黒坂辛作は実在した?金栗四三と金栗足袋・カナグリシューズを開発した播磨屋とは?

大河ドラマ「いだてん」の前半で金栗四三の足袋をマラソン用に工夫を凝らしてマラソンシューズにした黒坂辛作についてまとめる。走ることを人生そのもののようにとらえていた金栗四三は「マラソンの父」ともよばれていた。黒坂辛作の播磨屋が作るシューズも金栗四三の名を冠して「金栗足袋」「カナグリシューズ」と呼ばれている。ピエール瀧の事件により黒坂辛作の役は三宅弘城に変更になった。「金栗足袋」を「カナグリシューズ」と呼ぶような違和感もあった。本記事では播磨屋の軌跡についてまとめる。

黒坂辛作は実在した?金栗四三と金栗足袋・カナグリシューズを開発した播磨屋とは?のイメージ

目次

  1. 黒坂辛作が登場!いだてんとは?
  2. ◆黒坂辛作と金栗四三が開発!金栗足袋とカナグリシューズ
  3. 完成した金栗足袋のその後
  4. 黒坂辛作が経営!播磨屋とは?
  5. ◆黒坂辛作役がピエール瀧から三宅弘城に変更
  6. 黒坂辛作に関する感想や評価
  7. 黒坂辛作と播磨屋は実在していた!

黒坂辛作が登場!いだてんとは?

いだてんのドラマ情報

「いだてん」は2020年東京オリンピックを前に2019年1月6日からスタートした第58作目の大河ドラマである。「いだてん」は初めてのオリンピック選手である三島弥彦と金栗四三の二人のうち、熊本出身の金栗四三が前半の主人公である。後半の主人公は1964年の東京オリンピックの招致に尽力した田畑政治をモデルに描かれる。

今回のまとめのテーマである足袋などを製作販売する播磨屋が金栗四三のために作る金栗足袋でのオリンピック出場が描かれる。のちにカナグリシューズを製作する黒坂辛作は、前半のマラソンに青春をかけ、女子スポーツの幕を開いた金栗四三の大切なチームメンバーだった。

いだてんの脚本家は宮藤官九郎

「いだてん」の脚本を担当するのは「木更津キャッツアイ」「タイガードラゴン」などコミカルな中にも泣かせる味のある宮藤官九郎が担当した。宮藤官九郎はNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」では「じぇじぇじぇ」などの流行語を生みだし大きな話題になった。さらに音楽活動も並行して行っている。

「いだてん」の後半の主人公阿部サダヲと村杉蝉之介と宮藤官九郎の3人は「グループ魂」で2005年代56回紅白歌合戦に「君にジュースを買ってあげる」で出場もしている。俳優としてドラマ「カルテット」では松たか子の夫役で出演している。宮藤官九郎の作品はどのキャラクターにも愛着が持てるようその背景をキャラクターごとにていねいに描くため初回はわかりにくいと言われているようだ。

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◆黒坂辛作と金栗四三が開発!金栗足袋とカナグリシューズ

黒坂辛作と金栗四三の出会いは運命

兵庫県で生まれた黒坂辛作が上京し独立して播磨屋を作ったのが、東京高等師範学校の近くだった。スポーツを大切にする校長嘉納治五郎の指導の下で行われるマラソン大会での選手の靴は、播磨屋の足袋が使われていた。師範学校でのマラソン大会は10キロ程度だったため、播磨屋の足袋で十分だったが、オリンピックでのマラソンの距離は42.195キロである。

金栗四三は、オリンピックの選考レースでは、トップでゴールしその記録も世界記録を塗り替えるものだった。しかし、今まで金栗四三が播磨屋で買っていた足袋では途中で足袋がボロボロになり後半金栗四三は、裸足で走ることになった。その事から金栗四三は黒坂辛作に何度も走りやすい足袋の形で作ってくれるように頼みこんだ。黒坂辛作も文句を言いながらもそれに答えた。

足袋を止める留め金の位置、靴底にあたる部分は今までよりも3倍の厚みにして日本でのマラソンの距離に耐えられるものが完成し、金栗四三はストックホルムの地に向かう。

黒坂辛作は実在の人物

黒坂辛作(くろさかしんさく)は実在の人物で、池井戸潤の「陸王」の足袋シューズの成り立ちは黒坂辛作のマラソンシューズ作りをモデルにしている。1881年兵庫県生まれの黒坂辛作は21歳で上京し開業した播磨屋で金栗四三と出会う。

金栗四三の基本情報

金栗四三(かなくりしそう)は1891年熊本で生まれる。兄弟の7番目だったことから父親が43歳の時の子供なのが名前の由来。貧しい家に育ったため遠くの学校までいつも走って通っていた。視力の問題で海軍士官学校を落ち東京高等師範学校(現在の筑波大学)へと進学する。

師範学校でのマラソン大会で優秀な成績を収め、校長の可能治五郎から「黎明の鐘となるような日本人最初のオリンピック選手になってくれ」と言われ日本のスポーツの一歩として現代の金額にして500万円の自腹でオリンピックに参加した。これには学友や家族の協力もあった。最初のオリンピックは慣れない舗装された道路とストックホルムの気温による熱射病で倒れ棄権となってしまう。

金栗四三が選手として一番力が出せる年のベルリンオリンピックは戦争により中止になり、ストックホルム・アントワープ・パリと3度のオリンピックに参加したがメダルは取れなかった。何度かくじけそうになる中、箱根駅伝や女子スポーツのはじめの一歩に尽力した。日本のマラソン界を担う人物となり日本の「マラソンの父」と呼ばれている。

金栗足袋を開発を引き受けた2人

マラソンの世界記録を出した「いだてん」として送り出された金栗四三は、ストックホルムの棄権ののち、東京にもどり播磨屋の黒坂辛作と共にオリンピックを走ることが出来る金栗足袋の製作に乗り出す。

金栗足袋の開発に至った理由

「いだてん」と呼ばれた金栗四三はストックホルムの地で舗装された道路ではボロボロになってしまう靴の情報をもって東京に戻る。金栗四三の頭にはこの雪辱をベルリンオリンピックで晴らしたいと胸に誓っていた。

たった1度でボロボロになる足袋

これまで日本の練習で播磨屋の黒坂辛作の作った3枚重ねの靴底で十分だった。しかし舗装された道路では、3枚重ねであっても足袋は擦り切れてしまったのだ。それも42.195キロを走るたった一度でもう使い物にならなくなってしまう。

マラソン足袋の開発に試行錯誤

いつの間にか金栗四三のオリンピックの夢を共に走っていた播磨屋の黒坂辛作は、走るための靴を考えるようになり、金栗四三と話し合いをかさねるようになった。

求められた耐久性

金栗足袋に求められたのは舗装された道路でもボロボロにならない耐久性だった。播磨屋の黒坂辛作は、金栗足袋の裏にゴムを張ることを考えた。雨の日の滑り止めのためにゴムの裏に凹凸をつけ、滑らない工夫も施した。

金栗足袋の逸話

耐久性だけでなく黒坂辛作が雨の日の対策まで考えた金栗足袋は1919年に完成する。金栗四三は、この金栗足袋を履いて下関〜東京間1200キロの駅伝区間を一人で走りきることに挑戦し、成し遂げた。

勝利を獲得した金栗足袋

金栗四三が履いた金栗足袋は1200キロ走る中、破れる事無く最後まで金栗四三の足元で頑張ってくれた。黒坂辛作と金栗四三箱の靴を正式に播磨屋から「金栗足袋」として売り出し、ロングセラーとなるヒット商品となった。

金栗四三は3度のオリンピックに出場した。入賞したことはあったがメダルには届かなかった。しかし金栗の名前が付いた金栗足袋は、1936年のベルリンオリンピックでは孫基禎が金メダルを獲得し、再び平和が訪れた1951年のボストンマラソンで田中茂樹が金栗足袋で金メダルを獲得に至る。

完成した金栗足袋のその後

カナグリシューズの誕生

金栗足袋は指の形から海外の選手が使うような先の丸い形に改良され名前も「カナグリシューズ」と名称を改めた。足袋の形状である二つに割れた形では、地面を蹴る力が分散してしまい走りのスピードに影響すると研究結果が出た。カナグリシューズとなって足袋の形からシューズへと変わっていった。

世界大記録を達成

播磨屋という足袋屋だった黒坂辛作が金栗四三と二人で作り上げたカナグリシューズは、世界でも結果を残している。金栗四三が夢を託し指導してきた愛弟子山田敬蔵が1953年のボストンマラソンで2時間8分51秒という世界新記録を、カナグリシューズを履いてたたき出した。

日本初のスポーツシューズ

カナグリシューズは基本的には金栗足袋を元にした作りである。アッパーと呼ばれる足を包み込む部分は、靴下を履くように全体にフィットさせる袋状にして、そこにソールと呼ばれる靴底をつけた形が選手たちに好評だったという。金栗四三のよりよく走るための想い・黒坂辛作の技術が詰まったカナグリシューズは、日本のスポーツシューズの第1号になった。

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黒坂辛作が経営!播磨屋とは?

現在は倒産?播磨屋について

結論から言ってしまうと播磨屋から始まったハリマヤ運動用品は1991年に倒産した。日本がバブルに浮かれた時期は播磨屋運動用品の経営陣も浮かれさせてしまった。巷のバブルで失敗した会社と同様に不動産事業や飲食事業などに手を出しバブルがはじけ、それが大きな負債となったためだった。「本業のシューズ事業だけを地道にやっていればこんなことにはならなかった」と言われている。

マラソン黎明期を駆け抜けた播磨屋

ハリマヤ運動用品は元の播磨屋があった東京大塚に本店を構え、新潟県の六日町の廃校を利用した生産拠点を作った。まだ学生だった金栗四三のマラソンシューズをあれこれ試行錯誤しながら42.195キロを走り切れるシ足袋造りから始まった。いくつかのオリンピックや世界大会でメダルを獲得する選手たちの力になる存在だった。

最先端技術を親子と孫で続けた播磨屋

東京高等師範学校の学生の御用達に過ぎなかった播磨屋は金栗四三と黒坂辛作とのオリンピックをめざすシューズ作りから大きくなり孫の代まで続いた。常に選手の走りを職人の先端技術で支えた。

ハリヤマ運動用品へ改名

こうして完成したカナグリシューズは日本のランニングシューズの第1号となった。このころには播磨屋足袋店はシューズ以外の運動用品も扱うようになり、ハリマヤ運動用品と名前を改めた。

足袋がシューズへ進化

播磨屋からはじまったハリマヤ運動用品は、足袋の特性である足をすっぽり包み込みそこに足の裏を守る靴底・足を包み込むアッパーと呼ばれる部分などの素材やアッパー素材が延びないための三本のラインなど工夫を重ねた。

ライバル登場でピンチに

嘉納治五郎のオリンピック招致や数々のオリンピック選手たちの影響もあり、日本のスポーツシューズメーカーも現れてきた。その中でも特に1964年の東京オリンピックで円谷幸吉が履いて銅メダルを取ったオニツカのマラソンシューズ「マジックランナー」というライバルは強敵だった。

廉価版を大量製造

1971年高度成長期の日本はどんどん給料が上がり日本人の人件費が上がったため、播磨屋でも人件費の安いアジアの工場を作りそこで廉価版を大量製造するようになった。国内の職人には技術の必要な競技用のシューズを担当して選手にあわせたシューズ造りへとすみ分けた。

「いだてん」の中では黒坂辛作と金栗四三のやり取りの中で作られる靴の様子が見られる。播磨屋のその先の時代のシューズ造りに関しては播磨屋をモデルにしたドラマ「陸王」(TBS)での職人たちの頑張りがフィクションも交えて描かれている。気になる方は「陸王」もチェックしてみては。

知る人ぞ知る企業へ

その後は大手スポーツ用品全般を扱うミズノやアシックス、海外から参入のナイキなどにシェアを奪われる中で、播磨屋は知る人ぞ知る企業へと育っていく。陸上競技に特化し軽さに重点を置いたマラソンシューズ1982年のカナグリ・ノバは、その軽さを追求したために1回の大会で履きつぶしてしまうほどであった。1991年に不動産・飲食にまで手を出したせいで倒産するがシューズ部門は数億円の黒字を出していた。

◆黒坂辛作役がピエール瀧から三宅弘城に変更

三宅弘城のプロフィール

三宅弘城は1968年生まれの俳優。脚本の宮藤官九郎も所属する事務所大人計画の俳優である。並行して大人計画のメンバーで作るグループ魂というロックコントバンドのドラムを三宅弘城は担当している。ソフトな外見に反して力強い三宅弘城のドラムさばきに驚く人も多い。身体能力も高くNHKEテレの「みいつけた!」でのみやけマンという体操のお兄さん役で三宅弘城は体の柔軟さを見せている。

三宅弘城の出演作品

三宅弘城は引き出しが多いと言われている。ロックコントバンドのグループ魂での三宅弘城はドラムを叩きながら歌う曲もある。歌唱力も迫力のある魅力的な歌声と言われている。「みいつけた」では子供達と一緒に飛んだり跳ねたりできる力を持っている。俳優としては朝ドラ「あさが来た」で主人公あさの嫁いだ両替屋の番頭を演じ、主人公あさに付き添って炭鉱で働く役を演じている。

俳優としての三宅弘城の出演作品は朝ドラ「あさが来た」のあと波留がヒロイン役の「世界一難しい恋」や「監察医朝顔」では検視官などがある。三宅弘城が演じる役はソフトな優しい役が多くピエール瀧の演じる黒坂辛作を三宅弘城で大丈夫かという心配する声もネットにはあったが、三宅弘城に交代する場面では金栗四三たちはストックホルムにいて日本での描写まで、少し時間が空いたのも幸運だった。

ピエール瀧のプロフィール

ピエール瀧は俳優・声優の顔とテクノ・エレティカルバンド「電気グルーヴ」のメンバーでボーカルを担当する曲もある。「電気グルーヴ」の活動については日本だけでなく世界的にもファンがいる。2019年に違法薬物の使用により放送中の「いだてん」10話で降板することとなった。俳優業・音楽活動共にファンが多く特に音楽作品を店頭から自主回収しないでほしいという署名は6万4000を超えた。

ピエール瀧の出演作品

俳優業としては映画・ドラマ・舞台を通じて幅広く活躍していた。NHK朝ドラでは「おひさま」「あまちゃん」「とと姉ちゃん」大河ドラマでは「龍馬伝」「軍師官兵衛」などがあり、宮藤官九郎作品は「木更津キャッツアイ」からの付き合いがある。また黒坂辛作の播磨屋の姿をモデルに描いた「陸王」にも出演していた。

「いだてん」の後半田畑政治編で、過去に違法薬物から立ち直り復帰した萩原健一が高橋是清役で出てきたことで、ピエール瀧の再起を願う声も多かった。

黒坂辛作に関する感想や評価

ピエール瀧の出演は10回まで普通のドラマだとほぼ最終回までとなる回数で黒坂辛作を演じていたので、どうしても違和感をもつ視聴者も多かった。

日曜日の放送と土曜日の再放送に際してスタッフがどのような編集でピエール瀧の痕跡を消すのかが、話題になった。「何か変わったこと…」嘉納治五郎のセリフは別の事を言っているのだが、起こらないでほしかった事件がリアルでは起きてしまっていた。

「いだてん」は日曜日に放送されている。このニュースが流れたのは3月13日水曜日。土曜日の「いだてん」」の再放送がどうなるのか話題になった。放送はピエール瀧のシーンは全てカットされた。同じ画面に出ていた峯田和伸もカットされたためオープニングから名前も消えた。その尺の分金栗四三と三島弥彦のいるストックホルムの風景が多く放送された。

黒坂辛作と播磨屋は実在していた!

「いだてん」の放送が始まり主人公たちがオリンピックに行っている風景が描かれたころの2019年3月13日の深夜に報道されたピエール瀧の逮捕。「いだてん」の金栗四三の走りを支える黒坂辛作は削除することのできない大切な人物だった。大河ドラマは前倒しでかなり先まで収録済みであった。ピンチヒッターとなった俳優は三宅弘城、朝ドラ「あさが来た」で人気だった俳優だ。

スポーツは選手の頑張りの他にそれを支える道具を作る人も大切な存在である。金栗四三の走りを技術的にも精神的にもささえた黒坂辛作とその仕事はまさに一所懸命と言われている。視聴率は低いが見た人の感想はおおむね感動したとある「いだてん」。このまとめで気になったら是非チェックしてみては?

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