火垂るの墓の原作とアニメの違いを比較!原作者の野坂昭如が妹を虐待していた?

夏になると放送される、アニメ映画「火垂るの墓」。1988年に公開されて以来、何度もテレビ放映され、いつしか戦争の記憶を語り継ぐための夏の風物詩のひとつとなった。火垂るの墓は、二人の子どもが一緒に戦争中と戦後直後の混乱した世間を生きていく物語である。厳しい環境にもまれながらも健気に生きていく二人の姿に心を打たれた方も多いだろう。しかし、原作者の野坂昭如は実際に妹を虐待していたという。今回は原作とアニメの違いに迫る。

火垂るの墓の原作とアニメの違いを比較!原作者の野坂昭如が妹を虐待していた?のイメージ

目次

  1. 火垂るの墓の原作とアニメの違いを比較紹介!
  2. 火垂るの墓のあらすじを紹介!
  3. 火垂るの墓の原作とアニメの違いとは?
  4. 火垂るの墓の原作者の実体験とアニメの違いとは?
  5. 火垂るの墓の兄妹が生きる結末の小説も存在する?
  6. 火垂るの墓の原作とアニメの違いまとめ!

火垂るの墓の原作とアニメの違いを比較紹介!

夏になると戦争の記憶を語りつくために放送される、アニメ「火垂るの墓」。このアニメには原作があるが、その原作で描かれるエピソードや設定についてアニメと違いがある。まずはアニメのおさらいをしてから原作を紹介し、「火垂るの墓」原作者の野坂昭如の実話、「火垂るの墓」のアナザーストーリーを紹介する。

スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

火垂るの墓のあらすじを紹介!

アニメ「火垂るの墓」は、1988年に公開されたスタジオジブリの映画。監督は、高畑勲である。この映画は、神戸空襲で親を亡くした二人の子どもが、戦争中と戦後直後の混乱を極めた厳しい環境の中で生きていく物語である。その二人の子どもは、14歳の清太と、4歳の節子である。

昭和20年9月21日夜、清太は省線三ノ宮駅で衰弱死した。清太の持っていたドロップ缶の中には、節子の骨のかけらが入っていた。駅員が缶を見つけ、草むらに放り投げると、地面に遺骨がこぼれ、その周りに蛍が飛び交う。

太平洋戦争末期、神戸に住んでいた清太と節子を、焼夷弾が襲う。神戸空襲によって母と家を失った二人は、親戚の家に身を寄せることになる。しかし、そこで二人は次第に邪魔者扱いされるようになり、二人はその家を出て生活することを決意する。

家を出てからの生活は順風満帆ではなかった。清太は空襲で火事になった家から盗みを働いたり、畑の野菜を盗んだりして飢えをしのいでいた。ところが日本が戦争に敗れたことを機に事態が急変。節子は栄養失調より衰弱し、亡くなった。その後清太も栄養失調により亡くなった。

「火垂るの墓」の登場人物

清太は「火垂るの墓」の主人公。空襲に襲われるが節子を連れて難を逃れた。母と家を失ってからは、親戚の家に身を移し、節子の面倒を見た。しかし、親戚との生活が窮屈になると、節子を連れて防空壕で生活することと決意した。

防空壕に移ってからは、盗みを働くなど、節子を養うために必死であった。しかしその努力もむなしく節子が栄養失調で亡くなったため、節子を葬った後防空壕を後にし、三ノ宮駅で雨風をしのぐことにした。それから数日で亡くなった。

節子は「火垂るの墓」のヒロイン。空襲の際に清太とともに火の手から逃れた。それから清太とともに親戚の家に移った。その後、親戚のとの生活がうまくいかなくなると、清太とともに防空壕に移った。

節子は栄養失調により日に日に衰弱していった。汗疹や湿疹、下痢の症状が出ると清太によって医者に連れられ、滋養をつける必要があると診断された。清太は節子のために滋養のつく食料を調達しようとしたが、衰弱が進んで手遅れとなり、防空壕の中で亡くなった。

清太・節子の母は、二人よりも先に防空壕に行こうとしていたときに空襲に遭い、全身に大やけど負った。全身を包帯で巻かれ、昏睡状態となり、そのまま死亡した。清太・節子の父は、海軍大尉であったが、戦争が終わった後彼の乗っていた連合艦隊が全滅したと判明する。

親戚の小母さんは、清太・節子が引っ越してきた当初は、二人を一時的に引き取ることにしていた。しかし生活が進むにつれて次第に二人のことを忌まわしく思うようになる。そのため二人は身を寄せていた家を出て暮らすことになる。

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火垂るの墓の原作とアニメの違いとは?

「火垂るの墓」の原作

アニメ「火垂るの墓」の原作は、野坂昭如が1967年に発表した小説である。これ以降、野坂氏が著した小説を原作「火垂るの墓」と呼ぶ。その年の雑誌『オール讀物』10月号に掲載され、原作「火垂るの墓」は1968年春に直木賞を受賞した。文体は、関西弁の良さを生かした饒舌な文章ながらも、無駄のないものだと話題になっている。

野坂昭如は1930年、神奈川県鎌倉市に生まれた。実母は野坂昭如をを生んでから2ヶ月で亡くなり、生後半年で養子に出された。1945年、神戸大空襲によって養父を亡くした。その後疎開先の福井県で栄養失調により妹を亡くした。これが原作「火垂るの墓」が生まれた背景であり、のちにアニメ「火垂るの墓」が生まれることになった。

火垂るの墓で描かれている「神戸空襲」とは

「火垂るの墓」では、序盤に神戸空襲が描写されている。神戸空襲は、1945年3月17日、5月11日、6月5日を中心に行われた。アメリカ軍による日本本土への空襲は1942年に始まったが、当初は大きな被害はなかった。

日本軍が劣勢になるとアメリカ軍はさらに攻撃の勢いを強め、空襲の規模は大きくなっていった。1945年3月17日に神戸の西半分が消失、5月11日には航空機の製作所が攻撃された。6月5日の空襲は3つの空襲の中で最も規模が大きく、神戸の東半分が焼け落ちた。原作「火垂るの墓」において野坂昭如は6月の空襲での悲劇を描いた。

この空襲での被害面積は神戸周辺都市部の21%におよび、戦災家屋数は14万1,983戸であり、7000人以上が亡くなり、17000人以上が負傷、53万人以上が罹災したと推定されている。

アニメ「火垂るの墓」と原作「火垂るの墓」との共通点

「火垂るの墓」において、原作とアニメでは基本的にほとんど違いがない。例えば、原作でもアニメでも清太は14歳。清太・節子の母は空襲で大やけどをして包帯でぐるぐる巻きにされ、意識が戻らず亡くなるが、これも原作とアニメで同じである。

その他のシーンもアニメと原作ではほとんど違いがなく、アニメでは原作に忠実に再現されている。例えば、汗疹で真っ赤になった節子の背中を川辺で洗うシーン、畑で野菜を盗んで清太が農家にこっぴどく殴られるシーン、その農家が清太を交番に連れていき、おまわりさんが農家をなだめるシーン、これらはすべて原作にのっとっている。

親戚の家のおばさんも、原作とアニメで違いがなく、いやな役である。初めは清太と節子とともに暮らす姿勢を見せていたが、次第に態度が変わった。原作では二人を「疫病神」と呼んで「横穴にすんどったらええわ」と言う。

小説をアニメ化する際には、原作よりもより視聴者にうけやすい演出にする必要がある。そこで多くの場合、アニメ化された作品は原作と内容に違いがあることが多い。そのような中、「火垂るの墓」は比較的原作に対して忠実に再現されている。

野坂昭如氏は、「火垂るの墓」に対して思い入れを持っており、原作から設定変更されたりストーリーを変えられたりすることを拒んでいた。野坂氏は、かつて「火垂るの墓」を映像化することは絶対に不可能だと思っていた。

ある日高畑氏から「火垂るの墓」アニメ化の話が持ち上がったが、その打ち合わせの際に、原作で自分の描きたかった描写がそっくり再現されていると驚いた。野坂昭如は、「アニメ恐るべし」と語った。

アニメ「火垂るの墓」と原作「火垂るの墓」との違い

とはいえ、原作とアニメではいくつかの違いがある。越前谷の論文では、原作もアニメも「幼い兄妹が実母と死別し、他人の冷遇に耐えきれず、逃亡漂白する継子譚の定型」を踏んでいるとしたうえで、原作にはあったいくつかのノイズが、アニメでは消されてしまっていると指摘している。

例えば、清太と未亡人である小母さんの血縁の距離についてである。原作では小母さんは清太の「父のいとこの嫁の実家」と明記されているのに対し、アニメでは「遠い親戚」としか言われていない。また、清太は海軍大尉の息子という特権的な立場であるが、母の死後、小母さんとの力関係で逆転するという視点が原作にはあったが、アニメではその描写はない。

越前谷論文では、高畑はノイズを取り除くことで、アニメ「火垂るの墓」を純粋な悲劇に仕上げてしまったと書いた。ただし、高畑は、単なる反戦映画でもなく、戦争な犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きたごく普通の子どもの悲劇を描いたと強調している。また、野坂昭如氏も、戦争の犠牲者の物語に仕上げられたらいたたまれないと語っていた。

火垂るの墓の原作者の実体験とアニメの違いとは?

「火垂るの墓」の清太と野坂氏の家族の違い

「火垂るの墓」において、アニメ・原作では清太の母は物語冒頭では生きているのに対し、野坂昭如の実母は野坂氏が14歳の時すでに亡くなっていた。また、清太の妹はたったひとりであり、年齢は4歳である。しかし、野坂昭如の妹は二人であった。そのうちの下の妹・恵子こそが、アニメ・原作「火垂るの墓」でいう節子のモデルである。

さらに、空襲での母親の生死も原作・アニメと実話とで違いがある。原作・アニメ「火垂るの墓」では清太の母(実母)は空襲で大やけどをし、そのまま亡くなっているが、野坂昭如の養母は空襲でやけどを負いながらもしばらく生きていた。また、原作・アニメ「火垂るの墓」では清太の父は海軍大尉であったが、野坂昭如の父が軍人であったという情報はない。

心優しい小母さん

アニメ・原作「火垂るの墓」に登場する清太の小母さんは、二人との生活が進むにつれて二人につらく当たったうえ、疫病神扱いするようになった。しかし、野坂昭如が引き取ってもらった小母さんはいい人で、野坂氏たちをしっかりと養ってくれたようである。

防空壕には住んでいない

原作・アニメ「火垂るの墓」において小母さんに嫌われて親戚の家で居場所を失った清太と節子は、防空壕で暮らすことになった。しかし、野坂昭如は小母さんがしっかりと養ってくれたので生活に余裕があった。2歳年上に親戚の京子に恋心を抱き、夢中になったあまりに恵子をそっちのけにしてしまった。

妹の栄養失調

原作・アニメ「火垂るの墓」において清太は節子に対してとても献身的に接していた。しかし、野坂氏は、原作・アニメ「火垂るの墓」の清太に比べて自分はあんなに優しい兄ではなかったと話す。野坂昭如は妹に対して食料をあまり与えていなかった。実際、野坂氏は

  • 『少ない米で作った粥を妹に食べさせる時、スプーンですくう角度が浅くなる。自分は底の部分をすくい、身の部分を食し、妹には重湯の部分をやる。』

というように、清太とは全然違ったと言っている。また、原作では清太が空腹に耐えられなくなり、節子の粉ミルクを飲んでしまう描写もあるが、これは実話である。こうして妹の食料よりも自分が食べることを優先してしまったため、妹はやがて痩せ細り、骨と皮だけになって、誰も看取られず飢え死にしてしまった。

妹を虐待

さらに、野坂昭如は妹・恵子への虐待も行っていた。野坂氏はのちの作品「わが桎梏の礎」で、泣いている妹を泣き止ませるために頭をたたいて脳しんとうを起こさせたこともあると語った。このように、野坂昭如の妹への接し方は、アニメ・原作「火垂るの墓」に登場する清太のに比べてとても劣悪だったことが分かる。

妹が亡くなった後の実話

しかし、野坂氏は妹・恵子のことが決して嫌いであったわけではない。原作・アニメの中においても節子の骨はドロップの缶の中に入れられていた。これは実話であったようである。野坂昭如はこう語る。

  • 『自分の腕の中で妹が息を引き取ったこと、そして自分の手で火葬したこと、そしてその骨をドロップの缶に入れ、持ち歩いていたことは真実である。』

妹に対してひどい仕打ちを行った野坂昭如は「火垂るの墓」の原作を、ただの悲しい物語にしたかったわけではなく、人間の本能や、本当の生き様を原作に込めることが目的だったと語る。そして、原作「火垂るの墓」を妹に対する「懺悔」の物語と語る。

火垂るの墓の兄妹が生きる結末の小説も存在する?

野坂昭如は妹を飢え死にさせてしまった。その懺悔の気持ちを形にしたのが、「アメリカひじき」である。これはアニメ・原作「火垂るの墓」で亡くなった清太・節子がもしも戦争を生き延びていたら、という世界を描いた物語である。1967年9月に発行され、「火垂るの墓」とともに直木賞を受賞した作品である。

あらすじ

日頃不規則な仕事で家族サービスができない俊夫は、その埋め合わせに妻・京子と3歳の息子・啓一にハワイ旅行させた。京子は旅行中、アメリカ人のヒギンズ老夫婦と仲良くなった。

京子は帰国後、ヒギンズ夫婦と文通やプレゼント交換を行い、ヒギンズ夫婦は日本に遊びに来ることになった。俊夫は、アメリカ兵にお世辞や冗談を言ってこびるようなことをまたしなければならないのかと滅入っていた。

1945年9月25日に初めてアメリカ軍が上陸したとき、俊夫は近くで見たアメリカ兵の体格のたくましさに驚いた。8月15日、俊夫は落下傘がたくさん降ってくるのを見た。これは捕虜用の物資であったが、大量だったので日本兵によって物資は分配され、食料品がもらえることになった。

分配された物資の中には、黒い縮れた糸くず(アメリカひじき)のようなものがあった。俊夫もその母も見当がつかず、近所の小母さんにひじきに似ていると言われて煮たり岩塩で味をつけたりしたが、まずかった。それが紅茶葉と分かったとき、町内のどの壕舎のもアメリカひじきは残っていなかった。

そんな複雑な思い出を持つ俊夫は、空港でヒギンズ夫婦を迎えた。俊夫のもてなしに対してヒギンズ夫妻はたいした反応を見せず、図々しいそぶりを見せた。俊夫は、アメリカ人にサービスすることに対して疑問を抱いた。

京子も、せっかく用意したすき焼きのごちそうを、友人のところへ行くと言ってヒギンズ夫婦にすっぽかされた。とうとう俊夫と京子の不満が爆発しはじめた。俊夫は、アメリカ人にこびる気持ちがこれからも居座り続けるだろうと考えながら、すき焼きをやけくそで食べ続けた。

アニメ・原作「火垂るの墓」との関連性

俊夫は、敗戦時14歳で、防空壕で妹と住み続けたことになっている。清太が亡くなったのが1945年中で、そのとき14歳であるから、俊夫を清太と見なすことができる。また、妹がいる設定であるため、その妹を節子と見なすとよりつじつまが合う。

さらに俊夫の母は神経痛とぜんそくの持病がある設定とたっているが、清太の母も心臓を患っており、持病という観点では清太の母と俊夫の母は類似している。また、俊夫の父は戦死したことになっているが、清太の父の連合艦隊が全滅したことを考えると、俊夫の父を清太の父と見なしても無理はない。

このように、「火垂るの墓」と「アメリカひじき」では俊夫と清太の関係を中心に見ていくと、キャラクターの類似性が高い。したがって「アメリカひじき」は「火垂るの墓」のアナザーストーリーとして見なすことができる。

火垂るの墓の原作とアニメの違いまとめ!

「火垂るの墓」において、細かなノイズが除かれていることがあるものの、原作とアニメではほとんど内容に違いがない。しかし、「火垂るの墓」原作・アニメと野坂昭如の実生活には、妹への接し方を中心に大きな違いがあることが分かった。

「火垂るの墓」はこれからも夏になるとテレビで放送されることが予想されるため、次に放送されたときにアニメ、原作、野坂昭如の実体験、アナザーストーリー「アメリカひじき」を比べてみるとよいだろう。

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