン」と答えました。

試合が終わり、精魂尽き果てた三杉淳を支える青葉弥生。三杉淳は青葉弥生に感謝を伝えました。中学のサッカー部でもマネージャーになった青葉弥生は、心臓病からの復活のためリハビリに励む三杉淳を支えました。中学3年生となりサッカーを再開できることになった三杉淳と青葉弥生は、手を取り合って喜びました。その後、三杉淳と青葉弥生は恋人同志になります。三杉淳は「弥生」と呼び、弥生も「淳」と呼ぶようになりました。

恋人同志となった三杉淳と青葉弥生ですが、大空翼が早苗と結婚するなど、同級生たちが結婚を決めていくのに対し、二人の仲は変わりません。それは心臓病を克服したかに見えて、実はまだ再発の心配があり、三杉淳は結婚に踏み切れずにいたのです。弥生を一生守る約束ができないという三杉淳に、弥生は「そんなこといいのに、私が守るから」と答えます。このように三杉淳と青葉弥生の関係は恋人同志ですが、結婚には至っていません。

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三杉淳に関する4つのこと

ここまで「キャプテン翼」の最強の天才プレーヤー・三杉淳について見てきました。三杉淳は心臓病を抱えているため「ガラスのエース」と呼ばれています。その三杉淳のサッカー選手としての軌跡を紹介し、青葉弥生との関係についても見てきました。ここからは「ガラスのエース」・三杉淳に関する4つのことについて見ていきます。

①三杉淳のモデル

三杉淳のモデルのサッカー選手といえば、羽中田昌(はちゅうだまさし)さんが考えられるそうです。小さい頃からサッカーの才能を見せ、高校に入ると1年生からレギュラーで、その年の全国大会で準優勝しています。そんな活躍を見せていた羽中田さんですが、高校2年生で腎臓病となり、プレイできる時間が15分だけとなってしまいます。しかし羽中田さんは、病気を抱えていても鋭いドリブルを駆使し、活躍しました。

高校卒業後、バイクの事故で下半身不随となり、サッカーができなくなりました。羽中田さんは一度は就職をしますが、どうしてもサッカーを諦められず、指導者を目指し、S級ライセンスを取りました。このライセンスはJリーグで監督ができるというライセンスです。J2のカマタマーレ讃岐を経て、地域リーグで監督をするなど経験を重ね、現在は千葉のフリオベッカ浦安という社会人クラブの監督です。

病気と闘いながら、ハイレベルなサッカーを見せた羽中田さんは、「キャプテン翼」で心臓病を抱えながら華麗なプレイを見せる三杉淳と重なると言われています。病気やケガがなければ、羽中田さんは三杉淳のように、日本のトッププレイヤーになっていただろうと言われています。

②三杉淳が広めた戦術のオフサイドトラップ

「キャプテン翼」の三杉淳は、小学生のときに高度な戦術を見せました。それは「オフサイドトラップ」です。大空翼との対戦のときに見せたこのオフサイドトラップは、2018年のワールドカップにおいて日本代表チームも使いました。

オフサイドトラップとは、相手チームの選手をオフサイドポジションに誘い込むことで、相手チームにオフサイドの反則を取らせるプレーです。ディフェンダー間の連携が重要になり、ディフェンスラインを横一直線の状態にし、相手がパスを出す瞬間にディフェンスラインを少し引き上げ、パスを受ける相手をオフサイドポジションに置き去りにして、オフサイドにするというやり方が一般的です。オフサイドトラップが失敗した場合は失点の可能性が高まるため、非常にリスクの高い戦術と言えます。

オフサイドトラップ

③三杉淳の名言がかっこいい

「キャプテン翼」の三杉淳は、大空翼との対戦ではフルで出場しようと意気込みましたが、途中で具合が悪くなります。そのときに言った言葉が「僕は心臓病なんかに負けない」で、痛みに耐え、ライバルである大空翼に対して挑んでいくときに言いました。次にアニメ「キャプテン翼」の三杉淳の声優を紹介します。三杉淳の声優は斉藤壮馬さんです。

④三杉淳の担当声優

アニメ「キャプテン翼」の三杉淳の声を担当しているのは、声優の斉藤壮馬(さいとうそうま)さんです。声優の斉藤壮馬さんは1991年生まれ、高校で映画やアニメで声優に興味を持ち、2008年のオーディションで優秀賞受賞。その後早稲田大学在学中に声優養成所に入所しました。声優デビューは「剣と魔法と学園モノ。2G」です。そして2014年アニメ「ハイキュー!!」に出演、同年「アカメが斬る!」が声優として初主演です。

「キャプテン翼」の三杉淳の声優、斉藤壮馬さんの声が三杉淳のイメージに合っていると好評です。それではここで声優斉藤壮馬さんの主な出演作を紹介します。

  • 2015年「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]ヤマギ・ギルマトン役
  • 2016年「ハルチカ~ハルタとチカは青春する~」上条春太役
  • 2017年「バチカン奇跡調査官」ローレン・ディルーカ役
  • 2017年「活撃 刀剣乱舞」鶴丸国永役
  • 2018年「ピアノの森」一ノ瀬海役
  • 2019年「今日もツノがある」ネッシー

三杉淳の順位は?最強ランキングTOP10

アニメ「キャプテン翼」で三杉淳の声優をしている斉藤壮馬さんについて紹介してきました。ここで「キャプテン翼」のキャラクターの、最強ランキングTOP10を紹介します。「キャプテン翼」には、様々な天才と言われるプレイヤーたちが登場します。それでは最強ランキングTOP10を見ていきます。

第1位:三杉淳(DF)

三杉淳(みすぎじゅん)は「ガラスのエース」と言われていますが、小学生時代から「オーバーヘッド」を見せるなど、ハイレベルな技術力で、天才プレーヤーと言われています。しかし心臓病のためフルで出場することが難しく「ガラスのエース」と言われていましたが、天才的なプレイで何度もチームを勝利に導きました。ドリブルはハイレベルで、心臓病が治ってからは「ドライブシュート」などで相手を圧倒しました。

第2位:若林源三(GK)

若林源三(わかばやしげんぞう)は、天才ゴールキーパーと呼ばれ、その実力は世界的にも認められています。小学校を卒業後、ドイツのハンブルグに入団し、努力を重ね、正GKの座を勝ち取ります。全日本との対戦で、正GKとして実力を大いに発揮しました。全日本に合流してからは、チーム力をアップさせるため、嫌われ役になるなど勝利に導きました。GKとしてすでに一流と言われ、15歳でプロデビューしました。

第3位:大空翼(MF)

「キャプテン翼」の主人公・大空翼(おおぞらつばさ)は、ずば抜けた身体能力を持ち、高い技術力を持つまさにサッカーをするために生まれたような選手です。小学生から「オーバーヘッドキック」を習得し、中学時代には「ドライブシュート」を駆使する才能あふれる選手です。ワールドユース編では「フライングドライブシュート」や「スカイウィングシュート」という強烈なシュートなどを使用します。

第4位:松山光(DF)

松山光(まつやまひかる)は、自分は大空翼たちのような天才ではないから努力をするしかないと、常に努力を重ねる選手です。また、光はキャプテン気質で、翼には光こそキャプテンだと言われたりしました。キープ力に優れ、ボールを相手に絶対渡しません。「イーグルショット」という地面を這うような低いロングシュートや、「鉄砲水タックル」などがあります。

第5位:岬太郎(MF)

岬太郎(みさきたろう)は、小学生時代は大空翼とのコンビプレイで「ゴールデンコンビ」と言われていました。適応力に優れ、誰とでもコンビプレイを実践できるという才能を持っています。得意技は「ジャンピングボレー」や「時間差オーバーヘッド」、「ブーメランシュート」などです。

第6位:日向小次郎(FW)

日向小次郎(ひゅうがこじろう)は、明和FCの中心選手で、パワーを生かした天才的プレイで「猛虎」と言われています。大空翼とはライバル関係でしたが、全日本では大空翼と息の合ったプレイを披露します。ジュニアユースでは「ネオ・タイガーショット」という技で日本を優勝に導きました。高校ではさらに強力な技「雷獣シュート」を習得しました。

第7位:立花兄弟の兄・政夫(MF)

立花兄弟の双子の兄・政夫は、弟・和夫と共に見せるコンビプレイが得意です。二人共に身軽さが特徴で、アクロバットの様な技を多く持っています。ワールドユース編では「ムササビジャンプ」や「山猿キープ」など個人の技を身につけるなど、一人でも活躍を見せています。

第8位:立花兄弟の弟・和夫(MF)

立花兄弟の双子の弟・和夫も、中学生編で見せた兄・政夫とコンビで行う「スカイラブハリケーン」が得意技です。双子の兄との息の合ったコンビプレイは、相手にとって脅威です。ただしこの技は、大人になり体が大きくなったため負担が大きく、行われないようになりました。

第9位:新田瞬(FW)

新田瞬(にったしゅん)は、大空翼の1年後輩です。大空翼の後を継いで南葛SCの中心選手となりました。50mを6秒で走る俊足です。持ち前のバネを生かした「隼シュート」という技を持ち、日向とツートップで全日本代表を務めました。GOLDEN-23ではデンマーク戦で2つのゴールを決めるなど、今後の成長が期待されています。

第10位:若島津健(GK)

若島津健(わかしまづけん)は、ポジションはGKですが、「GOLDEN-23」ではFW兼任となりました。シュート、ドリブル、どのプレイも一流と言われています。GKとしても中学時代はNo.1と言われ、ジュニアユースに選ばれました。「攻めの若島津」と呼ばれ、横浜フリューゲルスに入団しました。

三杉淳に対する感想や評価は?

この方はGKの若林源三を推しているけれど、一番かっこいいのはジュニアユース編での三杉淳のプレイだという感想です。

オフサイドトラップを繰り出した三杉淳がかっこいいという感想です。このオフサイドトラップは、実際に2018年のワールドカップで日本代表も使った技で、当時「キャプテン翼」の三杉淳という名前と共に話題になりました。

この方も、ワールドカップで日本代表が使い成功させたオフサイドトラップについて、「キャプテン翼」の三杉淳という名前と共に話題となったことがすごいという感想です。

三杉淳の最強天才キャプテン翼まとめ!

いかがでしたか?「キャプテン翼」で最強の天才プレーヤーと言われる三杉淳について見てきました。三杉淳が「ガラスのエース」と呼ばれる理由は彼が抱える心臓病が原因でした。三杉淳は、心臓病を抱えながらも天才プレーヤーとして活躍し、チームを勝利に導く様子を紹介してきました。

そして「キャプテン翼」のキャラクターを最強ランキングにして紹介し、アニメ「キャプテン翼」で三杉淳の声優の斉藤壮馬さんについても見てきました。声優の斉藤壮馬さんの声が三杉淳と合っていると好評だそうです。日本中にサッカーブームを巻き起こした「キャプテン翼」で「ガラスのエース」と呼ばれる三杉淳の活躍をお楽しみください。

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