あさぎり夕が亡くなった原因は?なかよし時代の少女漫画やBL作品まとめ

日本を代表する少女漫画家・あさぎり夕。数多くの名作漫画を残したあさぎり夕先生は、その可愛らしい絵柄や描き出すストーリーの面白さで多くのファンから愛されている漫画家です。ここでは、人気漫画家・あさぎり夕先生が亡くなった原因について紹介します。また、あさぎり夕先生の数多くの作品の中から、なかよし時代の人気作や、BL作品へ転向した後の作品なども詳しくまとめて紹介していきます。

あさぎり夕が亡くなった原因は?なかよし時代の少女漫画やBL作品まとめのイメージ

目次

  1. あさぎり夕は大人気漫画家
  2. あさぎり夕先生が亡くなった原因
  3. あさぎり夕先生のなかよし時代の少女漫画
  4. あさぎり夕先生のBL作品や転向した理由
  5. あさぎり夕先生に関する感想や評価
  6. あさぎり夕先生が亡くなった原因まとめ

あさぎり夕は大人気漫画家

あさぎり夕先生のプロフィール

1980年代に、少女向け漫画雑誌「なかよし」を中心に活躍した、あさぎり夕先生。日本を代表する人気の少女漫画作家です。そんな大人気漫画家・あさぎり夕先生のプロフィールを詳しく紹介します。あさぎり夕先生は、本名を高野夕里子と言います。1956年7月21日に東京都で生まれたあさぎり夕先生。血液型はO型です。デビュー作となる「光をめざして飛んでいけ」は、1976年のなかよし増刊号に掲載された作品です。

あさぎり夕先生の経歴

あさぎり夕先生は、1980年代に人気漫画雑誌なかよしにおいて、長く連載を続けていた漫画家です。多くのファンがあさぎり夕先生の作品に夢中となりました。そんなあさぎり夕先生のあまり知られていない経歴として、BL漫画家に転向していたという事実もあります。あさぎり夕先生の経歴をまとめていきます。

1976年に「光をめざして飛んでいけ」という作品で、デビューを果たしたあさぎり夕先生。あさぎり夕先生は中学2年生の頃に初めて漫画を投稿し始めます。デビュー作となった「光をめざして飛んでいけ」は、あさぎり夕先生が20歳の時の作品で、第12回なかよし・少女フレンド新人漫画賞に入賞しています。石ノ森章太郎の作風に憧れていたあさぎり夕先生は、SF作品を描いては動きの描写が難しく悩んだこともありました。

あさぎり夕先生は、編集者のアドバイスを元に読者からの受けが良い学園ものを描き始めた頃は、また違った難しさに直面し上手く書けない時期もあったと言われています。デビュー当初は悩んだ時期もあったあさぎり夕先生ですが、人気作品を連発する大人気漫画家と成長していきます。

あさぎり夕先生が亡くなった原因

あさぎり夕が亡くなったのはいつ?

1980年代のなかよし誌面を彩った、大人気漫画家・あさぎり夕。あさぎり夕先生は、2018年10月27日に惜しまれながら、その生涯に幕を閉じました。あさぎり夕先生の訃報は公式ホームページでも伝えられる事となりました。2018年にはさくらももこ先生等、著名な少女漫画家が亡くなっています。あさぎり夕先生の訃報も、彼女の作品を呼んで育ってきた多くのファンに衝撃を与える事となりました。

あさぎり夕が亡くなった原因は肺炎?

あさぎり夕先生の公式ホームページによると、亡くなった原因は肺炎となっています。あさぎり夕先生が亡くなったのは62歳の時です。重い肺炎から回復することが無く、亡くなったあさぎり夕先生。62歳といえば、現代では十分現役で活躍できる年齢でもあり、多くのファンから悲しみの声が挙がっていました。

あさぎり夕先生の訃報が伝えられた時、多くのファンが彼女の代表作やおすすめの作品をSNS上でアップしていました。1980年代になかよしで活躍していた人気漫画家・あさぎり夕先生。彼女の作品を楽しんで大人になったという世代は多く、あさぎり夕先生の作品が大好きだったという声が多く聞かれていました。

あさぎり夕先生のなかよし時代の少女漫画

少女漫画①わたしの恋は星まかせ

大人気漫画家・あさぎり夕先生のなかよし時代の作品を紹介します。まず、「わたしの恋は星まかせ」は、1980年に発行された、あさぎり夕先生の短編集です。わたしの恋は星まかせ以外にも、なかよし誌面に掲載された、秋色ポートレート、初恋かくれんぼ、妖精組曲 銀の森の伝説も収録されています。

わたしの恋は星まかせは、あさぎり夕先生の初期の作品として古き良き要素が楽しめると人気の作品です。まぶしい青春を描いた、いかにも少女漫画という作風のわたしの恋は星まかせ。1980年代の爽やかな少女漫画として愛されています。

少女漫画②きらら星の大予言

きらら星の大予言は、1980年の5月号から、1981年の4月号までなかよしに掲載されていた作品です。作画をあさぎり夕先生が担当しており、原作は水木杏子が担当していました。きらら星の大予言の主人公・きららは、逆立ちすると占いの結果を閃くという少女です。そんな彼女はある日自分を占ってみると、その結果には「ロミオとジュリエット」という言葉が登場します。

ある男性と出会ったきららでしたが、彼はきららの母親のライバルの息子だったのです。本当にロミオとジュリエットになってしまった、きらら。きらら星の大予言は、逆立ち占いのユニークな面白さと、人間関係がもつれていく王道の少女漫画展開で、何度読んでも楽しめると評される作品です。

少女漫画③あいつがHERO!

あさぎり夕先生の作品で、「あいつがHERO!」は、なかよしデラックスに掲載されていた作品です。なかよしデラックス1981年5月号から1982年3月号まで掲載され、人気作品となりました。あいつがHERO!の主人公・若菜は、いつか王子様が現れると夢見る少女です。しかし、ある日彼女の父親は勝手に婚約者を決めてしまいます。その婚約者は、若菜の理想の王子様とはまるで反対の男の子でした。

そんな時、若菜の前に理想通りの王子様のような少年が現れるのでした。登場する様々なキャラクター性の男の子たちが人気となり、若菜が次第に自分で考えて王子様に惹かれていく姿が共感を呼んだ作品です。

少女漫画④こっちむいてラブ!

こっちむいてラブ!は、なかよしの1982年5月号から1983年12月号まで、なかよしに掲載されていた作品です。こっちむいてラブ!の単行本1巻が1982年4月に発行されています。こっちむいてラブ!の単行本は全4巻となっています。こっちむいてラブ!の主人公・ラブは、見た目に少しコンプレックスを抱く少女です。そんな彼女を変身させてくれる、魔法使いが現れます。

こっちむいてラブ!は、テンポよく描かれたシンデレラストーリーとして、人気の高い作品です。紆余曲折ある主人公・ラブの可愛い恋物語は、夢中になって応援してしまうと評されています。

少女漫画⑤アリスの時間

アリスの時間は、なかよしデラックスの1991年6号から、1992年2号まで連載されていた作品です。全3話で終了したアリスの時間は、講談社コミックスなかよしより、全1巻でコミックスも刊行されています。アリスの時間は、あさぎり夕先生のオムニバス形式の作品となっています。

あさぎり夕の他の少女漫画

ここで紹介してきたなかよし時代の作品以外にも、あさぎり夕先生の作品はたくさんあります。あさぎり夕先生の初の単行本となる、「青い宇宙のルナ」も人気の高い作品です。他にも、1979年の「花詩集 こでまりによせて」、1984年の「あしたからのHERO」、1984年の「アップルどりいむ」、1985年の「あこがれ冒険者」、1986年の「なな色マジック」、1990年の「ミンミン!」など、たくさんのファンから愛されています。

あさぎり夕先生のBL作品や転向した理由

あさぎり夕のBL作品

あさぎり夕先生のあまり知られていない経歴として、BL漫画家に転向していたことが挙げられます。王道の少女漫画家として大人気のあさぎり夕先生なので、BL作品も描いていることに驚くファンは多いです。あさぎり夕先生のBL作品についても紹介していきます。あさぎり夕先生は、BLに転向当初はBL漫画を描いていましたが、視力の低下などを原因に原作を手掛けるようになっていきます。

あさぎり夕先生のBL漫画作品としては、「午後の異邦人」、「ノックを3回」、「ラヴァーズ キス」、「瞳のホンネ」などが人気となっています。王道少女漫画を多数描いてきたあさぎり夕先生の可愛らしく繊細な絵柄は、BL作品としても受け入れられ、人気のBL漫画を数多く執筆しています。視力の低下から漫画を描くことに限界を感じたというあさぎり夕先生は、その後はBL小説家としても多数の作品を残しています。

あさぎり夕先生が原作を務めたBL作品は、キャンバス文庫の「瑞穂と剛の用心棒シリーズ」、パレット文庫の「僕たちのシリーズ」、コバルト文庫の「雪之丞事件簿シリーズ」、「御園シリーズ」、「親猫シリーズ」などが人気となっています。他にも様々な出版社から、数多くのBL小説を世に送り出しているあさぎり夕先生。漫画家・原作者・小説家と、とてもマルチな才能を発揮し、一時代を築いた人物なのです。

あさぎり夕がBL作品に転向した理由

あさぎり夕先生がBL作品へと転向した理由を紹介します。あさぎり夕先生はBL作品を描いた事については、「本性を表しただけ」と語っています。あさぎり夕先生は王道少女漫画で人気を博した漫画家ですが、実は最初からこの路線で作品を描きたいと思っていたと語っています。デビュー前からBL路線でいきたいと思っていたあさぎり夕先生ですが、出版社へBL作品を持ち込んだところ、この路線では受け入れられないと否定されています。

現在では人気のBL作品は数多く出版されており、一大ジャンルとなっています。BLという作風も知名度が高くなり、受け入れられています。しかし、あさぎり夕先生が漫画家を志していた1970年代では、BLを扱った作品は非常にマイナーであり、メジャー雑誌の誌面に掲載できるジャンルではなかったのです。1980年代に少女漫画家竹宮恵子が「風と木の詩」を発表した時も、かなりセンセーショナルに扱われていました。

当時はとてもマイナーで受け入れられがたいジャンルだったBL。あさぎり夕先生は、王道少女漫画家として一時代を築き、その間に時代が追い付いてきたため、かねてから描きたかったBL作品に挑戦したという経緯となっています。あさぎり夕先生は、BL作家としても人気作品を数多く残しています。今では、BL作家としてのあさぎり夕先生のファンも数多くなっています。

あさぎり夕先生に関する感想や評価

1980年代のなかよしで一時代を築いた大人気漫画家・あさぎり夕先生に関しての感想や評価をいくつか紹介していきます。あさぎり夕先生の関しての感想では、現在大人となったファンから、少女時代に夢中だったという声が多く聞かれています。子供時代に読んでいた大好きな作品として、あさぎり夕先生の作品を挙げる人はとても多いです。いつまでも心に残る作品を数多く残したあさぎり夕先生は、いまでも愛される漫画家です。

あさぎり夕先生に関しての感想では、BL漫画家としても活動していたことを驚く声も多いです。王道の少女漫画家といったイメージがとても強い、あさぎり夕先生。しかし、本来自分がやりたかった作風であるBLというジャンルにおいても、数多くの作品を世に送り出しました。あさぎり夕先生の作品では、BL漫画やBL小説も非常に面白いと高い評価を得ています。あさぎり夕先生は、とてもマルチな才能の持ち主として活躍していました。

あさぎり夕先生の作品は、絵柄が綺麗でファンタジー色が強いという評価も得ています。少女漫画においては、絵柄の可愛さも人気を左右する大切な要素です。あさぎり夕先生の絵柄は繊細でとても美しく、全国の少女の憧れの的となっていました。可愛らしい絵柄で描かれたヒロインやヒーロー達は多くの読者に愛されています。

あさぎり夕先生の作品について、時代によって絵柄を変化させている所が凄いといった感想も聞かれています。あさぎり夕先生のように長い間作品を描き続けていると、どうしても絵柄が古臭くなってしまうものです。しかし、あさぎり夕先生は長年第一線で作品を描き続け、その絵柄も時代に合わせて読者に受け入れられるように変化させてきました。その結果、あさぎり夕作品は、幅広い年代から愛されているのです。

2019年の10月4日~12月25日にかけて、「なかよし展」が開催されています。なかよし誌面を彩った人気作品や、人気漫画家の原画などが楽しめるとして、あさぎり夕先生のファンも数多く訪れています。2018年に亡くなってしまったあさぎり夕先生。まだ現役で活躍できる年齢でもあり、多くのファンから残念がる声が聞かれます。なかよし展で見られる、あさぎり夕先生の原画を一目見たいと訪れているファンも多数います。

あさぎり夕先生が亡くなった原因まとめ

ここでは、大人気漫画家・あさぎり夕先生が亡くなった原因などの情報をまとめました。1980年代のなかよし誌面を、人気王道少女漫画で彩ったあさぎり夕先生。そんなあさぎり夕先生の訃報は世間を驚かせました。あさぎり夕先生は、2018年に62歳という年齢で、惜しまれながらこの世を去りました。亡くなった原因は思い肺炎であり、まだ現役で活躍できる年齢だったことでも、悲しみの声が挙がっていました。

あさぎり夕先生はなかよしを代表する大人気少女漫画家ですが、数多くのBL作品を残している事でも知られています。少女漫画家としてもBL作家としても、人気作品を残して多くのファンから愛されているあさぎり夕先生。是非、あさぎり夕先生の作品をチェックして、お気に入りの一冊を見つけてみてください。

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