ラプンツェルの原作とディズニー版の違いは?グリム童話でのあらすじを解説

ディズニー制作の長編アニメ映画『塔の上のラプンツェル』はグリム童話『ラプンツェル』を原作としています。原作を知ることで、より『塔の上のラプンツェル』を楽しむことができるのではないでしょうか。今回はグリム童話『ラプンツェル』のあらすじと原作『ラプンツェル』とディズニー版での設定やあらすじの違いを解説します。また知ってためになる原作の豆知識も紹介しますので、ぜひご覧ください。

ラプンツェルの原作とディズニー版の違いは?グリム童話でのあらすじを解説のイメージ

目次

  1. ラプンツェルの原作の内容とは?あらすじや映画との違いを紹介
  2. ラプンツェルとは?
  3. ラプンツェルの原作のあらすじを解説!
  4. ラプンツェルの原作と映画の内容の違いとは?
  5. ラプンツェルの原作に関する豆知識3選!
  6. ラプンツェルの原作を読んで作品をより楽しもう!

ラプンツェルの原作の内容とは?あらすじや映画との違いを紹介

『塔の上のラプンツェル』は2010年に劇場公開された、ディズニー制作の長編アニメ映画です。ディズニーの記念すべき50作目の作品であり、初の3D作品でもあります。ところでこの『塔の上のラプンツェル』の原作であるグリム童話の『ラプンツェル』についてはご存知ですか?

実は『塔の上のラプンツェル』と原作の『ラプンツェル』にはあらすじや内容に色々な違いがあります。そこで今回は原作の『ラプンツェル』についてあらすじと、映画『塔の上のラプンツェル』との違いや原作の『ラプンツェル』にまつわる豆知識をご紹介します。『塔の上のラプンツェル』を見る前にこの記事を見ればより楽しめることは間違いありません。ぜひご覧ください。

ラプンツェル|ディズニープリンセス|ディズニー公式

ラプンツェルとは?

『ラプンツェル』はグリム童話に収録されている作品で、日本語では『髪長姫』とも訳されます。ラプンツェルとは日本語で萵苣(チシャ)、つまりレタスを表す言葉です。しかし『ラプンツェル』に登場する野菜のラプンツェルとはレタスではなく、ノヂシャなどの植物を指します。ノヂシャは名前こそ萵苣(チシャ)を含みますが、スイカズラ科の小さな植物です。キク科であるレタスと近縁の種類ではありません。

またグリム童話は正式な名前を『子供たちと家庭の童話』と言います。グリム兄弟が当時のドイツで伝わるメルヒェン(説話や民話)を編纂したもので、他のメルヒェン集と比べ原作の原型を留めていることが特徴として挙げられます。そのため残酷な描写、性的な描写も含まれています。現在のグリム童話は特に性的な描写が多く削除されていますが、そういった描写を示唆する話は多く、原作『ラプンツェル』も例外ではありません。

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ラプンツェルの原作のあらすじを解説!

ここでは『塔の上のラプンツェル』の原作であるグリム童話『ラプンツェル』のあらすじを解説します。『塔の上のラプンツェル』を見た人はその内容の違いに驚かされると思います。また『塔の上のラプンツェル』を知らない人は『ラプンツェル』のあらすじを知ってから『塔の上のラプンツェル』を見ると、そのあらすじや内容の違いで二度楽しめるのではないでしょうか。

夫婦と妖精の残酷な取引

昔々あるところに夫婦がいました。夫婦は長く子宝に恵まれませんでしたが、ある日やっと妻が妊娠します。しかし妻は隣に住む妖精の家の庭に生えるラプンツェルを食べたくなり、それ以外の食べ物を受け付けられなくなります。次第にやせ細る妻を見かねた夫は、妖精の家に侵入してラプンツェルを摘み、妻へ食べさせます。妻はラプンツェルに夢中になり、もっと食べたいと夫へせがみました。

翌日、同じように妖精の家へ侵入した夫は妖精に見つかってしまいます。必死に弁解する夫へ妖精は交換条件を示しました。内容は「ラプンツェルは摘んでいい。しかし生まれてくる子どもを渡せ」という残酷なものでした。しかし夫は妖精の恐ろしい雰囲気に飲まれてこの取引に応じてしまいます。やがて夫婦の間には髪の長い美しい少女・ラプンツェルが生まれますが、取引通り、生まれたばかりのラプンツェルを妖精へ渡してしまいます。

囚われのラプンツェルと王子の出会い

妖精のもとで12歳になったラプンツェルは、森の奥にある塔のてっぺんへ幽閉されてしまいます。塔には扉や階段がなく、小さな窓が1つあるだけです。誰にも会えない状態ですが、妖精だけは違います。妖精が塔の下から「ラプンツェル、お前の髪を垂らしておくれ」と呼ぶと、ラプンツェルが長い髪を窓から垂らしてくれるので、それを伝ってラプンツェルへ会いに行くことができたのです。

さてそんなある日、1人の若い王子がラプンツェルの幽閉された塔の近くを通りかかります。王子はラプンツェルの美しい歌声に惹かれ、直接会いたいと思いますが塔は登れません。そこで何度か塔を訪れ、観察していると妖精がラプンツェルの髪を使って塔を登っていることが分かりました。王子は妖精と同じように「ラプンツェル、お前の髪を垂らしておくれ」とラプンツェルを呼ぶことで塔を登り、ラプンツェルと出会いました。

悲劇と結末

ラプンツェルと王子は惹かれあい、逢瀬を繰り返すようになりました。妖精はラプンツェルが王子を引き入れているとは知りません。そして逢瀬を繰り返すことで、知らず知らずのうちにラプンツェルは妊娠してしまいます。ラプンツェルは妖精に「名付け親のおばさん、なんだか服がきつくなって、身体に合わなくなってきたの」と言います。

ラプンツェルの言葉から、ラプンツェルが妊娠したことに気がついた妖精は、ラプンツェルが王子と男女の関係を持っていることを知り、激怒します。妖精はラプンツェルの髪を短く切り落とすと、なんと荒野に追い払ってしまいました。捨てられたラプンツェルは双子の男女を出産し、食料やお金もないまま乞食として厳しい生活を強いられることとなります。

一方、王子はラプンツェルが追い出されたことなど知る由もありません。いつものように髪を伝って塔を登ると、ラプンツェルではなく妖精に出会います。実は妖精が切ったラプンツェルの髪を垂らしていたのです。驚く王子に妖精は「もうラプンツェルはここにはいない」と告げます。言葉の内容に絶望した王子は塔から身を投げてしまいます。命は助かりましたが、王子は両目の視力を失ってしまいます。

両目の視力を失った王子は、森の中をさまよい歩きます。目が見えないので何をするにも苦労した王子はみるみるうちにやせこけていきます。数年後、荒野に出た王子は聞き覚えのある歌声を聞きます。ラプンツェルでした。再会を喜んだラプンツェルは涙を流します。そしてその涙が王子の両目に触れたとたん、なんと王子の視力が回復したのです。ラプンツェルと王子と双子は王子の国へ戻り、永遠に幸せに暮らしました。

本当はハッピーエンドじゃない?ラプンツェルの原作の解釈

紹介したようにラプンツェルの原作はハッピーエンドを迎えています。しかし「永遠に幸せに暮らしました」とあらすじの最後についたのは実はグリム童話の第二版以降で、初版ではついていなかったと言われています。そのため本来『ラプンツェル』の結末はハッピーエンドではなかったのかもしれません。いくら王子とは言え何年も国を離れ、さらには妻子を連れ帰って歓迎されるのかも疑問です。

また王子も見方によっては性知識のない、最低12歳の女性に手を出して妊娠させたろくでなしにも見えます。グリム童話の初版ではかなり具体的な性描写があったと言われています。原作中では王子は失明、ラプンツェルも髪を切って追放されています。ハッピーエンドではないと考えると、原作の『ラプンツェル』は勧善懲悪の要素がある、男女の不義を戒める内容の説話だったのかもしれません。

ラプンツェルの原作と映画の内容の違いとは?

原作の『ラプンツェル』はグリム童話らしく過激な描写も含むので、ディズニーが『塔の上のラプンツェル』が制作するに当たり、そのあらすじや内容は大きく変更されています。ここからは原作と映画の内容の違いについて解説します。

妖精の設定

まず違いが見られるのは妖精の設定です。原作でラプンツェルを塔に幽閉したのは名前のない醜い顔の妖精ですが、映画版では魔女のマザー・ゴーテルです。容姿もいかにも悪役と言った感じですが醜いわけではありません。原作でも第2版以後は妖精ではなく魔女であり、ゴーテルという名前が付けられています。

ラプンツェルと王子の設定

原作ではラプンツェルは農家の娘であり、王子が相手となりますが、映画版では反対にラプンツェルが王女で、フリン(ユージーン)は泥棒です。白雪姫や『美女と野獣』のベルなど、ディズニーは身分違いの恋を描くときに女性を芯の強いお姫様として描くことが多く、ラプンツェルも例外ではありません。そのため性格面も何も知らない少女だった原作から大きな違いが表れています。

また原作では明らかにされない、妖精(魔女)がラプンツェルを幽閉する理由も映画では明らかとなります。実はラプンツェルは「どんな病気も治す金色の花」の力を髪に宿しており、ゴーテルはその力を利用して永遠に若さを保つために幼いラプンツェルをさらいました。髪を切ると金色の花の力が失われてしまうのでラプンツェルは髪を伸ばし続けています。

王子の失明

原作では塔から身を投げて失明した王子ですが、映画のフリン(ユージーン)にはもちろんそのような残酷なシーンはありません。その代わり映画ではラプンツェルを外へ出すべく塔へ向かったフリン(ユージーン)がゴーテルにナイフで刺され、重傷を負います。そしてラプンツェルの涙に宿る金色の花の力で蘇生します。失明か重傷かという違いはありますが涙で回復するという点で、原作のあらすじを踏襲しているのです。

ラプンツェルの髪を切った人

ラプンツェルは、原作では妊娠が発覚した際に罰として妖精に髪を切られます。映画にもラプンツェルの髪を切るシーンはありますが、髪を切ったのはフリン(ユージーン)です。フリン(ユージーン)はラプンツェルを金色の花の力と運命から解き放つためにゴーテルの前でラプンツェルの髪を切るのです。ラプンツェルの断髪は作中で印象的なシーンなので、この変更には原作と映画の内容の違いが強く表れているように思えます。

ラプンツェルの原作に関する豆知識3選!

ここまでは『ラプンツェル』の原作と映画についてあらすじや違いを説明してきました。ここでは『ラプンツェル』の原作についての豆知識を3つ紹介します。ちょっとした雑学を知ると原作や映画を見るときにより楽しくなったり、自慢できるかもしれません。

①ゴーテルは個人名ではない

原作でも第2判以後では妖精に代わって登場する魔女ゴーテルですが、実はゴーテルという呼称は個人名を指すものではありません。ゴーテルはドイツ語では「Frau Gothel」と表します。Frauは女性を表す前置詞で、Gothelは「代母(洗礼に立ちあった人、名付けの親)」という意味です。そのため「Frau Gothel」は「名付けの親であるお母さん」という呼び名を表すもので、個人名を指すものではないのです。

②ラプンツェルが妖精に渡った理由

映画版と異なり原作ではラプンツェルがなぜ幽閉されたのかは明かされません。しかし一説には「あの世のものを食べたから」と言われています。まずラプンツェルを幽閉したのは魔女、妖精の家の庭にあるラプンツェルを妻が食べたことがきっかけです。この妖精は初版では「Fee」という語が当てられています。「Fee」は人の形をした精霊、妖魔の類であり、中世ヨーロッパでは恐れられてきました。

また魔女は原作では「Zauberin」と書かれますが一般的なのは「Hexe」です。「Hexe」には女庭師という意味もあります。なぜ魔女が女庭師なのかと言うと、ドイツでは魔女は生と死の概念を超えた者、すなわち生と死の垣根を超えた者と考えられているためです。実際に魔女と呼ばれる女性は助産師など出産、つまり生に関わる仕事をしている人を指した時期もあったようです。

魔女は生と死を超える存在であることから、その庭は生と死の境と考えられます。その境界へ足を踏み入れることは、子どもを奪われるほどの罪かもしれません。また魔女の庭に生えた、あの世のものであるラプンツェルを食べて生まれた子どもはもうこの世の人間とは言えないということかもしれません。いずれにしても単純な内容を超えたメッセージが、そこには込められているのではないでしょうか。

③ラプンツェルの原作は『ペトロシネッラ』

『ラプンツェル』はグリム兄弟が編纂した話の1つなので、さらに原作となる作品が存在します。それは1698年にフランスの作家ド・ラ・フォルスの書いた『ペルシネット』という作品です。しかしこの『ペルシネット』もまた、イタリアの詩人ジャンバティスタ・バジーレが1634年に書いた『ペトロシネッラ』に由来しています。つまり『ラプンツェル』の原作は『ペトロシネッラ』と言うことになります。

『ペトロシネッラ』は民話集『ペンタメローネ』に収録された話で、「パセリっ子」という意味です。ストーリーは妻が妖精の庭の植物を食べ、赤ん坊が連れ去られ、塔で暮らすという風に、『ラプンツェル』と共通する部分が多く含まれています。

なぜパセリがラプンツェル(ノヂシャ)となったのかは定かではありません。しかしパセリは中世ヨーロッパでは堕胎薬として使われていた一方、ノヂシャは妊婦が食べるべき植物として有名でした。堕胎薬を食べたくなる妊婦というのは少し怖いですね。翻訳にあたり、そういった過激な部分をマイルドにしたかったという事情がもしかしたらあるのかもしれません。

ラプンツェルの原作を読んで作品をより楽しもう!

いかがでしたか。この記事では『塔の上のラプンツェル』の原作のあらすじと映画との違い、原作に関する豆知識を紹介しました。『塔の上のラプンツェル』は『ラプンツェル』をとてもディズニーらしくアレンジした作品です。原作を読むことでその違いであったり、共通して存在する部分を感じることで、両方の作品をより楽しむことができるのではないでしょうか。

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