ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由とは?平安時代の天才棋士の実力は?

連載開始と同時に少年漫画誌上に囲碁ブームを巻き起こした伝説的漫画「ヒカルの碁」。今回は「ヒカルの碁」に登場した平安時代の天才棋士、藤原佐為が進藤ヒカルの前から消えた理由を考察していきます。また平安時代の天才の名を恣にしてきた藤原佐為の実力と天才と言われるゆえんを追っていきます。藤原佐為が目指した「神の一手」とは一体なのを指すのか。何故現代に藤原佐為が甦ったのでしょうか。

ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由とは?平安時代の天才棋士の実力は?のイメージ

目次

  1. ヒカルの碁とは?
  2. ヒカルの碁の藤原佐為の存在と消えた理由の謎
  3. ヒカルの碁の藤原佐為はネット上で塔矢洋行と対戦する
  4. ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由は本人がゴーストだからだった
  5. ヒカルの碁の藤原佐為は平安時代の天才棋士だった
  6. ヒカルの碁の藤原佐為の実力はどのくらいだったのか?
  7. ヒカルの碁の物語は藤原佐為をおさめるための現代的お祓いだった
  8. ヒカルの碁の藤原佐為の真実は読者だけが知っている
  9. ヒカルの碁はキャラクターに依存しない物語漫画だった

ヒカルの碁とは?

ヒカルの碁は1999年2・3合併号から2003年33号まで週刊少年ジャンプ誌上で連載された少年漫画です。題材が少年漫画としては異色の囲碁でしたが、物語の展開自体は、主人公の進藤ヒカルの成長を描いています。またヒカルの碁は、作画描写もよく練られたストーリーを緻密かつ繊細に表現することで読者に人気を博しました。

ヒカルの碁はキャラクターが魅力的!

ヒカルの碁には主人公である進藤ヒカル以外にもライバルの塔矢アキラ、進藤ヒカルにとりついた平安時代の天才棋士、藤原佐為(ふじわらのさい)に塔矢アキラの父であり、囲碁界に君臨する現代の天才棋士、塔矢行洋。塔矢アキラの兄弟子の緒方精次に和谷義高等、色々なキャラクターたちがプロ棋士を目指し、そして神の一手を極める為、切磋琢磨する姿が魅力的です。

ヒカルの碁の藤原佐為の存在と消えた理由の謎

ヒカルの碁の特徴は囲碁に何の興味もなかった進藤ヒカルが藤原佐為にとりつかれた為、囲碁の世界に足を踏み入れることになる所です。そうして最後には藤原佐為の呪いは解かれて、進藤ヒカルから離れることになります。さて藤原佐為は何故消えたのでしょうか。今回は藤原佐為が消えた謎を追っていきます。

ヒカルの碁の藤原佐為は何故消えた?

ヒカルの碁の漫画の特徴の一つに、藤原佐為は進藤ヒカルが囲碁の世界で研鑽を積んでいる途中で進藤ヒカルの前から消えてしまう所があります。そもそも藤原左為はゴーストなので人前に出ることが出来ません。なので進藤ヒカルの身体を借りて、ネット碁を利用して囲碁を打っていました。そうして藤原佐為はネット上でですが、塔矢洋行とも対戦をすることが出来ました。

ヒカルの碁の藤原佐為はネット上で塔矢洋行と対戦する

ヒカルの碁の作中で、藤原佐為は塔矢名人に攻防の末勝つことが出来ました。その一局は誰が見ても素晴らしい一局でしたが、後日その時の棋譜を見た進藤ヒカルは、当時の藤原佐為も塔矢名人もネット上の観客でさえ思いつかなかった「ある手」を導きつきます。それはヒカルの碁でした。「その手」は塔矢名人が藤原佐為の形勢逆転をすることが出来る一手でした。

ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由は本人の意思だった

藤原佐為は自分の使命が進藤ヒカルに、自分と塔矢名人との一局を見せることであり、進藤ヒカルにその一手を気付かせることだったと悟ります。そして藤原佐為は自分が真に成仏できない理由を知ってしまったのです。藤原佐為は自らは「神の一手」には到達できません。だからこそ進藤ヒカルにとりついたままいつまでも囲碁の世界で戯れていたいということでした。どうやら藤原佐為にとってヒカルの碁こそ「神の一手」だったようです。

ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由は本人がゴーストだからだった

藤原佐為はゴーストであり、既に死んでしまっています。その為絶対に「神の一手」には到達できません。それは藤原佐為が既に生きている人間の時間軸から外れてしまっているからです。時の流れから外れたある種の化け物であるからこそいつまでも囲碁の世界で「神の一手」を目指して戯れていた藤原佐為でしたが、それも所詮、家鳴りやポルターガイストのような騒がしい幽霊だったのです。ただ藤原佐為は可愛いとヒカルの碁のファンに人気です。

ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由は可愛すぎたから?

ヒカルの碁のストーリーは進藤ヒカルが囲碁の世界に入り込めば入り込むほど真剣になっていきます。ライバルと研鑽を積む中でも、藤原佐為は進藤ヒカルをせかして囲碁をすることを求めます。それは藤原佐為が囲碁があればいくらでも生きることが出来る幽霊であるのと同時に、それが藤原佐為の愛嬌、可愛さでもあるからです。

ヒカルの碁の藤原佐為は平安時代の天才棋士だった

そもそも、藤原佐為は平安時代に存在していた天才棋士でした。内裏で天皇の囲碁指南役をしていた程の実力を擁していましたが指南役仲間の菅原顕忠との勝負の中で謀略に嵌められてしまい都を追放、二日後には入水自殺をしています。その後江戸時代の本因坊秀策にも憑りついていました。とすると本因坊秀策の手柄は全て藤原左為の手柄ということになります。しかも本因坊秀策は34歳の若さで死んでいます。

ヒカルの碁の藤原佐為が消えた理由は幽霊物語の亜種だから

自らが憑りついた相手が死んでしまうのは、入水自殺をした藤原佐為からすれば耐えられないことだったようです。それでも囲碁の世界、「神の一手」に固執していた藤原佐為ですが、棋士としての執念よりも進藤ヒカルの棋士としての成長を見たときに自らが既に囲碁の世界の外側では死んでいることに気付いてしまうのです。ヒカルの碁は藤原佐為以前と藤原佐為以後が存在する稀なゴーストストーリーになっています。

ヒカルの碁の藤原佐為は現代的な幽霊譚である

以前藤原佐為に憑りつかれていた本因坊秀策は藤原佐為の幽霊に、自らの人生と才能を全て、吸い尽とられたように見えますが、その物語がオカルト怪奇的ではないのはヒカルの碁のキャラクターが物語に依存していないからです。キャラクターが主人公として主張しているヒカルの碁の中では、藤原佐為というキャラクターは物語に作用する特異点になっています。それは幽霊という無いはずの存在がいるからです。

ヒカルの碁の藤原佐為は青春ホラーだから有り得る存在だった

進藤ヒカルのような素人が突然囲碁の世界に入り込んで、塔矢アキラや父の塔矢洋行と対戦をして勝利をする場合、あくまでラッキーパンチでしかありませんし、囲碁のようなプロフェッショナルの世界では実はラッキーパンチ自体がありえないのです。しかしそのラッキーパンチに理由や理屈をつけることで青春とホラーを結びつける味付けがヒカルの碁では生れたのです。藤原佐為が消えた理由は、物語上存在する必然性がなくなってしまったからです。

ヒカルの碁の藤原佐為の消えた理由は平安時代なら良くあることだった

そもそも藤原佐為の存在を知っていたのは、進藤ヒカルと読者だけです。超主観的視野は平安時代にはよくあることでした。それは中世であった平安時代には魔や霊が人間世界とごく自然に同居していたからです。そこには闇というものがまだ色濃く存在していることとも関係しています。闇が取り払われ、24時間明かりがついている現代だからこそ、超主観的なゴーストの存在意義が漫画というフォーマットに適していたようです。

ヒカルの碁の藤原佐為の実力はどのくらいだったのか?

では、ヒカルの碁の中の平安時代の天才棋士である藤原佐為の実力はどの程度だったのでしょうか。時の天皇を指南役をしていた程なので当時でもトップレベルの棋士だったことは分かりますが、指南役仲間に謀略を計られるとは、藤原佐為は政治には疎かったのではないか、と推測できます。しかも2日後には入水自殺をしていしまっているほどの強い美意識と自意識を持っていました。

ヒカルの碁の藤原佐為の性格(キャラクター)の矛盾

藤原佐為は囲碁の天才でありながら、おだやかな性格に矛盾が見られます。藤原佐為はプロの棋士だったのです。「神の一手」が存在を信じていた自意識の強い藤原佐為は自らが「神の一手」にたどり着けると宣言していました(幽霊になっても自意識が強い)が、それはただ藤原佐為が自らの自意識内でそのように思っていただけであり(もちろん実力はあります)、藤原佐為は本当は自らが「神の一手」にはたどり着かないことは知っていたのではないでしょうか?

ヒカルの碁の物語は藤原佐為をおさめるための現代的お祓いだった

自意識過剰物語には芥川龍之介の「地獄変」があります。「地獄変」では自らの芸術の為に娘を焼き殺す芸術家の姿が描かれています。芥川龍之介は文学の天才でしたが、その自らの才能に喰われるように神経症を患ってもいました。ヒカルの碁の場合は藤原佐為の自意識過剰は、彼の性格の弱さが生んだ災いと読み解けます。それは藤原佐為が憑りついた本因坊秀策が34歳で亡くなったときの藤原佐為の悲しみとも相通じます。

ヒカルの碁の藤原佐為は優しすぎる幽霊だった

ヒカルの碁では、進藤ヒカルに憑りついた藤原佐為は自らを怨霊化することなく、自らの存在意義を囲碁の「神の一手」の中でシステム化します。それはもともと藤原佐為が囲碁の天才であることと同時に進藤ヒカルの人生を食い殺そうとすることをしなかった優しすぎる幽霊だったことも一因です。読者だけが知っている藤原佐為の本当の姿は優しすぎる幽霊だったのです。

ヒカルの碁の藤原佐為の真実は読者だけが知っている

ヒカルの碁では、心の中で藤原佐為と会話をしていた進藤ヒカルでしたが、藤原佐為が消えた理由までは分かりません。ただ読者だけが藤原佐為が何故進藤ヒカルの前から消えたのかは知っています。そして藤原佐為が消えても進藤ヒカルの物語は続きます。私たちは藤原左為が消えても進藤ヒカルの才能が何故消えないのか、不思議に思いながらも読み続けることになるのです。

ヒカルの碁の藤原佐為は作者が仕掛けたトリックスターだった

読み続けた結果、読者は才能というものを知ることになります。進藤ヒカルは藤原佐為が消えた後も必死になってライバルと戦いを続けます。そうしてついに進藤ヒカルも気づくのです。自分の中には藤原佐為がいたことを。そうして未だに藤原佐為が生きていることを。目の前に囲碁盤には、藤原佐為の姿が感じられることを。それは私たちがヒカルの碁を読んだとき、藤原佐為の姿をフラッシュバックするのと同じような既視感のようです。

ヒカルの碁はキャラクターに依存しない物語漫画だった

今回はヒカルの碁の藤原佐為の消えた理由を追うことで、ヒカルの碁の魅力に迫りました。ヒカルの碁は幽霊が登場する漫画ながら、ホラーの要素を殆ど持たない少年の青春ストーリーであり成長物語として成り立たせる離れ業を見せています。私たちはまたどこかで藤原佐為に出会うかもしれません。ぜひヒカルの碁で左為の魅力に触れてみましょう。

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