火垂るの墓のおばさんはいい人で悪くない?嫌味なセリフも実は正論?

火垂るの墓のおばさんは、作品の中で、清太や節子の母親がなくなって頼っていく親戚という立場で出てくる人物です。嫌味なセリフ、高圧的な態度で清太達二人を苦しめ、耐えられなくなった二人は出て行ってしまいます。本当に嫌なおばさんという印象しか作品の中で残していないこの人物、このおばさんは本当に悪い人だったのでしょうか?火垂るの墓という世界観の中で、一言で悪い人としてしまうのは安易ではないのか、その後のエピソードも交えて検証してみました。

火垂るの墓のおばさんはいい人で悪くない?嫌味なセリフも実は正論?のイメージ

目次

  1. 火垂るの墓のおばさんは実はいい人?その理由を紹介!
  2. 火垂るの墓とは?
  3. 火垂るの墓のおばさんとは?清太たちとの関係も紹介!
  4. 火垂るの墓のおばさんは実はいい人で悪くない?
  5. 火垂るの墓のおばさんのその後とは?
  6. 火垂るの墓のおばさんは実はいい人だという見方もあった!

火垂るの墓のおばさんは実はいい人?その理由を紹介!

火垂るの墓のおばさんは、作品の中で、清太や節子の母親がなくなって頼っていく親戚という立場で出てくる人物です。嫌味なセリフ、高圧的な態度で清太達二人を苦しめ、耐えられなくなった二人は出て行ってしまいます。火垂るの墓という作品の中で、本当に嫌なおばさんという印象しか残していないこの人物、このおばさんは本当に悪い人だったのでしょうか?検証してみました。また、おばさんのその後についても検証してみましょう。

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火垂るの墓とは?

まず、火垂るの墓という作品の概略を見てみます。火垂るの墓は兵庫県神戸市と西宮市を舞台に、戦争の悲惨さ、人間の愛情と無情、人間の命の儚さを二人の兄弟の命として描いた作品です。火垂るの墓は、清太や節子の消え行く魂を、儚く消えるホタルの光と重ねることで幻想的に描いています。この火垂るの墓という物語を通して、命の儚さと、このような悲劇を生む戦争を二度と起こしてはいけないという戒めを見るものに与えています。

火垂るの墓のあらすじ

火垂るの墓のあらすじについて見ていきましょう。空襲により母親を亡くした清太と節子は、親戚のおばさんの家に身を寄せます。しかし、おばさんの二人への嫌味なセリフや高圧的な態度に、耐えられなくなった二人はおばさんの家を出て、二人で防空壕にて暮らします。最初こそ良かったものの、食べる物も底をつき、節子は栄養失調で帰らぬ人となります。ここで出てくる親戚のおばさんが、今回の議題のおばさんです。

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火垂るの墓のおばさんとは?清太たちとの関係も紹介!

では本題のおばさんについて見ていきましょう。火垂るの墓を語る上で、なくてはならない人物が、この親戚のおばさんです。清太達二人を好意で預かるも、だんだんと本性を表し、嫌味なセリフ、高圧的な態度で二人を追い詰め、最終的には家出へと導いていくこの人。

この人次第で、火垂るの墓という物語は、悲劇にも喜劇にもなりえたのではと視聴者に思わせた存在感の強いキャラクターです。ここでは、おばさんという人物とセリフの正論性について見ていきましょう。

火垂るの墓のおばさんはどういう親戚?

火垂るの墓で親戚のおばさんとして登場するこの人物、どのような親戚関係にあたるのか調べてみましたが、詳しい情報はありませんでした。しかし母が被爆で寝たきりとなり、兄弟二人で身を寄せていくことからも、何らかの親戚関係であることは間違いないでしょう。ただ、本当のところはわかりませんが、あまり親密な関係性ではなかったのかもしれません。それが、あの嫌味な発言や態度につながっていたのかもしれません。

火垂るの墓のおばさんは実はいい人で悪くない?

ここで、親戚のおばさんが本当に悪い人か検証してみましょう。火垂るの墓の舞台は、戦時中です。食べ物も十分にない中で、親戚とはいえ二人子供を預かることになれば、正直大変でしょう。最初の方は、おばさんも二人に優しく接していたように感じます。

それもそのはず、きっとおばさんも、二人を預かるのも数日、それぐらいなら問題ないと軽く受け入れたのでしょう。ところが母親が死んでしまったことを知り、預かる期間が見えなくなったおばさんは少しづつ豹変していくのです。

おばさんのセリフは正論?パート1

清太は少しでも食糧の足しになればと、焼けた自分の家の地下から食糧を親戚のおばさんの家に運んできます。梅干しやお米、火垂るの墓の時代では貴重であったバターまであったことに、さすがのおばさんもテンションを上げています。しかしこの時に、一つ目の悪セリフが出ます。

「非常時言うてもあるとこにはあるもんやな。軍人さんとこばっかりええ思いしてから」この発言からもわかるように、清太の家を親戚とはいえ、妬んでいたのでしょう。この発言を検証してみましょう。現代の時代でも格差というのは明瞭で、裕福な家がある一方で、生活保護を受け最低限の生活しかできていない家もあります。

下の者は、裕福な家を羨ましく思い、上の者は、貧しい家の事を気にもとめない。現在でもそうなのですから、火垂るの墓の時代はもっとひどかったのではないでしょうか。そんな中で暮らす人間なら、裕福な軍人の家に少なからず嫉妬し、妬ましく思うのも、当たり前であり、おばさんの発言も正論でしかないのです。

おばさんのセリフは正論?パート2

しかし後日からはまた雑炊の食事となり、不満を口にする二人に、「仕事もせんと日中ごろごろしている人が、同じもの食えると思うな」というセリフを吐くのです。

おばさんは、母親の形見の着物を売って食べ物に変えてくることを提案します。それを嫌がる節子を振り切り売ってしまうのです。着物を売ったことによりお米を手に入れることになり、久しぶりに白いお米を節子も食べることができ、機嫌が直るという微笑ましいエピソードとなります。

このやりとりも検証してみましょう。母親の形見を売ってしまう、鬼畜のような所業であるが、逆の立場になって考えてみましょう。いきなり子供二人を受け入れることになったこの家にも、そんなに食糧が豊富ではないのです。

それならば腹の足しにならない着物など置いておくより、食糧に変えた方が皆が生きていく上では良い、正論なのです。それもきちんと清太にも提案として投げかけており、セリフも正論、行動も正当性のあるものだったのです。

次に、再度食事に格差をつけた行動を検証してみましょう。おばさんの家の人にはお米のおにぎりを用意し、節子達二人には雑炊を再度与えます。根性腐れてるなと節子達目線でみればなるでしょう。

しかし、これもおばさんの立場になれば話は違います。孤児二人をひきいれたものの、二人は何か家や世間のためにやるわけではなく、何もしない。そして、世話をしてあげてるのに、特に感謝の行動を示さない。それでは、どんな善人でも嫌味なセリフの一つでも吐きたくなるのは、正論ではないでしょうか。

おばさんのセリフは正論?パート3

清太と節子に対して、格差をつけた食事を出すことに不満を漏らす二人に、おばさんは言います。「みなしご二人あずかったって、そう言われたら世話ないわ。よろし、うちとあんたらと御飯別々にしましょ」売り言葉に買い言葉で出た発言だったのですが、清太は次の日食事の道具などを買い集め、節子と二人で別で食事をとるようになります。この当てつけのような行動におばさんの暴言は加速していくのです。

これもおばさんの立場で考えてみましょう。おばさんは一応優しさで二人をひきとっています。しかし、二人に感謝の態度はあまり見られず、そればかりか不満を漏らすようになってきたのです。おばさんの言い方も悪い部分はありますが、正論なのです。

もしかしたら、これぐらい言えば、二人もわかってくれて、感謝の言葉や態度がみられるようになるかもと期待を込めたセリフだったのかもしれません。しかし結果は清太くんの更なる反抗の態度、おばさんのイライラも限界へと向かうのです。

おばさんのセリフは正論?ファイナル

学校にも行かず、節子のおもりをしている清太に、再三にわたっておばさんはひどいセリフを吐きます。「学校にも行かんとどないしてるの?」「また横穴行くんか?清太さんの年なら、防火活動でもしたらどうなの?」「こんな時に歌なんか歌って、何考えてるの?笑われるのはおばさんなんですからね

「とんだ疫病神が舞い降りたもんや。そんなに命がおしいのやったら横穴に住んだらええのに」これだけのことを毎回言われ続ければ、家を出るのも頷けます。これらのおばさんの嫌味なセリフの数々、見ている視聴者も憤慨したのではないでしょうか?しかし、これらのセリフもある意味正論なのです。何もせず、家でごろごろしていれば、地域の活動にでなさい、正論です。

戦争で、皆必死に戦ったり、それらをサポートする活動を頑張っている中で、二人のほほんと歌なんか歌ってたら、それは近所から苦情が出るかもという意見が出るのも頷ける正論です。言い方こそ悪いものの、至極まっとうな正論のセリフばかりなのです。

おばさんの家族はどうしていたの?あえての無関心?

ここで気になることは、おばさんの家族のことです。作中では、娘と同居している下宿人の男性が登場しています。火垂るの墓をみていると、この二人がもう少し、おばさんをいさめていたら、節子達二人が出ていくこともなかったし、二人が亡くなるという火垂るの墓が悲劇のエピソードにはならなかったのではと感じてしまいます。まあ、そこには二人の発言権も関係するでしょうが、検証していきましょう。

おばさんのセリフに正論な部分はあるにせよ、孤児二人に対してきつすぎる発言の数々、周りはどうしておばさんを注意しなかったのでしょうか。それをひも解く鍵は、実写版に隠されていると感じます。実写版では、節子達二人が増えたことで、毎日の御飯が少なくなっているエピソードが描かれています。

やはり二人が入ったことで貧しくなり、家族はだんだんと二人の事を良くは思わなくなったのではないでしょうか。その結果、もともとの発言力も相まって、傍観者をきどってしまったのです。

火垂るの墓は、世の中への問題提起?現代の世の中にも通じる無関心?

触らぬ神に祟りなしとは、言いますが、同居人二人の傍観者は、まさにこれではないでしょうか。節子達をかばって、おばさんから標的ににされ、居心地悪くなる可能性があるなら、何も言わず黙っておこうと考えたのかもしれません。今の世の中もそうではないでしょうか。悪いと分かっていても、発言できない、長いものにはまかれろ精神が横行するのが世の常です。そんな社会への問題提起だったのではないでしょうか。

逆に清太達は悪くないの?

これまで述べてきたように、火垂るの墓における、おばさんのセリフの正論性、家族の傍観者ぶりはわかりましたが、主人公達二人に問題はなかったのかについて検証してみましょう。もしかしたら、清太や節子次第では、この火垂るの墓という物語も少し変った作品となっていたのではないでしょうか。

清太がうまく立ち回っていたら?

この物語を見ている人は、おばさんの悪態ともう一つ、清太の頑固さも気になったのではないでしょうか?清太がもう少し、おばさん家族に歩みよれていたら、感謝の言葉や態度をきちんと表せる子供だったら、結果は自ずと違っていたのではないでしょうか。じゃあ、やっぱりおばさんが悪いのではなく、清太がうまくやれなかったのが悪いのでしょうか?それについても検証しましょう。

思春期真っ只中の青年

清太は14歳節子は4歳という年齢です。14歳というと思春期です。思春期は何事にも反抗的だったりまだ未熟だったり、難しい年頃です。そんな14歳という年齢の時に、両親は亡くなり、幼い妹と二人で生きていかないといけない、そんな過酷な状況を想像できるでしょうか?これまでおばさんのセリフの正論性を話してきましたが、大人の頭では理解できますが清太は14歳です。全てを受け入れてうまく立ち回るには酷な発言でしょう。

火垂るの墓のおばさんのその後とは?

では次に、おばさんのその後について見ていきましょう。アニメでは、二人と別れた後、おばさんは出てきませんが、実写映画版ではその後が描かれています。清太と節子が家を出たことに責任を感じたおばさんは二人を探します。しかし時すでに遅く、二人が死んでしまったことをドロップ缶を見つけて悟ります。

その後も、おばさんはそのドロップ缶を持ち続け、自らの責任を忘れずに生きたことが描かれています。このその後のエピソードは、後付け感が否めません。

なぜ後付け感がすごいのでしょうか?実写版のその後のように、もしおばさんが二人の事を、本当に心配するようなキャラクターなら、もっと早い段階で探しにいって、二人を助けれていたことでしょう。

清太は盗みを働いてまで食糧を確保していたようなので、その後1か月ぐらいは生きていたのではないでしょうか。だから後悔して探しに行くなら、絶対に間に合ったはずです。だが、実際にはそうならなかったのです。だから、やはりこのその後のエピソードは無理があると考えられています。

火垂るの墓のおばさんは実はいい人だという見方もあった!

これまで、火垂るの墓におけるおばさんのセリフや家族のこと、清太自身のこと、その後のエピソードとみてきました。おばさんのセリフが正論であったことやその後のエピソードのことを考えると、おばさんは実はいい人だったのでしょうか?それとも、火垂るの墓が批判される要因のひとつでもある、悪い人だったのでしょうか?

その答えは、人それぞれということです。もちろんおばさんのセリフの正論性も頭では理解できるし、清太達側にも悪い面は多々あります。だからといって、その時代、その現場にいない人間には、どちらの行動が悪いと決めつけることはできないのです。

火垂るの墓のおばさんについて、長々と書いてきたのに、あいまいな表現でしか完結できないことが申し訳ないですが、これからも、このおばさん論争が続くことを切に願います。

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