【スラムダンク】流川楓のその後を考察!アメリカに留学してプロ選手になった?

流川楓はその後に大きな関心が寄せられている、スラムダンクの登場キャラクターです。スラムダンクの流川楓は、作中で際立ったスター性を見せ、主人公の桜木花道のライバルとなる人気キャラクターで、アメリカ留学を志していたことから、その後が気になる存在と注目されています。スラムダンクの流川楓のその後について、アメリカに留学したのか?NBAのプロ選手になったのか?考察していきます。

【スラムダンク】流川楓のその後を考察!アメリカに留学してプロ選手になった?のイメージ

目次

  1. 流川楓とは?
  2. 流川楓のその後を考察!アメリカに留学した?
  3. 流川楓はプロのバスケ選手になる?
  4. 流川楓のモデルや名前の由来
  5. 流川楓に関する感想や評価
  6. 流川楓のその後まとめ

流川楓とは?

流川楓とは、バスケットボールを題材にした人気の少年漫画・スラムダンクの登場人物です。流川楓はスラムダンクのキャラクターの中でも、非常に人気の高いキャラクターで、作中でも多くの活躍シーンがある人物です。流川楓はスラムダンクで描かれた本編のその後、アメリカに行ったのか?プロになったのか?と注目されています。ここでは、流川楓のその後について、様々な可能性を考察していきます。

スラムダンクの作品情報

スラムダンクの概要

スラムダンクのストーリーのその後、進退が注目されている流川楓について、アメリカ留学したのか?NBAのプロ選手になったのか?詳しく考察していく前に、スラムダンクの作品情報を紹介します。スラムダンクは1990年から1996年までの間、週刊少年ジャンプにて連載されていた作品です。作者は「バガボンド」や「リアル」などの作品でも著名な、日本の漫画家・井上雄彦です。

スラムダンクは、当時では少数だった「バスケットボール」を題材としたスポーツ漫画です。スラムダンクは高い画力で描かれる臨場感のある試合シーンや、バスケ素人だった主人公が成長していくストーリーなど、多くの魅力が人気を博して大ブームとなりました。単行本は31巻まで発売されており、シリーズの累計発行部数は全世界で1億7000万部を突破し、世界的な人気作品として高い知名度を誇ります。

1990年代にテレビアニメも放送され、劇場版アニメも公開されるなど、メディアミックスが盛んなスラムダンクは、世代を超えた人気を獲得する作品です。原作漫画が連載を終えて26年半も経過した2022年、完全新作のアニメ映画「THE FIRST SLAM DUNK」が公開され、話題を集めました。

スラムダンクのあらすじ

スラムダンクの主人公は、湘北高校一年生の桜木花道です。恵まれた長身の花道でしたが、スポーツには無縁の人物でした。数々の女性に振られてきた花道は、ある時バスケ部にスカウトしてきた晴子と出会います。一目で恋に落ちた花道は、晴子に近づくため、大嫌いだったバスケ部に入部します。当初は不純な動機でバスケ部に入った花道でしたが、徐々にバスケの楽しさに気づき、真剣に競技に打ち込んでいきます。

流川楓のプロフィール

スラムダンクに登場する人気キャラクター、流川楓のプロフィールを紹介します。流川楓は湘北高校一年生の生徒で、バスケ部のエースとして期待されている選手です。中学校時代は富ヶ丘中学校でバスケットをしており、その天才的なセンスと高い実力がすでに注目を集めていました。中学時代に才能を見出されていた流川楓は、数々のバスケ強豪校からスカウトを受けていましたが、家から近い湘北高校を進学先に選んでいます。

流川楓は非常に負けず嫌いな性格で、普段はバスケに真摯に向き合うストイックな人物です。その一方で、不良に売られた喧嘩を買って返り討ちにするなど、気の強いキャラクターでもあります。バスケ以外の物事には関心が薄く、授業中も寝てばかりいるなど、まさにバスケ中心の生活をしています。流川楓はバスケの実力のみならず、サラサラの黒髪に長いまつ毛など、見た目の爽やかさでも女性人気が非常に高いキャラクターです。

女性人気の高い流川楓は、作中でも「流川親衛隊」が結成されるほどで、花道の想い人でヒロインの晴子からも、密かに恋心を寄せられています。しかし、本人には全く女っ気がなく、晴子にも冷たく接したことから花道の怒りを買い、その後はあらゆる局面で張り合う犬猿の仲になります。スラムダンクの主人公・花道の「終生のライバル」となる人物と描写され、スラムダンクにおける重要なメインキャラクターです。

流川楓のポジション

スラムダンクの流川楓は、作中ではオールラウンダーとして湘北高校のエースを負かされています。流川楓の背番号は作中で10番から11番に変わっており、ポジションはフォワード、スモールフォワードです。バスケにおいてスモールフォワードは、オフェンス面でもディフェンス面でも活躍する、重要なポジションです。主にチームのエースが任されるポジションで、流川楓は湘北高校バスケ部のエースとして認められています。

スラムダンクに登場する他のチームのスモールフォワードは、陵南の仙道や山王の沢北などがいます。流川楓はスモールフォワードを任されるエースとして、他のチームの天才プレイヤーとも激突していきます。まだ一年生の流川楓にとって、仙道や沢北は格上の相手でしたが、持ち前のセンスと負けん気の強さで立ち向かい、どんどん成長していきました。

流川楓のバッシュ

スラムダンク作中で描写された、流川楓のバッシュを紹介します。流川楓が使用しているバッシュは、ナイキのエア・ジョーダン5です。エア・ジョーダンと言えば、世界的に有名なバッシュのモデルとして、バスケをしない人からも人気のバッシュです。エア・ジョーダン5はバッシュとしてはシンプルなデザインで、白を基調としており赤と黒がアクセントになっています。

流川楓愛用のバッシュ、エア・ジョーダン5のモデルとなったのは、第二次世界大戦時の戦闘機マスタングだとされています。アウトソールには有名なアイコンである、ジャンプマンがデザインされています。シンプルかつ機能面でも優れているバッシュで、スター選手である流川楓らしいモデルとなっています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』

流川楓のその後を考察!アメリカに留学した?

その後①アメリカへの留学を目指す流川

スラムダンクの流川楓のその後を考察していきます。まず、流川楓のその後は、アメリカに留学したのでは?と考察されています。スラムダンク作中で、流川楓はバスケ部顧問の安西にアメリカ留学について相談しています。スラムダンクの本編でも、流川楓がアメリカ行きを目指しているとはっきり描写されています。流川楓はアメリカへ行く理由を「もっとバスケが上手くなりたい」と語っています。

スラムダンクの最終章で、流川楓ら湘北高校バスケ部は、インターハイの二回戦で山王工業高校と対戦します。山王工業高校は、スラムダンク作中で「インターハイ優勝候補筆頭」と言われるほど、名門強豪校として知られています。明らかに格上の相手と戦うこととなった流川楓でしたが、激闘の末に山王工業高校に勝利しています。奇跡的なジャイアントキリングとなった山王戦ですが、湘北高校は次の三回戦で敗退してしまいます。

インターハイで優勝はできなかった湘北高校ですが、山王戦で高い実力が注目された流川楓は、全日本高校選抜のメンバーに抜擢されています。ユニフォームには「JAPAN」の文字が印字されており、ライバルである花道にこの「JAPAN」ユニフォームを見せつけていました。日本国内で実力を認められた流川楓は、その後更なる高みを目指して、アメリカ留学すると考察されています。

その後②「あれから10日後」での様子

流川楓のその後は、「あれから10日後」での様子からも考察されています。スラムダンクが連載を終了した8年後の2004年に公開された、スラムダンクのストーリーのその後を描く「あれから10日後」では、流川楓は英語のリスニングをしていました。

スラムダンク作中で、流川楓はポータブルプレイヤーを愛用しており、洋楽を聞いている様子も登場しています。「あれから10日後」では、流川楓は英語の勉強をしており、アメリカ行きのために努力している様子でした。

その後③沢北は一足先にアメリカへ

スラムダンクに登場する沢北は、高校バスケ界において、全国でトップの選手と言われています。流川楓は山王戦で沢北と戦っており、トップ選手である沢北に影響を受けている面も見せていました。

スラムダンク作中で、沢北は「アメリカへ行く」と公言しており、「あれから10日後」ではアメリカ行きの便に乗っている姿が描かれました。ライバルでもあり目標でもある沢北がアメリカへ行っていることから、流川楓も同じようにアメリカへ渡ると考察されていました。

その後④アメリカへの留学は急いでいない?

スラムダンクの流川楓は、作中でアメリカへ行きたいと意志を示していることからも、アメリカ留学すると考察されています。しかし、アメリカ留学自体は急いではいない様子でした。流川楓は、顧問の安西にアメリカ留学に関して相談していますが、そこで安西が過去に目をかけていた矢沢という人物の話をされます。現在は仏のような指導者の安西も、かつては鬼のような厳しさのコーチでした。

安西が過去に指導し、才能を高く評価していた矢沢は、安西に相談せずにアメリカに行ってしまいます。十分な準備もなくアメリカへ渡った矢沢は、そこで様々な壁にぶつかり、挫折してしまいます。その後、交通事故で亡くなるという悲しい最期を迎えた矢沢の話を聞き、流川楓は急いでアメリカ留学することを思いとどまります。安西からは、まず日本一の高校生になりなさいと諭されていました。

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流川楓はプロのバスケ選手になる?

流川楓は日本代表になる?

スラムダンクの流川楓は、その後プロのバスケ選手になると予想されています。流川楓は全日本高校選抜メンバーにも選ばれており、日本代表になって活躍すると考察されています。流川楓は、高校一年生のインターハイで強豪の山王工業高校と戦い、先にアメリカ留学した沢北ともぶつかっています。全国区でも高い実力を評価される選手に成長した流川楓は、何年か後にはプロバスケ選手になっていると予想されています。

流川楓はNBA選手になる?

スラムダンクの流川楓は、将来はプロのバスケ選手になると考察されていました。アメリカ留学も目指している流川楓は、NBAの選手になるのでは?とも考えられています。スラムダンク作中では、具体的にNBAの選手を目指しているとは語られませんでしたが、バスケの本場であるアメリカに渡り、プロのバスケ選手として活躍する将来だとすれば、NBAの選手になるのでは?と予想されています。

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流川楓のモデルや名前の由来

流川楓のモデル

スラムダンクの流川楓のモデルとなったのは、NBAのスター選手として著名なマイケル・ジョーダンです。マイケル・ジョーダンはNBAで活躍していた全盛期、高い得点力とスター性で「バスケットの神様」と呼ばれた、伝説的なバスケ選手です。マイケル・ジョーダンは、彼が背負った背番号「23番」が永久欠番になっているチームもあるほど、高い人気とカリスマ性を誇っているNBA選手です。

NBAのスター選手であるマイケル・ジョーダンをモデルとした流川楓は、オフェンス力に優れたプレイスタイルや、左手に付けているアームバンドなどがジョーダンと共通しています。

流川楓の名前の由来

スラムダンクの作者の井上雄彦は、流川楓の名前の由来について語っています。NBAのスター・マイケル・ジョーダンがモデルの流川楓ですが、名前の由来は非常にシンプルで、「川をつけたかった」というものでした。「ラ行」も使いたかったという井上雄彦は、「流川」で「るかわ」と読ませる名前をつけました。ファーストネームの「楓」は特に意味がないとも語っています。

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流川楓に関する感想や評価

スラムダンクの流川楓に関する感想を紹介します。流川楓に関しては、挫折を知らないキャラクターだという感想がありました。流川楓は天才肌な選手ですが、精神力も優れており、もし将来アメリカに渡って強敵にもまれることがあっても、挫折することはないと予想されています。

スラムダンクの流川楓は、かっこいいキャラクターとして非常に人気です。流川楓はバスケ部のエースとしてスター性のあるキャラクターですが、爽やかな見た目と冷静かつ熱い所もある性格など、様々な魅力が評価されています。

スラムダンクの流川楓は、数々の名場面が感動すると評価されています。スラムダンク作中では、主人公の花道と流川楓は犬猿の仲といった関係性ですが、強敵・山王工業との対戦では、流川楓が花道にパスを出しています。流川楓の名シーンでは、このパスを出すシーンや花道とハイタッチするシーンが人気です。

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流川楓のその後まとめ

ここでは、スラムダンクの流川楓のその後をまとめました。流川楓は作中でスタープレイヤーとして注目されていたキャラクターで、アメリカ留学を考えていました。英語のリスニングをするなど、現実的にアメリカ行きを考えていた流川楓は、将来はプロのバスケ選手になってNBAで活躍するのでは?と考察されています。是非、スラムダンクをチェックして、流川楓のかっこいい活躍シーンに注目してみて下さい。

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