2018年09月11日公開
2018年09月11日更新
ポニョとそうすけのその後は?両親を呼び捨てにする理由も考察【崖の上のポニョ】
可愛いお魚のポニョが、人間になる願いを叶えるシーンで終わった崖の上のポニョは、見終わった人にその後の物語を作らせる映画でしたね。その後のポニョとそうすけはどうなるのでしょうか。またこの映画でそうすけが両親を呼び捨てにするシーンに違和感をもった人も多いかと思います。宮崎駿監督には、どのような思惑があったのでしょうか?可愛い子どものアニメ映画に隠されたメッセージを読み解いていきます。
目次
ポニョとそうすけは物語が終わった後どうなる?2人のその後を考察!
人間になったポニョ
魚から半魚人になり人間になったポニョ。かわいい魚から、手足が生え、両生類のような鳥類のような姿になり最後は人間になる様は、さながら進化論をみているようです。人間の赤ちゃんがもとは魚の形をしていてお母さんのお腹のなかで人に成長していく様子にも見えます。そうすけと一緒にいたいという願いをもったことでポニョは、人間として生きることを選びます。
そうすけ大好き
そうすけと一緒にいたいという願いを持ったポニョ。ずっと一緒にいるために人間になり、願いが叶ったポニョはどう生きて行くのでしょうか。ポニョの純粋な好きという気持ちは、見ているものを温かい気持ちにさせます。そうすけの母リサ・父耕一と暮らすことになるポニョは、家族の愛を受け大きくなっていくでしょう。
ポニョのその後を見守る海の両親
父フジモトと母グランマンマーレの愛情は、どのようなものだったのでしょうか。ポニョを連れ戻そうとする父親のフジモトは、さながら娘を心配して娘の言動に関心をよせる思春期の娘の父親の姿。そんな姿に世の男性は共感したのではないのでしょうか?そして大きな愛で娘を旅立たせるのは母親の役目。最後にポニョを手放す2人のシーンも印象的でした。ポニョは、お魚だった記憶を持ち続けていられるのでしょうか。
新しいそうすけの両親と家族とのその後
この『崖の上のポニョ』でお母さんを「リサ」と呼び捨てにするそうすけに「あれ?」本当の親子じゃないの?もしかしたらお父さんの連れ子?そして夫を「パパ」や「お父さん」と呼ばず「耕一」と呼ぶリサ。リサと同じように「耕一」と呼ぶそうすけ。この呼び捨ては、もしかしたらそうすけは、どこかの施設からもらわれたか、事情があって引き取っているので本当の親子ではないの?と感じた方もいるでしょう。
そうとらえるとポニョはとっても暮らしやすい受け入れてもらいやすい環境の新しい家族に迎えられ、人間として成長していくのではないでしょうか。覚えていた魔法のチカラの記憶もなくなり人間として、またそうすけのうちの子として生活になれていくでしょう。
ポニョは5歳からそうすけの新しい家族になります。呼び捨てということが対等な人として、この新しい家族のポニョをそうすけの両親はそうすけと同じように育て教育していくと感じられエンディングを見る人に安心感を感じさせるのかもしれません。
2人のその後は恋愛に発展するのか?
人間の女の子として色々なことを経験し、やがて恋もするときがくるでしょう。それは、そうすけにとっても同じこと。どんなポニョも好きだといったそうすけのポニョへの深い愛は恋愛に発展するものなんでしょうか。愛は、恋愛に限られるものではありません。妹のように愛するという兄弟としての愛もあるのではないでしょうか?ずっと愛するとはどういうことなのでしょうか?
崖の上のポニョとは?
あたらしい人魚姫のストーリー
『崖の上のポニョ』は、可愛い大橋のぞみちゃんが「ポニョポニョポニョ~」と主題歌を歌っている可愛い子どものアニメ映画。一見子どものアニメとして描かれているこの映画の中には色んなメッセージが入っているように思います。魚の子が人間になりたいと望み人間になるというストーリーは、どこかで聞いたことのある話だといわれています。
アンデルセンの『人魚姫』を思いだした方もいるでしょう。宮崎駿監督は、このアンデルセンの『人魚姫』の悲しい結末が嫌いだったようです。愛が叶わず泡となって消えてしまう。人とはそういうもの、愛なんて悲しいもの。アンデルセンの『人魚姫』には、そんな悲しいメッセージが隠されています。諦めや無常観、そんな思いは子どもにはいらないと怒りを感じていたのかもしれません。
子どもたちの純粋な気持ちを描く優しい監督は、愛の力を信じる力を彼の作品にこめて見る人に届けたいと願って『崖の上のポニョ』でハッピーエンドな『人魚姫』を描いたのでしょう。『崖の上のポニョ』は、ハッピーエンドな人魚姫ですが、その後が気になる物語でもあります。「これから2人はどうなるのかな」物語の最後を見終わって想像する人もいるのではないでしょうか?
崖の上のポニョのあらすじ
海の女神のグランマンマーレと魔法使いの父フジモトを両親にもつ魚のポニョが浜辺でそうすけに助けられます。そうすけは、そのお魚のポニョバケツに入れて持ち帰ります。ポニョと名付けてを飼うことに。ポニョは、そうすけの血をなめ、どんどん姿を変え人間の女の子なっていきます。
一緒に過ごすうちポニョは、そうすけと一緒にいたいと望みを持ちます。ポニョの父のフジモトは、そんなポニョのことを心配して家に連れ戻そうとしますが、一向に聞き入れないポニョに手を焼きます。そこで母のグランマンマーレはポニョを人間にすることを提案します。
それには、そうすけがどんなポニョであってもポニョを愛すると誓わなければいけません。そうすけは、誓いを立てます。最後は、ポニョが人間になってそうすけとの可愛いキスシーンで終わります。
崖の上のポニョの登場人物
ポニョとそうすけと2人の両親
ここからは崖の上のポニョの登場人物について紹介していきます。主人公の可愛い2人をご紹介します。ポニョ(本名ブリュンヒルデ)<声:奈良柚莉愛>は、フジモトとグランマンマーレの間に生まれたハムが大好きなお魚の女の子です。そして、そうすけ<声:土井洋輝>は、ひまわり園に通っているモールス信号が使える5歳児で耕一とリサの一人息子です。
2人の両親をご紹介します。ポニョの父のフジモト <声:所ジョージ>は、魔法使い。母のグランマンマーレ<声:天海祐希は、海の女神です。次に、そうすけの父の耕一<声:長嶋一茂>は、貨物船の船長で母のリサ<声:山口智子>は、デイケアーひまわりの家で働く仕事を持った女性です。
ポニョの両親の女神と魔法使いのフジモトがどのように結ばれたのかはなぞですが、その2人の血を受け継ぐポニョは魔法が使えます。そうすけの母リサは、『魔女の宅急便』にでてくるパン屋のおかみさんにもにてたくましく、行動力のあるお母さん。夫の耕一が仕事で家を留守がちなので、ほぼ母子家庭のように一人でそうすけを育てています。
赤ちゃんとひまわりの家のおばあちゃんたち
重要な脇役をご紹介します。ポニョが船で出会った赤ちゃんのお母さん婦人<声:柊瑠美>とひまわりの家の利用者のご老人たち。その中のちょっと頑固なおばあちゃんトキ<声:吉行和子>:とやさしいおばあちゃん ヨシエ<声:奈良岡朋子>がこのアニメのテーマを握っています。
『崖の上のポニョ』には、「生まれてきてよかった」というもう一つのテーマが隠されています。魚から人間になるという進化論と、人間の一生、生まれてから死ぬまでです。年を取るとトキさんのように子どもに戻るちょっとひねくれもののおばあちゃんとなんでも言うことを聞いてくれそうなやさしいヨシエさんのようなおばあちゃん、身の回りを見渡せばトキさんヨシエさんのような思い当たるおばあちゃんがいるのではないでしょうか?
その他の登場人物
その他の登場人物としては、ポニョには、何百も妹たち<声:矢野顕子>がいます。ときに巨大魚にもなってポニョを守っています。そうすけのひまわり園のお友達にカレン<声:大橋のぞみ>とクミコ<声:平岡映美>という女の子がいますが、ポニョはクミコの方はあまり好きではないようです。
この映画『崖の上のポニョ』では、たくさんの女性が出て来る。新しい女性像というのも宮崎駿監督は、この映画のテーマの「生まれてきてよかった」を命を宿す性である女性の一生を登場人物の中に見ることができます。
ポニョとそうすけのその後を考察!
ここでも「呼び捨て」が気になります。日本では兄弟は、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と下の子は上のこのことを呼びますが、呼び捨ては、対等な関係を表しますが、外国では、兄弟は名前で呼びます。恋人にも兄弟にもなりえるこの「呼び捨て」は、見る者にどうなるのだろうと思わせているのかもしれません。
そうすけの夢
そうすけの夢は何でしょうか?写真からみて父の耕一と同じように船長になることかもしれません。モールス信号も読めるし、被っている帽子を見ても船で航海する船乗りにあこがれているようにみえます。その後のそうすけのことは、正直どうなりたいのかは推測でしかありませんが、5歳のそうすけに聞いたら船長と応えそうです。そうすけが大好きで泳ぎの得意なポニョも、もしかしたら船乗りにあこがれて同じ夢を持つかもしれません。
そうすけの両親に育てられたポニョのその後
ポニョの両親とそうすけの両親に共通するのは、どちらの母親も日本の古き良きお母さん(サザエさんのフネ)というイメージはないということとどちらのお父さんも日本の古き良きがんこおやじ(サザエさんの波平)ではないということです。こちらで描かれているのは昭和の両親ではなく呼び捨てにするということからも平成の両親と言えるでしょう。
そんなポニョは大きくなったら何になりたいのでしょうか?『崖の上のポニョ』の映画を見る限りそうすけのお嫁さんなんでしょうか?しかしながら、お嫁さんと答えては、昭和の女性の生き方のような気がします。この『崖の上のポニョ』の中にでてくる主人公そうすけの両親は、呼び捨てで子どもに自分のことを呼ばせる新しい時代の両親です。
生まれてきてよかったというメッセージと女性の生き方を問えばきっとポニョにも新しい夢が生まれていると想像することもできるでしょう。可愛い赤ちゃんをあやしていたりする場面から保育士さん、運動神経の良さから水泳の選手いろいろな職業が考えられるといわれています。
そうすけが両親を呼び捨てで呼ぶ理由を考察!
両親を呼び捨てをするそうすけに違和感をいだきましたか?
そうすけが、「りさ」と母親を呼び捨てにしたときに「えっ?」と思いましたか?それとも何か事情があって本当の家族ではないのだろうかと慮りましたか?それともアニメだからこんな呼び方をしているのかなと思いましたか?それともうちもそうだと思いましたか?
リサの子育てのこだわり
名前で呼ぶということは、その人がその人であるということです。子どもがいると「お母さん」「お父さん」と役割が出来てしまいます。そのためにこうあらねばいけないという葛藤も生まれます。リサの夫の耕一は、船乗りのためほとんど家にいることがなく、リサは、そうすけの母親と父親の両方の役目をしています。宮崎駿監督は、車を乗り回すリサの姿を見る人に男性を意識させるように見せているのではないでしょうか?
リサは自分を名前であえて呼ばせ、母親の役割を超えた人と人としてそうすけを育て、自分自身も母親だからという縛りをもたないことを選択しているようい見えます。リサがリサらしくあるためにそうすけを子どもではなく一人の人として向き合っています。そのこだわりを呼び捨てで意識しているととらえることもできるでしょう。
自分自身で生きる
宮崎駿監督は、親の役割を取り除いて、その人がその人であるということ自分自身を生きるということを呼び捨てで呼ぶことで伝えたかったのではないでしょうか?グランマンマーレがそうすけにポニョが、魚でも半魚人でも人間でも愛することを誓わせたように、どんな姿でもポニョはポニョ。そうすけがそうすけであるように。リサはリサ。耕一は耕一。登場人物にも役割でなく自分であれと言いたかったのかもしれません。
未来の新しい家族
現在、日本の社会でもステップファミリー(親が離婚して子どもを引き取り、再婚し新しい家族を作ること)が増えています。そして色々な事情から今までの家族を捨て新しい家族と生きていくと決心する子どもいるのではないでしょうか。宮崎駿監督は、家族とは何なのか。新しい家族の形を模索しているのでしょうか。両親を呼び捨てにするこの家族にそんな問いかけが入っているようにも見えます。
今現在、家族の姿は多様化しているように思います。血がつながっていなくても家族という時代がきています。血のつながりでなく、魂のつながり心のつながりをこの『崖の上のポニョ』は伝えているのかもしれません。
血のつながった両親であっても子どもにとってよい親であるとは限りません。親という役割でみると悲しくなるようなやりきれない事件もあります。しかし、たとえ血がつながらなくてもお母さんという役割はなくても子どもを愛してくれる大人はいます。「家族の形はいろいろあっていいんだよ。家族は自分で決めていい。誰と一緒にいたいか決めていい。」という子どもたちへのメッセージが隠されているのではないでしょうか?
ポニョとそうすけのその後は見る人によって異なる!人それぞれだった!
ポニョとそうすけは恋人に~ちいさな恋の物語
ポニョの世界へ行くのにトンネルを通ります。このトンネルの象徴は生まれ出て来る前の世界、お腹の中から外へ出て来る世界の狭間を表しているのではないでしょうか?『千と千尋の神隠し』もトンネルを抜けたところで異世界へといざないます。宮崎駿監督の描くトンネルは見えない世界への入り口なのかもしれません。崖の上のポニョ』でも最後のこのトンネルのシーンでポニョが魚に戻っていきます。
ポニョを守ろうとするそうすけの姿は、ちいさなナイトのようでした。きっとこのまま2人は大きくなってもお互いを大切にし、誰もがうらやむ恋人になったと考えるのも素敵な物語のハッピーエンドな結末だといわれています。
それぞれの道を選択して~ずっと仲の良い兄弟
ポニョはそうすけの血をなめて人間になります。最後はグランマンマーレの魔法によって人間になりますが、ポニョは魔法の力がなくなって、もっと深い愛を体験していくのではないだろうかと考えられます。そうすけだけでなくたくさんの人を愛し人間の女の子として成長していき、そうすけとポニョはそれぞれにやりたいことや夢を見つけお互いを支えあって助け合う魂のパートナーと考えることもハッピーエンドな結末だとわれています。
結末はあなたが作ってください
この物語のその後は、あなたが作る物語なのです。あなたがこのハッピーエンドの結末を思うように描いてよいのです。アンデルセンの『人魚姫』は悲しい結末でした。でもこの物語のその後は、あなたが望む未来をあなたが作ってよいのです。彼らがあなたの未来だとすれば、悲しい結末を作りたい人はいないでしょう。あなたの思うあなたの幸せを。そんな風に宮崎駿監督は、考えたのではないでしょうか?