天気の子をネタバレ考察!新海誠が伝えたかったメッセージやラストの意味は?

「君の名は。」で知られる新海誠監督の3年ぶりの長編アニメーション映画「天気の子」のラスト・最後までのあらすじをネタバレしまとめ、内容について考察していき鑑賞者の感想を紹介しています。映画「天気の子」に込められた新海監督の伝えたかったメッセージや物語のラストの意味についても考察してまとめています。これから映画を鑑賞される方は本記事を参考に映画をご覧いただくとより深く映画を楽しめるのではないでしょうか?映画「天気の子」が気になるという方は必見です!

天気の子をネタバレ考察!新海誠が伝えたかったメッセージやラストの意味は?のイメージ

目次

  1. 天気の子とは?
  2. 天気の子のメッセージやテーマネタバレ考察
  3. 天気の子のラスト・最後の意味ネタバレ考察
  4. 天気の子のRADWIMPS主題歌を考察
  5. 天気の子のその他の謎ネタバレ考察
  6. 天気の子の違和感の正体ネタバレ考察
  7. 天気の子に関する感想や評価
  8. 天気の子のネタバレ考察まとめ

天気の子とは?

2019年7月19日公開された新海誠監督『天気の子』が泣けるとネット上で話題となっています。本作のラスト・最後がどのように展開していくのかが気になるところです。本記事では天気の子の最後までのあらすじをネタバレし、あらすじの考察・感想についてもまとめて紹介していきますのでご覧ください。

天気の子の概要

2019年7月19日公開の映画「天気の子」は、大ヒットを記録した『君の名は。』を手掛けた新海誠監督の3年ぶりの長編アニメ作品です。第44回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門に出品されました。物語の舞台は雨の止まないという異常気象が起こる近未来の東京。天気を必ず晴れにすることができる力を持った少女と家出少年が出会い、現代社会の闇などを盛り込まれ、美しい映像で鑑賞者を物語に引き込みます。

「天気の子」は「君の名は。」の世界観はそのままにし、同作に登場した登場人物m宮水三葉や立花瀧もカメオ出演しています。音楽はロックグループのRADWIMPSが手掛け、声優陣には醍醐虎汰朗、森七菜、小栗旬、野沢雅子、上白石萌音、神木隆之介らがいます。

天気の子のあらすじ

映画「天気の子」のあらすじを冒頭からラストまでをまとめて紹介していきます。「天気の子」のあらすじはどのような内容となっているのでしょうか?さっそく「天気の子」のあらすじを見ていきましょう!

あらすじ①雨が降り続く世界

ひたすら雨が降り続く世界で1人の少女が雨空から差し込んだ一筋の光に導かれるように廃ビルの屋上の小さな鳥居に辿り着きます。少女は鳥居をくぐると空高く舞いあがり、空と雲の壮大な景色を眺めているのでした。

時は2021年、家出しフェリーで東京へ向かう高校1年生の16歳の少年・森嶋帆高(醍醐虎汰朗)は、道中でフリーライターの須賀圭介(小栗旬)と出会います。須賀は帆高に困ったことがあったら頼るようにと名刺を渡します。東京は長期的に雨が降り続ける異常気象に見舞われていました。

帆高はネットカフェで寝泊まりしていましたが、資金が底をつき、バイトするにも身分証を持っていなかったためにできませんでした。そんな帆高は警察官に遭遇すると補導されることを恐れて逃げ出します。その途中で偶然に捨てられていた拳銃を手にするのでした。

あらすじ②帆高と陽菜の出会い

困っていた帆高は、たまたま出会ったファーストフード店の女性店員にハンバーガーを恵んでもらい助けられます。帆高はフェリーで出会ったオカルト系雑誌『ムー』の記事を書いているライターの須賀を頼ることにし、食事付きの住み込みで働くことになります。帆高は須賀と須賀の姪でアシスタントの夏美(本田翼)の仕事の手伝いや周辺の世話をこなします。

ある日、帆高はハンバーガーを恵んでくれた少女が怪しい男たちに取り囲まれているのを目撃し、咄嗟に彼女をその状況から救い出し走って逃げます。そして、追ってきた男に向けて銃口を向けると発砲するのです。弾は外れましたが、今度は少女が帆高を連れて廃ビルへ逃げ込むように誘導します。落ち着きを取り戻した2人は自己紹介をします。彼女は天野陽菜(森七菜)と名乗り、アルバイトをクビになったといいます。

そんな陽菜は帆高を逃げ込んだ廃ビルの屋上にある祠に案内します。そして、今から天気を晴れにするというとずっと降り続いていた雨が一瞬にして止み、東京の街に陽の光が明るく照らします。陽菜はネット上でも話題になっていた噂の「100%の晴れ女」でした。

母親を亡くした陽菜は弟の凪(吉柳咲良)と2人暮らしの貧しい生活をしていました。帆高は陽菜に晴れ女の能力を生かすべきだと提案すると依頼を受けるホームページを立ち上げます。すると、すぐに依頼は舞い込み「君の名は。」の主人公・立花瀧(神木隆之介)の祖母・冨美(倍賞千恵子)の依頼をきっかけに評判となっていきます。

出だし好調と思われていた晴れ女ビジネスでしたが、ある花火大会のテレビ放送に映ってしまったことで依頼が殺到し追いつかなくなってしまい、既に受けた依頼だけに対応するとしばらく休業することになります。

陽菜の誕生日が近いことを知った帆高はプレゼントをしようと「君の名は。」のヒロイン・宮水三葉(上白石萌音)が務めるアクセサリーショップで指輪を購入します。その頃、ある神社を取材していた須賀と夏美は伝説の「天気の巫女」の話を耳にするのです。

あらすじ③須賀の頼み

須賀は一人娘の萌花に公園で遊ばせたいという願いを聞き入れ、休業する前の最後の依頼として公園一帯を晴れにし、みんなで楽しいひと時を過ごします。帆高が誕生日プレゼントとして購入した指輪を陽菜に渡そうとしたとき、陽菜はいつの間にか宙に浮き、少しずつ体が透けていることに気付きます。

陽菜は晴れ女になった経緯、1年前に導かれるように廃ビルの屋上の祠に辿り着き、病床の母ともう一度晴天の空の下を歩きたいと願ったことがきっかけで力を手に入れたことを話します。そんな時、帆高の両親が帆高の捜索願を出しており、拳銃発砲の一件も警察に知られることとなり、陽菜の家や須賀の事務所も捜索されることになります。須賀に逃げるように促された帆高は陽菜と凪と共にホテルに身を隠し、束の間の休息を得るのです。

陽菜は人柱である自分が犠牲になることで東京が本来の気候を取り戻すということを説明し始めます。しかし、帆高は陽菜の話が信じられませんでした。翌朝、目覚めると陽菜の姿はなく、東京には数か月ぶり晴天となっていました。

あらすじ④狂ったままでいい

帆高は陽菜が人柱になったことに気付き、夏美や須賀のサポートを受けて警察を振り切り廃ビルの屋上の祠に辿り着きます。まだ陽菜に自分の気持ちを打ち明けていなかった帆高は強く祈り続けました。すると、帆高の体は東京の空に舞い上がり、積乱雲に囚われている陽菜を見つけます。

陽菜は自分が元の世界に戻れば東京は再び異常気象に見舞われると言いますが、帆高は「天気なんか狂ったままでいいんだ」と叫び、陽菜を下界に連れ戻します。その後、東京には再び雨が降り続け、帆高は警察に連行されていくのでした。

あらすじ⑤陽菜との再会

物語の最後はあれから3年後の東京です。東京は相変わらず雨が降り続け、大半が水没していました。3年ぶりに東京にやってきた帆高は陽菜と再会し、そして「ぼくたちは大丈夫」とこれからの人生を共に歩む決意を新たに見せるという物語あらすじのラストで幕を下ろします。

映画『天気の子』公式サイト

天気の子のメッセージやテーマネタバレ考察

ネタバレ考察①雨が降り続ける世界

映画「天気の子」の物語あらすじの中心となるのが、『ずっと雨が降り続けているという東京』という世界観です。異常気象に見舞われる現実に対して主人公たちがどのようにアプローチしていくのかというところに注目が寄せられます。この現実をどのように解釈するかで「天気の子」のテーマは大きく変わってくると見られています。

新海誠監督は「雨=暗い現実」というように「雨が降り続けている」という世界観で『この暗く、閉塞感のある日本の現実社会』を描きたかったのではないかと考察されています。

そして、主人公たちが閉塞感のある暗い社会をどうにか変えようとアプローチする物語であるとも見られているようです。ストレスが多い社会で未来への希望=晴れ間を感じるのが難しい社会、この現実をどうにかしたいという監督の思いが感じられるという感想もネット上の感想で見られました。

ネタバレ考察②晴れ女という存在

天に祈りを捧げて地上を晴天にする「晴れ女」。しかし、晴天にするための人柱である晴れ女は役割を果たすと姿が消えてしまいます。新海監督はこの表現を用いることで、誰かが犠牲になることで成り立つ社会や、大事な何かや誰かを犠牲にしなければ生きていけない社会を否定し、訴えているのではないかと考察されています。

社会システムの歪みのしわ寄せが優しい人や若者、弱い人にやって来てストレスを生み出し、彼らの犠牲の上で何とか現在の社会が成り立っています。家族を養うために家族との時間を犠牲にして身を粉にして働いたり、自分の人生観を曲げて社会に合わせたり、本音を言えずに建前を言って繕わなければ生きてはいけない社会、大事なものを大事にできる社会でないことに本作品は異を唱えていると考えられています。

ネタバレ考察③銃の意味

天気の子のあらすじは、作中の電光掲示板のニュースで、16丁の銃が押収されたことが流れるところから始まります。行く当てもなく歌舞伎町を彷徨っていた帆高は黒服の店員から蹴られた拍子にゴミ箱に突っ込んでしまい、その際に銃を手にします。

「銃を手にしたのであれば作中のどこかで銃を発砲しなければいけない」というのはロシアの劇作家のアントン・チェーホフが唱えたドラマの原理や伏線の手法として知られています。従って誰が・いつ・どこで・発砲するかで作品の核心部に迫ることが可能です。発砲するのは恐らく帆高だろうと多くの方が予測されていたようですが、その通りに帆高が発砲しました。

ネタバレ考察④森嶋帆高

帆高は歌舞伎町で黒服に言い寄られて入店させられそうになっている陽菜を目撃し、黒服の男を突き飛ばして陽菜の手を掴み助けようとします。しかし、道を塞がれ挟み撃ちにされ、帆高は黒服に捕らえられてしまい、相手に一方的に殴られ続けます。帆高は陽菜を逃がすために、倒れこんだ時に入手して懐に忍ばせておいた銃を発砲するのです。

そして、黒服が怯んだ隙をついて今度は陽菜が帆高の手を引いて廃ビルの屋上の祠を目指します。しかし、帆高は陽菜にこっぴどく叱られるのです。実は、陽菜はお金を稼ぐために自分から入店を希望していたのでした。帆高は決して強い人物ではありませんが、正義感は強い人物だと言えます。家出少年ではありますが、恐らく家出したいと思うような状況に追い込まれていたのかもしれません。

家出の理由は明かされていないので定かではないようです。帆高のキャラクターを作品の世界観や物語の展開と照らし合わせた考察には、帆高は「社会のレールから外れて生きる事に苦悩する子ども」であると捉えられているようです。

また、「立場の弱い自分を乗り越えて、誰かを守れる大人になりたいと願う子ども」「大事なものを犠牲にできるようになることが大人になることなのかと、悩みと呵責を抱く子ども」と見られています。物語が展開する中での帆高の変化と決断が物語のテーマの答えとなっているようです。

ネタバレ考察⑤天野陽菜

噂の晴れ女の正体は天野陽菜です。陽菜ははじめ18歳と偽っていましたが、15歳の中学3年生で帆高よりも年下であることが明かされています。母を亡くして弟と2人で暮らし、生活の為に年齢を偽ってマクドナルドで働いていましたがクビになってしまいます。仕方なく風俗の仕事をしようとしていたところを帆高に目撃されてそれを阻止されます。

その後、晴れ女の力を使ってビジネスを始め、人の役に立って好調でしたが、最終的には多くの人のために自らを犠牲にし、天気を晴らすための人柱となって消えてしまいます。陽菜のキャラ設定や物語のエピソードからみた考察には、社会で大切な人を守るために自らを犠牲にしようとする子どもを表していると考えられています。

ネタバレ考察⑥須賀圭介

須賀は亡くした妻との間にできた子供の養育権を取るために警察沙汰になることは避けなければならない立場にあり、誘拐疑惑を払拭するために銃を発砲し、捜索願も出されていた家出少年の帆高を事務所から追い出す決断をします。妻の面影を残す愛娘は喘息を患い、妻の母元に引き取られていたため自由に会うことができず、その愛娘を手放したくない一心での行動でした。

しかし、帆高の陽菜を失いたくないという気持ちが痛いほど分かった須賀は、結果、帆高に「無茶はするな」「事情を話せばわかる」と説得し、警察には「まだ子供なのだから」と宥め「大人の正義」を示します。

しかし、帆高はここで2度目の発砲をするのです。帆高は大人になることは大事なものを犠牲にできるようになることなのかと悩み、須賀は大事なものを犠牲にできるような大人になってしまったと悩む姿が描かれ、2人は「対」になっています。須賀の変化や決断からは現代社会に生きる大人たちはどのようにして生きればよいかという問いかけの答えを示していると言われています。

ネタバレ考察⑦他人の存在

家出した帆高に対して世間の目は冷ややかだったようです。その他の登場人物たちの帆高への対応は冷たく帆高は「東京は怖い」という発言をするのが印象的です。帆高はネット上で他人に相談する場面が見られます。しかし、返事は冷たいものでまともな答えも返ってきません。

新海監督は社会のレールや常識からはみ出した者は冷遇されて明るく生きていくことができないという社会の実状や自分の生活の事だけで他人に手を差し伸べているほどの余裕のない現代人を描いたのではないかと言われています。その中でも唯一手を差し伸べてくれた須賀や陽菜と繋がることで帆高は東京での明るい生活を手に入れます。

新海監督は他人(モブ)キャラについて、誰もが無関係ではない作品にするために鑑賞者が「これはもしかしたら自分のことかもしれない」と思うような人物像にするように心がけたと語っており、「当事者」として考えられるように個性豊かな人物を登場させたと言われています。

そして、助けてくれない冷たい他人と、手を差し伸べてくれる温かい登場人物を対比させる事で人に手を差し伸べることや人との繋がりの重要性を示していると考察されているようです。

天気の子のラスト・最後の意味ネタバレ考察

ここからは映画「天気の子」のラスト・最後の意味のネタバレ考察をしていきます。新海誠監督は本作にどのようなメッセージを込め、どのようなラスト・最後を描いたのでしょうか?さっそく、映画「天気の子」のラスト・最後の意味ネタバレ考察を見ていきましょう!

ネタバレ考察①エンドロールの須賀の順番

物語のあらすじラスト・最後で流れるエンドロールの須賀の順番について注目されていたようです。須賀圭介の名前がエンドロールで流れる順番が最後ということに疑問が浮上していました。物語の主要人物である須賀は、森嶋帆高や天野陽菜に続いて3番目に名前が表示されるようなキャラクターであると多くの鑑賞者が想っていたことでしょう。

しかし、須賀の名前は全人物が紹介されたラストに表示されており、ここに新海誠監督のメッセージを感じさせます。須賀は映画「天気の子」のもう1人の主人公であると考察されているようです。帆高は現代に生きる子供を表し、須賀は現代に生きる大人を表していることが最後のエンドロールからも感じられるようです。

帆高を通しては「社会常識から外れたとしても愛や人に与えるということを優先し大事なものは大事なものとして周囲と繋がって生きる」、須賀を通しては「社会常識に捕らわれてしまったとしてもそこから抜け出すことはでき、愛や人に与えることを優先して大事なもの大事にして周囲と繋がって生きる」というそれぞれの立場から見た現代社会を生きる上でのメッセージを受け取れるようです。

ネタバレ考察②ぼくたちは大丈夫だ

物語のラスト・最後では帆高が「ぼくたちは大丈夫だ」という言葉で幕を下ろします。鑑賞者の感想を見ると「何が大丈夫なのか?」という疑問が残っていることがうかがえます。ラストの場面が意味することは、最終的に帆高が「愛を優先し、愛ある関係異を繋げていく」ということを決断し、その未来を選択したから「僕たちはこの社会で希望を持って生きていくことができる、だから大丈夫」ということだと考察されています。

この「大丈夫」は映画のテーマ「現代社会をどのように生きていくか」の答え、「お互いに愛し、与え、支え合っていけば、いつしか何かを犠牲にしなければならない社会も変わり、大事なものは大事にできる、不安や殺伐とした社会ではなくなる、大丈夫」というメッセージになっていると考えられています。

天気の子のRADWIMPS主題歌を考察

主題歌はRADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」

映画「天気の子」の楽曲も前作「君の名は。」に引き続きRADWIMPSが担当しています。新海監督は音楽にも重点を置いており、本作品の主題歌「愛にできることはまだあるかい」の歌詞からもインスピレーションを受けたとプロデューサーの川村元気が語っています。

主題歌には新海監督の映画のメッセージがそのまま表現されているとも話しています。作曲を担当したRADWIMPSの野田洋次郎は映画のストーリー展開を決める話し合いに参加し、監督の伝えたいメッセージを矛盾することなく盛り込んだ楽曲となるように制作に臨んでいたようです。

「愛にできることはまだあるかい」の歌詞の意味

RADWIMPSの野田洋次郎が作った楽曲「愛にできることはまだあるかい」の歌詞の意味について見ていきます。「愛にできることはまだあるかい」の歌詞には、舞台となった「調和の狂った世界」を想像させる言葉がちりばめられています。その中に「僕の全正義のど真ん中にいる」というフレーズがあります。

この「全正義」というのが「天気の子」を理解する上でポイントとなる言葉となっているようです。そして、それは作中に登場する「銃」と登場人物たちのそれぞれの関わりを追っていくと明らかとなると考えられています。「愛にできることはまだあるかい」の歌詞には「愛」をもらった人が「愛」を与えてくれた人に「愛」のお返しをするということを表し、人のことを大切に思う心が1つの愛の形であるということを伝えています。

天気の子のその他の謎ネタバレ考察

ネタバレ考察①帆高の家出の理由

故郷の離島からフェリーで東京に家出してきた帆高でしたが、その理由は結局、物語がラスト・最後を迎えても明かされることはありませんでした。帆高の家出理由の謎についてはプロデューサーの川村元気がインタビューで答えています。

帆高の家出の理由を明かさなかったのには、鑑賞者全員に当事者になってもらいたく、子供時代に一度は家や学校、住んでいる街から出たいと思ったことが誰しもあるのではないかと敢えて家出の理由を明かさないことで自分の人生を重ねて、補完して見てほしいという思いがあった語っています。

今は社会と折り合いをつけていたとしても帆高の様な思いを抱いたことが一度はあったのではないかと子供から大人まで幅広い世代の人にその時の気持ちを思い出してほしいというメッセージが込められていたようです。

ネタバレ考察②須賀圭介の奥さん

作中で須賀は「晴れ女」について主人公たちよりも以前から知っていたと感じさせるような描写が多く見られました。例えば、姪でアシスタントの夏美が陽菜に「晴れ女は天気を晴らす人柱になる運命だ」と教えたと聞いた須賀は「人柱のことを伝えたのか!?」と激怒する姿が多くの鑑賞者の印象に残っていることでしょう。他にも晴れ女に詳しい素振りや激しく感情移入する須賀が描かれています。

それらの須賀の様子から「須賀の奥さんは晴れ女だったのではないか」と考察されているようです。須賀の娘は喘息もちで雨になると酷くなるという描写があります。須賀の妻は「晴れ女」で娘の為に自分を犠牲にして天気を晴らし、須賀はそれを止めることができなかったのでないかと考えられているようです。「須賀の奥さんが晴れ女だった」と仮定すると須賀の表すメッセージが読み取れるようです。

須賀の口癖「もう少し大人になれよ、少年」からは、須賀が大事なものを犠牲にしなければならない社会を受け入れて「大人」になり、社会の常識に従って大事なものは諦める、それが大人になることだと結論付けているようです。須賀は現代社会に生きる大人代表です。新海監督は「本当にこれでいいのか?」と強いメッセージを問いかけていることが感じられるという感想も見られました。

ネタバレ考察③指輪の対比

須賀の左手にある2つの指輪は恐らく、自分と奥さんの結婚指輪であると考察されています。そして、須賀はその指輪に頻繁に触れる場面が印象的だったようです。晴れ女として人柱となった妻の空から降ってきた結婚指輪をいつまでも身に着けているのはなぜなのかという疑問が沸き起こっていたようです。

主人公の帆高が陽菜の誕生日プレゼントに選んだのも指輪でした。指輪が愛する人への贈り物、愛の象徴となるアクセサリーとするならば、「社会に従って大事なものを守れなかった「須賀」と、社会に抗って大事なものを守る選択した「帆高」という「対」になっているのではないかと考察されています。

ネタバレ考察④涙の対比

須賀と帆高の対比には「無意識の涙」についてもあげられています。須賀は警察から逃げ出し、将来を棒にしてまでも会いたい子がいて、その子に会うために行動を起こし、大事なものを守ろうとする姿勢を貫く帆高に無意識に涙します。須賀は自分も大事な人を守りたかったかったという過去がありました。

しかし、自分にはそれができず、本心では帆高のように行動したかった、大事なものを守りたかったとこの時に気付いたと考察されます。一方の帆高は物語のラスト・最後で陽菜と3年ぶりに再会し、無意識に涙します。自分が大事に思う人が目の前にいる、あの時に自分が取った行動は間違いではなかったと安堵した涙だと見られています。

この涙の対比には「愛を犠牲にすることなく、大事なものを守りたい」というのが大人の本音であり、「愛を優先して、大事なものを守っていくことこそが現代社会の未来を明るく照らし、生きていくためには必要なことである」というメッセージが込められているのではないかと考えられているようです。

ネタバレ考察⑤精霊馬を置いた人物

陽菜が晴れ女になる以前から祠には茄子ときゅうりで作った馬の精霊馬がお供えされていました。この精霊馬は一体誰がお供えしていたのかが多くの鑑賞者の疑問だったのではないでしょうか?物語の展開からして精霊馬をお供えしていたのは須賀だと見ている人が多いようです。晴れ女で人柱となった妻のことを思い、供えていたのではないかと考察されています。

しかし、晴れ女は1人、2人ではないように感じられます。他にも晴れ女ともしくは晴れ男もいたかもしれません。物語には登場してきませんが、鑑賞者の感想の中には、他にも人柱となった人物がいるのではないかと考える人もいたようです。

ネタバレ考察⑥K&Aプランニングの社名の由来

K&Aプランニングの社名の由来について考察していきます。社名についての考察には須賀の名前、圭介のの「K」と亡き妻・明日香の「A」の文字を取って「K&A」とつけられてたのではないかと考えられているようです。

天気の子の違和感の正体ネタバレ考察

ネタバレ考察①社会的正しさ

映画「天気の子」には自我の成長についても描かれているようです。人は13歳から14歳になると他者からの評価を気にするようになり、自我同一性、アイデンティティ「自分とは」という自分のイメージについて考えるようになります。

心理学ではアイデンティティを確立するためにこれまで受け入れてきた両親の価値観や考え方に疑問を抱くようになる「危機」と何か特定の価値観や世界観、考え方を自分で選択し、それに基づいて目標等を設定して生きる「傾倒」の2つの要素が必要であると言われています。

そして、アイデンティティ確立までには、危機も傾倒もない「自我同一性拡散」、危機を経験しない「早期完了」、危機を経ていて傾倒がまだない「モラトリアム」、危機・傾倒両方経験した「自我同一性達成」の4段階があると言われています。

本作品は2つ目の親の価値観をそのまま取り入れて、それを自分として生きるという状態「早期完了」が描かれています。本当の自分と向き合わずに、親など崇高な他者の意見を採用してそれに同一化して生き、そうすることで自分の自己肯定感を持ちます。そして、その崇高なものはさらに大きくなっていき、それが社会的正しさや正義、政治的思想などへと移行していきます。

このような生き方は本当の自分を生きるということにはならず、現実には本当の自分を生きることが出来ていない人が多いことへ警鐘を鳴らし、本当の自分に気付くこと、誰にも変えられない自分と相手との絆の大切さを新海監督はメッセージとして作品に盛り込んだのではないかと言われています。

ネタバレ考察②セカイ系とは真逆の天気の子

映画「天気の子」をセカイ系の作品としてみると違和感があると言われています。セカイ系の物語とは社会や他者の集団・コミュニティというものは描かれず、主人公とヒロインの2人の感情的な関係だけの世界で描かれた作品です。セカイ系は「母と息子」という自分は何でもできるという感覚を持ち続けて存在できる乳幼児期の世界に近いものがあり、とても楽な世界観と言われています。

本作にはそんなセカイ系の主人公とヒロインの2人の感情の世界観に「社会」「現実」「警察」「善悪の概念」を取り入れることで、「崇高なもの=社会的正しさ」に同一化して自我を保とうとする「自我の誘惑」に負けることなく打ち勝つようにという新海監督のメッセージが込められており、セカイ系とは真逆の作品であると言われているようです。

ネタバレ考察③他作品との類似点

子供は4〜6歳ごろ、言葉が発達する時期に「社会」や「現実」「善悪の概念」「常識」「〜すべき」という善悪の概念、「自分にしかすることができないのであればやろう」「みんなのためにやろう」という「超自我(良心)」を持って次第に社会の一員として生活できるようになっていきます。

本作はそのことをテーマにした作品でもあり、他にも同じようなテーマで描かれた作品にはスタジオジブリ作品・宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」があります。主人公の少女が10歳の時に転校することになり、初めはふてくされていましたが、湯屋で働くことで良心をもって成長を見せるという物語です。「千と千尋の神隠し」の物語では場面描写も似ていると話題となっていたようです。

ネタバレ考察④統合失調症的世界?

ヒロインの陽菜を軸に作品を見てみると、陽菜は自分の為ではなく、弟を養うためにバイトをし、風俗にまで行こうとします。そして、晴れ女業も弟と帆高の為にという描写が描かれ、晴れ女として力を使うと自分が消えてしまうと分かっても帆高の為に犠牲になろうとしています。これは精神医学的にみると陽菜は自分軸ではなく、他社軸で生き過ぎてしまい統合失調症的になっていると解釈できると言われています。

そして、帆高に助られて自分自身に戻れるようになります。それを表しているのがラスト・最後の帆高との再会のシーンで、晴れ女の力を失っているかもしれない陽菜が祈る場面です。陽菜が他者のためではなく、自分のために祈っているように感じられたという感想があがっています。

本作品は簡単に自己肯定感を上げられる「社会的正しさ」=「超自我」を取り入れるだけの生き方ではなく、自分の心の奥底から湧き上がってくる本当の気持ちを大事にすることが大切であるというメッセージがあると考察されています。

ネタバレ考察⑤もともと、世界は狂っているの意味

物語のラスト・最後近くの須賀のセリフには印象に残る「自惚れるな、お前たちが世界の形を変えたと思いあがるな」「もともと、世界は狂っている」というものがあります。このセリフには新海監督の「社会の犠牲になる必要はない」という強いメッセージが感じられるようです。本作品は7月19日と中高生が夏休みとなる時期に公開されました。この公開時期にも意味があるようです。

現在の社会問題には、新学期が始まる9月1日頃には中高生の自殺者が最も増加するという非常に深刻な問題があります。社会の歪みのしわ寄せが来てしまう弱い立場の若者や、社会に希望を見いだせずにいる若者に向けて自ら命を絶つ前に未来の希望を抱ける答えとなる映画「天気の子」を公開したのではないかと言われています。

天気の子に関する感想や評価

映画「天気の子」の感想や評価について紹介していきます。天気の子の感想や評価にはどのような声があがっているのでしょうか?きになる映画「天気の子」についての感想や評価を見ていきましょう!

映画「天気の子」を鑑賞した感想の多くには背景描写が凄いという声があがっています。誰もが感じていると思われるはっきりとしない心の深層について共感できると感じた人が多かったようです。物語のあらすじからのメッセージについては少し考察する必要があるという感想の声も見られました。

初見では作品のあらすじをどのように受け止めればいいか分からないという感想もみられますが、監督のインタビューや考察などを聞いてもう一度見ると深く理解でき、物語のあらすじラスト・最後を目にした時には涙がこぼれたという声もあがっています。1回の鑑賞では作品の全てを理解するのは難しいようですが、回数を重ねることで作品のテーマが深く分かり、新海監督のメッセージも受け取れるようです。

映画「天気の子」見た感想の多くには物語のラスト・最後の場面が印象に残るという人が多かったことがネット上の感想からうかがえます。また、映像や音楽、演出のすべてが素晴らしいという感想も見られました。

天気の子のネタバレ考察まとめ

本記事では映画「天使の子」のあらすじのラスト・最後までをまとめて考察し、鑑賞者の感想についてをまとめて紹介してきました。主人公とヒロイン、2人の愛を貫くために晴れ間を見なくなった東京を犠牲にするのか、それとも愛する人を失うことを選択するのか、どちらの正義を選んでその世界を生きるのか、選ぶのは「自分自身」であるという強いメッセージが込められた作品で、本作の最大のテーマとなっています。

たとえ狂った調和の取れない世の中だったとしても、1人1人が希望を持って生きることはできる、愛がすべての物事を救ってくれると勇気づけられるような作品となっているのではないでしょうか?感想には「とにかく1度は見てほしい」「感動する」という声が多く見られます。まだ、鑑賞されていない方は是非ご覧になってみるといいのではないでしょうか?

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