ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本を紹介!泣ける小説のあらすじ・感想まとめ【東野圭吾】

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」はミステリー作家・東野圭吾の長編小説です。第7回中央公論文芸賞を受賞した作品で、過去に3回も舞台化され、2017年には日本と中国でそれぞれ映画化されたあらすじの原作作品となります。東野圭吾作品の中で「最も泣ける」と評価が高く、発行部数は全世界で1200万部を超えた驚異のベストセラー作品です。この記事では「ナミヤ雑貨店の奇蹟」原作本のあらすじ、読んだ人の感想をネタバレを含んでまとめていきます。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本を紹介!泣ける小説のあらすじ・感想まとめ【東野圭吾】のイメージ

目次

  1. ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本を紹介!あらすじや感想まとめ!
  2. ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作者は東野圭吾!東野圭吾はどんな作家?
  3. ナミヤ雑貨店の奇蹟の主要登場人物を相関図がわかるように紹介!
  4. ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本のあらすじをネタバレ解説!
  5. ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本の名言5選!
  6. ナミヤ雑貨店の奇蹟の舞台はどこ?
  7. ナミヤ雑貨店の奇蹟を読んだ人の感想を紹介!
  8. ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本についてまとめ!

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本を紹介!あらすじや感想まとめ!

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」はミステリー作家・東野圭吾の長編小説です。2011年4月号から2011年12月号まで月刊誌『小説 野性時代』に連載され、2012年3月28日に角川書店より単行本が出版されています。東野圭吾作品の中で「最も泣ける」と評価が高く、発行部数は全世界で1200万部を超えた驚異のベストセラー作品です。この記事では「ナミヤ雑貨店の奇蹟」原作本のあらすじ、読んだ人の感想をネタバレを含んでまとめていきます。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾 特設サイト|角川書店|KADOKAWA

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作者は東野圭吾!東野圭吾はどんな作家?

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の作者・東野圭吾は、1958年大阪市生野区生まれ。電気工学の技術者として企業に勤める傍ら、1985年に「放課後」で第31回江戸川乱歩賞を受賞してデビューしました。1996年に「名探偵の掟」で『このミステリーがすごい!1997』の3位になり注目を集め、1999年「秘密」で第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞し、映画・ドラマ化されました。

その後東野圭吾は、2006年「容疑者Xの献身」で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞、12年「ナミヤ雑貨店の奇蹟」で第7回中央公論文芸賞、13年「夢幻花」で第26回柴田錬三郎賞、14年「祈りの幕が下りる時」で第48回吉川英治文学賞を受賞しています。ドラマや映画、舞台、児童書や漫画の原作になるなど、多数の有名な著作本があります。

東野圭吾のその他の著作本

その他東野圭吾の著書は「白夜行」「ラプラスの魔女」「プラチナデータ」「天空の蜂」「浪花少年探偵団」「マスカレード・ホテル」など多数。海外においても「ナミヤ雑貨店の奇蹟」が中国国内でベストセラー50万部を突破するなど、アジア圏を中心に支持を受けていて、韓国では国内作家を抑えて東野圭吾が『2014ゴールデンブックアワード』に選出されています。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の主要登場人物を相関図がわかるように紹介!

以下は、東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の中に出てくる主要な登場人物をあらすじごとに紹介していきます。内容によってはあらすじ、ネタバレを多く含む内容となりますのでご了承ください。

ナミヤ雑貨店の店主・浪矢雄治

悩み相談窓口・ナミヤ雑貨店の店主。もともとこの土地の出身で、若い時は別の地で機械工として働き、後の丸光園の館長・皆月暁子と駆け落ち未遂をしたことも。その後別の人と結婚し、ナミヤ雑貨店を開業。1968年に妻に先立たれると、店先で悩み相談窓口を始めます。1979年6月、ナミヤ雑貨店を閉店。7月、肝臓がんのため入院。1980年9月13日没。自分の33回忌に一晩だけ相談窓口の復活することを遺言します。

2012年のナミヤ雑貨店に忍び込んだ3人 敦也・翔太・幸平

児童養護施設・丸光園出身。リーダー格の敦也と小柄な上に顔にまだ少年っぽさの残る翔太、大柄な幸平の3人。ホステスだった敦也の母親は22歳で敦也を生み、育児放棄。8歳の冬に空腹のため万引きをして逃げる途中貧血で倒れて捕まり、丸光園へ預けられました。

それぞれ同じ中学・高校を卒業後に就職。しかし、敦也は部品工場を2か月前にクビ。翔太もリストラで家電量販店をクビになった後、現在コンビニのバイト生活、幸平は勤めていた自動車修理工場が倒産して無職。どこかの女社長が丸光園を買い叩こうとしているとの噂を聞き、腹いせに女社長に家に空き巣に入ります。

「月のウサギ」北沢静子

1979年の暮れに悩み相談の手紙を書いた「月のウサギ」こと北沢静子。その手紙は2012年のナミヤ雑貨店に届き、敦也たち3人が回答しました。ナミヤ雑貨店の近所に住んでいて、フェンシングでモスクワオリンピックを目指していた学生。フェンシングのコーチが恋人でしたが、彼の不治の病の看病と競技生活のどちらを選ぶかで悩んでいました。武藤晴美とは近所に住む幼馴染で、彼女にナミヤ雑貨店のことを教えたのは北沢静子です。

「魚屋ミュージシャン」松岡克郎

1980年の7月に悩み相談の手紙を書いた「魚屋ミュージシャン」こと松岡克郎。その手紙は2012年のナミヤ雑貨店に届き、敦也たち3人が回答しました。ナミヤ雑貨店の近所の魚屋「魚松」の長男。東京の大学を中退後、バーで働きながらミュージシャンを目指してました。彼が作曲した『再生』は、その後天才アーティスト水原セリによって歌い続けられていきます。

「グリーンリバー」川辺ミドリ

1977年に相談の手紙を書いた、ナミヤ雑貨店の隣町に住む「グリーンリバー」こと川辺ミドリ。シングルマザーとして女の子を生みますが、1979年、29歳の時に車の運転中に事故死。娘は児童養護施設「丸光園」に預けられます。その娘は2012年に「グリーンリバーの娘」としてナミヤ雑貨店に感謝の手紙を送ります。施設で同い年の水原セリと仲良くなり、彼女のマネージャーになりました。

「ポール・レノン」和久浩介(藤川博)

1970年、中学2年生の時にナミヤ雑貨店へ悩み相談の手紙を書いた和久浩介。その後、両親との駆け落ちから逃げ出し、「藤川博」として児童福祉施設・丸光園で育ちます。中学卒業後、木彫り職人に弟子入りし、1988年、丸光園が火事になった時に武藤晴美と再会し、店の前で浪矢貴之とも話しています。2012年にはナミヤ雑貨店のシャッターの前で「グリーンリバーの娘」とすれ違っています。

「迷える子犬」武藤晴美

1980年の夏に悩み相談の手紙を書いた「迷える子犬」こと武藤晴美。その手紙は2012年のナミヤ雑貨店に届き、敦也たち3人が回答しました。丸光園出身。その後大叔母夫婦に引き取られ商業高校を卒業後、東京の文具メーカーに就職。後に相談の解答通りにバブル景気を乗り切り会社を設立。社名の「リトルドッグ」は、子供の頃に藤川博(浩介)にもらった木彫りの子犬に由来。

浪矢貴之

ナミヤ雑貨店店主・雄治の息子。生前に雄治が遺した遺言を守り、33回忌の2012年9月13日に、ナミヤ雑貨店が復活することを告知するよう、孫の駿吾に頼みました。その後、2011年に胃癌のため没。孫の駿吾は迷いながらもHPを作って告知します。

水原セリ

稀代の天才アーティストと呼ばれる有名なシンガーソングライター。子供の頃に親に虐待を受け、弟と共に1988年春に児童福祉施設・丸光園に入園。同年12月に丸光園の火事に遭う。その時命がけで弟を助けてくれた松岡克郎の作った曲『再生』に歌詞をつけ、恩返しとして歌い続けている。マネージャーは同じ施設出身の「グリーンリバーの娘」。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本のあらすじをネタバレ解説!

以下は、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」のあらすじをネタバレを含んで紹介していきます。原作本は5章のあらすじで構成された作品で、一見すると独立したオムニバス形式のように見えますが、実はあらすじ同士は徐々につながっていき「ナミヤ雑貨店の奇蹟」という1本のストーリーを構成しています。

第1章「回答は牛乳箱に」

時は2012年、ある家に空き巣に入った青年、敦也、翔太、幸平の3人は車で逃走しようとしますが、運悪く車が故障し動かなくなってしまいました。仕方なく3人は、近くの廃屋に身を潜め朝を待つことにします。その廃屋にかかっている看板は「ナミヤ雑貨店」。だいぶ前に閉店した店のようでした。

店の中を物色していると、突然シャッターの郵便受けから白い封筒が落ちてきます。差出人の名前は「月のウサギ」。内容は自分の悩み事を相談した手紙でした。店内に残っていた雑誌からすると、実はこのナミヤ雑貨店は、悩み相談を受け付けてくれることで一時期話題となっていたお店ということでした。しかし雑誌の発売から40年経った今でも?

3人はどうするべきか話し合いますが、なんとなくその悩み相談に回答の返事を書き始めます。「月のウサギ」を名乗る、オリンピック出場を目指す女性からの悩み相談の内容は、癌で余命わずかの恋人のそばにいて看病するべきか、練習に専念するべきか。返事は雑誌に書いてあったとおり、店裏手の牛乳箱に入れます。すると不思議なことに、その返事がまたすぐシャッターの郵便受けに届いたのです。

動揺した3人が考え出した結論は、郵便受けと牛乳箱は過去に繋がっているのでは?という結論。「ケータイ」が何か分からず、「いとしのエリー」が好きな「月のウサギ」は、1979年から手紙を出してきているということになります。そうなると彼女が目指しているオリンピックは1980年のモスクワオリンピック。東西冷戦により日本は参加しなかったオリンピックです。

3人の返事は迷うことなく「今すぐ練習をやめて、恋人のそばにいなさい」と書きます。しかし「月のウサギ」は練習をやめることなく、でも悩みながら手紙のやり取りが続きます。自分たちの出したアイデアを試す気もない「月のウサギ」に腹を立てた敦也は、最後に「迷うこと自体が無駄」と突き放した返事を書きます。そしてその返事は半年後の日付で郵便受けに届きました。

手紙には、練習はしたけれども結局オリンピック選手には選ばれなかったこと、恋人を看取ることができたこと、と共に感謝の言葉が書かれていました。当時「月のウサギ」はスランプで、本当は恋人の病気を理由に競技から逃げ出そうとしていて、「大切なものを失い、一生後悔するところでした」と。そして恋人の最後の言葉「夢をありがとう」が何よりのご褒美だと書かれていました。

第2章「夜更けにハーモニカを」

魚屋「魚松」の長男、松岡克郎は中学の時から音楽に興味を持ち、高校は軽音楽部に、その後は東京で大学に通っていましたが、音楽の道に進むと決め中退。両親との話し合いも平行線のまま東京に残り、プロのミュージシャンを目指していました。それから3年が経った1980年7月、祖母が亡くなったと連絡が入り、克郎は久しぶりに実家へ帰ることになります。

心臓発作で倒れて痩せてしまった父親が、大学を中退して家を飛び出している自分を、葬儀に集まった親戚からかばってくれているのを見て、克郎はなんだか申し訳ないという気分になります。そこでふと子供の頃にも面白半分で悩み相談をしたことのあるナミヤ雑貨店に「魚屋ミュージシャン」を名乗って相談の手紙をいれてみるのです。実家の魚屋を継ぐべきか、それとも音楽の道に進むべきか。

手紙は再び、2012年の敦也たち3人のところに届きます。3人が書いた返事は、「あなたには無理です。さっさと魚屋さんを継ぎなさい」。そのあまりにも単刀直入な罵詈雑言の数々に克郎は怒りを覚えます。そしてもう一度手紙を書きますが、返って来たのは同じような内容の回答。「3年も続けて芽が出ないのなら才能がない」。克郎は妙に納得した気分になります。自分は夢を捨てる決心がつかないだけなのだと。

「もう一度自分を見つめ直してみようと思う」という 最後の手紙を書いた克郎は、試しに雑貨店のシャッターの郵便受けに手紙を挟んだまま、自分で作曲した『再生』をハーモニカで演奏します。その曲が2012年でどういう影響を与えるのかも知らずに。翌朝、克郎の父親が市場で過労で倒れたと聞き、慌てて病院へ行く克郎。克郎は父親に魚屋を継ぐことを話しますが、反対されます。

中途半端なお前に何が出来る?負け戦なら負け戦でいい。自分の足跡ってものを残してこい、と言われ、もう一度音楽を目指すことにした克郎。実家の自分の部屋を片付け、牛乳箱からナミヤ雑貨店の最後の手紙を受け取って東京に戻ります。それから8年後の1988年12月。クリスマスの慰問演奏で訪れた児童養護施設「丸光園」で一人の少女・水沢セリと出会います。

セリは克郎の曲『再生』をとても気に入り、すぐにメロディーを覚えてしまいました。その夜、丸光園が老朽化によるガス漏れで火事になります。施設に泊まっていた克郎は逃げる途中でセリを見つけます。しかし弟・タツユキがいなくなったと言うセリ。克郎は火の中をタツユキを捜しに行きます。奇跡的にタツユキは助けることができましたが、克郎は全身に火傷を負って命を落とします。

火の中、薄れゆく意識で、最後に克郎が思い出した言葉は、ナミヤ雑貨店からの手紙に書いてあった「あなたの生み出した音楽は必ず残ります。最後の最後まで信じていて下さい」という言葉。「だとすれば親父、俺は足跡を残したことになるのかな」。その足跡は数年後、天才アーティスト水原セリがその出世作として『再生』を歌うことで残されました。

第3章「シビックで朝まで」

時は再び遡って、1977年。まだナミヤ雑貨店の店主・浪矢雄治が悩み相談を受け付けていた頃の話です。息子の浪矢貴之が、雄治の様子を見にナミヤ雑貨店を訪れます。すると雄治は1通の手紙を前に考え込んでいました。はじめた頃の悩み相談は、子供相手の謎かけやとんちのようなもので、店の横の掲示板に張り出して皆で楽しむ一種の遊びのようなものでした。

しかし徐々に深刻な悩みも入るようになったため、相談の手紙は店のシャッターから入れ、回答は翌朝牛乳箱に入れるように変わります。今日、雄治が考え込んでいる手紙も深刻な悩みのようで、珍しく貴之に助言を求めてきました。「グリーンリバー」を名乗る女性からの手紙で、相談の内容は、不倫でできてしまった子供を1人で生むか否か。貴之は即座に「堕ろすしかない」と答えますが、雄治は彼女には事情があると言います。

堕ろすのがいいのは彼女も分かっているが、不妊症が原因で一度離婚まで経験している「グリーンリバー」にとって、子供を産む最後のチャンスであること。回答を考え続ける雄治に、本当は雑貨店をたたむ相談をしに来た貴之でしたが、仕方なくそのまま東京に帰っていきます。

それから2年後の1979年秋、突然店を閉めて、東京で貴之の家族と暮らす雄治でしたが体調を崩し、医者に末期の肝臓癌だと宣告されます。自分の余命が少ないことを悟った雄治は、貴之に一晩でいいから店に連れて帰ってくれと頼みます。店で未来からの手紙を受け取らないといけないのだ、と。その話を不思議に思う貴之でしたが、その日の夜、2人は車でナミヤ雑貨店に向かいます。

店に入る前に、雄治は貴之に遺言状を渡します。内容は自分の33回忌が近づいたら『命日の0時から夜明けまでの間、ナミヤ雑貨店の相談窓口が復活するので、かつての回答が役に立ったか手紙を下さい』と告知してくれと書いてありました。「グリーンリバー」と思しき女性が、子供と無理心中したという新聞記事を読んでショックを受けた雄治の最後の願いでした。そしてその夜、ナミヤ雑貨店に奇蹟が起こるのです。

夜明けに雑貨店に戻った貴之が見たのは、机の上に置かれたたくさんの手紙。本当に未来から手紙が届いていたのです。その中に「グリーンリバーの娘」を名乗る女性からの手紙もありました。児童福祉施設で育った彼女は、中学生の時に自分の母親が無理心中をしたという新聞記事を目にしてしまいます。生まれてこなければよかったと思い自殺未遂を繰り返し、衰弱していた彼女の元に施設で仲のいい水原セリがやってきます。

セリは「グリーンリバー」に宛てたかつての雄治の手紙を彼女に渡しました。その中で雄治は「大事なのは生まれてくる子供が幸せになれるかどうかだ」と書いていました。その覚悟をもって母親はあなたを生んだのだと諭すセリ。子供には十分な食事を与え、事故の時子供だけでも車外に押し出した母親。手紙は「私は今、自信を持って言えます。生まれてきてよかった。と」と締めくくられていました。

雄治と貴之が帰ろうとした時、また1通の手紙がシャッターから投げ込まれました。でもそれは折りたたまれただけの白紙の便箋でした。その手紙にも返事を書いて、牛乳箱に入れた雄治。それから1年後、未来から来た手紙は、静かに息を引き取った雄治の棺の中に一緒に入れられました。

第4章「黙祷はビートルズで」

2012年、ネットでナミヤ雑貨店の一夜限りの復活を知った和久浩介は、その夜最寄りの駅に降り立ちます。浩介もかつてナミヤ雑貨店へ相談の手紙を書いた一人でした。そして「その後」の手紙を書こうと、便箋とペンを買って近くのビートルズ専門の音楽バーに入ります。

1970年、中学生だった浩介を襲ったのは、大好きだったビートルズの解散と両親の夜逃げ計画。事業に失敗した父親が夏休みの最後の日に夜逃げをすると言い出したのです。なんとか夜逃げを止めさせたい浩介は「ポール・レノン」を名乗って、ナミヤ雑貨店に相談することを思いつきます。目的は悩みの解決ではなく、その悩みが店の横の掲示板に張り出されて夜逃げの事実がバレ、両親が夜逃げを断念してくれること。

しかし浩介の思惑は外れ、深刻な悩みを受け取ったと思った浪矢雄治は裏の牛乳箱に回答を入れておいてくれました。「あなたは御両親のことを信頼していますか?」と。続けて「家族が同じ船に乗ってさえすれば、一緒に正しい道に戻ることも可能です」とも。一度は両親と共に夜逃げをする覚悟をした浩介でしたが、途中のサービスエリアで心の糸が切れるのを感じ、通りすがりのトラックの荷台に乗り込みます。

そのままトラックで東京まで来た浩介は、大阪万博に行く切符を買おうとして東京駅で補導されてしまいます。しかし駅でも警察署でも、浩介は住所も名前も一切喋りません。そんなことをしたら両親の夜逃げまで話さなくてはいけなくなる、そんな思いで「藤川博」と偽名を名乗ります。当然夜逃げした両親からの捜索願は出されず、身元不明のまま浩介は丸光園に引き取られることになります。

中学卒業後、木彫り職人として一人前になった浩介は、2012年のビートルズバーのカウンターで、ナミヤ雑貨店に宛てた手紙を書きあげます。「アドバイスに従わなくて正解だった」と。しかしひょんなことからこの店のママが昔の友人の妹であることが分かり、ずっと地元に住んでいた彼女の口から衝撃の事実を知らされます。どこかに夜逃げしたと思っていた両親は、浩介がいなくなった後すぐ、海で心中していたというのです。

しかも父親が浩介も殺して海に沈めたと遺書を残していたので、死体は見つからずも浩介は死んだことになっていたのでした。和久浩介という名前を捨てるであろう息子への命がけの配慮。ナミヤ雑貨店が言っていたように「家族が同じ船」に乗らずに、両親を追い詰めてしまった事を後悔した浩介は、書いた手紙を破り、もう一度最初から書き直します。

噂を聞いて「ポール・レノン」のことを心配していたかもしれない雄治に、「両親と共に行動し、幸せな人生を送りました」と。そして手紙をナミヤ雑貨店のシャッターに投函した後、ビートルズが流れる店の中で一人、浩介は両親に黙祷を捧げます。

第5章「空の上から祈りを」

一方、2012年のナミヤ雑貨店の中にいる敦也たちも、携帯で今夜限りの相談窓口の復活を知ります。きっとこの不思議な現象と関係があると悟る3人。そこへ再び次の相談の手紙が投函されてきます。「迷える子犬」を名乗る19歳の女性からの相談で、内容は腰かけの仕事みたいなOLは辞めてホステスになりたいが、どうしたら穏便な形で会社を辞められるか、というものでした。

高校まで出してもらって何が水商売だ、と敦也たち3人は「水商売はやめましょう」と返事を書きます。しかしすぐに反論の手紙を送ってくる「迷える子犬」。彼女にも事情がありました。早くに両親を亡くし、丸光園で育った自分を引き取ってくれた高齢の大叔母夫婦に、経済的援助がしたいというもの。敦也たち3人は、「迷える子犬」こと武藤晴美にこれから起こるバブル景気のことを教え、そのための経済の勉強を手紙で勧めます。

そのあまりに具体的で予言のような内容に晴美は怪訝に思いますが、結局会社を辞めて専門学校に通い、ホステスの仕事でお金を貯めながら、指示された通りバブル景気を乗り切っていきます。そして広告企画会社「オフィス・リトルドッグ」を設立し、大きな成功をおさめました。そして2012年9月、やはりネットでナミヤ雑貨店の相談窓口の復活を知った晴美は、お礼の手紙を書いてナミヤ雑貨店のある街に戻ってきます。

一方、この一夜の不思議な現象を確かめてみようと、敦也たち3人はシャッターの外から白紙の便箋を投げ込みます。しかしそれは2012年のナミヤ雑貨店の内側には届かず、おそらくは過去の雑貨店に落ちていきました。3人はナミヤ雑貨店と自分たち、相談者と、そして丸光園との奇妙なつながりが気になり、空き巣に入った家から持ってきたバッグを探ります。すると中には一通の封筒が入っていました。その宛名は「ナミヤ雑貨店様」。

敦也たち3人は手紙を読んで激しく動揺します。なんと手紙の主は、自分たちが相談にのった「迷える子犬」だったのです。晴美は手紙の中で、「あなたは永遠に私の恩人です。今度は私が多くの人を救っていきたいと思います」と感謝の言葉を書いていました。そもそも敦也たちが空き巣に入ったのは、丸光園を買収しようとしていると噂の女社長に仕返しをしようと思ったからでした。

「迷える子犬」はそんな人間じゃないと信じる3人は、家の中に縛ってきてしまった晴美を助けるために一斉に立ち上がります。雑貨店の外に出ると朝日が眩しく光っています。ふと敦也が、昨夜何度も開けた牛乳箱をもう一度開けてみると、中には1通の封筒が入っていました。宛名は「名無しの権兵衛さんへ」。白紙の便箋をくださった方への回答です、と書かれています。浪矢雄治が最後に書いた、1979年からの回答でした。

確かに白紙の便箋を投げ込んだのは自分たちです。雄治の手紙には「あなたの地図はまだ白紙なのです。地図が白紙では迷って当然です」と書いてありました。しかし見方を変えれば「白紙なのだからどんな地図だって描けます。すべてあなた次第なのです」と。3人の瞳に輝きが宿り、そして物語は幕を閉じます。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本の名言5選!

以下は、東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の原作本に出てくる思わず感動してしまう名言を厳選して紹介しています。一部、あらすじやネタバレに関連する部分がありますのでご了承ください。

負け戦なら負け戦でいい。自分の足跡ってものを残してこい

第2章で「魚屋ミュージシャン」こと松岡克郎が、音楽の道を諦め魚屋を継ぐと父親に告げた時の、父親・健夫の言葉です。過労で倒れた病床で、健夫は一気にまくしたてます。「親の言葉を無視してまで一つのことに打ち込もうって決めたなら、それだけのものを残せっていうんだ」「もういっぺん命がけでやってみろ。東京で戦ってこい」「男と男の約束だぞ」。息子を想う父親の温かい叱咤激励です。

人の心の声は決して無視しちゃいかん

第3章で、同じ筆跡の相談が一晩で30通もナミヤ雑貨店に投げ込まれた時に、真面目に回答するのはやめろと言った息子・貴之に対して浪矢雄治が言った言葉です。悪戯目的でも根本的には普通の相談者と同じだと言う雄治。「心にどっか穴が開いていて、そこから大事なものが流れ出しとるんだ」。でたらめな相談事でも30も考えるのは大変なのに、答えが欲しくないなんてことはない。雄治が全ての相談に真面目に回答を書く理由です。

多くの場合、相談者は答えを決めている

第3章で、長年色々な相談にのってきた雄治の見解が語られる場面です。「多くの場合、相談者は答えを決めている。相談するのは、それが正しいってことを確認したいからだ」という雄治。回答を出してももう一度手紙を送ってくる人は、回答内容が自分が思っていたものと違うからだ、と。それぞれの相談者の心を汲みながら真摯に回答する雄治の姿が描かれています。

家族が一緒の船に乗っていさえすれば、一緒に正しい道に戻ることも可能です

第4章で、両親の夜逃げを不安に思う「ポール・レノン」こと和久浩介に宛てた浪矢雄治の回答です。夜逃げをするかしないかに関わらず、一番の不幸は家族がバラバラになってしまうことだと綴った雄治。「家族が一緒の船に乗っていさえすれば、一緒に正しい道に戻ることも可能です」。手紙の最後は、「どうか信じてください。今がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしいのだと」と浩介に温かく寄り添います。

白紙なのだから、どんな地図だって描けます

第5章で、浪矢雄治が「名無しの権兵衛」こと敦也たち3人に宛てた手紙です。白紙の手紙の意味もきちんと考えてくれた雄治。「あなたの地図はまだ白紙なのです。だから目的地を決めようにも、道がどこにあるかさえも分からないという状況なのでしょう」。しかし見方を変えればあなた次第で自由に、可能性は無全に広がっていると綴られた手紙は、閉塞した人生を送っていた3人に大きな励ましを与えました。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の舞台はどこ?

原作本で設定された舞台は?

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の原作本のあらすじでは、ナミヤ雑貨店がどこにあるのかは明確にはしていません。ただ、原作本の所々で人々が東京との往復を繰り返しており、その所要時間が2時間から3時間となっています。第4章で夜逃げした和久一家が「富士川サービスエリア」に寄ることから、静岡県近辺と推察する声が多くなっています。

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の舞台は?

一方映画化された「ナミヤ雑貨店の奇蹟」では、ナミヤ雑貨店の場所は「静岡県時越市」という架空の町に設定されています。そのロケ地となったのは大分県の豊後高田市です。昭和30年代の活気を蘇えらせようと2001年から「昭和の町」の取り組みを始めているレトロな街並みの町です。

Thumbナミヤ雑貨店の奇蹟のロケ地はどこ?大分の豊後高田市など撮影場所を紹介 | 大人のためのエンターテイメントメディアBiBi[ビビ]

ナミヤ雑貨店の奇蹟を読んだ人の感想を紹介!

以下は、実際に東野圭吾の原作本「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を読んだ人の感想を紹介していきます。内容によってはあらすじやネタバレを含む内容となりますのでご了承ください。

原作本の不評な感想を紹介!

不思議なほど不評な感想が少ない、東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」です。ただあらすじの展開上、人と人との繋がりが見えてくるまでが長く感じた人もいたようです。冗長で余分なエピソードが多いという感想、初めの内は読んで居てもあらすじが良く理解できずに困ったという感想、欲を言えば物語の中にハラハラする様なスパイスの様なあらすじ部分が欲しかったという感想が少しずつありました。

原作本の好評な感想を紹介!

好評な感想の方が圧倒的に多い、東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」です。単行本の帯にも東野圭吾自身の言葉として、「一か八かの大勝負でした」と書かれています。今までの東野圭吾作品本とは一味違う、心温まるファンタジーとして感動したとの感想が多いものでした。

とても爽やかな読後感でおすすめの一冊ですという感想、こんなに暖かい気持ちになれたのは初めてな気がしたという感想、最後は全てが繋がる。それが本当に見事という感想、読みやすいし先が気になってスラスラ読めたという感想、だんだん話がつながっていく感じとか、人と人との関係、読み進めるうちにどんどんハマるという感想など、全ての章が最後に一つに繋がるあらすじに感動した人も多かったようです。

ナミヤ雑貨店の奇蹟の原作本についてまとめ!

この記事では東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の原作本のあらすじ、読んだ人の感想をネタバレあらすじを含んでまとめてみました。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の映画を観た方が読んでも、新たな感動か起こると評価されている原作本です。機会がありましたら、この心温まる一夜の奇蹟の本を読んでみてはいかがでしょうか。

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