ゲド戦記を分かりやすく解説!あらすじやアレンやテルーの正体までネタバレ

2006年に公開された映画「ゲド戦記」をネタバレを含めて分かりやすく解説していきます。映画「ゲド戦記」はアーシュラ・K・ル=グウィンの長編小説の物語をもとにしており、原作のキーワードも多く登場するため、原作を読んでいない視聴者には分からない場面が多数あります。今回は「ゲド戦記」のあらすじを紹介したうえで、謎であったアレンやテルーの正体などを考察しわかりやすく解説していきます。

ゲド戦記を分かりやすく解説!あらすじやアレンやテルーの正体までネタバレのイメージ

目次

  1. ゲド戦記について分かりやすく解説!
  2. ゲド戦記とは?
  3. ゲド戦記のあらすじをネタバレ!
  4. ゲド戦記の映画を分かりやすく解説!
  5. ゲド戦記のアレンやテルーの正体を解説!
  6. ゲド戦記についての解説まとめ!

ゲド戦記について分かりやすく解説!

映画「ゲド戦記」はアーシュラ・K・ル=グウィンによる小説を原作にしており、さらに独自の世界観で変化が加えられているため、映画「ゲド戦記」を観ただけではアレンやテルーなどのキャラクターの言葉や行動が分からなかった視聴者も多くいます。そこで今回は映画「ゲド戦記」のあらすじをネタバレも含めて解説したうえで、分かりにくかった内容や場面を考察し解説していきます。

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ゲド戦記とは?

スタジオジブリが制作!

映画「ゲド戦記」は2006年に日本のアニメーション映画制作会社である「スタジオジブリ」によって制作されました。スタジオジブリの取締役である宮崎駿は1984年に公開された映画「風の谷のナウシカ」よりも以前に「ゲド戦記」の映画化を考えていましたが、小説の原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンは当時、自身の作品のアニメ化には消極的な考えを持っており、断られ続けた事で当時の映画化は叶いませんでした。

2003年に小説「ゲド戦記」の翻訳を務めていた清水真砂子がル=グウィンと面会した際に、ル=グウィンはアニメに対しての消極的な考えが変わっており、スタジオジブリの作品は自分の作品の構想に近いという事で、もし自分の作品がアニメ化するとしたらスタジオジブリにしか頼まないという事を述べました。そこでプロデューサーである鈴木敏夫によって「ゲド戦記」の映画化が検討されるようになりました。

宮崎吾朗監督のデビュー作!

「ゲド戦記」の原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンからアニメ映画化の許可が下りた事でプロデューサーである鈴木敏夫は映画化を前向きに考える研究会を立ち上げますが、宮崎駿は映画「ハウルの動く城」を制作中だった事と、これまでの監督作品にもうすでに「ゲド戦記」の要素を取り入れて作ってきた事から監督を断りました。そこで鈴木は宮崎駿の息子である宮崎吾朗を監督にする事を考えました。

しかし宮崎駿は経験も無く素人であった息子には映画監督など無理だと断固反対をしていました。そこで鈴木は宮崎吾朗に映画「ゲド戦記」のイメージ画を描かせ、それを宮崎駿に見せたところ納得はいってはいないものの素晴らしい絵だった事でしばらく考え続け、3日間宮崎吾朗に「本当にやれるのか?」と問い続け、監督を担当する考えを変えない宮崎吾朗に映画「ゲド戦記」を任せる事に了承し、映画製作はスタートしました。

素人であった宮崎吾朗が突然監督に就任したという事もあり、映画「ゲド戦記」制作当初はスタッフからあまり良く思われていなかったという事ですが、宮崎吾朗は映画製作を通じてスタッフに自分の能力を証明し続け少しずつ現場に溶け込んでいきました。また宮崎吾朗の方針により、全スタッフが伸び伸びと自由に制作が出来たことで、スタッフそれぞれの才能が引き出された作品に仕上がったと鈴木敏夫は語っています。

ゲド戦記のあらすじをネタバレ!

父王を殺害!

映画「ゲド戦記」の序盤のあらすじは、エンラッドという国の国王と、主人公であり王子であるアレンの登場からスタートします。アレンは優しく真面目な性格のため、自分の国の平和を脅かす悪に対して対策を考えているうちに精神を病んでしまい、自分の身体から「影」が抜け出てしまいます。「影」からも脅える日々を過ごしていたアレンは衝動により国王である父を剣で突き刺し殺害してしまいます。

ハイタカとの出会い!

正気に戻ったアレンは父親を殺害してしまった事で恐ろしくなり、父の持つ魔法の剣を持ち去りエンラッドから逃げ出してしまいます。アレンは自虐の念にさいなまれながら森をさまよっていると、オオカミの群れに襲われてしまいます。自分もここで死ぬのかと思ったアレンでしたが、そこを魔法使いの男性に助けられます。行き先の無かったアレンはハイタカと名乗るその魔法使いと共にホートタウンという町を目指すことになります。

ホートタウンという町のあらすじ

ホートタウンでの出来事のあらすじです。ホートタウンに到着したアレンとハイタカでしたが、アレンはホートタウンの凄まじい現状に驚きます。ホートタウンはかつては人々と活気にあふれる栄えた街でしたが、現在は人身売買と人の精神を狂わせる薬が流行っており、金の亡者と心が壊れてしまっている人々がはびこるという金の欲望がうずまく寂しい街になってしまっていました。

テルーとの出会いのあらすじ

アレンはハイタカと別行動をとることにしホートタウンを歩いていると、人狩りであるウサギがテルーという少女をさらおうとしているところを目撃します。エンラッドの王子として剣技を磨いていたアレンは一瞬のうちにテルーを助け出しますが、テルーはアレンのその恐ろしいほどの凶暴性を目の当たりにしたことで、助けられたにも関わらずアレンに嫌悪感を抱きます。

テルーとの再会のあらすじ

アレンがテルーを助けた日の夜に、ウサギによって今度はアレンが連れ去られてしまいます。拘束されたアレンは今度は自分が人身売買によって奴隷として売られそうになってしまいますが、そこをまたハイタカに救われます。その後二人はハイタカの幼馴染で信頼できる人物であるテナーの家に向かいます。テナーの家に到着すると、そこにはテルーも住んでおり、アレンとテルーは再会することになりました。

ハイタカはアレンはしばらくテナーの家でともに暮らすことにし、アレンは畑仕事などをこなすようになります。ある日アレンは夕飯時に外にいるテルーを呼びに行くと、歌を唄うテルーを見て涙を流してしまいます。そんなアレンを見たテルーはアレンの心の傷が自分に似ていると気付き、今まで冷たい態度をとってしまっていたことを詫びて、少しずつアレンの心に歩み寄っていきます。

テナーがクモの城に連れ去られてしまったあらすじ

クモによる復讐のあらすじです。アレンは自分の影に追われており、自分がテナーの家にいるとみんなに迷惑をかけてしまうと思った事から出て行ってしまいます。そしてその夜、悪の魔法使いであるクモの手先であるウサギが兵士を連れてテナーの家にやってきてテナーを連れ去ってしまいます。クモはハイタカに恨みを持っており、ハイタカを自分の城におびき出すためにテナーを人質として使う作戦だったのです。

クモの城での戦い

クモの城での戦いのあらすじです。アレンはクモに連れ去られてしまい、クモに魔法をかけられた事で操られてしまいます。ハイタカはテナーが連れ去られた事を知り、クモの城に向かいます。テルーは道の途中でアレンの影に出会い、クモの城へと誘導されます。そして全員がクモの城へと集結することになります。この時にテルーはアレンの影によってアレンの真の名を教えられ、クモの城にいる自分を助けてやってくれと伝えられます。

クモの作戦によってハイタカは捕えられてしまい、テナーと共に処刑されそうになってしまいます。そこにテルーの説得によって自分を取り戻したアレンが助けに向かい、兵士たちをなぎ倒し、魔法の剣を使ってクモの腕を切り落とします。それによって今まで魔法によって隠していたクモの正体があばかれ、老人の姿になってしまいます。そしてクモはテルーを城の頂上に連れ去り殺害しようとします。

クモによってテルーは力尽き死んでしまったかに思えましたが、倒れこんだテルーは急に立ち上がり、竜へと変化して炎によってクモを焼き尽くします。そして竜となったテルーとともにアレンはテナーの家へと戻ります。そこに戻ってきたハイタカとテナーと共にしばらく暮らし、その後アレンは自分の過ちを正すために自分の国であるエンラッドに帰って行くというところで物語は幕を閉じます。

ゲド戦記の映画を分かりやすく解説!

なぜアレンは父親を殺した?

あらすじで紹介したとおり、アレンは映画「ゲド戦記」の物語冒頭で父親を殺害してしまいますが、これは特に父を憎んでいたわけでも嫌いだったわけでもありません。アレンは王国の事や自分の影への恐怖などでやり場のない怒りを抱えていました。その怒りの矛先が自分の世界を象徴する父親に向かってしまい、衝動的に刺してしまったという事です。これは現代の若者の考えのつかない行動をアレンによって表わしているという事です。

また宮崎吾朗監督は「自分もそうですが、親の影が大きすぎて、そこから逃げ出したいと思う子は多いんじゃないかと感じていました」と語っており、映画「ゲド戦記」制作当初は、父親を刺さずに逃げ出すだけの設定だったという事ですが、鈴木が「それじゃあ父親から逃げるだけになってしまう、ここは刺さなきゃ」と発言し、父親を刺してから始まる物語も面白いという事になり、アレンが父親を刺すという設定が生まれました。

ハイタカの顔の傷はなに?

映画「ゲド戦記」は原作である小説の3巻目をもとに作られてはいますが、ほとんどオリジナルストーリーです。しかし小説の設定を部分的に受け継いでおり、1巻目の「影との戦い」で主人公であったハイタカは、青年ではありましたがとても優秀な魔法使いであったため、自分の力を過信していました。そしてあるとき禁断の魔法を使ってしまい、死者の魂と自分の影を呼び出してしまいます。

それから自分の影との戦いが始まりますが、戦いは壮絶を極め、その時に影によって顔に傷をつけられてしまいます。それがハイタカの顔の傷の正体であり、映画「ゲド戦記」にも設定が受け継がれています。ハイタカは自分の影に悩むアレンの姿を過去の自分と重ね合わせ、他人事には思えなかったということもアレンを助けて行動を共にした理由の1つだという事です。

映画「ゲド戦記」の人々が日常で名乗っている名前は偽名

映画「ゲド戦記」の世界では魔法と言う概念があり、名前を知られることによって魔法で操られるなど悪用されることもあるという事で、人々は常に自分の名前を隠し、偽名を名乗って生活をしています。自分の真実の名を明かすという事はその人物にすべてを委ねるという事になるため、本当に信頼できる人物にしか名乗る事はありません。作中でもクモは薬によってアレンの真実の名を聞きだし魔法によって操りました。

テルーはアレンの影によってアレンの真実の名「レバンネン」を聞き出します。アレンもテルーが自分を説得してくれているときにテルーの真実の名「テハヌー」を教えてもらいます。またハイタカの真実の名は「ゲド」であり、幼馴染であり昔から付き合いがあったテナーは知っていました。映画「ゲド戦記」で唯一テナーだけは偽名を過去に捨てており、真実の名だけで生活しています。

テナーとは何者か解説

映画「ゲド戦記」ではテナーはすでにハイタカと顔見知りであり、過去には巫女であったとしか語られていませんが、原作ではテナーは昔、カルガド帝国という国のアチュアン墓地という場所でアルハという偽名を使いながら巫女をしていました。しかし巫女という存在は「ゲド戦記」の世界では身分の低い立ち位置である事から奴隷のような生活を強いられていました。

そこを魔法使いのハイタカに救われ、以降は奴隷の時に名乗っていたアルハという偽名を捨てて、テナーという真実の名だけで生きていく事を決めます。テナーはカルガド王国から「エレス・アクベの腕環」という世界の調和を守るための腕環を取り戻した功績が認められ、それからは腕環のテナーと呼ばれ人々から尊敬される存在となりました。その後、親を失ったテルーを引き取り共に生活するようになります。

クモは何故ハイタカに恨みを持っていたのか?

映画「ゲド戦記」の悪い魔法使いであるクモはハイタカに復讐し、世界を征服しようと考えています。映画「ゲド戦記」では語られることはありませんでしたが、クモとハイタカは昔同じ魔法使いのもとで修業をしていた過去があり、クモは黄泉の世界の扉を開き死者の魂を呼び出すなどの商売をしており、魔法を私腹を肥やすための金儲けの手段として使っていました。

クモはあるとき亡くなっていた師匠の魂を黄泉の世界から呼び出してしまい、これによってハイタカの逆鱗に触れた事で、ハイタカによって自分が黄泉の国に落とされそうになってしまいます。この時クモはとてつもない恐怖を味わい、泣きながらハイタカに許しを乞います。この時にもう悪事を働かず、改心することをハイタカに誓ったクモでしたが、実はそれは嘘で、ずっとハイタカに恨みを抱き続け復讐の機会をうかがっていました。

テルーの顔の傷はなにか解説

テルーの顔の傷はケロイドです。テルーは生みの親とは人狩りによってさらわれた事で離別しており、テルーを買った人買いである新しい両親がテルーを育てていました。しかしこの新しい両親である夫妻はテルーの事を娘として考えてはおらず、テルーを奴隷同然にこき使い、毎日休みも無く働かせていただけではなく虐待もしていた事からテルーの顔に消えないケロイドが出来てしまいました。

キャッチコピー「人は昔、龍だった」を解説

映画「ゲド戦記」のキャッチコピーに「人は昔、龍だった」というものがありますが、これは昔、人間と共存していく道を選んだ一部の龍たちが姿を人間に変えて、人間として生きていったという事を表しています。それにより人間と結婚をする龍も現れ、人間のように家庭を持ち暮らしていました。その子孫たちは自分の祖先が龍であった事実などは知らないため、もはや龍の存在は忘れ去られようとしています。

テルーの唄の意味を解説

あらすじにもあったように、映画「ゲド戦記」の物語中盤でテルーの唄によってアレンが涙するというシーンがありますが、このテルーの唄は1人で生きていく事の孤独感や、戦い続ける事の孤独感を唄っており、内容に共感したアレンはつい涙を流してしまったという事です。しかしテルーはここでアレンが孤独と戦ってきたことを知り、アレンに心を開き歩み寄るきっかけとなっていきます。

何故ハイタカはテルーを見た時に驚いた表情をしたのか?

ハイタカはアレンと共にテナーの家を訪れた時に初めてテルーの姿を見ますが、この時に驚いた表情をします。これは映画「ゲド戦記」の終盤シーンでテルーが龍に変化しますが、アースシーの大賢人であり魔法使いの最高峰であるハイタカには、もうこの時にすでにテルーの中に眠る龍の存在に気付いたからです。しかしハイタカはこの時はテルーや他のみんなにも龍の存在を教える事はありませんでした。

アレンの声優は岡田准一

映画「ゲド戦記」の主人公であるアレンの声優を担当したのはアイドルグループV6の岡田准一です。岡田准一はこの時アニメの声優は初挑戦でしたが、アレンの特徴を捉え、役を演じきりました。またスタジオジブリ制作で「ゲド戦記」の監督を担当した宮崎吾朗の次回作で2011年公開の映画「コクリコ坂から」でも岡田准一は主人公である風間俊役に抜擢されました。

テルーの声優は手嶌葵

映画「ゲド戦記」のヒロインであり、物語のキーパーソンであるテルーの声優を担当したのは歌手の手嶌葵です。2005年に韓国で行われたイベントがきっかけで、プロデューサーである鈴木敏夫に手嶌のデモCDが渡され、声を気に入った鈴木は当時制作中であった映画「ゲド戦記」の主題歌を歌ってもらう事を決めます。その後にテルーの声優も決まっていなかったことから手嶌がテルーの声優を担当することになります。

ゲド戦記のアレンやテルーの正体を解説!

アレンの正体とは?

映画「ゲド戦記」に存在する王国であるエンラッドの王子であるアレンは、心に悩みや闇を抱えてしまった事で、身体からもう一人の自分が抜け出てしまいます。アレンはこのもう一人の自分を影と呼び、常に自分をつけ回している影に恐怖を覚えていました。この事から映画「ゲド戦記」には肉体を持ち、ハイタカと旅をするアレンと、実体を持たずに肉体を持つ存在を付け回すという二人のアレンが存在します。

宮崎吾朗監督によると、アレンが二人に別れた原因はクモの魔法によるものだとされています。しかし実際は影として肉体から抜け出てしまったものがアレンの心の光の存在であり、テルーが抜け殻のようになってしまったアレンに対して「レバンネン、そうして命はずっと続いていくんだよ」と言い聞かせた事がきっかけで、光が抜け出てしまっていたアレンに光が戻り、本来のアレンの心を取り戻します。

テルーの正体とは?

テルーは映画「ゲド戦記」の物語終盤にクモに殺されましたが復活し、龍になってクモを倒すというシーンがありますが、これはテルーが龍の一族の末裔だったという事です。原作「ゲド戦記」によると、龍の一族の最長老であるカレシンは人間と共に生きていくと決め、人間の妻と共に暮らしますが、この二人の子供がテルーであるとされているため、テルーは龍と人間の混血児だという事です。

通常は龍の子孫であっても龍に変化することは出来ないとされていますが、テルーの父は最長老であるカレシンであったため、テルーは龍の一族の血を色濃く受け継いでおり、危機感をトリガーに龍へと変化することが出来ました。また映画「ゲド戦記」の冒頭で龍が出現しており、この龍がテルーなのではないかと考えた視聴者も少なくありませんでしたが、テルーはラストで初めて変化をしたため、この龍はテルーではありません。

通常は龍と人間は違う世界に住んでいますが、クモの魔法によって世界の秩序が乱されてしまい二つの世界が混ざってしまった事で、映画「ゲド戦記」の冒頭で出現した龍は人間の世界に迷い込んでしまいました。この龍の出現は物語の序盤からすでに世界の均衡が崩れてしまっている事を表しています。またテルーは最長老であるカレシンの娘なので、この龍よりも大きな力を持っているとされています。

ゲド戦記についての解説まとめ!

映画「ゲド戦記」のあらすじをネタバレを含みながら紹介し、謎をわかりやすく解説してきましたが、劇中では語られなかった真実が多数存在している事が分かります。この記事のあらすじや謎解説を読んでアレンの影の正体やテルーの正体、ハイタカやテナーの関係性などが分かったところで、初見の方もファンの方も映画「ゲド戦記」を観ていただき、今までとはまた違った感動が生まれてくれたら幸いです。

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