千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は?群馬の旅館や台湾など徹底調査

日本で知らない人はいないと行っても過言ではない宮崎駿監督の代表作『千と千尋の神隠し』に関する記事です。千と千尋の神隠しは独特の世界観をしています。しかし、その千と千尋の神隠しの世界には舞台・モデルとなった現実の場所があるという噂があります。今回はその舞台・モデルとなったのではといわれてる場所を温泉を中心に紹介していきます。台湾?群馬県?千と千尋の神隠しが好きなあなた!この記事を読んで聖地巡礼の温泉巡りでもいかがですか?

千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は?群馬の旅館や台湾など徹底調査のイメージ

目次

  1. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は?群馬の旅館や台湾など徹底調査!
  2. 千と千尋の神隠しとは?
  3. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は存在するのか?
  4. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は台湾?
  5. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は日本?
  6. 千と千尋の神隠しのワンシーンによく似た場所を紹介!
  7. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台だといわれている場所にいった人の感想を紹介!
  8. 千と千尋の神隠しのモデル・舞台だと言われている場所に行ってみよう!

千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は?群馬の旅館や台湾など徹底調査!

その人気は日本にとどまらない?一世を風靡した千と千尋の神隠しに関する記事です。綺麗な情景が描かれている千と千尋の神隠しですが、この映画に登場する旅館や温泉にはモデル・舞台となっている現実の場所があるとの噂です。今回は千と千尋の神隠しのモデル・舞台となったと言われている場所を紹介していきます!千と千尋の神隠しの舞台は台湾?群馬県?この記事を読んでぜひ話題の聖地巡りをしてみましょう!

スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

千と千尋の神隠しとは?

日本人なら一度は耳にしたことがある「千と千尋の神隠し」という映画、今も昔も大ファンという方はもちろん、実は見たことがない!という方のためにも作品の概要からあらすじまで一挙に紹介していきます!この記事を読んで、千と千尋の神隠しについて詳しくなっちゃいましょう!

大ヒットしたジブリ作品

千と千尋の神隠しはスタジオジブリによって制作された長編アニメーション映画です。監督は数々の名作を生み出してきた宮崎駿さんです。2001年7月20日に日本で公開され、300億円の興行収入を達成しています。これは日本歴代興行収入が1位という、日本で最も愛されている映画とも言えます。2018年現在でもこの記録は変わっていません。監督の友人であるジョン・ラセター氏を経由して北米でも公開されました。

その末、第52回ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞するなど数々の賞を受賞しました。さらに2016年の「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選ばれたほか、2017年のスタジオジブリ総選挙でも1位を獲得し15年以上前に公開された映画にも関わらず、いまだに根強いファンと高い人気を誇る日本映画界の代表作ともいえる映画となっています。

宮崎駿監督が千と千尋の神隠しを作ろうと思ったきっかけは宮崎駿監督が個人的に付き合いのある10歳の女の子を喜ばせたいというものです。この女の子が千と千尋の神隠しの主人公・千尋のモデルとなっています。千と千尋の神隠しを製作するまで宮崎駿監督はまだ一度も10歳前後の女の子向け作品を作ったことがありませんでした。ジブリ関係者の娘にその年頃の子が多くその子たちに映画を送り届けたいという思いがあったそうです。

普通の小学生の千尋が迷いこむ不思議な世界

物語は画像の少女・千尋を主人公にして展開されます。引っ越し先へ車で移動していた千尋一家でしたが、途中に森の中にあるトンネルを通ると謎の街に到着仕手しまいます。そこにはこの世のモノとは思えないような怪物がウロウロしていました。そこは神々が住む世界だったのです。もちろん人間が来ていい場所ではありません。千尋の両親は神々が食べる予定だった食べ物を食べてしまったため、ブタにされてしまいます。

千尋はこの街から逃れようとしますが、帰り道がなくなり消えてしまいそうになります。そこに現れたのが神々の世界に住む謎の少年・ハクです。ハクは油屋と呼ばれる神々を客としてもてなす温泉で働いていました。そこの主人は湯婆婆と呼ばれる魔女で、名前を奪うことで相手を支配する能力を持っています。働かないと動物に変えられてしまうと聞いた千尋は、「千(セン)」という名で両親を取り戻すべくこの温泉・油屋で働き始めます。

「千」として働き始めた千尋にハクは忠告します。それは本当の自分の名前を忘れてしまうと、二度と元の世界に変えることはできないというものでした。ハクは「千」に本当のお前の名前は「千尋」だということを伝え、自分の名前を忘れかけていた千尋を救います。しかし、そんなハクも湯婆婆に名前を奪われた被害者の一人であり、本当の名前を思い出せていないのでした。そんなハクは以前に千尋と会ったことがあるというのです。

しかし、千尋はハクに会った記憶がありません。そしてハクもいつどこでどうやって千尋と出会ったのかわかっていません。そんな二人は油屋で波乱の生活を送っていきます。

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千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は存在するのか?

それでは本題の千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は存在するのか?に移ります。千と千尋の神隠しの世界には様々な温泉や旅館が登場します。その一つ一つに舞台・モデルとなった場所があると言われています。しかし、宮崎駿監督をはじめ、ジブリ関係者はその場所を明言していません。そのため、ファンや一般の方から似ていると言われた場所を紹介していきます。場所は海外台湾から日本の群馬まで様々です!

千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は台湾?

最初に紹介するのは海の向こうの国、台湾です。台湾に千と千尋の神隠しの舞台・モデルとなった温泉・街並みがあると言われています。千と千尋の神隠しは独特な世界観を持っていますが、現実世界にあのような街並みは存在するのでしょうか?

台湾の九份

千と千尋の神隠しの温泉街の舞台・モデルとなった場所の一つに台湾の九份(きゅうふん)という場所が挙げられます。九份は台湾北部の港町基隆市の近郊にあり、新北市瑞芳区に位置している町の名前です。台湾語では「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」という意味があります。もともとはごく普通の村で注目されるような要素は決してありませんでした。しかし1800年代後半に金が眠っていることが判明、次第に栄えていきます。

台湾は日清戦争で日本が勝利したことにより、1895年から1945年まで日本の統治下にありました。九份も例外ではありません。日本の占領下のもと、金により繁栄していった九份は非常に日本色が強い街並みが当時から現在まで残っています。現在残っている路地や石段などは、その当時に造られたものです。しかし、1945年に台湾は中国に返還されます。そして1971年に金の採掘量減少で金鉱が閉山、街は一気に衰退していきました。

再興した九份

しかしそんな九份に転機が訪れます。1989年に映画『非情城市』のロケ地になったのです。この映画は当時避けられていた二・二八事件を取り上げたことで大ヒットした映画です。この映画の公開により九份は再び栄えることになります。異世界に迷い込んだかの様な街並みに魅了された人々は九份を訪れ、多くのメディアにも取り上げられたことで観光地として有名になりました。一時期衰退した町は再び繁栄を取り戻したのです。

このブームを九份も利用し、町全体で観光に力を入れました。今では町にいくつか「非情城市」にまつわりがある名前の喫茶店や土産物屋が並んでおり、台北からの来客も多くなっています。近年は旅行ガイドブックにも九份が紹介されているため、世界的な観光地の一つとなっています。なお、九份にはホテルというものがほとんど存在していないため、旅行に行く際には民宿が主な宿泊施設となっていることを忘れないでください。

千と千尋の神隠しと九份

台湾の九份は本当に千と千尋の神隠し温泉街の舞台・モデルとなった街なのでしょうか?モデルと考えられる茶屋に「神隠少女 湯婆婆的湯屋」の看板が掲げられているところもあります。実はこのことに関してジブリ・宮崎駿監督側から直接コメントが寄せられています。その内容は「舞台・モデルとなった場所ではない」とのことです。あまりにも似ているため、聖地っぽくなっていますが公式に否定されていることは事実となっています。

九份の街並みを紹介!

それでは今まで紹介してきた九份のどのような部分が千と千尋の神隠しに似ているのか少し画像とともに紹介していきます!この記事を読むと今すぐにでも九份に行きたくなってしまうかもしれません!

まずはこの街並みです。提灯がぶら下がっており、照明から建物の作り、色合いまで千と千尋の神隠しの世界にそっくりです。観光地化しているだけあって、多くの人が訪れていることがわかります。山の中にある町なので勾配が急な所も多く旅行に行く際には注意が必要です。

画像は夜の九份です。千と千尋の神隠しにも夜の街並みが何度も出てきましたが、雰囲気が非常に似ていることがわかります。まさに神々の世界を彷彿させるような神々しい街並みです。

画像は先ほど紹介した「神隠少女 湯婆婆的湯屋」の看板です。いかにも聖地っぽい看板となっていますが、現地に行かれる方は公式に否定されていることは忘れずにお楽しみください。

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千と千尋の神隠しのモデル・舞台となった温泉は日本?

次に紹介するのは千と千尋の神隠しの温泉の舞台・モデルとなったと言われている日本の場所です。あんな幻想的な世界の舞台・モデルが本当に日本に存在するのか!?と思っている方も多いと思いますが、実は全国各地に存在しているのです。九份は外国だからちょっと不安があっていけない・・・という方でも、日本国内ならば観光に行くことも可能ではないでしょうか?

長野県渋温泉

最初に紹介するのは長野県渋温泉です。長野県下高井郡山之内町にある温泉のことで、その周辺は「湯田中渋温泉郷」と呼ばれている温泉郷です。一番最初に温泉を発見されたのは行基であったと言われています。時代は今から1300年前です。信州ということもあり、戦国時代には武田信玄が隠し湯として渋温泉を利用していました。川中島の戦いで負傷した兵士を渋温泉に案内し、療養させた場所でも知られています。

横湯川の周りに温泉街が広がっており、宿泊施設も多くあります。木造で石畳というノスタルジックで古風な作りが雰囲気を醸し出しています。外湯巡りが有名であり、共同浴場は合計9軒存在しています。それぞれ泉質や効能も違い、違った温泉を楽しむことができます。ただし地元の人、もしくは渋温泉宿泊者限定しか外湯巡りができないということを注意してください。専用のカギがないと入浴できないことになっています。

宿泊者は鍵と手ぬぐいを持ち歩き、湯めぐりをします。9つすべての温泉にある御朱印を集めて最後に鷹薬師に参詣すると願いが叶うと言われています。この9つの湯めぐりは宿泊者限定ですが、2006年から日帰り客のために9番湯・大湯のみ有料で開放されています。日帰りで渋温泉へ行かれる方は9番湯のみ入浴できるのでぜひ訪れてみてください。他の湯は今まで通り宿泊客のみ入浴可能です。入浴時間は10~16時となっています。

いくつか画像を挙げてきましたが、この何層にもわたる建物が千と千尋の神隠しの油屋のモデルになったのではないかと言われています。和を感じさせる日本の伝統建築で、雰囲気も十分あるのでぜひ一度は訪れてみてください。

岡山県元禄温泉の油屋

次に紹介するのは岡山県元禄温泉の油屋です。湯原温泉ともいわれています。岡山県には他に湯郷温泉・奥津温泉が有名であり、3つの温泉合わせて美作三湯と言われています。岡山県真庭市湯原温泉・豊栄にある温泉で、野口冬人の諸国露天風呂番つけで西の横綱にランクインしています。歴史としては播磨の名刹で書写山圓教寺の性空上人が重病で倒れた際、夢に天童が出現し、この湯原温泉を教えてくれたといいます。

それを見た性空は湯原温泉へと行き、見事病を治すことに成功しました。このことがきっかけで、湯原温泉は薬湯としても知られることになりました。戦国時代には豊臣政権五大老の1人・宇喜多秀家の母が重病にかかった際、この湯原温泉に通い、病を治したと言われています。そのお礼で宇喜多秀家はこの湯原温泉の浴室を改装したと云い伝えられています。

しかし、地元の歴史研究者によれば、たたら製鉄が盛んになった弥生時代からそこで働いていた職人たちが湯原温泉へ通い、治療をしていたとのことです。この辺りは温泉も影響し、根本的に地熱が高くなっており、冬場には小屋を作って寒さをしのいでいたと言われています。そのような理由から、この温泉の歴史はもっとさかのぼり、先史の時代からずっと地元の人々に温泉として愛されてきたものと考えられています。

さきほど紹介した長野県の渋温泉同様日本様式の趣のある建物となっています。渋温泉が何階層にもなる高い建物だったのに対して、岡山県元禄温泉の油屋は平屋のこじんまりした建物となっています。客室も8室しかないため、千と千尋の神隠しの舞台・モデルの聖地巡りとして「油屋」にこだわりを持っている方は早めのご予約をお勧めします。

愛媛県道後温泉

次に紹介するのは四国・愛媛県にある道後温泉です。日本三古湯の一つとして数えられています。道後温泉は古代から重宝されている温泉であり、万葉集にもその存在は古名「にきたつ」として登場しています。また、昔は道後温泉があることからこの地帯一片を「温泉郡」といっていました。その他には夏目漱石の『坊つちやん』にも道後温泉は登場しており、日本でもトップクラスの有名な温泉で、観光地となっています。

道後温泉の歴史を振り返るとそれは3000年前と言われています。神話・史実の記録ともに日本の温泉の中でもダントツで古い歴史があります。神話では白鷺伝説というものがあります。これは昔、足を痛めてしまった白鷺が流れてくるお湯に足をつけていたところ、見事傷が完治、羽ばたいていったというものです。これを見た人間が水を確認すると温泉であることがわかり、周りに伝えたというのが道後温泉の始まりと言われています。

伊予国風土記にも伝説が書かれています。日本神話の時代に大国主命と少彦名命が旅をしていた時、少彦名命が病に倒れました。そこで大国主命は海底に管を通して道後へとつなぎ、少彦名命の手のひらに温泉のお湯を注いだところ、みるみるうちに病は回復、すっかり元気になったと言われています。これを喜んだ少彦名命は踊りだしたと言われ、この伝説から道後温泉の湯釜の正面に大国主命と少彦名命と思われる神様が描かれています。

聖徳太子が病気を治療するために道後温泉に滞在したともいわれています。なお、この時、聖徳太子は道後温泉の風景と湯に感激して記念碑を残したとの記述がある。しかし、その記念碑は未だに発見されておらず、道後温泉の歴史の中で最大の謎となっています。その他、舒明天皇や斉明天皇、中大兄皇子、大海人皇子など数多くの皇族が来湯した資料も確認されています。

本格的に「温泉」として知られるようになったのは江戸時代のことです。1935年に松山藩の藩主を務めていた松平定行が道後温泉を大々的に整備しました。これをきっかけに、以後松山藩主は道後温泉を整備し続けます。こうして温泉経営が始まりました。一時は地震などによりお湯が沸かない時期もありましたが、それでも来場者は後を絶たなかったといいます。1795年には小林一茶が道後温泉を訪れています。

現在の道後温泉になったのは1894年のことです。温泉街の中心に近代和風建築で道後温泉本館が造られました。夏目漱石が大絶賛しています。そのことから道後温泉本館は「坊っちゃん湯」としても親しまれています。道後温泉本館自体が現在は観光施設になっていますが。その周辺も近年は栄えてきており、地ビールを飲むことができる店などがあります。

道後温泉本館三層桜の屋上には振鷺閣というものが飾り付けられています。これは先ほど紹介した白鷺伝説の鷺をイメージしており、道後温泉本館を一段と趣あるものにしています。また、天上からは太鼓が吊り下げられています。この太鼓は朝6時に6回、正午に12回、夕方の6時に6回、一日3回計24回ならされており、昔ながらの雰囲気を感じ取ることができます。この太鼓の音は「残した日本の音風景100選」の1つとなっています。

この道後温泉は、ジブリ・宮崎駿監督から「千と千尋の神隠しのモデルの1つとなっている」と明言されているため、正真正銘の聖地のひとつとして数えられます。聖地としてでなくとも、日本で一番古い温泉であるため、日本人なら一生に一度は是非訪ねてほしい場所です。

群馬県四万温泉

次に紹介するのは群馬県の四万温泉です。群馬県に温泉というイメージをもっていない方も多いと思いますが、群馬県の四万温泉は国民保養温泉地の第一号の指定を受けた立派な温泉です。群馬県吾妻郡中之条町にあります。群馬県四万川に沿って温泉街が広がっています。温泉街は5つのエリアに分けられており、中でも日向見(ひなたみ)と呼ばれる地区は四万温泉が発祥の群馬県地名であり、日向見温泉と呼ばれることもあります。

群馬県四万温泉の開湯伝説は2つあります。1つ目は坂上田村麻呂が発見したという説です。8世紀末の発見であり、坂上田村麻呂が蝦夷に向かっていた際に、群馬県のこの地立ち寄り、温泉を見つけたと言われています。2つ目は源頼光の家臣によって発見されたというものです。時代は10世紀末と考えられています。発見したのは家臣の碓井貞光ですが、彼は日向守であったため、群馬県四万温泉を日向見温泉と呼ぶとされています。

群馬県四万温泉は基本的に硫酸塩泉となっています。現在群馬県で源泉台帳に登録されている源泉は42カ所あります。そのうち39カ所が自然に湧いてきており、残りの3カ所のみ少し掘削工事を行っています。このように群馬県は非常に温泉が多い地域となっています。また群馬県・四万温泉は昔から飲むと胃腸によく効くと言われています。群馬県にはいくつもの飲泉所があるため、言った際には是非飲んでみてください。

何枚か画像をあげていますが、群馬県四万温泉には赤い橋が架かっています。千と千尋の神隠しにも温泉・油屋に行くところに赤い橋が架かっているため、聖地ではないかと言われています。秋にはモミジも色づき、非常に趣のある世界となります。

千と千尋の神隠しのワンシーンによく似た場所を紹介!

次は温泉旅館だけではなく、千と千尋の神隠しのワンシーンによく似た場所を紹介していきます。今から紹介する場所に見覚えがある方も多いのではないでしょうか?

都電7500形

都電7500形が登場したシーンが思い浮かぶ方はいるでしょうか?この電車はカオナシと千尋が「沼の底駅」に向かった電車のモデルとなっています。1962年に登場した電車で1967年に路線網が廃止されたと同時にほぼすべてが消えることになりました。基本的にバスの車体を参考にして作られています。7000形、8000形とは異なるデザインとなっています。2008年に最後の一台7506が8800形に置き換えられ完全に廃車となりました。

江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園には千と千尋のモデルとなったとされる建物や施設が多く存在します。これはジブリ・宮崎駿監督側から実際に「参考にした」と言われているため、間違いありません。まず最初は画像の子宝湯です。油屋の外観に非常に似ています。特に油屋の一番上の階層にそっくりです。内装はごく普通の温泉という感じですが、大型の唐破風や玄関の上に七福神の彫刻があるなど和を意識した装飾となっています。

次は「武居三省堂」と言われる建物です。画像を見た方はすぐにわかるのではないでしょうか?ここは釜爺が働いていた場所です。無数の引き出しがそっくりです。この「武居三省堂」というのは実は文房具店になっています。明治初期に創業し、最初は書道用品を販売していました。しかし時代が進むにつれて絵筆や文具なども扱う店へと変化していきます。当時、引き出しには実際に商品が入っており、はしごに上って取っていました。

次は高橋是清邸です。実物は小さな家なのでわかりにくいと思いますが、これは千と千尋の神隠しでは竜に化けて傷ついたハクが突っ込んできた場所のモデルとなった家です。中の作りもハクが飛び込んできた場所そっくりで、千と千尋の神隠しの世界を味わうことができます。明治から昭和にかけて高橋是清によって使われた家で、2・26事件の現場となったことでも有名です。

画像の場所は江戸東京たてもの園の「鍵屋」と言われる場所です。名前は「鍵屋」ですが中身は居酒屋です。千と千尋の神隠しでは千尋の両親が神々の世界に着いた後すぐにごちそうをたくさん食べてブタになってしまった場所です。1856年に建てられたと言われており、建物と店内は1970年頃のものに復元されています。

江戸東京たてもの園、最後の紹介は丸二商店です。不思議な形をした建物で、こんなものが千と千尋の神隠しに出てきただろうか?と思う方もいると思います。しかし、この不思議な形の建物がそっくりそのまま出てきたシーンがあるのです。それは神々の世界の街並みです。よく見ると一軒一軒が上に変なでっぱりのついた建物となっています。丸二商店は荒物屋で、現在の店内は1930年代のものを再現しています。

日光東照宮

意外かもしれませんが、栃木県にある日光東照宮も千と千尋の神隠しの聖地となっています。これは2017年1月20日に金曜ロードショーで千と千尋の神隠しが放送された際、美術監督を担当した武重洋二さんが日光東照宮も油屋のデザインの参考にしていると明言したため、間違いありません。栃木県日光市にある神社で、江戸幕府をひらいた徳川家康を神格化した東照大権現を祭っています。

歴史は平安時代末期まで遡ります。一番最初は源義朝が日光山造営をしたのが始まりと言われています。その後は鎌倉幕府、関東公方、後北条氏などの有力大名などによって関東の宗教的権威として維持されてきました。このようなこともあり、徳川一族も日光東照宮をつくったとされています。なお、日光東照宮というのは「日光」という地名をつけた呼び名であり本来の名称は「東照宮」で、他と区別するために地名をつけて呼んでいます。

1616年に徳川家康が死亡すると家康の遺言通り、遺体は久能山に葬られました。そして久能山東照宮を完成させましたが、翌年には日光に改葬されてしまいます。ただし、この時遺体が本当に日光東照宮に移されたのかは分からず、久能山東照宮に遺体を置いたまま、家康の霊だけが日光東照宮にうつっているとの考えもあります。藤堂高虎の尽力もあり、1617年4月に日光東照宮の社殿が完成しました。

江戸幕府3代将軍・徳川家光の時代になると21年神忌に向けて官営の大造替が行われます。この時の大規模改築によって現在の優美な社殿へと変化していきました。朝鮮通信使が来日した際に日光東照宮を訪れるなど、見た目の荘厳さから政治的権力の象徴にも利用されていたことがわかります。1645年までは「東照社」と呼ばれていましたが、この年に朝廷から宮号が与えられたため、「東照宮」と呼ばれるようになりました。

1869年に神仏分離が行われた際、日光は神社の東照宮・二荒山神社と寺院の輪王寺に分けられました。神仏分離が行われてから約150年が経っていますが、現在も東照宮と輪王寺の間で施設の帰属をめぐる争いが続いています。2013年から現在に至るまで「平成の修理」が陽明門で行われており、維持・修繕のメンテナンスもしっかりと力を注いでいます。表参道先にある石の鳥居の高さは9m、日本最大となっています。

日光東照宮には多くの動物が描かれています。そのほとんどが木彫りの動物で、平和を象徴していると言われています。眠り猫は家康を守るために存在していると言われていますが、別の解釈では猫も寝るほど平和であるというものがあります。その他にも8匹の猿の木彫りがありますが、これは猿は馬を守る動物という意味で描かれています。一方で8匹の猿は人間の一生を描いており、平和な過ごし方を示しているものにもなっています。

中でも世間一般に知られており、有名なのは三猿です。画像の3匹の猿ですが、「見ざる、言わざる、聞かざる」を意味していると伝わっています。これは「幼い頃には悪事を見ない、言わない、聞かないべきである」という意味であり、そこから転じて「自分に不都合な事は見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えになっています。

千と千尋の神隠しのモデル・舞台だといわれている場所にいった人の感想を紹介!

それでは実際に千と千尋の神隠しのモデル・舞台となって場所と噂されてる所に行った人たちの感想を見ていきましょう。現地へ行った方々はどのように感じたのでしょうか?

台湾の九份に行った方の感想です。大賑わいした九份で出会い、経験、最高の旅と言っています。現実離れした街並みはやはり、特別なものを味合わせてくれるのかもしれません。

愛媛県の道後温泉にいった方の感想です。「映画で見たやつそのまんま」とのことで、満足されています。写真で見るだけでも十分迫力がありますが、現地に行ってみるとさらにその荘厳さを感じ、千と千尋の神隠しの世界を彷彿させてくれるのでしょうか?

日光東照宮に行った方はその装飾と迫力に圧倒されたようです。いくら徳川家康を祀っているとはいえ、今の日光東照宮になったのは約400年前のことです。その時代にこのようなきらびやかな建物を作れたことは本当にすごいことです。宮崎駿監督が参考にしたことも理解できます。

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千と千尋の神隠しのモデル・舞台だと言われている場所に行ってみよう!

千と千尋の神隠しの舞台・モデルになったと思われる場所の紹介はいかがだったでしょうか?海を越えた台湾から日本の長野県、愛媛県、群馬県など様々な場所が参考にされています。幻想的な神々の世界を描く千と千尋の神隠しですが、現実世界にも似たような場所が多くありました。未だ興行収入日本歴代1位に君臨している千と千尋の神隠し、あなたも幻想的な世界に迷い込んだつもりで聖地巡りをしてみませんか?

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